59 / 261
二章 変転
二十二.おかず
しおりを挟む
澄み切った空気が心地良い十月。
「この味では駄目だ!」
急に、評定などを行う主殿から怒鳴り声が響いてきた。
何事かと思い、翔隆はそっと覗いてみる。
すると中では、宿老達が集まって何かを食べていた。
「しかし、薄くしては不味くなるであろう」
〈……兵糧の事か…?〉
そう思ってその食べ物を見てみると、何やら普通の昼餉のようにも見える。
「では味噌にすれば良かろう」
飯富源四郎昌景(二十四歳)が言うと、馬場民部少輔信房(三十九歳)が怒る。
「味噌が如何に重要なものか、分かっておるであろう!」
「それでは何で味付けしろと申されるのか。塩も貴重だというのに…」
すかさず昌景が反論した。
〈……何だろうか…?〉
不思議に思っていると、後ろから義深が来て小声で言う。
(翔隆どの、いかがなされた?)
(! …いや、何の評議かと思ってな……)
尋ねると、義深はクスッと笑う。
(こちらへ…)
そう言い、隣りの火焼間へと移動した。
二人は中に入って座る。
「何を話していたのだ?」
翔隆が尋ねると、義深は苦笑する。
「いやはや………それが、弁当の品について論議になっておられまして」
「弁当…!?」
「しっ! …聞こえたら怒鳴られますぞ」
「す、済まん…。しかし…味がどうのというのは、好みの問題ではないのか?」
「はい。されど、鷹狩りや紅葉狩りなどする際に、弁当が握り飯と漬物では味気無い、と…」
「まあ、漬物では寂しいだろうが……」
「おかしくて…」
義深は、声を押し殺して笑う。
「義深……食は重要だ。笑っては悪いぞ」
「分かっておりますが……」
その時、障子がスパンッと開けられ、二人はビクッとして振り返る。
…と、そこには春日源五郎虎綱(二十六歳)が居た。
「春日様!」
二人は背を正して、緊張する。
すると虎綱は翔隆の前に立ち、
「翔隆どの、早うこちらへ」
「え?」
「早う!」
それだけ言い、虎綱は翔隆の手を引っ張って立たせると、そのまま連れて行ってしまう。
残された義深は、呆然として見送るだけだった。
連れてこられた場所は、台所。侍女達は、もう夕餉の準備に取り掛かっている。
「…あの…一体何を…」
「今から、おかずを作って貰う」
「…夕餉の?」
「いや。弁当の、だ」
「俺が?! 何故…」
驚いて聞くと、虎綱は真顔で言う。
「お屋形さまの仰せで。貴殿ならば良い品を出してくれるであろう、との事。皆様方お待ちだ。早う作ってくれ」
「晴信様が?! …わ、分かり申した……尽力してみまする…」
答えて翔隆は野菜を見る。
〈…さては、飯富殿と馬場殿の口論がいつまで経っても止まぬから、身内では無い俺に作らせて場を収められるようにしようとの魂胆だな…?〉
何とも意地が悪いが、至仕方あるまい。懸命に作る姿を虎綱は侍女達と共に笑って見ていた。
「のう、篠蔦どの」
「はい? …翔隆、で構いませぬ」
「…翔隆。お主は、殿に大層気に入られておるな」
「え? そう…でしょうか…」
翔隆は煮物を作りながら答える。
「もう、ご寵愛は受けたのか?」
「ごちょ………えっ?! あちちっ!」
いきなりの質問に驚いて汁が手に掛かり、右手を軽く火傷する。
「抱かれたのか? と、尋ねておるのだ」
「そ、え…? いいえ」
