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七章 帰参

七.普請

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 八月十五日、稲葉山城はあっさりと落ちた。
斎藤龍興は長良川を降り、伊勢の長島へと逃げていった。

 信長は、一応城の中を見て回った。
「良し、このまま普請に取り掛かる!」
そう言い、信長自ら指揮を取り工事に移った。
使える屋敷などを見て決めて、すぐに仮屋敷を建てる指揮を取るのは翔隆だ。
侍女や農夫達の寝泊まり出来る小屋を配置して、武将達の仮屋敷を決めて回る。
作業をするのは昔から馴染みのある者達なので、テキパキと働いてくれる。
皆が忙しく働いて城と町を完成させていく。
途中人手が足りなくなり、翔隆はこっそり一族の者を使った。
「ここの道を箒で掃いて整えておけ。小石等も取り除いておくように」
そう指示してから翔隆は小屋の骨組みを建てるのを手伝った。
「翔隆さまがやらなくとも…」
「邪魔なら言ってくれ」
「いやいや、はかどるけど…偉い方はあんな風にしてた方がいいと思うだに」
そう言い顔見知りの農夫が見た先には、床机しょうぎに座って指示を出す池田恒興つねおきの姿があった。
翔隆は整えた木材を担いで笑って言う。
「偉い方だからな。私はただの小姓だし、今は何の仕事も与えられていないんだ」
「い、いやでも…」
農夫が後ろを見て蒼白して、何かを訴えるが翔隆は墨つぼを手に木材に印を付けながら答える。
「小屋は早く建てないと。ああいった偉い方々に地べたで寝ろとは言えないだろう?」
「…それは大いに結構だがな、お前は小姓だろう」
その声に振り向くと信長が立っていた。
「の…お屋形様…」
言う間に、ゴンッと頭を叩かれた。
「呼んでもらんとは何の為の小姓だ!」
「で、でも小屋を建てろと仰有おっしゃっったではありませんか!」
負けずに言うと、信長は片眉を上げる。
「確かに言ったが、指揮を取れとは…」
「〝お前が行ってさっさと建てて来い〟と昨日仰せられました。…後ろの傅兵衛ふのひょうえ殿も聞いておられましたよ」
そう言われ、主君に見られた森傅兵衛ふのひょうえ可隆よしたかはムッとしながらも頷いた。
「…確かに、仰せられました…」
「とにかく一度戻れ!」
言いながら信長は翔隆の襟首を掴んで引き摺っていく。
「な、何かありましたか?」
翔隆が襟首を掴まれたまま歩くと、信長はムスッとしたまま言う。
「何年も居なかったのだから、戻ってすぐに居なくなるな」
「ーーーは、い…?」
思わず疑問形で返事をして信長を見ると、ふてくされながら前を向いていた。
〈…もしや、寂しかった…?〉
などと思うが聞ける筈もなく、その日は信長の側に居る事になった。
…とはいえ、小姓は沢山いる。
四年も経つと小姓も変わる。
昔の仲間は皆、何かの仕事を与えられている…。
今、信長の側仕えをしている小姓は十代の若い者達だ。
知らない者ばかりの中で、一人白い目を向けられている状況。
話し掛けても、返事すら返ってこないので翔隆もどう接したらいいか分からず、困っているのだが…。
とりあえず信長の側に控えながら、ふと家臣達の事を考える。
〈まだ、戻っていないな…〉
再士官してからずっと美濃にいるので、尾張にいる家臣達に、子供達に会いに行けていない事に気が付いた。
〈再士官の事は伝わっているだろう。…どうしているだろうか…〉
そして、一族の事も心配になる。
焔羅ほむらはいつ動くのか?
 まだ皆に話せていない…。
こんな時に一族の戦があったら、何と言い訳をして離れればいいだろうか?
〈すぐには行かれない…それでは困る……〉
許可を得てから、では遅い。
だからこその、あの掟なのだ…。
主君を持てば、色々と支障が出る…かといって、お側を離れたくはない。
〈…調べる事は出来ないだろうか?〉
何処かで戦が行われていないかどうかを、霊力ちからで探れないだろうか?
近くなら探れるのだから、やれない事は無い筈だ。
そう考えて目を閉じ、《霊力ちから》を使ってみる。
すると、翔隆の髪がフワリと動く。
それに気付いた信長はじーっと翔隆を見てから声を掛ける。
「翔隆」
「ん……はい?!」
翔隆はハッとして信長に向き直る。
「何をしていた?」
「え…あ、少し《力》を使っておりました。何処かで戦が起きていないかどうかを探ろうと思いまして」
「ふむ…して、分かったのか?」
「いえ、遠くの事はやはり分かりませんでした」
苦笑して答えると、信長は興味深げに聞く。
「力を使うと髪が動くのか? 今まで動いてはいなかったが…」
「え、あ…未熟なのでそうなるのだと…よく師匠に〝猫の毛のように逆立てるな〟と言われてましたが…」
「ふむ…」
信長は何か思案し始める。
その会話は、小姓達には不可解な物でしかなかった。
続けて信長が言う。
「そのは直さずに取っておけ。役に立つ」
「は、あ…承知致しました…」
直る物かどうかも分からないが、そう答えておく。


