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四章 礎

四十三.錐巴

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  梅の花が愛々あいあいしい三月。
 翔隆は主命で三河へ向かっていた。
その後の松平元康の動向を調べる為である。
 
 岡崎城に来ると、城下は案外賑わっていた。
髪を染め粉で黒く染めて、民の噂話や行商人と話していると、前方に童を追い掛ける修隆おさたかの姿が見えた。
「修隆―――?!」
翔隆は気になって駆け寄り、その童を捕まえる。
「離せっ!!」
童はじたばたと藻掻いている。
そこに修隆が追い付き、驚いたように翔隆を見た。
「…翔隆……やはり、生きていたか」
「え…ああ…。伝わっていたのか」
「…清修がな…。導師が連れていったと言っていたから、生き返らせただろうとは思っていたが…」
そう言う修隆は、どこか安堵したような表情を浮かべている。
「…あ……済まない」
「私に謝っても仕方あるまい。…元康様も、心配されていたからな…」
修隆は照れ隠しをするかのように、横を向く。その時、童が暴れ疲れて重たくなった。
「あ、この子は…?」
「ああ……」
何やら、返答に困っているようだ。
「修隆の子か?」
「いや、私にはこんな幼い子はおらぬ。いつ…楓、と言ったお前の〝姉〟の子供だ」
「姉さんの?!」
「うむ。弘治二年の四月に生まれてな」
弘治二年(一五五六年)といえば、義成を連れ戻した翌年だ。
「名は?」
錐巴きりは。金にふるとりと書いて錐に、巴と書く…藺姫が名付けたものだ。本当は、〝羽〟の字を付けていたのだが…その字は代々、不知火の一門のみが使うのを許されているので、違う字を使うように言ってな…」
錐巴きりは……良い名だな」
その腕の中の五歳の錐巴を見ると、ムスッとしていた。
「この子が、何かしたのか?」
「…いや…脱走というか……母の下へ行くと言い、いつも逃げ出してな」
「………」
翔隆は何も言えなくなる。
楓はもう死んでいる……墓は尾張だ。
「あ……差し支えなければ、私が引き取っては…駄目か?」
「…お前は、戦いで忙しいだろう」
「平気だ。幼い子は居るし…家臣達も居る。ああ…でも、元康様が…」
「…お前から言え」
そう言い修隆は城に向かって歩き出した。
翔隆は、錐巴きりはを腕に抱いてその後をついていった。
 