「なれば良かった」
虎綱はにっこり笑って翔隆の隣りに歩み寄ると、小声で言う。
(もしもご寵愛を受けていたら、毒殺せねばならぬかと思ったのだが…)
「…っ?!」
翔隆が思わず仰け反ると、虎綱は妖しい笑みを浮かべる。
「戯れ言じゃ。…一度、お主と話してみたくてな」
戯れ言のようには見えない顔だったが……。翔隆は、呼吸を整えて鍋を掻き混ぜる。
「そ、それで………お話しとは、何にございましょう?」
「――お主は、素直で豪胆だな」
「は……?」
「主家…向こうでは、何をしておるのだ?」
「え…? …小姓、ですかね……?」
「私に聞いてどうする」
虎綱はくくっと笑う。
「済みませぬ…」
「影の一族とやらの嫡子とは、何をするのだ?」
「……まだ…よく分かりませぬ」
「分からぬ?」
「はい。…まだ、敵と戦っているばかりで……嫡子らしき事は、何も出来ていないもので…」
俯き加減にそう言うと、虎綱は首を傾げる。
「ここを守る、と聞いたが……それは偽りか?」
「いえ! 本気です!」
真顔で言う翔隆を見て、虎綱は頬を緩める。
「ふ、はははは!」
「春日様…」
虎綱の言動に、翔隆はどうしていいか分からず戸惑う。
すると虎綱は、板間に腰掛けて手招きした。
翔隆は取り敢えず鍋を火から移して、虎綱の隣りに座った。
「何でしょうか?」
真面目に尋ねると、虎綱はニッとして言う。
「気に入った」
「は?」
「お主のように裏表の無い奴は好きだ。初めて会った時も、馬鹿正直であったよな」
「…はぁ…」
翔隆は何だか恥ずかしくなり、頬を掻く。
「お主は、人では無いのだな」
「………はい。鬼と、似たようなものと思って頂いて構いませぬ」
「鬼の友…か」
「えっ?」
翔隆がキョトンとして見ると、虎綱は優しく微笑んだ。
「お主と居ると、決して騙されぬと思えて安心する。…故に、義信さまも四郎さまも、お主に心を許したのであろうな」
「それは…光栄です」
「私も、友となって良いか?」
「―――」
突然の言葉に、翔隆は声を失った。
虎綱は、そんな翔隆の肩を叩く。
「良かろう? 私の事は虎綱で良い」
「春日様…ありがとう、ございますっ」
涙ぐんで言うと、虎綱に背をポンポンと叩かれる。
「虎綱、だ。敬語もいらぬ! …さ、出来ているのなら参ろう。お屋形さまも待ち侘びておろう」
「……はい!」
翔隆は笑顔で言い、すぐにおかずを器に盛り付けた。
持っていった〝おかず〟は意外にも好評で、一品はそれに決定した。
口論も収まり、晴信も満足そうであった。
「この味では駄目だ!」
急に、評定などを行う主殿から怒鳴り声が響いてきた。
何事かと思い、翔隆はそっと覗いてみる。
すると中では、宿老達が集まって何かを食べていた。
「しかし、薄くしては不味くなるであろう」
〈……兵糧の事か…?〉
そう思ってその食べ物を見てみると、何やら普通の昼餉のようにも見える。
「では味噌にすれば良かろう」
飯富源四郎昌景(二十四歳)が言うと、馬場民部少輔信房(三十九歳)が怒る。
「味噌が如何に重要なものか、分かっておるであろう!」
「それでは何で味付けしろと申されるのか。塩も貴重だというのに…」
すかさず昌景が反論した。
〈……何だろうか…?〉
不思議に思っていると、後ろから義深が来て小声で言う。
(翔隆どの、いかがなされた?)
