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四章 礎

三十.見物

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 斯波しば 義銀よしかねが、何故か張り合っていた筈の吉良義昭と計らい今川軍を海から入らせようと企んでいた。
その証拠の書状を翔隆が信長に差し出すと、信長は眉を顰めて唸る。
「…是非も無し。追放する!」
「はっ!」
すぐさま重臣達が動いて斯波義銀達を清洲城から追い出す。
「ま、待ってくれ上総介! あれは吉良が…」
「問答無用。敵と通ずる者を置いてはおけぬ」
信長は冷たく言い放って連行させた。
国外追放である。



  春の日差しが眩しい四月十三日。
 織田信長(二十八歳)は、美濃森辺へ進攻。斎藤軍との戦で敗れもしたが、前田利家(二十四歳)はそこでも一番槍を立てていき、〝頭取りの足立〟なる荒武者の首を挙げ、緊張した面持ちで御前に持っていった。
すると信長は、フッと笑って利家を見つめる。
「手柄である」
その一言だけで、利家には十分であった。
感動で涙を滲ませて、深く頭を下げる。
「ありがたき、幸せ…っ!」
「以後、赤母衣を用いよ」
とは、〝赤母衣衆〟になれという事だ。
〝母衣衆〟とは、色々な色や形の布を、吹き流しのように背中に着けて馬を走らせる連絡役などの重要な任務をするものである。
信長の場合は、〝赤母衣衆〟と〝黒母衣衆〟を使っている。
「し、しかし…まだ若輩者故に…」
利家が戸惑って言うと、側にいた柴田勝家(四十一歳)がニヤリとした。
「功ならば十分だろう。有り難く受けるが良い!」
「…は、はっ!」
利家は嬉しさと有り難さから、それ以上言葉が出なかった…。
「良かったな、利家」
信長の横に控える翔隆も、微笑んで利家に言う。利家はこれ以上ない程に微笑んで頷いた。
 
 清洲に戻ってから、翔隆は単身で睦月を探しに出掛けていた。
 
近江や紀伊の隅々まで探し歩いたが、どこにもいない…。
 大和の森の中で、一人立ち尽くす。
 

 もう既に、五月となっていた。
 
〈半兵衛の調べでも、まだ分からない………一体何処にいるんだ睦月!!〉
翔隆は心で叫んで空を見上げて目を瞑り、精神を集中させて睦月の《気》を探す。
……脳裏に浮かぶのは、睦月の優しい笑顔と、やつれた姿……。
〈睦月………すまない…!〉
いくら謝っても、謝りきれない。
感謝しても、感謝しきれない程の恩義と愛情をもらった。
それを返さなくてはならない…いや、生きて側にいて欲しいからこそ、こうして必死で探すのだ。
集落に来た頃から、いつでも優しくしてくれた睦月………刺客としてきたのなら、いつでも殺す機会はあったであろうに…。
昔に想いを馳せていると、急に声がした。
「しばし見ぬ間に、変わったな」
「?!」
その声で現実に引き戻され、翔隆は咄嗟に剣を抜いて振り向いた。
そこには、長髪の男が立っている。
 …白茶の髪…〔狭霧一族〕。
一度、会った事がある!
「お前は確か…きょうら…!」
「覚えていたか。それは光栄だな」
そう言って、京羅(五十一歳)は薄ら笑いを浮かべながら側に歩み寄ってきた。
翔隆は警戒しながら、身構える。
〈……気配に、気が付かなかった…!〉
翔隆は動揺を隠しながらも、京羅を見据えて言う。
「何の、用だ…」
「大した用はない。…ただ、お前を見に来ただけだ」
「何……?」
京羅は口をつぐみ、じっと翔隆を見つめる。
 …今川館で磔にされていた時はもっと幼く見えたが、今は違う…。
心・技・体共に、確実に成長している。予想を、遥かに上回る早さで。
「………なる程。確かに、そうだな…」
京羅はそう呟き、フッと笑う。
しかし翔隆には、その言葉の意味が分からない。
いや、分かる筈もない。
 敵意は、無い…。殺意も……無い。
一体、何の目的でわざわざ現れたのか…?
相手に戦意が無いのなら、刃を向ける必要もない。
翔隆は冷静に考え剣を収め、向かい合った。
 森の中に、鳥のさえずりが響き渡る。
〈何か睦月の事を知っているやも……いや、しかし………〉
翔隆は問いたい気持ちを、ぐっと堪えた。
敵の大将にわざわざ聞いて、答える筈もないのだから。
「………?」
相手を見る内に、翔隆は不思議な感覚に囚われる。
何か、近い〝気〟を感じたのだ。
……〔一族〕だから、か?
いや………それよりも違う、もっと何か………。
「…何か言いたそうだな」
京羅の言葉にハッと我に返る。
〈何だ? 何を考えていたんだ、私は……宿敵を目の前にして……〉
翔隆は溜め息を漏らして、京羅を睨み付ける。
「用がないのならば、行かせてもらうぞ」
冷静にそう言い背を向けると、突然京羅が笑った。
「くくく…」
「何がおかしいっ!!」
翔隆は振り返って怒鳴る。
すると、京羅は楽しそうに笑いながら翔隆を見つめた。
「…愚直過ぎる奴よ。背を向けて、切り掛かるとは思わなかったのか?」
そう言われて、翔隆は恥ずかしさでカァッと赤くなった。
敵に背を向けるなど、どうかしている…。
なのに何故、そんな行動に出てしまったのだろうか。
いつもならば、〔狭霧〕や陽炎などに対しては、決してそんな事はしないというのに!
〈くそっ! 何だというのだっ!〉
翔隆は苛立ちながら、京羅を睨んで叫んだ。
「何が目的だっ!!」
「ククク……ただの見物だと言ったであろう。では、な………」
最後に何かを呟いて、京羅は消えてしまった…。
「一体何だったのだ………」
翔隆は、いつも〔狭霧〕と会えば戦闘をしていたので、その真意が分からないでいた。
いや…京羅本人にしか、分からない事なのかもしれない…。
 