 岡崎城の本丸の一角に着くと、元康が縁側に座って頬杖を付いていた。
何やら思案している様子で話し掛けづらい…。そう思っていると、元康がこちらに気付いて笑顔になった。
「おお、翔隆!」
名を呼ばれ、翔隆は錐巴を修隆に預けて側に寄って跪く。
「謁見の際は大変な無礼を至し、申し訳ござりませぬ」
「いや。息災で何よりじゃ…」
「…元康様、錐巴の事、聞きました。毎日抜け出している、と…」
「うむ。…父が分からぬが……母が恋しいのであろうな…」
その強い想いが分かる元康は微苦笑を浮かべる。
「…わたくしめに、預からせて頂けませぬか? 姉の子は、大事にしたいと思いますので…。あ、決して元康様が大事にしていないという訳ではございません!!」
「…それが、良いのやもしれぬな……」
元康は憫笑びんしょうを浮かべて錐巴きりはを見た。
「錐巴、お主はどうしたい?」
尋ねると、錐巴は俯いて考える。
「俺は、母さんに会いたい」
ぎゅっと拳を握り締め、泣くのを堪えて言う。それを見て、翔隆が近付いて静かに話す。
「お前の母、藺姫は亡き斎藤道三様の養女となっていたが、その前は私の姉・楓として暮らしていたのだ」
「かえで…?」
「ああ…父母と姉と四人家族で……優しくて、器量好しで、集落では皆に好かれていた。私には厳しかったりもしたが……とても、大切な姉さんだったのだ…」
思い返しながら喋る内に目頭が熱くなり、翔隆は口をつぐむ。
大好きだった家族………。一夜で幸せを壊され、無くなった集落…――――!
「翔隆…?」
元康に声を掛けられ、翔隆はハッとして手の平で目を擦る。
「済みません、何でもありませぬ」
微苦笑して答え、錐巴きりはに向き直る。
「楓姉さんは、病で亡くなった。それは、聞いているな?」
そう聞くと、錐巴は俯きがちに頷いた。
「亡骸は、父母と、お前の兄であった雪乃宮ゆきのみやと共に尾張に葬ってある」
「兄…?」
「うむ。お前と同じ年頃に、病で死んでしまったのだ。生きていれば、十二になっていた…」
眉を寄せて言うと、錐巴は翔隆を見て言う。
「…尾張に、墓があるのか…?」
「うむ…」
「行ってみたい」
「…いいのか? 元康様達と別れる事となるのだぞ?」
「………」
錐巴きりはは元康や修隆を見る。二人は微笑して頷いた。
今まで世話をしてくれたのは、修隆だ…。
錐巴は、修隆に向き直ってきちんと正座し、頭を下げた。
「今まで、ありがとうございます。俺…この人と行きます。母さんの、居る所に……」
「それがいい。ここでは、戦もあってろくに面倒は見られぬ。翔隆の下ならば、近い年頃の子も居よう」
修隆が苦笑しながら言うと、錐巴は目を輝かせた。
「子供?」
すると、翔隆が笑って言う。
「ああ、私の子は四歳のおのこと三歳の娘が居るし…赤子も生まれるだろう」
「あかご…」
「うむ、そう遠くない内に、な」
そう言うと、修隆が近寄ってくる。
「お前、女子は…」
「〝掟〟か? 私はそんな掟、認めていない。誰が何と言おうと、殺させぬし、守る!」
真剣に言う翔隆を見て、修隆は苦笑した。
「…そうだな。それには賛同する」
「…修隆」
妙に優しく言う修隆に、翔隆は何かあったのかと思うが敢えて触れぬ事にした。
そして、改めて錐巴きりはを見た。
「では、家臣として迎えよう」
「かしん…」
その言葉に、錐巴は目を見開く。
「嫌か? 嫌ならば…」
「かしんがいい!」
錐巴は笑って答える。今まで預かり物のように大切にされてきたので、家臣というものがとても新鮮でワクワクするのだ。
「…そうか。よろしいですか? 元康様」
「うむ。任せたぞ」
「はい!」
翔隆は微笑して答え、錐巴と共に城を出た。
 
  錐巴きりはを抱えて尾張に着くと、まずは邸に向かう。
 
 邸には女子供しかいなかった。
篠姫と似推里が出迎えて、じっと錐巴を見つめる。
「新たな殿の御子ですか?」
「いや……ああ、篠には話していなかったな…。姉の楓の子で、名を錐巴きりは。中に入ってから話そう」
苦笑して言い中に入ると、侍女達や子供達皆が集まってきた。

まずは自分の集落と家族を失った事を話してから、錐巴を紹介する。
「…それで、家臣として迎える事にした」
葵と鹿奈は泣いてしまっていて、弓香は涙ぐんでいる…。
「その…泣かないでくれ。どうしたらいいか、分からなくなる」
困惑して言うと、三人は涙を拭ってくれる。
それを見ながら、篠が樟美くすみを見て言う。
「一つ年上の友が出来ましたなぁ」
「はい」
樟美は笑って錐巴きりはに右手を差し出す。
「わたしの名は樟美。よろしく、錐巴」
「…よ、よろしく…」
錐巴は戸惑いながらも、嬉しそうに樟美の手を取った。



 夕方、魚を売りに出ていた義成が戻ってきたので、翔隆は錐巴を紹介した。
「楓姉さんの子の錐巴きりはだ。年は五つ…父親は…分からないが」
そう言うと、義成は驚いた顔で錐巴を見る。
「五つ…」
その表情からは、心当たりがあるもののはっきりしない…といった事が読み取れた。
自分が父親かもしれないが、違うかもしれない。
複雑そうな顔をしているので、翔隆が笑って言う。
「今日から私の家臣となって貰うから、修行を頼めないか?」
「…ああ、分かった」
義成は苦笑して頷く。
楓の子ならば、一族。
一族ならば強くなって貰わねばならないのだ。
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