鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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四章 礎

三十六.婚儀

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  光征と葵の報告を受けた翔隆と篠姫は、喜んで婚儀の祝宴を開いた。
「おめでとう、光征、葵」
「ありがとう存じまする」
光征と葵は、これ以上ない程に平伏した。
 皆が祝福して宴を開く中で、何故か忠長だけがむくれっ面をしていた。
そこに、蒼司が寄ってくる。
「いかがなされた? 忠長殿」
「いかもしねぇよ」
「おやおや、ご機嫌斜めな事で。…面白くないのでしょう? 切磋琢磨した友垣が、女子を娶って」
「そんなんじゃ…」
忠長は語尾を濁らせて黙った。どうやら図星らしい。
「ほら、友垣の祝いの席ですぞ。酒でも飲みなされ」
そう言って忠長に酌をする。忠長は、それを一気に飲み干す。
「友垣友垣って! …友じゃねえし………お前だって女を連れてきてるじゃねーか」
「これは申し訳ござらん。…しかし、弓香とは幼き折りより誓った仲。こればかりは誰にも譲れませぬ」
しれっとして蒼司が言うと、忠長は益々面白くなくなる。
そこに、主役の光征が銚子を持ってやってきて苦笑した。
「…つまらない、か?」
「………」
無言の忠長の盃に酒を注ぐと、光征は真顔になった。
「忠長」
「何だ」
「…私は、跡取りを早く作りたいと思う。それは樟美くすみ様、もしくは生まれてくるご嫡男の家臣として仕えさせる為でもある。だから、お主にも考えて欲しいのだ」
「………………」
忠長は目を丸くして光征を見る。
「それは、蒼司にも雪孝にも言ってある。ただ…お主に言えなかったのは……他の誰よりも翔隆様を心酔しているからこそ、だ。女子を娶るなどと、想像も付かぬだろうからな。…だが、考えておいて欲しい」
光征は真剣に忠長に言う。
「……お前…」
忠長が何かを言い掛けた時、
「そんな所で集まっていては駄目だろうが」
と翔隆に言われる。
「今言った事、忘れないでくれ」
そう言い、光征は翔隆の下に行く。
蒼司も、頷いて忠長の肩をポンと叩いて義成の下に酌をしに行ってしまう。
〈…そんな事…言われたって考えられるか…〉
忠長は、ふてくされながら酒を呑んだ。
 
 宴もたけなわの頃…なのにも関わらず、沈黙して酒を飲んでいる者が二人。
  忠長と疾風である。
疾風はこの婚儀を見つめながら、近江に送った妻子を思い出していたのだ。
〈…息災ならばいい…〉
そう、自分に言い聞かせるように思い、目を閉じる。
 
 ――――陽炎には何も言わず、単独で翔隆を暗殺しようと目論んだ。
手柄を立てたかったという野心もある。
しかしそれ以上に、兄・陽炎の心労を失くしたかった…。
その時には、四歳の息子と生まれて数ケ月の娘がいた……………。
行こうとした所を、運悪く京羅の長男である弓駿ゆみはやに見つかって呼び止められたのだ―――。
 
「何処へ行く」
「………」
答えられずにいると、弓駿ゆみはやは疾風の真横に立ち小声で言った。
(不知火の嫡男を討とうとしての行動か)
ビクッとすると、それが答えとなった。
叱られるか殴られるか飛ばされるか…と覚悟をすると、肩を掴まれて引き寄せられた。
(…陽炎に言え。そして、お主の妻子も呼べ)
そう小声で言われて、従わざるを得ずにその通りにした―――。
 
 洞窟に陽炎とその妻である梓と子供の冬青そよご、それに疾風の妻・以舞いまいと子らを集めると、弓駿ゆみはやは意外な事を言い出したのだ。
「今の内に〔不知火〕に戻したい者を近江に送っておけ。陽炎はとにかく、疾風やお主らは自由だ。今しかない…父と我が兄弟達、主だった者が不在の今、この時しか機会は無いぞ。決断しろ!」
そう―――真剣に言われたのだ……。誰もが唖然とした…。
その中で、陽炎が即決して言う。
「梓、冬青そよごを送れ。不知火として生きさせろ」
「陽炎………」
真剣な眼差しの夫に、梓は唇を噛みながらも頷く。
次いで以舞いまいが言い出した。
「私は近江へ行くわ」
「以舞?! しかし……」
「…その方が、いいと思うから。だから行くわ」
 