(! …いや、何の評議かと思ってな……)
尋ねると、義深はクスッと笑う。
(こちらへ…)
そう言い、隣りの火焼間へと移動した。
二人は中に入って座る。
「何を話していたのだ?」
翔隆が尋ねると、義深は苦笑する。
「いやはや………それが、弁当の品について論議になっておられまして」
「弁当…!?」
「しっ! …聞こえたら怒鳴られますぞ」
「す、済まん…。しかし…味がどうのというのは、好みの問題ではないのか?」
「はい。されど、鷹狩りや紅葉狩りなどする際に、弁当が握り飯と漬物では味気無い、と…」
「まあ、漬物では寂しいだろうが……」
「おかしくて…」
義深は、声を押し殺して笑う。
「義深……食は重要だ。笑っては悪いぞ」
「分かっておりますが……」
その時、障子がスパンッと開けられ、二人はビクッとして振り返る。
…と、そこには春日源五郎虎綱(二十六歳)が居た。
「春日様!」
二人は背を正して、緊張する。
すると虎綱は翔隆の前に立ち、
「翔隆どの、早うこちらへ」
「え?」
「早う!」
それだけ言い、虎綱は翔隆の手を引っ張って立たせると、そのまま連れて行ってしまう。
残された義深は、呆然として見送るだけだった。
連れてこられた場所は、台所。侍女達は、もう夕餉の準備に取り掛かっている。
「…あの…一体何を…」
「今から、おかずを作って貰う」
「…夕餉の?」
「いや。弁当の、だ」
「俺が?! 何故…」
驚いて聞くと、虎綱は真顔で言う。
「お屋形さまの仰せで。貴殿ならば良い品を出してくれるであろう、との事。皆様方お待ちだ。早う作ってくれ」
「晴信様が?! …わ、分かり申した……尽力してみまする…」
答えて翔隆は野菜を見る。
〈…さては、飯富殿と馬場殿の口論がいつまで経っても止まぬから、身内では無い俺に作らせて場を収められるようにしようとの魂胆だな…?〉
何とも意地が悪いが、至仕方あるまい。懸命に作る姿を虎綱は侍女達と共に笑って見ていた。
「のう、篠蔦どの」
「はい? …翔隆、で構いませぬ」
「…翔隆。お主は、殿に大層気に入られておるな」
「え? そう…でしょうか…」
翔隆は煮物を作りながら答える。
「もう、ご寵愛は受けたのか?」
「ごちょ………えっ?! あちちっ!」
いきなりの質問に驚いて汁が手に掛かり、右手を軽く火傷する。
「抱かれたのか? と、尋ねておるのだ」
「そ、え…? いいえ」
「なれば良かった」
虎綱はにっこり笑って翔隆の隣りに歩み寄ると、小声で言う。
(もしもご寵愛を受けていたら、毒殺せねばならぬかと思ったのだが…)
「…っ?!」
翔隆が思わず仰け反ると、虎綱は妖しい笑みを浮かべる。
「戯れ言じゃ。…一度、お主と話してみたくてな」
戯れ言のようには見えない顔だったが……。翔隆は、呼吸を整えて鍋を掻き混ぜる。
「そ、それで………お話しとは、何にございましょう?」
「――お主は、素直で豪胆だな」
「は……?」
「主家…向こうでは、何をしておるのだ?」
「え…? …小姓、ですかね……?」
「私に聞いてどうする」
虎綱はくくっと笑う。
「済みませぬ…」
「影の一族とやらの嫡子とは、何をするのだ?」
「……まだ…よく分かりませぬ」
「分からぬ?」
「はい。…まだ、敵と戦っているばかりで……嫡子らしき事は、何も出来ていないもので…」
俯き加減にそう言うと、虎綱は首を傾げる。
「ここを守る、と聞いたが……それは偽りか?」
「いえ! 本気です!」
真顔で言う翔隆を見て、虎綱は頬を緩める。
「ふ、はははは!」
「春日様…」
虎綱の言動に、翔隆はどうしていいか分からず戸惑う。
すると虎綱は、板間に腰掛けて手招きした。
翔隆は取り敢えず鍋を火から移して、虎綱の隣りに座った。
「何でしょうか?」
真面目に尋ねると、虎綱はニッとして言う。
「気に入った」
「は?」
「お主のように裏表の無い奴は好きだ。初めて会った時も、馬鹿正直であったよな」
「…はぁ…」
翔隆は何だか恥ずかしくなり、頬を掻く。
「お主は、人では無いのだな」
「………はい。鬼と、似たようなものと思って頂いて構いませぬ」
「鬼の友…か」
「えっ?」
翔隆がキョトンとして見ると、虎綱は優しく微笑んだ。
「お主と居ると、決して騙されぬと思えて安心する。…故に、義信さまも四郎さまも、お主に心を許したのであろうな」
「それは…光栄です」
「私も、友となって良いか?」
「―――」
突然の言葉に、翔隆は声を失った。
虎綱は、そんな翔隆の肩を叩く。
「良かろう? 私の事は虎綱で良い」
「春日様…ありがとう、ございますっ」
涙ぐんで言うと、虎綱に背をポンポンと叩かれる。
「虎綱、だ。敬語もいらぬ! …さ、出来ているのなら参ろう。お屋形さまも待ち侘びておろう」
「……はい!」
翔隆は笑顔で言い、すぐにおかずを器に盛り付けた。
持っていった〝おかず〟は意外にも好評で、一品はそれに決定した。
口論も収まり、晴信も満足そうであった。
10
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる