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四章 礎

四十.大切な存在

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 それから夜遅くまで、皆が動き回っていた。
 
 翔隆の回復に思いの外時間が掛かり、拓須は《力》の大半を使い、忠長はぐったりとしていた。
翔隆は傷も何とか回復させたものの、高熱で生死の境を彷徨っている状態…。
 遅い夕餉の時に、やっと拓須が義成に事情を説明して、起きたらまた治すとだけ言い残し、さっさと床についてしまう。
忠長はとにかく食べ終えると翔隆の側まで行くも、そこで力尽きたかのように眠ってしまったので、一成が床に運んでいった。
義成は、皆に睦月と翔隆の説明をした。
「…心の臓だけではなく、他の内臓も己で切り裂いたらしい。まだ傷も癒えていない…睦月の怪我もあるから、私はこれから薬草を採ってくる」
「それならば、お手伝い至します!」
疾風・蒼司・光征・椎名雪孝が同時に言うと、義成は苦笑した。
「…では、蒼司と雪孝に来てもらおう。疾風は出仕があるだろう? 光征は、今ある薬草を煎じていてくれ」
「はっ!」
義成達が行くと、篠姫は皆を見た。
「術をもってしても治らぬ危機ですぞ。峠を越すまでは交代で看病に当たりましょう。まずは葵と鹿奈かな、次にわらわと似推里。弓香どのは子らの世話を」
「俺も何か…」
疾風が言い掛けると、一成が首を横に振る。
「疾風様は、もうお休みになられた方が、よろしいかと存じまする」
「しかし…っ」
「そうですよ、疾風さま」
篠姫はそっと疾風の前に座る。
「出仕なされたら、父上さまが必ず殿の事を尋ねるでしょう。嘘はいりませぬ。…ありのままを、お伝え下さいませ」
「…それでは…怒るのでは…?」
「いいえ。嘘を申したが最後、貴方様がお叱りを受けまする。父上さまは、わらわよりも深く殿を愛していらっしゃるのです。まことを知れば、何もかもをお許しになられる事でしょう」
幼いというのに、何故ここまで父や夫の事を理解しているのか……。
疾風は感心しながらも頷いて、座敷に行った。すると、一成が太刀を手に立ち上がる。
「何処へ?」
「美濃の竹中殿にこの事を伝えて参りまする。一族から、翔隆様が睦月様の下へ行った事は伝えられておられるかと…。なれば、憂えておられるかと存じますので」
そう言い一礼すると、一成は足早に出て行った。
「…機転の利く方よの」
篠姫が呟くように言うと、似推里も微笑して頷いた。
 

 翌日。
翔隆と睦月を治した拓須は、手伝いをしてバテている忠長の腕を掴んで立たせる。
「なっ…ど、どうしたのですか? 師匠…」
「いいから来い。そいつは熱が下がれば平気だ」
そう篠姫達に言うと、拓須は庭に忠長を放り投げる。
「もっと体力を付けろ!」
「はいっ!」
怒鳴られて、忠長は慌てて走っていく。
それを見送ると、昨日から翔隆の側から離れようとしない睦月の隣りに座る。
先程から義成が睦月に話し掛けているのだが、何の反応もなく、ただ翔隆を見つめて座っているのだ。
その姿を見兼ねて、拓須が《術》で睦月を眠らせ、抱き上げて床に寝かせた。
「…済まんな」
ふいに拓須が義成に謝った。
「…何もしていない。それよりいいのか? 裏切ってきたのであろう?」
「…………………」
その問いには、答えない。
全ては睦月の為――――それは、義成にも分かっているので、それ以上の詮索はしない。
そこに、雪孝と光征が昼餉を持ってくる。
「こちらに置いて、よろしいでしょうか?」
光征が聞くと、義成が頷く。
「お前達も、今日は休んでいていいんだぞ」
そう言うと、二人は膳を置いて同時に答える。
「いえ! 年少の忠長が修行をしているというのに、休んでなどいられませぬ」
言った後、互いの顔を見て笑った。
「私共も、修行を積んで参ります」
光征が言って、二人は一礼して下がる。
すると、一成と蒼司も共に修行をしに出掛けていった。
 
