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二章 変転

二十二.おかず

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  澄み切った空気が心地良い十月。
「この味では駄目だ!」
 急に、評定などを行う主殿から怒鳴り声が響いてきた。
何事かと思い、翔隆はそっと覗いてみる。
すると中では、宿老達が集まって何かを食べていた。
「しかし、薄くしては不味くなるであろう」
〈……兵糧の事か…?〉
そう思ってその食べ物を見てみると、何やら普通の昼餉のようにも見える。
「では味噌にすれば良かろう」
飯富おぶ源四郎昌景まさかげ(二十四歳)が言うと、馬場民部少輔みんぶしょうゆう信房のぶふさ(三十九歳)が怒る。
「味噌が如何に重要なものか、分かっておるであろう!」
「それでは何で味付けしろと申されるのか。塩も貴重だというのに…」
すかさず昌景が反論した。
〈……何だろうか…?〉
不思議に思っていると、後ろから義深よしみが来て小声で言う。
(翔隆どの、いかがなされた?)
(! …いや、何の評議かと思ってな……)
尋ねると、義深よしみはクスッと笑う。
(こちらへ…)
そう言い、隣りの火焼間へと移動した。
  二人は中に入って座る。
「何を話していたのだ?」
翔隆が尋ねると、義深は苦笑する。
「いやはや………それが、弁当の品について論議になっておられまして」
「弁当…!?」
「しっ! …聞こえたら怒鳴られますぞ」
「す、済まん…。しかし…味がどうのというのは、好みの問題ではないのか?」
「はい。されど、鷹狩りや紅葉狩りなどする際に、弁当が握り飯と漬物では味気無い、と…」
「まあ、漬物では寂しいだろうが……」
「おかしくて…」
義深は、声を押し殺して笑う。
「義深……食は重要だ。笑っては悪いぞ」
「分かっておりますが……」
その時、障子がスパンッと開けられ、二人はビクッとして振り返る。
…と、そこには春日源五郎げんごろう虎綱とらつな(二十六歳)が居た。
「春日様!」
二人は背を正して、緊張する。
すると虎綱は翔隆の前に立ち、
「翔隆どの、早うこちらへ」
「え?」
「早う!」
それだけ言い、虎綱は翔隆の手を引っ張って立たせると、そのまま連れて行ってしまう。
残された義深よしみは、呆然として見送るだけだった。
 
 連れてこられた場所は、台所。侍女達は、もう夕餉の準備に取り掛かっている。
「…あの…一体何を…」
「今から、おかずを作って貰う」
「…夕餉の?」
「いや。弁当の、だ」
「俺が?! 何故なにゆえ…」
驚いて聞くと、虎綱は真顔で言う。
「お屋形さまの仰せで。貴殿ならば良い品を出してくれるであろう、との事。皆様方お待ちだ。早う作ってくれ」
「晴信様が?! …わ、分かり申した……尽力してみまする…」
答えて翔隆は野菜を見る。
〈…さては、飯富殿と馬場殿の口論がいつまで経っても止まぬから、身内では無い俺に作らせて場を収められるようにしようとの魂胆だな…?〉
何とも意地が悪いが、至仕方あるまい。懸命に作る姿を虎綱は侍女達と共に笑って見ていた。
「のう、篠蔦どの」
「はい? …翔隆、で構いませぬ」
「…翔隆。お主は、殿に大層気に入られておるな」
「え? そう…でしょうか…」
翔隆は煮物を作りながら答える。
「もう、ご寵愛は受けたのか?」
「ごちょ………えっ?! あちちっ!」
いきなりの質問に驚いて汁が手に掛かり、右手を軽く火傷する。
「抱かれたのか? と、尋ねておるのだ」
「そ、え…? いいえ」
「なれば良かった」
虎綱はにっこり笑って翔隆の隣りに歩み寄ると、小声で言う。
(もしもご寵愛を受けていたら、毒殺せねばならぬかと思ったのだが…)
「…っ?!」
翔隆が思わず仰け反ると、虎綱は妖しい笑みを浮かべる。
「戯れ言じゃ。…一度、お主と話してみたくてな」
戯れ言のようには見えない顔だったが……。翔隆は、呼吸を整えて鍋を掻き混ぜる。
「そ、それで………お話しとは、何にございましょう?」
「――お主は、素直で豪胆だな」
「は……?」
「主家…向こうでは、何をしておるのだ?」
「え…? …小姓、ですかね……?」
「私に聞いてどうする」
虎綱はくくっと笑う。
「済みませぬ…」
「影の一族とやらの嫡子とは、何をするのだ?」
「……まだ…よく分かりませぬ」
「分からぬ?」
「はい。…まだ、敵と戦っているばかりで……嫡子らしき事は、何も出来ていないもので…」
俯き加減にそう言うと、虎綱は首をかしげる。
「ここを守る、と聞いたが……それは偽りか?」
「いえ! 本気です!」
真顔で言う翔隆を見て、虎綱は頬を緩める。
「ふ、はははは!」
「春日様…」
虎綱の言動に、翔隆はどうしていいか分からず戸惑う。
すると虎綱は、板間に腰掛けて手招きした。
翔隆は取り敢えず鍋を火から移して、虎綱の隣りに座った。
「何でしょうか?」
真面目に尋ねると、虎綱はニッとして言う。
「気に入った」
「は?」
「お主のように裏表の無い奴は好きだ。初めて会った時も、馬鹿正直であったよな」
「…はぁ…」
翔隆は何だか恥ずかしくなり、頬を掻く。
「お主は、人では無いのだな」
「………はい。鬼と、似たようなものと思って頂いて構いませぬ」
「鬼の友…か」
「えっ?」
翔隆がキョトンとして見ると、虎綱は優しく微笑んだ。
「お主と居ると、決して騙されぬと思えて安心する。…故に、義信さまも四郎さまも、お主に心を許したのであろうな」
「それは…光栄です」
「私も、友となって良いか?」
「―――」
突然の言葉に、翔隆は声を失った。
虎綱は、そんな翔隆の肩を叩く。
「良かろう? 私の事は虎綱で良い」
「春日様…ありがとう、ございますっ」
涙ぐんで言うと、虎綱に背をポンポンと叩かれる。
「虎綱、だ。敬語もいらぬ! …さ、出来ているのなら参ろう。お屋形さまも待ち侘びておろう」
「……はい!」
翔隆は笑顔で言い、すぐにおかずを器に盛り付けた。


  持っていった〝おかず〟は意外にも好評で、一品はそれに決定した。
口論も収まり、晴信も満足そうであった。
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