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五章 流浪

十四.小早川隆景

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  翔隆達は拓須によって、筑前に戻された。
…どうせなら長門ながとに送ってくれれば…とも思うが、それは甘えだ。
翔隆は飛ばされた薮の中から出て、包帯を巻くと先程の茶屋に向かう。
さっきの団子の代金を払う為だ。
どうやら、食い逃げしたのだと思われていたらしく、店主は驚いていた。
「すみませんでした…」
「いや、払ってくれたんだからいいさ。疑って悪かったね」
翔隆はおじぎをして、そこを離れて船乗り場に向かった。

 長門の赤間関から、山陰道を通って北東に進んで行く。やはり、この辺りは狭霧の〝気〟が充満し過ぎていて、不知火の気が探れない。
〈…この辺りにも頭領がいる筈だが……これでは、不知火の数も少ない…〉
それ程、狭霧が強いという証でもある。
出来る限り〝気〟を隠し、戦いを避けて歩いて行く。

 それから石見を通り抜け、出雲に着く頃にはもう九月となっていた。

夜になり、宍道湖しんじこ中海なかのうみの間までくると、辺りが異様な事に気が付く。
〈………戦か? この近くに陣を構えているようだが……〉
こんな所をうろついていては、それこそ殺され兼ねない。
翔隆は旨く隠れられる場所に影疾かげときを繋いで樟美と浅葱を降ろす。
「父上、どこに?」
「戦だ。…場所で言えば毛利と尼子だが………ただの戦にしては、どうも嫌な気があり過ぎる。このまま見過ごす訳にもいくまい」
そう言って陣笠と包帯を取って立ち上がる。
「ととさま?」
「大丈夫だ。何かあれば駆け付けるから…ここで、じっとしていろ」
「あい…」
それに頷き、翔隆はここ数カ月見せた事の無い、厳しくも生き生きとした目付きで走っていった。
 ざっと調べた所、洗合あらがいに陣を置くのは、梟雄・毛利元就軍。
どうやら北にある白鹿城しらがじょうを落とそうとしているらしい。
〈…ここは尼子の城………確か家臣の山中鹿介しかのすけ幸盛ゆきもりが、血は薄いが不知火一族だと聞く。………毛利が狭霧と結び付いているのは明白だ……どうするべきか…〉
もし…毛利元就が、今川義元と同じように狭霧を快く迎えてしまっていたとしたら…?
同族の山中鹿介の主家の城が狙われているのだから、長としては加勢するのが当然…。
しかし、毛利元就の話は聞いた事があっても、その人柄等は良く知らない。
正確な情報も無いまま、毛利元就を敵に回したくはない。
…今川義元は、別であったが……主義に反するのだ。
〈取り敢えず、本陣の様子を探って…っ!〉
と考えて、それがいかに危険な事かを悟る。
四町も離れた場所から見ているだけにも関わらず、前後左右をすっかり狭霧に取り囲まれているからだ。
こんな時だが、改めて思う。
どちらの一族も同じだが、大名・武将と一度〝契約〟を結べば、守護されるという特典が付く。
不知火よりは狭霧の方が、確実性があり強いと見て、側に置くのだろう…。
〈…一歩でも動けば、何かの小細工に引っ掛かりそうだな……これだけ警戒するとは流石だ〉
などと感心している場合ではない。
〈どうする? ここで騒ぎを起こしては樟美達も危うい………一か八か…〉
考えて、翔隆はバッと立ち上がる。
と同時に、狭霧が一斉に襲い掛かって来て、呆気なく捕らわれる。
狭霧の者が仲間に聞く。
「どうだ?」
「何だ、こ奴…」
狭霧が翔隆の体を調べて、何か確認してから、翔隆を縄で縛って立たせた。
「歩け!」
そう言われて歩く方向は、毛利本陣…。
その場で殺さず連れて行く所を見ると、己の大将ではなく、毛利を優先している事が分かる。
それと同時に、今更〝縁を切れ〟などと言っても聞かないであろう事も分かった。
翔隆は黙って歩きながら、本陣までの様子を見る。
〈兵の士気も充分だし、陣形も文句が無い。噂には聞いていたが、元就様はかなりの戦上手だな…。果たして、どんなお人であろうか…〉
そう思っている内に、本陣と少し違う陣幕に着いた。狭霧の一人が、中へ知らせに行く。
「申し上げます」
「何だ!」
とても若々しく、されど威厳のある声だ。
「不審な者を捕らえました! いかが至しましょう」
「…その輩、何か持っていたか?」
「いえ。仕込みを付けてはいますが、刀一つ帯びておりません」
「ふむ…通せ」
その言葉の後、翔隆はその陣幕の中に放り込まれた。
そこには三十前後と見られる武将が、ただ一人立っていた。
元就の年齢は確か六十七歳の筈だから、重臣であろう。
側に…狭霧が誰もいないのが、とても珍しかった…。
「旅の者…牢人か? この戦で取り立てて貰おうと思うたか?」
「ああ、いえ! そうではないのです…ただ、通り掛かって、戦かな、と思い……見ていたら…」
翔隆は、慌ててその男の眼を見ながら喋った。
「そうか…」