 
  駿河・今川館にて、京羅は御機嫌な様子で花を愛でていた。
 その側には、側近である〝三人衆〟の真柳まなぎ種嗣くさつぐ(二十三歳)と史司ふみつか(二十一歳)兄弟、そして陽炎の長男である義羽よしば克也かつなり(十九歳)が控えている。
そこに、〔狭霧導師〕の拓須がやってきた。
「あ奴に、会ったそうだな」
「うむ。…お前の言う通りだったぞ、拓須。愚直で…しかし、確かにあれは…」
「………。何か言ったか?」
「ふふ……。あれは、強くなるな…」
「………だろうな」
会話の合間に、雨がポツリポツリと降ってきた。
拓須は庭に咲くカキツバタを見て、微笑する。
室隆むろたかの《予知》には、なかったのか?」
「ん…? ああ……義成の事はあったが、奴の事はなかったな…」
京羅が答える。
「そうか……」
そんな会話を三人衆は、ただ黙って聞いていた。
「京羅、お主も例外ではあるまい」
「拓須……」
京羅は急に三人衆を下がらせて、人払いをした。
「…力の無さに歯がみし、必死になっていた…。お前と奴は、よく似ている…」
「急に、昔語りをするな」
京羅が苦笑して言うと、拓須は一つ下の異父弟を見る。
「聞かれても不都合はあるまい。今や、狭霧の事実上の長なのだからな」
「まずいであろう。私は、今の私であるからこそ〝長〟としていられるのだ…。弱い頃の話などされて、それが広まっても困る」
「ふふ…そうか?」
拓須は珍しく楽しげに笑った。
 この〔狭霧〕で、拓須が素晴らしい霊術の〝導師〟として崇められていても、一門だとは知られていない。
知っているのは父母と京羅、そして末弟の霏烏羅くらいだ。
「…私は、のように生まれついての《力》も無かったからな……」
「お前には素質があった。…まだ、足りないと感じているのか?」
「ああ…まるで足りない。兄上のような《力》が欲しいものだ」
京羅が微苦笑をして言うと、拓須は笑った。
「やはり、お前は奴と似ている…。《力》を求め、強さを求める姿が…な」
「強さ…か。フフ…」
そう言い、京羅は笑った。
「…まだ何も言わぬが得策だぞ」
ふいに拓須が言うと、京羅は真顔で頷く。
「心得ておる。今はまだ…見守る事とするよ。それに…いや」
それ以上は言わずに、京羅は小雨の降る庭を見つめた。
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