 そう――――弓駿ゆみはやの計らいによって、結果的に妻子を失わずに済んだのだ………。
その時以舞いまいは、疾風が翔隆に付く…と察知していたのかもしれない…。
そして、弓駿ゆみはやも。
〈…何故なにゆえ…あんな便宜べんぎを計らってくれたのだろうか…〉
考えても分からないが、とにかく感謝している。
〈………兄者に、言った方がいいのだろうか…?〉
そう悩んでいる時、目の前に銚子ちょうしを出される。
横を見ると、銚子を差し出している義成がいた。
「飲め?」
「あ、はい…」
答えて盃に酒を注いでもらう。
「…疾風」
「はい」
「隠し事を、していないか…?」
聞かれてドキッとするが、疾風は表情を変えずに答える。
「いえ?」
「……そうか。ならばいい…」
義成は微苦笑を浮かべて酒を呑んだ。
〈何か悟られたのだろうか………〉
疾風は内心ドキドキしながらも酒を呑む。
義成は何も言わずに、己の座へと戻る。
…いくら陽炎から聞いたからといって、本人が何も言わなければ意味がない。
そう判断して、敢えて追及はしないでおいたのだ。
 そんな微妙な空気を読んだ翔隆は、微笑しながらも二人の心配をしていた。
〈忠長が不機嫌なのは分かるが……何かあったのか?〉
唯一人の弟――――。
あれ程陽炎を慕っていたというのに、突然敗北宣言をして自分の味方になってくれた疾風…。
まだその理由も、聞いていない。
しかし、聞かない方がいいのかもしれないと思って今まで聞かずにいた…。
〈…聞いてみるか………聞かぬ方が良いのか………〉
婚礼の宴は、それぞれの思いが交差する場となった…。
 
 
  その夜。

疾風は緋炎ひえんを残して、一人散歩に出ていた。
〈…迎えに行った方がいいのだろうか…?〉
蒼司は自分の女を連れ出してきた…。
だが疾風は近江に送っただけで、文すら送っていない。
何より、恥ずかしいという気持ちもあるからなのだが…。
〈……いつか、言えばいいか……〉
そう思い、疾風は邸に戻っていった。
 その頃、邸の中では翔隆があちこちをうろついていた。
それを見て、雪孝が近寄って言う。
「いかがなさいました?」
「あ、いや…疾風は何処に行った?」
「散策してくる、と外へ出掛けられましたが」
「そうか…」
答えて翔隆は庭に出る。桜の木を撫でると、足元に緋炎が寄ってきた。
「ん? どうした?」
頭を撫でてやると、緋炎は屋根を見つめる。
何かあるのか、と目を向けると、疾風が座っているのが見えた。
「…屋根には登るなよ?」
翔隆は微笑して緋炎に言い、屋根に上がった。
「…いいか?」
「兄者……」
翔隆は疾風の隣りに座り、月を見上げる。
「寒くなってきたな」
「…そうですね」
「何か…思い悩む事でもあったか?」
優しい眼差しで尋ねると、疾風は微苦笑を浮かべて首を横に振る。
「いえ。どうしてです?」
「ん……今日、元気が無かっただろう? 何かあったかと思ってな」
「……いえ…」
今、言った方がいいのか?
 そう思うも、疾風はどうも照れくさくて言い出せなかった。
「……夏だったな」
ふいに翔隆が話し出す。
「暑い夜だった………お前が初めて私を殺しに来たのは」
「………」
「私を殺す事が、育ててくれた陽炎への恩返しだ…と言っていたよな…?」
「それは……」
疾風は悲しそうに眉を寄せて、俯く。
それをチラリと一瞥し、翔隆は月を見つめる。
「…責めているのではないのだ…ただ……―――」
言い掛けて、翔隆は何故か切なさを覚え、胸が締め付けられた。
「ただ……あれ程…庇っていたではないか…」
翔隆は、昔の疾風の言動を思い出しながら話す。
「悔しい程に……。お前は、私を恨んでいると言っていた…それなのに…」
言っている内に、翔隆はやはり聞くべき事ではない、と思う。
疾風は陽炎を裏切ってまで、味方となってくれたのだ。そう……睦月と同じ様に。
これは、触れてはならない事だ…。
「…済まん。何でもない」
そう言い、翔隆は町を見つめた。
「兄者…?」
疾風が不思議そうに問い掛けるが、翔隆は何も言わない。
それが、疾風には翔隆が己を責めているように見えた。
「兄者…勘違いをしていないか?」
「………」
「正直に、言ってくれ?」
真剣に問うと、翔隆は悲しげに苦笑した。
「済まん。私は………お前がいかほどの決意で私に味方すると言ったか…今まで考えてもみなかったのだ…。他人ひとの気持ちに気付くのはいつも大事なものを…大事な事を知った後で―――」
「兄者、それは違う!」
疾風は翔隆の肩を掴んだ。
翔隆は少し驚いて、疾風を見る。
疾風は翔隆の目をじっと見つめながら、心の内を話す。
「聞いてくれ兄者。俺は一度たりとも悔いた事などない。むしろ良かったと思っているのだ。…この決断は間違ってなどいない、と確信出来る」
「………」
疾風は手を離して、続ける。
「確かに俺は兄上……陽炎を裏切った。だが…そんな事、考えてなどいなかったのだ。…言ったじゃないか……己の正義を失うな、と。…己の考えを大切にして生きろ、と。気が付いたら、俺は兄者に魅かれていたんだ。他の何も考えてなどいなかった。ただ、兄者と共に戦っていたいと…そう思ったのだ。それが…俺の生きる道だ、と…」
「疾風………」
思ってもみなかった言葉に、翔隆はじんと熱いものを胸に感じて微笑する。
「本当に、良いのだな…?」
「己で決めた運命だ。…ただし、俺を失望させないでくれよ?」
「! こいつ…」
翔隆は笑って疾風の頭をくしゃりと撫でる。疾風も笑って翔隆を見つめた。
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