 それから、翔隆は翌日の未の刻(午後)には農夫達の下に戻る。
共に働いて、得意な事をやらせていくと作業がはかどった。
「翔隆さま! また大殿さまが来てるだに!」
農夫の一人が知らせに来たが、翔隆は敢えて無視して作業をする。
「翔隆さま!」
「いいから早く壁を作れ。雨が降りそうだ…お屋形様は、見学なさっておられるだけだから大事ない」
そう言い、翔隆はちらりと立っている信長を見てから壁を差し込んでいく。

突っ立って翔隆を見ながら、信長はムスーッとした表情を浮かべていた。
 昨日、確かに翔隆は許可を得てここに来たので文句はない。
文句はないが…翔隆の姿が見えないと何やら落ち着かないので、見に来たのだ。
〈あ奴は寂しくはなかったのか…?〉
あれだけボロボロと泣いていたくせに、仕官した後はもう今までの事が無かったかのように振る舞う。
 いや…
再士官出来たからこそ、張り切って町造りを率先して行っているように見える。
信長は軽く溜め息を吐いて苦笑する。
〈…小姓では難しいようだな〉
翔隆はじっとしていた事が無い。
いつも常に何かをしてきていた…。
そろそろ小姓ではなく、違う仕事を見付けた方がいいだろう。
そう思いながら見つめていると、池田恒興が床几を持ってきた。
「お屋形さま、どうぞ」
「ん…」
答えて腰掛けてから、信長は池田恒興を見る。
「武家屋敷の方はどうだ」
「はい、順調に進んでおりまする。…ただ、雨が降るようなので漆喰が使えません」
「雨?」
空を見上げても、曇っているだけで雨雲が見当たらない。
「誰が言った」
「翔隆です。朝から皆に言い回ったようです」
「まだ降って…」
言い掛けると、遠雷がゴロゴロゴロ…と響いた。
すると翔隆が指揮をする。
「皆、作業を止めて片付けろ!西から嵐が来ていたのを見たから、近いぞ!」
そう周りに言って、翔隆は信長の下に駆け寄る。
「信長さ…あ、お屋形様、笠を被って下さい」
そう言い笠を差し出す。
「嵐が来ているのか」
笠を被りながら信長が聞く。
「はい。結構風も強く…」
言い掛けると、ポツポツと雨が降り出し、土砂降りとなった。
農夫達は近くの小屋などに避難し、翔隆は池田恒興と信長と共に上の仮屋敷へと走った。
「いやぁ、びしょ濡れだ。これ着替えを」
池田恒興が小姓と侍女に命ずる間に、翔隆は手早く信長の着物を脱がせて手拭いを渡し、用意しておいた布で信長の体を拭く。
「湯を用意させますか? 火は着けてあるので、すぐに沸かせるかと…」
「………」
信長が笠を取る間に、もう新たな肌襦袢を着せられていた。
側にいた小姓の森傅兵衛ふのひょうえ可隆と堀久太郎の出番が全く無かった。
「ふ、はは」
ポカンとする小姓と池田恒興、そしてやたらと用意のいい翔隆を見て信長は笑う。
「お屋形様?」
「…信長で良い。に、そう決めただろうが」
「しかし…」
「何度も〝信長〟と言い掛けては〝お屋形〟と言い直されるのも落ち着かん」
「はっ…」
〝お屋形〟と言わないと、周りから白い目で見られるのだが…仕方が無い。
「お屋形さま、こちらに」
森傅兵衛可隆が翔隆を睨みつつ信長を誘導する。
体を拭いていた布を取られてしまったので、翔隆はずぶ濡れのまま立っていた。
小姓達が、そうなるように仕向けたのだが…。
「あの、ついでに外も見回ってきますので!」
そう言い翔隆は外に行ってしまった。
せわしないな…」
布を持ってきた塙直政が苦笑して見送る。
「いやはや、翔隆は何も変わらんな~。折角、ゆっくり酌み交わそうかと思うたというのに」
佐々成政も出てきて苦笑する。
「…毎日忙しない男よ」
そう言って池田恒興がくしゃみをしながら二人と共に中に入った。
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