鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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六章 決別

二十.二条城での戦い

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  その頃、二条城では義輝(三十歳)自らが刀を手に戦っていた。
息も乱さず、兵の首を刎ねていく。
戦う…というよりは、剣捌きを披露するかのように…一刀一刀を、確実に、閃光を走らせながら。
 そこに、義羽よしば景凌かげしの(六十三歳)が槍を手に応戦しながらも、義輝の下に駆け付けた。
「上様!」
「景凌……!」
義輝は驚いて景凌に駆け寄る。
何故なにゆえ戻って参った! そのまま何処ぞへ逃げれば良いものを!」
「いいえ! 上様を置いて逃げはしませぬ!」
怒鳴るように言い、続け様喋った。
「私が目を離した隙にこの様な事態になっては、黙って消えるなどと出来ませぬ。わたくしめが食い止めます故、お逃げ下さいませ!」
それを聞き、義輝は外を見つめながら、静かに言う。
「いや、逃げぬ」
「上様!」
蒼白した景凌が愁涙を浮かべて振り返ると、義輝はこれまでに見せた事が無い、とても穏やかな微笑を浮かべていた。
「…良い。逃げて後世までの恥とするよりも、正々堂々と戦って散る方が良い」
「何を仰有るのですか! まだ間に合いまする!」
「余の剣技を存分に披露して死するならば、本望よ」
「上様!!」 
景凌は義輝の腕を掴んで叫ぶ。
しかし義輝は真顔で景凌を見つめる。
「…生き残り、また三好と松永と戦い、また和睦し、傀儡とされよと申すか? …これまでやっとの思いで〝将軍〟という位、名に恥じぬようにと手を尽くしてきた。やっと…将軍と呼べるようになった今―――…悔いは無い」
「義輝様……」
十一歳で将軍となり、父と共に細川や三好、松永と戦っては近江に逃れ、和睦しては京に入った。
……そんな繰り返しの生活の中で、義輝は刀技を磨こうと決意した。
故に、塚原卜伝高幹たかもとから鹿島新当流を指南してもらったのだ。
「古き幕府など、もはや成り立たん。新しき者が、新しき物を築き上げていく世なのだ。この乱世…現実まことに生きては意味が無い。野望ゆめに生きねば天は治められん。…そうであろう?」
返す言葉が見付からない…。
「余には相応しい死に場所であろう」
「上様……余りに惨うござりまする…」
その心中を察するからこそ、景凌は口惜しくて泣いた。
将軍としてではなく、一人の剣客として死を求めているものを、誰が止められようか?
 次第に義輝仕込みの近習達が倒されて、奥へ奥へと追い込まれていった。
それでも義輝の刀捌きは冴え、その表情は喜悦に満ちていく…。
 そこへ、翔隆が雑兵を倒しながら現れた。
「義輝様!!」 
「! お主…上総の」
義輝が言うと、景凌が翔隆に駆け寄る。
何故なにゆえ来た!」
「なっ…何故なにゆえって……」
「そんな暇があるのなら、主君の下へでも行け! 離れていて何か起こってからでは遅いのだぞ!!」
「景凌の言う通りぞ」
義輝までもが言ってきた。
それでも翔隆は、こんな危機的状況の中でこのまま逃げ出すような真似は出来なかった。翔隆は、眉を顰めて叫ぶ。
「お逃げ下さいませ! そして何処かで機を待って…」
「何処ぞの庇護を受けて、三好・松永と戦えと申すのか」
「っ! それは…」
「もう飽きたのだ…―――余は、ここで総てを終わらせる!」
何とも潔い御仁だ。
失くすには惜しいが、本人が今この時を散り際と決めている。
…ここで無理に助け出しても、自害し兼ねないだろう。
翔隆は口唇を噛み締めて、とにかく助勢した。
 半刻経った頃、急に雑兵を斬りながら走ってくる者がいた。
異形の槍を手にした、顔に布を巻いた男が―――珂室かむろ清修せいしゅうを伴って翔隆らの前に立ったのだ。
「陽炎……!」
翔隆と景凌が同時に言い、義輝を守るように立つ。
「この好機……こんな日を、どれ程待ち侘びた事か…」
陽炎はニヤリとして景凌を見た。
「長い、長い間…ずっと待ち続けた。今こそ! この怨恨を晴らしてくれる!!」
そう言うと陽炎は景凌に、清修が翔隆に、珂室かむろが義輝に斬り掛かっていった。
「くっ…!」
翔隆と景凌は苦戦を強いられ、義輝の護衛に回れなくなる…。
清修と戦いながら、翔隆は景凌と陽炎を見た。
陽炎は戦える愉悦に浸るような表情で景凌と刃を交えるが、景凌には迷いがあった。
〈…父親として……陽炎を切れないのか…?〉
心底、陽炎を憎悪する自分には一生分からない感情かもしれない…。
などと思っていると、清修の刃が右頬を掠めた。
「よそ見をするとは大した余裕だな!」
そう言い清修は《力》を使い始める。
「! 卑怯なっ!」
「〝一族の戦い〟に卑怯などあるかっ!」
怒鳴ると清修はそこらにある物を義輝目掛けて投げ、景凌と翔隆には死体が持つ刀や槍などを操って投げる。
そんな戦いに、義輝は慣れていない…!
何とか翔隆と景凌が相手の攻撃を躱して助勢に行こうとするものの、阻まれてしまう。
「ぐっ…!」
そんな中、隙を衝いて珂室が義輝の胸を貫いた。
