鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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五章 流浪

二十二.稲葉山城、奪取〔一〕

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  美濃は、変わり果てていた。
 あんなに活気付いていた市も、人々も暗く沈んでいるように見える。
大垣城下の町を見ながら、翔隆は眉を顰めた。
〈……何て…残酷なのだろう…〉
主が変われば、全てが変わってしまうものなのか…。
さすがに稲葉山城下までは行けないが、それでもどうなっているかくらいは想像が付く。
 見ていられなくなり、翔隆はそのまま影疾かげときの轡を取って道を外れて北上し、取り敢えずは竹中半兵衛重虎の居る集落に向かった。

 二日掛かって集落に着くと、ちょうど竹中重虎(二十一歳)と出会った。
重虎は驚き立ち尽くすが、次の瞬間には笑顔になる。
「殿…翔隆様!! お久しゅう!」
「半兵衛………一年振りか。何だか懐かしく思える」
「翔隆様は、見違えて立派に見えまする」
そう言って、手を取り合った。そして、小屋の中で食事を馳走になる。
「解任と知らされましたが、何処へ行っておられたのですか?」
「西を回ってきた。紀伊の宮内殿と八尋やひろ殿には話して認めてもらった。播磨は黒田殿と小山殿に話をして摂津・和泉・河内・丹波・丹後の一族を説き伏せてくれると約束してくれた。土佐の高砂たかさ殿も話をして、九州では相根そね殿に認められた。後は筑前の吉弘よしひろ鎭種しげたね殿と戸次べっき道雪どうせつ殿に会い、和解してきた。…あ、それから出雲の忍坂おさかと話をして…」
それを聞いていく内に、重虎は思わず涙ぐむ。
〈あんなに頼りなくふらふらとしていた人が、いつの間にかこれ程成長して…〉
感心と共に感動した。味方した甲斐があったというものだ。
「あ、そうそう。上泉こうずみに会ったら叱られてな」
「叱られた?」
「ん……解任された事を知らせていなかったので、私を捜し出そうと会議をしていた。謝って、書をしたためたのだが…もっと先に知らせなくて済まなかったな」
「……それに気付いただけでも、大したものです。今宵は、大いに呑みましょう!」
そう言って、重虎は酒宴の準備をさせた。
…何だか、まだ子供扱いされているのが気になるが、翔隆は重虎の嬉しそうな顔を見て満足だった。


 子供達は別の小屋で眠らせて、夜も酒宴は続いていた。
重虎は、上機嫌で翔隆に酒を注ぎながら喋る。
「ほんに頼もしゅうなられた!」
「…そうか…?」
「今までは戦でしか頼れなかった方が、きちんと長として動いてくれているのが、何よりも嬉しいのです」
「半兵衛……」
馬鹿にされているのか、褒められているのか…喜ぶべき所なのであろうが…。
〈確かに、今まで一人で無鉄砲に戦ってばかりいたからな…〉
翔隆はくすっと笑って、重虎と共に呑んだ。


  翌日。
 重虎が稲葉山城に出仕に出たので、翔隆は矢佐介やさのすけ(四十四歳)のいる集落に移った。
その後の尾張・美濃の一族の動向を知る為である。


 稲葉山に来た竹中重虎は、溜め息を吐きながらも本丸へ行った。
「竹中半兵衛重虎、まかり越しました」
「おお、来たのか」
斎藤龍興たつおき(十八歳)は驚いたように言った。
「お顔を拝見しに参りました。ついでに…弟に会いに参りました由」
「ついで、か。ゆるりとしていけ」
そう言い、龍興は立ち上がり重虎の側に寄る。
「美男よな」
龍興はニヤニヤして言い、重虎の尻を触る。
「!! お戯れを!」
重虎はゾッとして、思わずバッと飛び退く。すると龍興は扇子で仰ぎながら笑った。
「ははは、下がって良いぞ」
言われて重虎は一礼して下がった。そして、誰もいない通路で己の腕と尻を擦る。
〈…気色の悪い……〉
嫌いな主君に触られて嬉しい者などいまい。

本丸を下がりドカドカと歩いていくと、舅に当たる安藤伊賀守守就もりなり(四十八歳)と会う。
「これは舅殿。ご機嫌麗しゅう…」
「世辞の挨拶は良い。……話がある、こちらへ…」
安藤守就の言葉から、只事ではないのを察した重虎は頷いて付いていく。

  来た場所は、城下の邸…。
 中には稲葉伊予守良通よしみち(五十歳)が居た。………密談、か。
「失礼至す」
重虎は一礼して中に入った。後から安藤守就が入って、戸を閉めた。
「まあ、座れ」
言われて座る……何の密談かなどとは聞かなくとも分かる。
…龍興の所業の事だ。守就も座ると、稲葉良通が話す。
「氏家どのは……来ぬ、か」
「うむ……分かってはいるのだろうが………口を出さぬ主義のようだな。困ったものよ」
「…仕方あるまい」
そう言うと、良通は重虎に向き直る。
「もう分かってはいると思うが、主君・龍興さまの事じゃ。遊び三昧でまつりごとが全く酷い…これ以上、何もせずに黙っていては、美濃が滅びよう。そこで、お主にやってもらいたい事がある」
良通の言葉に、重虎は眉をピクリと顰める。
「稲葉山でも取れと?」
「さすがは鋭いな。そのくらいの仕置きをしなければ、あの暗君はどうにもならぬであろう」
やはり…。しかし、そのまま乗っ取るつもりなのか…?
重虎は軽く咳払いをして、話す。
「拙者は、お家乗っ取りをする気はござらん」
「やってこい!」
守就が怒鳴るように言った。
「策は任せる。出来るだろう!」
「…斎藤家を潰すおつもりにござるか?」
聞くと、良通が答えた。
「いや。ただ脅しを掛けて、今の腐れた態度を改めて戴くのじゃ。…御屋形さまの孫を、殺したりはしない」
そう返答に、重虎はふんふんと頷き考える。
〈まずは狭霧の動向………それから城の配置、だな〉
と、考えていると良通がすぐ側まで来て耳打ちする。
(お主ならば、出来るであろう…?)
そう小声で言い、重虎の腰に手を掛ける。その手と頬に当たる髭にゾワリとした重虎は、ススッと横に移動して立ち上がる。
「分かり申した。考えて参ります故、しばしお待ちを…」
そう言い一礼して、重虎はそこを出て矢佐介やさのすけのいる集落に走った。


矢佐介やさのすけ!」
「はいっ!?」
驚いて出迎えると、重虎はぽいぽいと刀を投げ渡した。
「水を浴びてくる!」
そう言って、翔隆が出てくる頃には川に行ってしまう。
「何かあったのか?」
「………」
何とも言えず、矢佐介は苦笑して囲炉裏の火を強めておく。

 日も暮れる頃、重虎が戻ってきたので、矢佐介が着替えを渡してやると重虎は黙って体を拭いて、それに着替えた。
そして、深く溜め息を吐く。
そんな重虎に翔隆は優しく微笑んで言う。
「…どうかしたか?」
「殿………」
「暗愚な龍興に、何か言われたか?」
そう尋ねる優しい眼差しを見ている内に、不愉快さも消えて、いつもの冷静な心を取り戻せた。
「それは、後程に……今は腹が空きました」
重虎が笑って言うと、翔隆はホッとしたように頷いて囲炉裏の火で捕ってきた魚を焼いていく。

 昼過ぎの昼餉を終えて、翔隆と重虎は矢佐介と共に評定をする小屋に行く。
樟美と浅葱は、他の者に面倒をみてもらっている。
 重虎は稲葉山の絵図を取り出した。
「実は来月に、ある事をしようと思いましてな」
「ある事?」
聞き返すと、重虎は翔隆に近寄る。
「聞いて下され…龍興めは己の好みの家臣ばかりを重用し、役立つ武辺者ぶへんものは遠ざけているのですよ。三人衆の二人に言われましてな………拙者も、少々馬鹿にされまして」
「何をされたのだ?」
無邪気に聞くと、重虎はこれ以上無い程に嫌悪の表情を浮かべた。
〈……聞いてはまずかったか…?〉
翔隆は少し心配げに重虎の顔を覗き込んだ。
「………たのです」
「ん?」
「あ奴、人の尻を撫でおったのです! …腹の立つ……」
「………そうか…」
重虎がそういうのを嫌うとは、初耳だ。
まあ、好きでもない主君に触られるのは誰でも嫌であろう。
翔隆は微苦笑して話を聞いた。
「来月に稲葉山を乗っ取ってやろうと」
「――――あの稲葉山城をか?!」
「はい。…舅殿が、やって来いと言い…稲葉殿まで言いましてな。…稲葉殿には気を付けなされ」
重虎は耳元で言った。
…何をどう気を付けろと言うのか…。
「…幸い来月は一族も集会があるらしく、富士に行くと情報を得たので、その時に舅殿と質となっている弟と計らおうと思うのですが……愚弟故に、芝居が出来るかどうかが不安で…」
「病気の振りをさせるのか」
「さすがは我が君、話が早い。重病でなくてはなりませぬ……まあ、それは舅殿から伝えて貰うとして。どのように行うか、ですが…」
「珍しい。策が浮かばない訳ではあるまい?」
「策はありまする。弟が重症となれば、毎日こちらから城へ見舞いをやらねばなりませんので、それを利用し…」
「中からかんぬきを開けて、安藤殿に兵を揃えて貰っておいて中へ誘導、だな?」
翔隆が言うと、重虎はにやりとした。
「はい。言い出した責任は取って戴かねば」
「そうだな………私も交ざって良いか?」
「え…ですが……」
「この所、そういう知謀などで頭を使っていないから、脳みそが腐るやもしれん」
「殿…」
重虎はプッと吹き出して、笑った。
変わらぬ翔隆の言動に安心したのだ。
そんな子供っぽさが嬉しくて、愛しく思える。対して翔隆も笑った。
 それから二人は、まるで悪童が他人の家を勝手に住処すみかにするかのような気軽さで、策を講じた。
聞いている矢佐介の方がゾッとしてしまう程の、綿密な策だった。
こんな一大事を、この二人は楽しそうに話し、実行しようとしている……余程謀略好きなのか、無謀なだけなのか…。
いや、悪戯好きと言った方が合っている。


 それから策を安藤守就に伝え、重虎の弟である重矩しげのり(十九歳)を重病人に仕立て上げ、毎日 見舞いの者を稲葉山城に送った。
だが、兄である重虎は行かない。
冷酷な奴だと思わせる必要があるし、何よりも龍興に会いたくなかったからである。
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