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六章 決別

三十六.介抱

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  どれ程経ったのか?

 薄ぼんやりと目を開けると、天井が見えた。
〈ここ、は…〉
首を動かして見ると、自分が寝かされている板の間と土間が見えた。
〈助かった…のか? ここはどこ…〉
翔隆は起き上がろうとして、激痛に倒れて床の中で左腹を押さえて丸まった。
そこにここの家の主が帰ってきて、慌てて駆け寄ってきた。
「まだ起きちゃいかんに!」
そう言って翔隆を寝かせて、着物を掛けた。
「あ…助けて、くれたのか…」
「そ、そうずら…」
娘は目線を翔隆から外して、頬を赤らめながら喋る。
「お、お前さんが川にいて…血がすげー出てたに。ここは集落から離れとるに、薬師の方もおらんで。…川上に住んどる庵主さまを呼んだずら。〝当分は、静かに寝かせてうんと食べさせれば治る〟って…」
「…面倒を掛けて済まない。…ありがとう」
翔隆は苦痛そうな顔を抑えて、微笑む。
すると娘は耳まで真っ赤になって俯いた。
「そ、そんなお礼、言われる事じゃ……い、今粥でも作るずら!」
そう言うと娘は顔を隠しながら、土間に走った。
「……?」
翔隆はその行動の意味が分からなかった。
 娘は、少量のヒエや粟、キビなどと野草を入れた鍋に蓋をして土釜に火を起こす。
〈ちゃんと喋ったずら…顔と同じで綺麗な声だらぁ~〉
そんな事を思いながら鍋の前に立っていると、翔隆に声を掛けられる。
「吹きこぼれて…」
「えっ、あ、ああ!」
慌てて蓋を取って、蓋を落としておたまを顔にぶつけた。
「ったた…」
「…大丈夫か?」
いきなり真後ろから声が聞こえた。
娘は驚いて振り向き、そこに翔隆が立っていたので更に驚いてひっくり返りそうになった。
それを、翔隆が支えてやる。
「す、済まん。脅かすつもりはなかったが…」
「た、立っても平気ずら?!」
「…今は。私も手伝うから、慌てないでくれ」
そう言って苦笑すると、娘は恥ずかしさの余りおたまで顔を隠した。
「あ…そういえば名乗りもしなかったな。私は篠蔦翔隆。翔隆でいい」
翔隆はしゃもじで鍋を掻き混ぜながら言う。
「あ! お、おらは春……春夏秋冬の春だぁ」
「そうか…」
〝春夏秋冬〟という言葉を知っている所から、ただの土民では無い事が窺える。
「明日には戻らなければ……。私は、どの位寝ていたのかな?」
「そうずらなぁ…見付けてから……五日は経つずら。戻るって…どこかのお侍か何かけ? 身なりも良かっただに…」
「ああ…今は松平様の所にお世話になっていて…。子供や家臣も待っているから…」
「それなら知らせて…」
「い、いや…んー……」
「? 何かあったずら?」
「家臣では無いから……」
言い掛けて、翔隆は腹部の激痛に耐えられず、よろめいて柱に掴まる。
「ああ! 無理するから……はよう寝て!」
そう言い春は、翔隆を支えながら床まで歩いて、寝かせた。
「…済まない」
「お前さんは、謝ってばっかだに」
春はくすくす笑って言い、土間に戻っていった。翔隆は、少し恥ずかしげに横を向く。
〈癖かな? 何故謝るんだろうか…〉
考えていると、春が雑炊をよそって持ってくる。
「ほれ、食べさせてあげるずら」
「い、いや自分で…」
と起き上がろうとして、また痛みで横たわる。
「無理したらいかんずら。ほれ」
春はさじに雑炊をすくい、ふー、ふーと冷ましてから翔隆の口元に運ぶ。
恥ずかしくて抵抗があるが、今は痛みで腹の傷を押さえているので、さじを持つのもままならない。
戸惑いながら口を開けると、そっと雑炊を口の中に入れてくれた。
「…口に合うか分からんに…」
「美味しいよ」
「良かったずら! おこうこもあるだに」
春は喜んで、土間へ走って漬け物壷を開けて皿によそった。
 その間に、傷の《治癒》を試みるが、思った通り《力》が出ない。
陽炎との戦いで体力が消耗してしまい、《霊力》も無くなったのだ。
〈…これではすぐに戻れないな……せめて文でも書ければ……〉
そうは思うのだが、書く物を用意して貰うのも悪い…。
〈誰か一族の者に…〉
休めば、夜には少しの《思考派》を使える位に回復するだろう。
「どうしたずら? 痛くて食えないずらか?」
「あ、いや…大丈夫」

