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六章 決別
十一.義成外伝 〜友、分かつ時〜〔二〕
しおりを挟む数日後。
陽炎の元に女が三人やってきた。
「いい男になったわね、陽炎!」
そう言い、年上らしい女が陽炎の背を叩く。
こんな事をしてきていた女は、一人しか知らない。
幼い頃に、
「なに言ってんのよ!」とよく背を叩いてきた女子…。
「…お前、梓か?!」
「そうよ、美人になったでしょう?」
「え、あー…」
陽炎はまじまじと梓を見て、クッと笑う。
「いやぁ、多分な」
「何よその言い方! 嫁ぎに来てあげたのに」
「嫁ぎ…え?」
「どうせ槍ばっかりいじってて、女の一人もいないんでしょう? もう跡継ぎを作る歳なのに」
「え、いや、そん…な事は…いや待て、跡継ぎって…」
「あんたの。…それとも、女がいるの?」
梓が急に不安そうに聞くと、陽炎は思わず
「いやいないが」
と正直に答えた。
「待て、考えが追いつかん。叔父上は何処だ?!」
「伯父上様の所よ」
それを聞いて、陽炎はすぐさま修隆の元へ走る。
「伯父御!」
「ん?」「なんだ」
二人の伯父と叔父が返事をした。
「あ、梓が…」
陽炎が真っ赤になってもごもごと言うと、伯父達が笑う。
「ああ、梓が陽炎の嫁にならばなると言うので、富士の方から連れてきた。あっちではいい不知火が居なかったらしい」
「富士にも不知火が?」
「まだ言ってなかったか? 父の側近であった者の子孫達が追放されて狭霧に来ていたのだ。我々の父・隆羽が殺されたのは話しただろう?」
修隆の言葉に頷き、陽炎は二人の前に座る。
「…その不知火達に、梓達が?」
それに頷き、清修が答える。
「年が合いそうなので、有望なのが犲狼、不祈、至銘、年下で灰河というのが居たのだが、どの男に会わせても嫌だの一点張りでな。ならば馴染みのお前ならいいだろうと思ったのだ。どうだ?」
「ど…どうだって言われても…まだ考えた事も…」
「では今考えろ」
修隆が真剣に言う。
陽炎は口元を手で隠しながら、ちらりと外にいる梓(十五歳)、撰(十三歳)、菊乃(十歳)を見る。
〈嫁…〉
確かに、梓なら嫁にいい気がした。
「ーーー俺で、不服が無いなら…」
「なんだ、頼りない返事だな。お前らしくない」
清修が笑って言うと、陽炎が苦笑して答える。
「だって、有望な奴らを断ったんでしょう? 梓なら美人だし、さぞかし槍に長けているだろうし、いい子供も産みそうだし。後から叔父上に文句言われても困るから」
「こいつ! …ほら、お前が褒めるから、アイツ真っ赤だぞ。見てやれ」
清修が笑って外を見て言う。
外を見ると、顔を真っ赤にした梓が、こっちを睨んでいた。
「何故睨む?」
「さっき美人って言わなかった癖に、なんで父上には取ってつけたように言うのよ!」
「…本心だ。男が、面と向かって言えるか」
真っ赤になって言うと、梓も真っ赤になった。
大人達はニヤニヤしてそれを見る。
「では梓は決まりだな。他は自然と決まるだろう」
修隆が言い、清修が頷いた。
梓が嫁に来ても、一室で共に暮らす事となる。
梓は風呂敷包みを部屋に置いて、左右と奥のふすまを開ける。
「…誰も使ってないように思えるけど…」
「右はどっかの侍女達の荷物置き場で、左はどっかの小姓の荷物置き場。奥だけ、最近使われなくなったな」
「なんで?」
「幽霊が出るらしい」
真顔で陽炎が言うと、着物の整理をしていた梓は驚いて陽炎を見る。
「え? 嘘でしょ」
「さあ…見た事は無いが、人間達がそう噂していたな」
そう言い、梓が固まっているのを見て、陽炎は思わず笑う。
「怖いのか? 一族の癖に」
