鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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二章 変転

七.明智

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  ここは美濃、明智城。
 
「…今、何と…?」
 城主である明智十兵衛光秀は、本丸で思いも寄らない知らせを聞き、驚きと喜びの表情で思わず問いただした。
その知らせを伝えに来たのは、叔父であり後見人でもある、明智播磨守光安(五十九歳)であった。
「ですから…〝篠蔦しのつた翔隆とびたか〟と名乗る者が、面会を求めておるが、いかがなさる? …と尋ねたのでござる」
光秀は俯き、しばし考えてから口を開く。
「…叔父上、拙者としてはその者を〝友〟と思うておりまする。明智、織田としてではなく、一己の武士として〝友好〟を結んだ者にござる。決して名誉に傷を付けるような真似は至しませぬ故、通しては下さらぬか?」
「うむ。わしも光久もそなたの話を聞き、会うてみたいと思っていた所。では本丸に通そう」
そう言って立ち上がる。その後に光秀も続いた。
 
 本丸には光秀、叔父の光安とその弟の光久(五十七歳)、光安の子である弥兵次やへいじ光春(二十一歳)、そして光久の子の小次郎光忠(十四歳)が揃っていた。
翔隆は一礼して中に入ると、三間程前にきちんと正座をする。
「お久し振りです、光秀」
「うむ。元気そうで何よりだ」
ちらりと周りを見ると、試すような疑うような視線が向けられている。
その中で、翔隆は緊張しながらも床に手を撞いて平伏した。
「翔隆、一生一度のお願いに上がりました! どうか、ここに置いて下さい!」
「……?!」
突然の言葉に戸惑いつつも、光秀は冷静に問う。
「―――何が、あった?」
「…その……出仕を、禁じられまして……」
「何っ?!」
「こんな風に、あちこち飛び回るのがいけないんでしょうけれど…。一年と十ヶ月の出仕を禁じられまして。…その間に、もっと…今よりもっと強くならなければ解任だ、と言われまして…」
何ともおかしな話だ。強くならなければ解任、などと…。言う主君も主君だが、それを生真面目に受け止める翔隆も変わっている。
「信長公は非道い事をなさる」
「いえ! 俺が、悪いんです」
きっぱりと自分の非を認める所から、主君をどれ程大事に思っているかが窺える。
「…わたしは良いが…」
「本当ですか!?」
翔隆の表情がパッと明るくなる。が、すかさず光安が言う。
「信用ならんな」
「あっ…。あの、雑用でも何でもやります。決して間諜ではありません! ですから…」
「証を、見せよ」
光久が厳しい口調で言った。
〝間諜でない証〟など、どうやって見せれば良いのか…。
「―――何なりと…」
翔隆は真剣に答える。その目を見て頷くと、光安は太刀を持って立ち上がる。
「参れ」
と言い、そのまま外に出た。

 庭に立つと、光安は何も言わずに太刀を抜く。
…本当に細作かどうかなどと、疑っている訳ではない。
その腕前を試す、というのだ。
…場合によっては、この場で斬り捨てる…と目が語っていた。
翔隆は納得して頷き、庭に出ると剣を抜く。
「叔父上、仮にも拙者の友なのですから、御容赦下さるよう」
とは言うものの、光秀もまた翔隆がどの程度、使える男か見てみたかった。
「…手加減無用なれば、どうぞご存分に」
翔隆はそう言って微笑した。
光安はフッと笑い、鍛え抜かれた肉体をもって容赦なく切り掛かった。
 