  陽が落ちても、春以外の者は誰も小屋に入って来なかった。
〈家族は…居ないのか……?〉
見回しても、他の誰かが住んでいたような気配は無い。翔隆は静かに尋ねた。
「家の者は……」
「ん? あー…」
裁縫をしていた春は、手を止めて苦笑した。
「…とーちゃんは、一揆で死んだずら。かーちゃんは、籠売りに出て…熊に襲われたずらよ」
「す、済まん…」
「寂しくねぁずらよ。そこに、いつもおるに」
そう言って春は棚を見つめる。
よく見れば、位牌があった。
「あ……気付かずに…」
「まぁた謝るずら? 怪我人は、養生してればいいずらよ」
春は明るく笑って、また裁縫をした。
どうやら、翔隆の着ていた着物を繕っているらしい。
そういえば、自分は長襦袢を着せられていたが……誰が着替えさせてくれたものなのか…?
「その…春さん」
「お春でええだに」
「お春、さん……その着物…」
「あ、お前さんが着てた物ずら。洗って血は何とか目立たなくなったずら」
「あ、ありがとう……その、この長襦袢は…」
「え?」
聞かれて、自分が着替えさせたのかと思われているのに気付き、春は真っ赤になった。
「や、違うずら!! そんな恥ずかしい事……。庵主さまが着替えさせてくれたずら…」
「そ、そうか…」
翔隆も恥ずかしい質問をしたと思い、着物に顔を埋めた。

  その夜。
 春が熟睡している頃合いを見計らって、翔隆はそっと外に出た。

〈…遠江は緋山殿か永戸殿……まだ、認めて貰ってはいない〉
不安だが翔隆は〝気〟を集中させて、呼び掛けた。
緋山ひやま永戸ながと。声が聞こえたら、来て頂きたい…!⦆
祈るような気持ちで、そう呼び掛けて待った。

 今は、庵主がくれたという痛み止めの粉薬で立っていられる程にはなったが……やはり、歩いたのが傷に響いたか、その場に膝を撞いてしまう。
「くっ…!!」
傷口を押さえてうずくまっていると、緋山と配下の者達が駆けてきた。
「長?!」
「騒ぐなっ…中に、人間が居る…!」
そう言われて、小屋の中に無関係な人間が居る事を悟る。
緋山はそっと近寄って跪く。
「いかがなされました? 酷い血が…!!」
「怒鳴って済まない……来てくれて、感謝する…」
「そんな事を言っている場合では無いでしょう! 集落が近くにあります。話はそちらで」
そう言い、緋山は配下の者達に翔隆を運ばせた。