「そりゃ、あたし達も人間じゃないけど、幽霊とは別だもの!」
「…じゃあ、貴陬様に御札でも作って頂くか」
「たかすみさま?」
「俺と義王丸の霊術のお師匠様だ。大丈夫さ」
そう言って笑い、陽炎は梓の頭を撫でる。
「子供扱いしないでよ! 夫婦なんだからっ」
「分かったよ」
義王丸に紹介したかったのだが、その日は母親の元に行く日で居なかった。
夜遅くまで待っても来ないので、床の準備をする。
〈…初夜か〉
剣術や霊術は学んできたが、女について学んだ事はない。
さっき、別れ際に清修からアレコレするように…とは言われたが、果たしてそれが出来るかどうか…。
〈まずは抱き寄せて、接吻をして、脱がせてから…〉
などと考えていたら、緊張してきた。
チラリと梓を見ると、床の上で正座している。
「ん、んっ!」
陽炎は咳払いをしてから、梓の前に座った。
「梓…あのな」
「分かってるわよ。いいから灯りを消して」
「け、消したら何も見えないだろう」
「灯台を倒して火事になったら困るでしょ」
確かにその通りだ。仕方無く灯りを消して、再び座ると口付けられた。
「あず…」
「…大丈夫よ、父上と母上のを見てるから」
そう言い、梓は陽炎を押し倒して着物を脱がせてくる。
「ま、待て待て、これはさせろ!」
「いいじゃないの。やってみたい事があるの…」
「っ! 触るなバカ」
「…苦いのね…」
「この……っ! 柔らかいな、これ」
「バカ!」
………。
色々と順番などが滅茶苦茶になったが、何とか初夜も済んだ。
二人が裸で寝ている所に義王丸がやってきた。
「陽炎…うわあ! 済まん!」
「っ!」
義王丸が咄嗟に横を向き、梓も驚いて着物で前を隠しながら、隅の方で着替えた。
「ん…朝か」
陽炎が起きて着物を着る。
「よ、嫁御が来たと聞いて…その、済まない」
「ああ、幼馴染みの梓だ。叔父上の長女だ」
「清修殿の…」
義王丸が障子を閉めて座る。
陽炎は常日頃から修隆を〝伯父御〟、清修を〝叔父上〟と呼び分けている。
なので、陽炎の言い方で清修の方だと判断した。
陽炎は畳を端に寄せてから座る。
「茶でも淹れるか…」
陽炎が言うと、義王丸が茶筒を一つ出す。
「これ、都の宇治の抹茶らしいんだ。祝いの品に何がいいか分からなくて、昨日買ってきた」
「買ってきた? 母御とか?」
「いや。モシリ様に頼んだら、丁度 貴陬様がいらしててな。それならば高級な茶を買えと言われて、連れて行って頂いたのだ。粉だから、土瓶で煮る物じゃないらしい」
「…煮ないのか…」
二人でどうするかを迷っていると、梓も首を傾げて茶碗を三つ持ってきて座る。
「粉を入れてお湯でも入れるのかしら…?」
「やってみるか」
粉を入れて、沸かした湯を入れて混ぜてみたら、とても苦かった。
「~~~」
三人で悶えている所に、貴陬が桐の小箱を手にしてやってきた。
「陽炎………なんだ、お前達。そんな苦虫食うたような顔を……」
「この…茶が、分からずに…」
義王丸が説明すると、貴陬は大声で笑った。
「丁度ええ。点ててやる故に待っていろ。あ、祝いの品や、陽炎」
そう言い、小箱を置く。
「ありがとうございます…これは?」
「煙草や。後で教えたる」
貴陬が点てた茶は、とても美味しかった。
梓は、覚えようと必死に空の茶碗を使って茶筅の使い方を練習する。
「人間と会う時に必要となる時があるさかいに。後で、何個か持ってきてやろう」
「ありがとうございます。あ、師匠」
「なんや」
「御札を、書いて頂けませんか?」
「…なんの呪や」
「呪ではなく、幽霊を払う物です。奥の部屋に出るらしく、妻が怖がりまして」
真剣に言うと、貴陬はフッと微笑する。
「…ええやろ。あの女子ならばええ子を沢山産みそうやしな。大事にしよし」
