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三章 廻転

十三.草履取り

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よく晴れた五月。
雨に湿気った土の匂いがする。
 翔隆は卯の一刻(午前六時頃)に出仕した。
その後から、ちょろちょろと付ける者がいた…。

城下の町を歩きながら、翔隆は立ち止まる。
そして、振り向きもせずに言う。
「出てこい!」
「やや! 後ろにも目がござるかっ!」
そう言って、木の陰から小柄な人が出て来る。
「お主―――!」
振り向くと、そこには風呂敷を背負った懐かしい顔の青年が…。
「藤吉郎でござるよ! お忘れか?」
三河で世話になり、仕官を願っていた者だ。忘れられない印象の顔だから、すぐに分かった。
翔隆は、笑顔で藤吉郎に歩み寄る。
「藤吉郎…! 久し振りだな」
「いやあ、参りましたよ」
藤吉郎は、笑いながら頭を掻く。
「実は、二年前に信長公にお会いしましてなぁ」
「信長様に?」
「その折、貴殿の名を出した所、これが一向に信じてもらえず…そればかりか〝わしの気に入る物を持って来たら信じてやる〟と言われまして」
翔隆は、くすっと笑う。
「…それで、何を持って来たのだ?」
「これを!」
そう言って藤吉郎は、にこにこして背の包みを降ろして開けて見せる。
中から出てきたのは変わった布が二枚と、朱塗りの茶碗、そしてとても変わった兜であった。
「…唐の物か」
「こちらの布は、外套がいとうと申して背から纏う物で。この兜は南蛮商人から買った物で…」
「い、いや説明はお屋形様の前でするといい。それをしまって、共に城に行こう」
「はいっ!」
藤吉郎は手早く荷物を纏めて、翔隆と共に城に向かった。
 城に入ると、藤吉郎は中庭に待たされる。
暫くすると、信長が前田犬千代と翔隆を連れてやってきた。
「またお前かッ!」
「へへーっっ!!」
藤吉郎はこれ以上ない程、平伏する。
その両者の間に、翔隆がしゃがんで執り成した。
「お屋形様、以前お話ししました、三河で倒れた俺を介抱してくれた三河の藤吉郎殿です。その折に、是非ともお屋形様に仕官したいと言われたので、約束を…」
「たわけッ! 勝手な真似をしくさりおって…どれ、持ってきた物を見せてみい!」
「へ、はい!」
平伏しながら品物をせかせかと取り出すと、藤吉郎はニカッと笑いながら説明をし始める。
「まず、この布! 失礼をばして…」
藤吉郎は外套を持って、へこへこしながら信長の側に寄る。
「これを、このよーに背に纏いまして…こうして、前の金具へ紐をはめまする! はいッ、これは南蛮の物でして、外套がいとうと申します。これを翻し、馬に乗ろうものなら颯爽と! 殿の見映えも増々…」
「ごたくは良い! …次は」
信長は、外套を纏わされたまま言う。
すると藤吉郎は庭にすっ飛んで行って、兜を持って話す。
「これはですね、やはり南蛮の物でして! どんな攻撃をも防ぐという優れ物! これを買うには骨を折りまして…」
「ほお、では鉄砲は防げるかッ?!」
「はいっっ! もっちろんで、ござりまする!!」
「犬千代! 持って来いッ!」
「はっ!」
答えて、前田犬千代が勢いよく走っていく。
そして既に火の付けられた火縄銃を持ってくると、信長はそれを受け取り手際良く弾を込める。
「鼠! それを被れッ!」
「へいっ!?」
言われるまま藤吉郎がそれを被ると、信長は狙いを定めてためらいもなく撃つ。
 ドーン ガキーン
「うわあぁっ!!」
弾は見事に兜に当たって跳ね返り、藤吉郎もその衝撃でひっくり返る。
すると信長はすぐ様駆け寄り、兜を奪ってじっと見つめると、頷いて兜を置き戻っていく。
「良しッ、次!」
「へ、へ、へいっ!」
藤吉郎はまさか自分で試されるとは思ってなかったので、動揺してクラクラしながらも茶碗を持つ。
「こっ、これ…これは、でござりまするな…。か、唐の茶碗でござりまして……」
「ん…」
信長は藤吉郎の差し出す茶碗を受け取り、まじまじと見つめると叩き割ろうとする。
藤吉郎はぎょっとして、必死に信長の腕にしがみ付いた。
「わーああっ!! お、お待ち下されっ! う、裏、うらっ! 裏をご覧下されっっ!!」
「裏…?」
ひょいと裏返して見ると、底に文字が彫ってあった。