「上様!!」
景凌は叫んですぐに陽炎の戦斧を弾き、瞬時に珂室の首を刎ねた。
そして義輝を抱き起こす。
「上様! 義輝様!!」 
そんな二人を、翔隆が守護した。
…陽炎は、何もせずにただ景凌を見下ろしている。
正直、あんな強さが景凌…いや、羽隆にあるとは思ってもいなかった。
ただ、弱いだけの父だと思っていた……なのに全力で戦っていた己の刃を弾いて、一瞬で珂室を殺した…。
〈………そんな強さを持ちながら―――…何故!〉
陽炎は、ギリッと歯噛みする。
 陽炎の心中など知らず、景凌は義輝の頬を撫でる。
「上様! しっかり…」
「景凌………」
「はい!」
「長い間……よう仕えて、くれた…………もう良い…。良いから……余の分も生きよ…」
「上……義輝様!!」
「存分に…戦え、た………満足じゃ…―――」
フッ  と、義輝の躰から力が失せた…。
今までで、一番優しい顔をして…義輝は息絶えた…。
その瞬間、景凌…いや、羽隆は何もかもが崩れ去り、消えてなくなった真っ白な空間に居るような…そんな錯覚に陥った。
〈…よ……〉
涙で、視界がぼやける…。
それでも義輝を見つめ、羽隆は初めて義輝と出会った時から、今までの事を思い出していた。
 …赤子の頃に、笑顔を見せた…そして、幼い義輝……力の無さを悔やみ、歯噛みしていた少年。
 その父親に祐筆として仕えていたから、赤子の義輝に仕えて欲しいと頼まれたのだ。
幼い義輝は大局を見て幕府を築く事を考えていた。
常に命の危機に晒されていたのに、前だけを向いて…いつしか剣豪を師として成長した。
三好長慶と松永久秀の二人に、傀儡のように扱われても諸将に書状を送り戦の調停を行い、守護大名などに任じ、偏諱として名の一文字を与えたりする内に、将軍と認められるようになった…。
優しく、いつも物の本質を見極めていた…この世でたった一人の愛する大切な主君…。
「……る、さん…」
羽隆は震えながら立ち上がる。
その体からは、凄まじい〝気〟が流出し、風がブワリと巻き上がる。
「父さん?!」
翔隆が驚愕しながら振り返り、父を見る。
これには清修も警戒して止まった。
三人の見つめる中、羽隆は涙を流しながら両手を広げた。
「もはや許さん!! 全て消し去ってくれるわ!!」
羽隆が叫ぶと同時にカッと閃光が走り、下から凄い勢いで風が吹き上がる。
それはあらゆる物を吹き飛ばし、切り刻んでいった。
翔隆は咄嗟に義輝の下に走って結界を張り、羽隆を見る――――。
「…?! か…風麻呂かざまろ!?」 
そう―――。
そこに羽隆の姿は無く、風麻呂が《力》を使っていたのだ!
もう、総ての辻褄が合う………。
何故、藍色の瞳だったのか…何故、風麻呂が凄い《力》を持っていたのか……自分を助けてくれたのか………。
〈…烏の姿の時だけ…《力》を使える…!!〉
そんな羽隆が―――自分に信長の文を届けてくれたから、だから…〝離れるな〟と…!
〈済まない……!〉
心で詫びるしか、翔隆には出来なかった。
 清修と陽炎もまた、同様に烏を見上げていた。
本気の《力》を出した兄を、清修は唖然として見つめていた。
死体も飛び、柱も床板も剥がれて飛んでいく…こんな力があるとは、初めて知った……。
〈………こんな力を…しかし…っ!〉
清修は眉を顰めて歯噛みする。
陽炎はただ、真剣な眸で羽隆を見ている…。
「父さん! 冷静になってくれ!」
翔隆が叫ぶ。
余りの《力》に、結界がビシビシと悲鳴を上げている。 
「―――父さん!!」 
力の限り叫んでも、羽隆には届かない。
最愛の主君を殺されたという胸が張り裂けんばかりの悲しみと怒りで、何も聞こえなかったのだ。
そんな間に、襖や棚などが外に吹き飛んでいく。外を見ると、旋風つむじかぜが起こり塀や石を巻き込んで、竜巻に変わろうとしていた。
〈まずい! このままでは城だけでは……!〉
そう危惧して、翔隆は焦心して考える間もなく叫んだ。
「このままでは義輝様の愛する都が壊れてしまうっ!!」
その言葉に、羽隆はピクリと反応して《力》を弱めた。
―――だがそれは、殺すのに絶好の機となってしまう。
陽炎が走って飛び上がりその虚を衝いて、烏の背を狙って槍を突き立てたのだ! 
「死ね羽隆!!」 
ドシュ…  鈍い音がして、槍が烏を貫くと共に…烏は人の形へと変わっていく…。
「ぐう…っ!」
羽隆は呻いてドサリと落ち、その隣りに陽炎が降り立った。
「父…さん……!」
翔隆は茫然として見ていた。
そして清修は真顔で…先程来た疾風も、外からその光景を見つめていた。
陽炎は無表情で羽隆を見下ろしながら槍を引き抜く―――と、いきなり笑い出す。
「くっ…くっくっくっく…ふははははははは!」
哄笑しているのにも拘わらず、哀歓あいかんの表情に見えるのは何故なのか……。
そんな事を思っていると、陽炎は清修と共に行ってしまう。
羽隆は血を吐きながらも、ズルズルと這って義輝に手を伸ばす。
「義…輝様……! 共、に……逝…きます………」
そう微笑して言うと、羽隆は義輝の腕に手を乗せて…息絶えた。
「…………父さ…ん」
以前にも………似たような情景を、見た事がある。
 血が繋がらねど、父と思い信じていた志木しぎは…同じ様に、陽炎の槍に掛かったのではなかったか…?