貴陬が去った後に、幾つもの茶筒や酒、化粧箱も届けられた。
化粧箱の中に色々な化粧道具があり、中には蛤の貝殻に入った紅があって梓は懐かしむ。
「これね、高く売れるからよく父上達と作ったのよ!」
「へえ…何に使うんだ?」
「唇に塗るの。お公家とかが」
「こっちの白い粉は」
「白粉はね…鉛が入ってると白く見えていいけど、体に良くないって父上が言ってたの…これはどうかしら?」
「ならば止めておけ。これは叔父上に売って貰えばいい」
師匠から頂いた大事な品だが、嫁の体に障るのならば別だ。
「…ええ、そうするわ」
その気遣いに梓は嬉しそうに微笑む。
その日から、義王丸が余り部屋に訪ねて来なくなった。
〈気でも遣ってるのか?〉
陽炎から訪ねて行っても居ない事が多い。
義王丸を探していると、前方から白茶の髪の者がやってくるのが見えたので、跪いた。
〝狭霧を見たら跪いておけ〟
と、修隆に言われたからだ。
それが、ここで平穏無事に過ごすやり方だ、と…。
大抵は去っていくのだが、何故か目の前に立ち止まられた。
〈…蹴られるのか?〉
そう思ってただ地面を見つめていると、声を掛けられる。
「お前が陽炎か」
「…はい」
答えると、頭上でクッと笑う声がした。
「せいぜい、足掻くがいい」
そう言い、去っていった。
「…なんだ?」
陽炎は居なくなってから立ち上がる。
術で白茶の髪色にした闇師が様子見に来ていたのだが、陽炎には知る由もない。
闇師は、都の狭霧の偉い人物だ…。
あちこちを探したが、義王丸の姿を見つける事が出来なかった。
寂しく思いながら引き返そうとした時、目の端に義王丸とその母親が見えた。
近寄る事は出来ないので隠れていると、会話が聞こえてくる。
「そろそろ、元服した方がいいわね」
「え…本当ですか?!」
「武家のような戴冠式などは無いけれど…名は、用意させるわ。ああ、後は京羅に聞いて」
そう言い、忙しそうに由羅は行ってしまう。
残された義王丸は、後から歩いてきた京羅を見る。
「…あのおん…いや、母君は、戦が近いから忙しいのだ」
「戦…指揮するのですか?」
「いや。ああ、知らないのか…あのおん………母君は、一度に何人もの傷を癒す力を持つからな。戦があると必要とされるのだ」
「そうだったのですね…知りませんでした」
微笑して言う義王丸を見て、京羅は苦笑する。
「あのおん………いや、」
「あの」
「ん?」
「言いにくいようなので、〝あの女〟でいいですよ? 先程から言い掛けて止めて言い直されてますし…」
そう言われ、京羅は気が付いてクッと笑う。
「そうだな…つい、癖でな。それで、あの女の言う元服だが、刀は用意してある。脇差しと、短刀と……モシリがな、褒めていたぞ。筋がよく、強くなれる…とな」
「まだまだですが、精進致します」
「そうか…」
もう戦にも出られる程の腕前だというにも関わらず、謙虚な言葉に京羅は笑う。
「…三日以内には、名を決めておく故…行くといい」
そう言い京羅はくいっと顎をしゃくって、隠れている陽炎の方を指し示す。
「あ…失礼します」
義王丸は一礼して陽炎の元へ行く。
「どうした?」
「あ、いや…」
陽炎も一礼して、共に歩いていく。
その後、梓も交えて話し、気兼ねなく共に過ごそうと約束した。
それから二日後。
義王丸の元に京羅とモシリが来て、着物や刀数本などが運ばれた。
「名は、苗字が今川で諱が義成」
「今川…?」
義成が聞き返すと、京羅は首を傾げる。
「? 使っていただろう?」
「あ、の…昔に、使うなと言われてからは、使っていません」
「誰…ああ…そうか」
言い掛けて、由羅が言ったのだろうと悟り苦笑する。
「使っていいから気にするな。それで、字だが…希望はあるか?」