  大井川の川上に〔一族〕の集落があった。
そこの小屋に着くと、すぐに手当をされて畳ニ枚の床に寝かされてしまった。
「い、いやいいから…」
「説得の、お話なのでしょう?」
「う、うむ…それもあるが。さっきの場所に戻らねばならんし…」
「きちんとお送り致します。他に、至急の話があるのでは?」
「あ…」
翔隆は、いつの間にか出された薬湯を飲んでから、寝たままの体勢で緋山を見る。
「済まぬが……三河の松平様に、文を届けて欲しいのだ。そこに私の子らと家臣が世話になっていて…。何の音沙汰も無く、もう五日も経つ。さぞや心配しているだろうと…」
それを聞いて頷くと、一族の者達はすぐに紙と硯箱、文机を持ってきてくれた。
「あ…済まない…」
「三度目」
「え…?」
「先程から、長は謝られてばかりおられる。一体何に謝っておられる?」
「あ…の、それは……まだ、認められていないのに、迷惑を…」
そう言うと、緋山は深く溜め息を吐いた。
「まだ、お気付きになられぬのか…」
緋山の言葉に、周りの者も苦笑したり溜め息を吐いたりした。
 何が…?
翔隆はきょとんとしながら考えて、はたと気付く。
 緋山は、来た時からずっと敬語を使い、自分の事を〝長〟と呼んでいる!
「な…何で……まだ説得なんて…」
「各地の事、聞き及んでおります。狭霧と戦いながらも、一族の説得をしている、と」
「そんなに戦っては…」
「その傷も、そうなのでしょう?」
「これは…」
翔隆が俯くと、緋山は微笑んで側に寄る。
「長自らが説得に来た、という噂は広まっています。浅間山にて、窮地を救った事も…」
「………」
言葉を失っていると、緋山は平伏する。
「永戸とも話し合いました。我ら遠州も、是非配下にして下さい」
「……ありがとう…!」
翔隆も上体を起こして一礼した。
すると、緋山に起こされて支えられる。
「礼など不要。早く文を書いて下され」
「…すま………ありがとう」
また謝ろうとして、礼に言い換えた。
しかし、また緋山に苦笑されて、翔隆は顔を赤くしながらも筆を執った。


 取り敢えず、〝傷を負ったので暫く戻れませんが、心配なさらないで下さい〟との内容の文を届けて貰い、元の場所に送って貰った。

  それから春は、甲斐甲斐しく看護をしてくれた。
体を拭いてくれたり、傷薬を塗って包帯を巻き直してくれたり、色々と雑炊の他にもおかずを増やしてくれたりと………。
それはもう、女房のように。

  そんな暮らしを八日程続けると、三月になっていた。
もう傷もだいぶ良くなり歩けるまでになった。
 翔隆は、回復した《霊力》で傷を塞いで、仕込みを着けて繕ってくれた着物に着替える。
春はちょうど出掛けていて居ない。
〈申し訳無いが…もう戻らねば〉
居ない隙を狙って、出ようとして戸を開けた時に、ばったりと帰ってきた春と出くわしてしまった。
「お前さん、どこに行くずら?!」
「その……」
ここで言葉を濁しても仕方が無い。
翔隆は眉を顰めて言う。
「もう、城に戻るよ。色々と世話になった……後で必ず…」
「嫌ずら!!」
春は目を見開いて翔隆にしがみついて泣いた。
「行っちゃならんずら!! ここにっ! ここに居て!! ずっと、ここにっ…!」
春はぎゅっと力の限り、翔隆に抱き付いた。
「ずっとじゃなくていいずら! 下婢かひでもええ!! 好きずら! 離れたくねーずら! だから…だから!!」
「お春さん……」
どうしていいか、分からなかった。
春が好きとか嫌いとかいう問題ではない。
ただ、そんな風に言われて、どう対応していいのかが分からないのだ。
「私は…―――――」
「どうか、側に居させて!!」
「済まない」
翔隆はそう言うと春の手を離して、歩き出した。
春はその背に向かって叫ぶ。
「おらっち、諦めねぇずらよ!!」
そう叫んでからその場に泣き崩れた…。



  岡崎城に戻ると、四人の子供達が一斉に翔隆に抱き付いて泣き出した。
「ととさまー!」
「翔隆様!!」
「父上!!」
冷静な樟美まで泣いている…。
「…済まなかった」
翔隆は微笑して子供達を抱き締めた。
 何があったかは、敢えて言わない事にした。
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