 翔隆の熱が下がり、意識が戻ったのは、それから五日後であった。
 
その側には、目を醒ますと言われて、全員が揃って翔隆を囲むように座っていた。
「…う……」
「気が付かれましたか」
「…篠……? ここ、は…」
訳が分からないまま起き上がり、ここが自分の邸だと認識してから、刺した胸が痛まない事に気が付く。
胸に手を当てて、ふと顔を上げると、正面にいる睦月と目が合った。
「睦月…無事で……」
「―――――っ!!」
睦月は何も言わずに、いきなり翔隆を殴った。翔隆はそのままとこから飛ばされる。
「何を…!」
忠長が止めに入ろうとしたのを、拓須が手で制する。
睦月は翔隆を立たせ、反対の頬も殴る。
「……!」
今度はよろけただけで踏み留まると、睦月は怒った表情で翔隆を睨み付けてから、ボロボロと涙を流す。
「こんなっ…! 命を粗末にするように…すぐに死に急ぐようにっ育てた覚えはないっ!! 誰……っ誰がっ! 助けに来いと、言った?!」
「ごめん…」
呟くように謝ると、睦月は泣きながら翔隆の胸ぐらを掴み上げて、何度も、何度も、翔隆を壁に叩き付けた。
「私がっ…何の為に、裏切ったと思っているのだっ?! あの一月ひとつきで幾らでも殺す機会などあった!! だが…出来なかったのだっ! お前の微笑む顔がっ…お前の温もりが! 人としての心をっ…与えてくれたから!! 何より、愛おしいと…っ! …なのにっ! 目の前で死なれる辛さがっ! お前には分からないのかっ…!?」
そう叫んで、睦月は翔隆の胸に顔を埋めて、むせび泣いた…。
自由を縛られ何も出来ぬその眼前で、愛する子に自害された時は、目の前が真っ暗になった…この世の終わりのような、そんな錯覚にさえ陥ったのだ…。
翔隆は、悲しげに眉を寄せて睦月の両肩に手を置く。
「済まない、睦月…。罠であろうとも…行かずにはいられなかった……大切な、師匠であり…兄とも慕うからこそ……どうしても、何をしてでも、生きていて欲しかったんだよ………」
そう言い、翔隆は睦月の頭に頬を寄せて、固く目を閉じ、生きている喜びを噛み締めた。
 
 それから睦月は二刻も泣き続けた。
今まで命を懸けて守ってきた者に、目の前で自害された絶望と、改めて感じた大切だと想う感情が溢れ出して、止まらなかったのだ。
その間、翔隆はずっと睦月を抱き締め、慈しむようにその背を撫でていた。
 泣き止む頃には、目も鼻も赤くなっていた。
翔隆は、微笑して睦月をそっと離して座らせた。
すると、睦月が愛おしげに翔隆を見つめて言う。
「…ありがとう、翔隆」
「ん? ―――いや、礼を言うのは私の方だよ…。ありがとう、睦月」
そう言い、互いにクスッと笑う。
そして翔隆が拓須に礼を言おうとした瞬間に、拓須はフイと背を向けて行ってしまう。
〈ありがとう、拓須…〉
苦笑して心中で感謝する。そこに、浅葱がとてとてと歩いてきてくっつく。
「ととさま」
「父上、良かったですね」
樟美も笑顔で言い、側に寄ってくる。
翔隆はしゃがんで二人の子を包み込むように抱いた。
こんな時程、子供の可愛さを実感する。
〈…ああ、我が子とは愛しいものなのだな…〉
しみじみと思い、微笑み、皆を見る。
「心配を掛けたな……皆、済まない」
「いいえ、信じておりまする故に」
篠がにっこり笑って言った。
翔隆は子供達を離して、ギュッと篠姫を抱き締めた。
 …妻を心から愛せない、自分の心を押し隠すかのように、強く抱く。
「殿…苦しゅうございます…」
「あ、すまん!」
翔隆が慌てて手を離すと、隙を窺っていた忠長がすぐ様抱き着いてきた。
それを見てふふっと笑い、篠姫は翔隆の身なりを整えながら言う。
「そうそう、昨夜は父上さまがいらしたのですよ」
「信長様が?!」
「あい。…わらわ達を追い出されて、三時も殿の寝顔をご覧遊ばされておられました。少々、悪戯をしてみたり、何か話し掛けておられたりと…」
「何と言っていたか…覚えているか?」
翔隆は抱き着く忠長の背をポンポンと叩きながら尋ねる。
「勿論。〝こうして見ると変わらぬな〟とか〝ここそこに傷が増えたな、いつのものであるか後で問い質してみるか〟などと申されておられましたよ」
それを聞いて、翔隆は思わず忠長を見た。
いつか湯殿で言っていた言葉が、的中していたからである。
〈信長様がそんなに傷をお気になさるとは思ってもみなかったな…。今後は、消すように心掛けよう〉
それは、いちいち言い訳をしない為でもある。そこに、一成がやってくる。
「翔隆様、湯殿が整いました」
「…分かった」
答えて翔隆は忠長の頭を撫でて、庭に出る。
〈信長様がいらしていた…〉
翔隆は、それが嬉しくてならない…。
思わず緩む口元を押さえ、悟られないように湯殿に向かった…。
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