「希望…ですか…」
「良い名が無くてな。今川の苗字ならば、字があった方がいいと、あの女が言うのだが…」
「…檍(あわき)…などは?」
義成は宙に木と意を書きながら言う。モチノキなどの総称として「檍」と言うので、それが思い付いたのだ。
「檍……檍之介、檍之丞…何か、書く物はあるか?」
言いながら、文字が伝わらない事に気付いて京羅が言うと義成は少し困った顔をする。
「あの…紙は丁度本にしてしまいまして…」
「用意の悪いこちらの責だ。モシリ、紙を持ってきてくれ」
「承知」
モシリが行くと、義成が硯などの用意をする。
「すみません…」
「何故謝る? …あの女に叱られるのか?」
「その…紙の使い過ぎだと…」
それを聞き、京羅は思わず手で顔を隠し、眉をしかめた。
表情を見られない為だ。
〈けちな女だ…みっともない〉
京羅は目を閉じて溜め息を吐く。
今月に、睦月が無謀にも翔隆暗殺に向かってしまった。
その時に、拓須は
〝義王丸が嫡子だから、お前が産む事は無い。故に大事にしろ〟
と、由羅に言い残して尾張に向かった。
すでに予知していた事。
母親は由羅にしておいたので問題は無いと思ったのだろう。
だが由羅は、義王丸に冷たい態度しか取らない。
この前は義王丸の寝込みを襲おうとしたらしく、異父弟の霏烏羅が止めたとの事。
〈嫡子を産み育てる野望が潰えたとはいえ、何を考えているのやら…〉
そう考えている所にモシリが紙を手に戻ってきた。
供として、兄のレラ(風という意味の名前/43歳)の長男であるカント(天空という意味の名前/27歳)を連れてくる。
「…長」
「長ではない」
「京羅様、何かあったのですか?」
「何が…」
言い掛けて顔を上げ、義成が下を見て蒼白して固まっているのに気付く。
恐らく、責められていると思わせてしまったのだろう。
〈…今すぐにでも、嫡子として教育出来たらいいが…〉
義成は、数年後に尾張にいる不知火の嫡子の元へ行かせるように仕向ける…と、拓須が言っていた。
京羅は髪をかき上げて苦笑しながら言う。
「…義成、お前を責めてはいない」
「ですが…」
「とにかく違う。モシリ、紙を」
「はい」
答えてカントに紙を置かせて、漢字を書く。
檍之丞 檍之介
「どちらの文字が良い?」
京羅が聞くと、義成は檍之丞と書かれた紙に手を添えた。
「こちらが…」
「そうか。読み方は? あわきのじょう、おくのじょう、おきのじょう…他は……」
「おきのじょう、がいいです」
それは即答だったので、京羅は微笑する。
「では、今川檍之丞義成で良いな。他の刀などは後で持ってこさせよう。…カント、頼むぞ」
「はっ」
カントが答えると、京羅はモシリと共に行ってしまう。
歩きながら京羅は無表情で言う。
「…手合わせに付き合え」
「は?! わしでは…」
言ってすぐに、機嫌が悪いのだと気付く。
京羅は機嫌が悪くなると、誰かと手合わせをする…そう榻羅に聞かされていたからだ。
「いいから行くぞ」
京羅はそう言い早歩きで行く。
モシリの実力が自分より上だと分かっていて言ったのだ。
モシリは溜め息を吐いて付いていく。
そんな二人を見送り、カントは義成を見て言う。
「今、祝いの刀と着物を持ってくる。…不知火の質を、呼んでくるか?」
「え、あ…俺が」
「お前はここにいろ。持ってきた時に居ないのも困る」
そう言ってカントは外に出た。
呼ばれてやってきた陽炎は笑顔で外で待っていた義成の背を叩く。
「良かったな! 元服したって? 名は?」
「紙に書いて下さったんだ、これ」
そう言いながら部屋に上がり、名の書いてある紙を見せる。
「今川檍之丞義成だ」
「これだと、字と諱だな…どれで呼べばいい?」