 ビュン 風が切られる。
 
幾度も切り付けるが、空しく風を切る音ばかりが響き、身体には皮一枚とて触れられていない。
全て、紙一重で避けられているのだ。
〈ぬう…!〉
光安とて、戦場では腕の覚えのある武将。
相手を一刀の下に切り裂く自信もあれば、自尊心もある。
こんな小僧に遊ばれてなるものか、と本気になり殺意を持って刀を握り直した。
〈まずい…怒らせてしまった…〉
翔隆は心底、困っていた。
本気を出せば勝てる…だがそうなった場合、相手の自尊心を傷付け兼ねない。
しかし、わざと負けたとしても、逆に力を見抜かれて余計に怒らすはめとなるだろう。
〈……どうしようか〉
ちらりと、救いを求める眼差しを光秀に送ると、光秀はじっと見つめ返してきた。
まるで、
 「実力なき場合、もしくは本気を出さねば見限るぞ!」
とでも言う様に…。
〈仕方ないっ!〉
翔隆はどうとでもなれ、という気持ちで剣を振り始めた。
 ガッ、ギィンと激しく刃のぶつかる音がする。
攻防戦を繰り返す内に、翔隆の剣が妖しく蒼い光を放った。
「ぬっ!」
一瞬ではあるが、光秀はそれを見逃さなかった。
そんな間に、翔隆は光安の一撃を躱して宙を舞う。そして、そのまま木の枝を掴むと片手でクルリと回り光安に切り掛かった。
「……!」
殺られる―――そう判断し、光安は咄嗟にそれを刃で受け止めた。
 
 ギャリン…
 
翔隆はその衝撃をも利用して、また宙に舞い上がり、光安の背後を取った。
 ―――一瞬。
その隙が、勝敗を決した。
 背後に回った翔隆の剣の先が、光安の首筋にピタリと当てられていたのだ。
ヒヤリとした感触が首に当たり、光安は敗北を悟る。
「そこまでじゃ!」
光久が言うと、翔隆は剣を収めて一礼する。
〈恐ろしい奴…〉
光安は、冷や汗を掻きながら振り向く。
すると翔隆は、にこりと笑った。
「済みませぬ。本気を出さねばお怒りを買うと思い、つい…。ですが、やはり光安様はお強いですね」
「―――いや…」
明るくあっさりと言われて、光安も怒る気も失せ微笑んだ。
〈さすが、一族よ…。やはり、敵には回したくないものだな〉
光秀は、つくづくそう思う。そこらの忍などよりもずっと恐ろしい。
二人が揃って中に入ってくると、光秀は笑って言う。
「して、どうして欲しい?」
「…儒学から行政を、お教え戴きたいのです。無論、俸禄は一切要りませぬ。その代わり、と言ってはなんですが…俺に出来る事なら、何でも至しまする故」
「ふむ…」
考えていると、代わって光久が言う。
「武に長けておるのなら、小姓衆の指南も出来よう。置いてやってはいかがかな?」
それに光秀が頷くと、翔隆は嬉しそうに
「はい」と答えた。


何でもやる、と言ったのが悪かったのか…。
 
 初日から、光安に容赦なくこき使われた。

城内の掃除から裁縫、台所の炊事に武芸の指南などなど…。あっちへこっちへと走り回されて終わった頃には、もう亥の一刻(午後十時頃)となっていた。
「はあ…」
翔隆は庭の井戸で、ふんどし一丁になって汗を水で洗い流していた。
グルル、と腹の虫がみっともなく鳴る。
〈…今の時期なら、美味い草も生えてるだろう〉
そう思いながら布で体を拭いていると、後ろから声がした。
「水浴びは、まだ寒かろう」
見ると、縁側に腕組みして微笑む光秀が立っていた。
「…光秀…」
「お主は身のこなしが軽いのだな」
「いえ…。まだまだです」
「とても、自信に満ちた戦い振りであったぞ」
その言葉に翔隆はドキッとした。
確かに、この頃己の身の軽さに…強さに、自信を持っていた…いや、過信さえしていた。
だが今の光秀の言葉で、大切な事を思い出す。
 
 「人は自信に満ち、それが頂点に達するとおのずと隙が生まれる。
 気付かぬ内にそれを敵に突かれ、命を落とす事もあるのだ!!」
 
義成の教えだ…。
 いつの間にか翔隆は《力》というものを身に付け、何とか敵を追い払えるようになり、自信を付けていた。それが、過信に繋がっていたのだろう…。
〈…だから…一族が近くにいても、気が付かなかった。俺の…責任!!〉
そう思い込んで佇んでいると、光秀が着物を羽織らせてくれる。
「…俺…」
「―――いい物を、やろうか?」
「いい物?」
 