その男は微笑んで縄を切ってくれる。
「あ奴らは、百姓でも誰でも連れてくる……手荒な真似をして、悪かったな」
「あ…ありがとう存じます……」
礼を言いながら、翔隆はふと不思議に思った。
〝牢人〟ならば、こんな好機はない。
…重臣に直接会って話が出来るのだから、仕官の事を話してくるとは思わないのだろうか…?
いや、その前に、何故狭霧を側に置かないのか…。
「…つかぬ事をお聞き至しますが、あの乱破は……ご血族か何かで…?」
そう聞くと、男は片方の眉を顰めて苦笑する。
「変な事を聞く牢人じゃな。…あれは大殿がお気に召されて傭っている、ならず者よ。でなければ、誰があんな無作法な輩を…毛利に一歩たりとも入れさせはせんわ!」
そう言って舌打ちした。
重臣、というよりも軍師格に見受けられる男は、心底狭霧が嫌いなようだ。
翔隆は、くすっと笑って跪いた。
「私は、篠蔦翔隆と申します。故あって諸国を廻っておりまするが、先程のやからの宿敵の長でして」
「ほお! …っと、聞こえぬようにせねばな。するとそなた、不知火一族とやらか」
「はい。各地の不知火を率いるべく、訪ね歩いている最中にござりまする」
「そうか、これは面白い。あ奴ら、それも見抜けずして宿敵の長を………愚かよのぉ」
その男は、顎を撫でながら笑っている。
翔隆は真顔で話す。
「…あの一族とは、早く縁を切らなければ、御家が乱れまする。今に一族に主権を握られ、城は居城とされて、破滅の道を歩む事となりまする! どうか、早々に…」
「うむ、分かっておる。…この所、やたらとでしゃばりおるしの。特にあの大将の志磨とゆう男がいけ好かぬ。やたら大殿に媚びるわ、己は何もせずに何でも下の者にやらせる…」
男も、真顔で答えてきた。翔隆は少し驚いた顔でその男を見る。
「…何故……私の話を信じて下さるのですか? もしかしたら、士官の為の嘘やもしれぬのに……」
さ」
「目………しかし、もし…」
戦人いくさびとたる者、相手の眼を見てその者がどのような者かを悟れねば、一人前とは言えぬ。そなたは、真っすぐに、何一つ迷う事なく、拙者の眼を見て話した。嘘偽りの無い、澄んだ瞳でこうして拙者と話している。仕官目的であれば、眼を輝かせて媚びてくるものであろう?」
そう言って、その男も真っすぐ翔隆の眼を見つめて話す。
…確かに……仕官がしたければ、いつかの藤吉郎のように、必死になってするだろう…。
「はい…そうですね」
翔隆はにっこりと微笑んで言う。すると、男も微笑む。
「拙者、瀬戸水軍・小早川家の者で、又四郎隆景と申す。…大殿の三男坊でな、養子に出されたのよ」
「そうでしたか…」
「…大殿は素晴らしいお方じゃ。ただ一つだけ過ちがあるとすれば、あのような輩を細作として置く事だ。奴らはいかん。信義も何も無い。あるのはただ、野心と私利私欲………。だのに兄の吉川元春まで奴らを好んで使うておられる……厄介な。何とかせねばとは思うが…どうにも、な」
小早川隆景(三十一歳)は、腕組みをして言った。
〈……この人がいれば、毛利は何とかなりそうだ…〉
翔隆は隆景を見て、そう思った。
「どうやら、貴方様が居れば毛利は狭霧に支配されずに済みそうですね」
「当然よ。拙者の眼の黒い内は、断じて奴らに乗っ取られはせん!」
そう言い、二人は見つめ合った。
隆景にとって、例え翔隆が敵であろうと細作であろうと、そんな事はどうでも良かった。
ただ戦場いくさばを駆ける戦人いくさびととして、真っ当でさえあれば良かったのだ。
「何でも一族は、忍び共にとって、とても恐ろしく近寄ってはならぬ存在らしいな。拙者はまだ見た事が無いが…何やら山伏や陰陽師のような〝術〟を使うとか」
「あ、はい…。火・土・水・風・雷・雪など…この世にある自然の力を始め、幻や病、人を惑わす力もありまする。それは一人一人、違う力を持って生まれますので…」
「ほおぉ…。もし、そなたが敵となれば手強いのお」
意味ありげな言葉…。翔隆はにこりとしたまま、答える。
「一族相手なれば容赦は至しませぬが……〝人間〟には使うまいと、決めておりまする」
「ふむ。総大将のそなたが言うのならば、不知火は安心か。…ああ、余り長居をさせてはいかんな。悟られぬ内に、早う行くがいい」
「はい。…次にお会いするのが、戦場ではない事を、祈ります…」
そう言い一礼して、翔隆は走り去った。


 樟美達の下に戻ると、二人は影疾かげときに守られるようにして眠っていた。
それを見て、翔隆は影疾の顔を撫でる。
「ありがとう、影疾」
影疾は少し首を振り、気持ち良さそうに目を瞑る。
〈しっかりせねば………狭霧よりも強固にし、一族の結束を高める為にも、私自身が…しっかりしなければ……っ!〉
翔隆は幼子達の寝顔を見つめながら、自分に言い聞かせた……何度も、何度も。

 時も、人も、世も、待ってはくれないのだから…。
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