「……義成でいい。陽炎だって諱になるだろう?」
そんな会話をする横に刀が運ばれてきて、二人はそれを手にしてまたはしゃいで話した。
一五四三年。
珍しく修隆が陽炎(十九歳)を訪ねてきた。
「伯父御! どうかされたか?」
「済まん」
「何が…まずは茶でも」
「陽炎」
そう呼び止め、修隆は頭を下げた。
「伯父御?!」
「昨日、清修が末の弟の清隆に命じて疾風を明に行く船に奴隷として売った、と言ってな…」
「な…奴隷? みん? 明?! 海を超えた、異国の?!」
「ああ。…船はもう出たらしく、間に合わなかった。清隆にも来るように言ったのだが、〝何も悪い事はしていない〟と言いおって」
「え…叔父上達が………疾風を、売った?」
陽炎は目を見開いて頭に手を当てている。
見兼ねた梓(十九歳)が、お茶を二人に出してから言う。
「伯父様待って。陽炎が混乱してるわ」
「あ、ああ…」
修隆も焦りを抑えようと、お茶を飲む。
「は…疾風はまだ五つだ、伯父御! 俺の弟なのに!!」
突然叫ぶ。
修隆は驚きながらも申し訳なさそうな表情で陽炎を見た。
「…済まない。こうならないように、頼まれていたのにな。…だがな」
陽炎が何か言おうとしたのを遮り、修隆は眉をしかめ、厳しい顔をして言う。
「羽隆は…私の弟は、私のみならず弟達もお前の事までも裏切ったのだ。我々よりも、狭霧を取ったのだ。身内としても、長としても許せるものではない。分かるな?」
「………」
伯父の怒りがひしひしと伝わり、陽炎は言葉の続きを言えなくなった。
修隆が去ってから、陽炎は座って宙を見たまま考え事をしていた。
「陽炎…」
梓はなんと声を掛けていいか分からず、ただ陽炎を見つめた。
夜、陽炎は意を決して立ち上がる。
「少し出てくる」
それだけ言い出掛けた。
〈今日の修行の後、モシリ様は確か誰かに呼び止められて館の中で呑むという話しをされていた…〉
そう思い、モシリを探す。
途中、「うろつくな!」と狭霧に蹴られたが下座してやり過ごし、またモシリを探す。
今日は、戦の後で狭霧が多い…。
下座し、蹴られている陽炎をモシリの方が見付けた。
モシリは狭霧を下がらせて、陽炎の前にしゃがむ。
「こんな時刻にどうした?」
「師匠、どうか明に行く方法を、俺に教えて下さい!」
「みん? …明朝の事か?!」
「はい。それから、一族の気の探り方を教えて下さい」
「…何があった? とにかく立て」
そう言い陽炎を立たせて、モシリは人気の無い森へ行き話を聞く。
「……もう、死んでいるやもしれんぞ」
「きっと生きてます。処刑されなかった父の子です。運はいい筈です」
そう信じているという顔だった。
モシリは数回頷き、木陰に声を掛ける。
「誰かいるか」
「はい、何でしょう叔父上」
そう答え、カントが出てくる。
「今の話は聞いていたな? 清隆に今の船について聞いてこい」
「はい…」
カントはちらりと陽炎を一瞥してから走っていく。
暫くしてカントがやってきて、清隆からの情報を話す。
「どうやら、中国辺りに来ていた船で、日本人が必要だから子供でも買っていたそうです。ニンポーに行くと聞いた、と言っていました」
「…ニンポー? 知らんな…まあいい。戻っていいぞ」
そう言いカントを帰して、しばし考える。
〈…父上が許して下さるだろうか…〉
陽炎は自分が強く育ててきた弟子だ。
その弟子が言葉も何も分からない国に、生きているか死んでいるかも分からない弟を探しに行く、という一大決心をした。
ここで共に行かなければ、師匠とは言えない気がした。
「明日、話の続きをする。今は帰れ」
「っ………はい」
何か言うのを飲み込んで、陽炎は戻っていく。
「さて…殴られるだけで済むかどうか…」