 光秀に案内されて、来た所は矢倉だった。
「確か、この辺りに…」
と言いながら、片隅に置かれている古道具の中をあさり始める。
そして、あったあったと言って取り出したのは、鎖帷子くさりかたびらのような物。
「…それは?」
「いつであったか、忍を殺した折に手に入れた物だ。何かの役に立つかと思ってな。脛当てと腕当てもある。存分に使うがいい」
そう言われ受け取ると、ずしっとした重みが伝わる。調べると鎖帷子には二貫(七・五㎏)、腕当てと脛当てにはそれぞれ五斤(三㎏)の鉛が仕込んであった。
着物の下に鎖帷子を着て、腕と脛にもそれを付けてみると、未熟にも重さでふらついてしまった。光秀はその様を見て、笑い出す。
「ハハハハハ。そんな事では、鎧兜すらまともに着けられんぞ?」
「……はあ…」
「それで、己が思うよう行動せぬように静めるが良い。狭霧の女が言うには、今の重さに慣れたら更に一貫分増やしていき、普段は弱く見せかけ、いざとなりし時にそれを外し本領を現すのだそうだ。それを見習うが得策ぞ」
明るく言うが、光秀の目は真剣そのものだった。
恐らく、思い上がった自分の心を諌めてくれているのだろう。
「…ありがとう。そう、させてもらうよ!」
翔隆は笑って頷いた。
 
 その夜は、随分遅くまで光秀と呑んだ。
光秀の昔話、失敗談や武勇談、翔隆の一族の事、そして信長やその忠臣達の事、主家の斎藤道三や家臣軍の事…共に他言しないと固く誓い、語り合った。
 
 
  桜弥おうやが起こしに来ると、二人は仲良く板間にごろ寝をしていた。
 
「…父上、翔隆様、もう日は真上に差しかかりますよ! 起きて下さい!」
ゆさゆさと揺すってやっと目を覚ます程、熟睡していた。
「おお…すっかり寝坊したな」
そう言って光秀は背伸びをした。
翔隆は、体の重さにしばし躊躇しながら起き上がる。
「! 早く行かねば…!」
急ぐ翔隆を手で制して、光秀は隣の間から羽織袴と肩衣を持ってきて手渡した。
「これを着なさい。…身なりは、きちんとな」
「…はい」
翔隆は素直にそれを着た。
それは、礼儀作法の第一歩と判っていたからだ。
その姿は、まるで小姓のようにも見える。
まじまじと見てから、光秀はポンッと手を打つ。
「おお、忘れておった」
と言って、丈長の納戸色の紐を持ち出す。
「桜弥、これで翔隆の髪を結ってやるといい」
「はい!」
桜弥はとても嬉しげにそれを手にして、翔隆を座らせるとくしを持つ。
光秀はさっさと行ってしまった。
 髪を結い終えた時、ちょうど弥兵次光春がやってきた。
「小姓たる者が出仕に遅れるとは何事ぞ!」
いきなりそう叱り付けられて、翔隆は平伏する。
「はっ。以後、決して遅れませぬ故お許しを!」
許しを請うと、光春は笑って頷く。
「ん。言い逃れをせぬのは良い心掛けじゃ。…訳はお屋形より承っておる。早う行け」
「はい!」
言われてすぐに翔隆は一礼し、ピュンと台所へ駆けて行った。

 飯炊きから始まって、掃除、裁縫で昼餉の飯炊き、儒学、そろばん、茶道、剣の指南、そして夕餉の飯炊きをしてから修行――――。


 と、いうような一日を幾度も繰り返した。
始めは鉛の重さで体中が痛くなっていたが、その内に段々痛みも無くなり、鉛を増やし
ても次第に慣れてきていた。
学問などは、元から義成や睦月、塙直政に教え込まれていたので、難しい計算や軍の指揮の取り方、謀略などを教わる内に一月ひとつきが経った。
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