  何も、出来なかった…。

逆に、父を殺させる隙を作り……
 陽炎を阻止する事も出来ずに………
ただ見ていただけで、何も―――――!!
 そんな翔隆に、疾風が歩み寄る。
「兄者……ここに居ては危険だ」
「………ん…」
答えて翔隆は、義輝の脇差を手にして羽隆を抱き上げた。


  羽隆の遺体は、義輝の脇差と共に近江の琵琶湖湖畔の森に埋めた。

 疾風が帰った後、翔隆は呆然と墓を見つめていた。
  離れていて何か起こってからでは遅い 
あの言葉の意味も、十二分に解った。
大事な主君も、己の命も落とす羽目となった羽隆は、一体どのような気持ちであっただろうか…?
あの時、羽隆は大切な愛しい主君を失った……。
それは自分ならば、よく分かっていただろうに…!
信長を殺されるのと同じ事なのに、何故何もしてあげられなかったのかっ!
主君を殺されて、正気でなどいられない。なのに、何故……!
〈ごめん、父さん………済まない…っ!!〉
墓標代わりの岩に手を置いて膝を撞き、翔隆は静かに涙を流した。

 暫く泣いた後に、翔隆は立ち上がって東南の方角を見る。
〈――――信長様…〉
会いたい…と切に思う。
しかし、あれ程激怒させてしまった以上、何もしていない内に会う訳にはいかない。
それに、また主家を増やしてしまっている…。だが――――
〈何かあっても…離れていては何も出来ない………!〉
そう思えば思う程、不安と恋しさが募ってどうにもならない。
〈…少しでいい……遠くから見るだけでも………いや、見なくともいいから―――!〉
側にいたくても出来ないのなら、せめて同じ空気を吸いたい。
あの懐かしい地を、踏み締めたい。
あの風を肌で感じたい…ただ、それだけでもいいから……尾張に行きたい!
抑えていた欲求が、次から次へと溢れ出してくる。
〈いや駄目だ!! 何一つ手柄も立てずに会えば殺される!〉
殺しはしなくとも、一生許してはくれなくなる…そういう人だ。
実力や能力で認められるような事をしない限りは、決して許さない性格なのだ。
  分かっている。
充分に分かってはいるが、本能が………体が言う事を利かなかった。
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