モシリは一人呟き、父の片無の元へ向かった。
翌日。
顔の腫れたモシリが、陽炎の部屋に来た。
「師匠?! その顔は…」
「…妻と義成に挨拶をしておけ。…明日、中国に行って船を探すぞ」
「え? まさか、共に行って下さるのですか?!」
陽炎が驚いて聞くと、モシリが頷く。
「義成の修行は、私の兄がやる事になった。…用意しておけよ」
そう言い笑ってモシリが去っていく。
…と、梓が蒼白して寄ってきた。
「どういう事?! 船って何?!」
「梓…俺は疾風を探しに明朝へ行く。師匠も来て下さるのなら、早く帰れる筈だ」
「陽炎! お腹に貴方の子がいるのよ! 初めてなのに…敵だらけなのに! こんな中に、あたしを一人置いていくの!?」
「お前は、叔父上の元にいろ。いつ戻るか分からないが、必ず帰ってくる。俺の妻ならば、笑って送り出せ」
「……っ!」
梓は泣いて〝行かないで〟という言葉を呑み込み、グッと息と感情を呑んでから着物などを纏めていく。
「行ってきなさいょ…あた、あたしは父上がちゃんと守ってくれるもの。お産だって、妹が産まれるのを見てるから!」
言いながら風呂敷包みを背負い行こうとするので、陽炎は梓の手を握って止める。
「待て。一人で外に行くのは危険だ。…伯父御の元に送る」
「っ…バカ…!」
堪えきれずに泣いてしまった梓を抱き寄せて頭を撫でてやりながら、陽炎は槍を手にして共に歩いて修隆の元に行く。
一人の時ならば、狭霧に会っても殴られるか蹴られるかで済む。
しかし梓は女だ。
これまでも何度か犯されかけた事もある。
修隆に事情を話して、清修が来るまで梓を置いてもらう事にする。
陽炎は座って泣いている梓に自分の愛用してきた朱槍を渡す。
「俺が、質に来た時から使ってきた槍だ。誰かが襲ってきたらこれで殺せ。殺した責は俺が負う。だから、何処かに行ったりせず、大人しく待っていてくれ」
「…分かってるわよ、ばか…」
そう涙声で言う梓の頭を撫でてから、陽炎は修隆を見る。
「では、頼みます」
「ああ、梓には手出しさせぬ。清修も明日参る。案ずるな」
その言葉に頷き、陽炎は行ってしまう。
トントン
義成(十八歳)の部屋に灯りが見えたので、外からつついてみた。
「?」
すると、読書をしていた義成が障子を開ける。
「! 陽炎…! こんな時刻にどうした?」
「少しいいか? 話がある」
そう言い歩き出すので、義成は慌てて縁側に出て草履を履いてついていく。
「どうした?」
「…義成…」
言い掛けて迷う。
義成は、ずっと疾風を可愛がってくれていた…。
事実を話したら、自分も行く、と言い出すに違いない。
いつ戻れるとも知れない旅だ…危険も伴う。
義成は狭霧に大切にされている存在。
共に行けたら、それは心強いが…あの母親が黙っていないだろう。
「陽炎?」
「義成………俺は、明で修行してくる」
「みん…?! 突然どうしたんだ? 梓さんはどうする? 身重だろう?」
「済まん、決めたのだ…明日、発つ」
「明日?! 陽炎、本当に一体どうしたんだ?」
「…狭霧の者を超えたい。故に修行に出る…済まんな。なるべく早く戻ってくる」
それだけ言い、陽炎は立ち去った。
これ以上は言い訳も思い付かず、ボロが出てしまうと思ったのだ。
残された義成は、茫然と突っ立っていた。
〈一体、どうしたのだろうか…〉
義成は急に一人にされて、置いていかれたような気になった。
翌日に陽炎の部屋を訪ねても、誰も居なかった。
そして、急に師匠も変わり戸惑う事ばかりが増えた。
なんだか、この世でたった一人にされたような孤独感に襲われた…。
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