   ―― 天 下 布 武 ――

その字に、信長は鬼のような眼差しで、食い入るように見入った。
「…その〝天下布武〟とは、天を武によって統一するという意味で、武とは武士道。つまり武力により天下を…」
話の途中で、前田犬千代が咳払いをして止める。
(天下布武とは、武家の政権を以て天下を支配するという意味でもあると解釈されている)
「そうか……良し! 翔隆!」
「はい?」
「何に、するかのぉ…」
信長はニヤリとしてトントンと膝を叩いた。
仕官の許しだな、と判断すると翔隆はニコリと笑う。
「そうですね。草履取りか、足軽か…」
「よし、どちらか選ばせてやる!」
信長が言った。その言葉に、藤吉郎は我に返って真面目に考える。
〈足軽は首を取れば出世する、が戦がなけりゃ話にならんし、太刀捌きなんぞ自信が無い…。草履取りは…いつも殿の側に居て、取り入る機会が増える訳で…!〉
「殿! 拙者、是非とも! 草履取りに、なりとう存じます!!」
目を輝かせて言う。
「そうかッ! 後は任せる!」
そう言い放ち、信長は前田犬千代と共に行ってしまう。翔隆は微笑みながら、藤吉郎の側に行く。
「草履取りを、選ぶと思った」
「へへへ…」
藤吉郎はニカッと笑う。
「まあ、何かあったら俺が力になるが…いない時は先程の前田犬千代殿や、塙九郎左衛門殿を頼るといい。……草履取りの仕事は、杉原殿にお願いしようか。…行こう」
翔隆は、そう説明して行こうとする。
「あのっ、これは…」
「ああ……」
信長への手土産をどうするか考えている所に、小姓衆の一人、長谷川橋介が通り掛かる。
「あ…橋介殿!」
「これは翔隆どの、どうかなさりましたか?」
「この荷を、本丸へ運んでおいてもらえぬか? 殿の大事な物なのだ」
「判り申した」
橋介が快く引き受けてくれたので、翔隆は安心して藤吉郎を案内する。
「あのー…杉原どの、とは?」
歩きながら藤吉郎が不安そうに尋ねる。
「ああ…。物頭の一人でご息女は信長様の妹君のお市様の侍女として、お仕えしておられるのだ。確かその妹のまだ幼い寧々殿も侍女となる筈だな」
「ほおおぉ…」
藤吉郎はにんまりとして歩く。

 足軽長屋に来ると、翔隆はその中の一軒の家の戸を叩く。
「定利殿、おられますか?」
「はいはい、おりますとも」
そう返事がして、戸が開く。
「これは翔隆さま! いかがなさりました?」
杉原が言うと、奥からたおやかな幼女が現れる。
「まあ、これは奉行さま。どうぞ汚い所ですが、お入り下さいませ。今お茶を…」
「いや、いいんだ寧々殿。それより定利殿、この男、本日付けで草履取りとなった木下藤吉郎殿だ。貴殿に色々と指導の方を頼みたくて参ったのだが…」
紹介されると、藤吉郎はぺこりと頭を下げてニッと笑う。
「藤吉郎にござる! どうかよしなに!」
〈…猿かネズミのようじゃな…〉
心で思いつつ、杉原は苦笑した。
「翔隆さまの頼みとあらば、引き受けましょう」
「そうか。では、よしなにお頼み申す」
翔隆は深く一礼して、去っていった。
翔隆を見送りながら藤吉郎は、感心したように言う。
「はあぁ…人望が厚いのおぉ」
「当たり前じゃ! あのお方はな、我々足軽や貧しい百姓達に、とても優しくして下さるんじゃ! …薬を下さったり、食べ物を分け与えて下さったりと…とても慈悲深く、生き仏さまのようなお方だ。お前のような奴は、お側にいる事すら勿体ない」
いきなり怒鳴られてしまった。
「はあ…」
「まあいい! 草履取りの仕事を教えてやる故、上がれ」
「はい!」
大きく返事をして、藤吉郎は中へ入った。すると、愛らしい少女が出迎えた。
「よろしゅう、藤吉郎どの」
「よ、よろしゅう!」
 ……この時…藤吉郎十八歳、寧々八歳の、最初の出会いである。
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