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一章 天命

一.序章〔一〕

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 一五五〇年、天文十九年・四月。

ここ尾張ではあちらこちらに植えられた桜が咲き誇り、花弁の雪を降らせていた。

 愛知郡と春日井郡の境辺りに、大きな丘陵きゅうりょうがあり、深い森に覆われている山があった。
誰も近寄らぬ、薄気味の悪い森。
人々はそこを〝物の怪の森〟と呼んで忌み嫌い恐れた。

 そこには古くから鬼がまい、入ってきた人間を迷わせて喰らうのだ、と言い伝えられている。

 その〝物の怪の森〟の奥には、小屋が点在する小さな集落があった。
そこでは十~二十名程の者が住んでいた。
そこの者達は普通に猟をしたり、足半あしなか草履や籠などを作って城下町まで売りに行ったりしていたが、〝人間〟ではなかった。

足半草履あしなかぞうりとは、足先から土踏まずまでしか無い草鞋。当時は普通の履物で、鎌倉時代から昭和の戦後まで使われていた。日本人は押すとすぐに転ぶ、などと言われていた)
話しを戻そう。

 その者達の名称を〔不知火しらぬい一族〕と言った。
人間ではないとはいえ、見た目はただの人と同じで黒髪の黒い瞳。
角や牙、尾などが生えている訳ではないし、人を喰ったりもしない。

ただ生まれ付き不老・長寿であり、人間には無い特殊な《力》を持つ者が多く居る、というだけだ。
そんな一族などを、世の忍達は〔影の一族〕と呼んで、人の形をした魔物だと恐れた。

 その中でも、姿の変わった少年がいた。
名は翔隆とびたか、年は十五。
生まれ付き銀鼠色の髪に、深い海のような藍色の瞳をしていた。
それは、この不知火一族の嫡子・長の証であるが、本人は知らない。

その翔隆には、三人の師匠が居た。

一人は剣術の師、義成よしなり
年は二十四。
黒髪だが、月の如き金の瞳で、顔には斜め十字の傷があった。

もう一人は忍術の師である睦月むつき
年は十九。
白茶の髪に茶色い瞳で、頭部から右目に傷がある為、それを前髪で覆って隠していた。

そして最後に霊術の師である拓須たくす
年齢は不明だが、睦月の兄らしい。
腰よりも長い白茶の髪で、茶色い瞳…。

 この白茶の髪の二人は、〔不知火一族〕の宿敵である〔狭霧一族〕の証であるが、翔隆はそれを知らない。

知っているのは、翔隆以外の全員、である。


 さて、そんな翔隆にはここ八年間ご執着の者が居た。

那古野なごや城城主であるたいらの朝臣あそみ織田三郎信長(十八歳)である。
幼名、吉法師きっぽうし

 まず、この頃の普通の名である長い名を解説しておく。

一にうじ。これは平。
二にかばね。これは朝臣あそみ
三に苗字。これが織田。
四に官位。今は無い。
五にあざな。三郎。
六にいみな。これが信長…となっている。

一は、誰の子孫であるかを示すので、平。

二は朝廷から与えられた〝八草やくさかばね〟を名乗る。
〝朝臣〟の位は上から二番目に偉いのだ。

この一と二は、諱の前にくる事もあるらしい。

例えば、松平竹千代源朝臣…のように。


〝平家子孫、織田三郎である〟と名乗るのだ。

ただ、信長という諱は、両親や上の位の者しか呼んではならない、正に〝忌み名〟であった。

その織田三郎は、この尾張をべる守護大名である斯波しば吉宗の家臣である織田大和守達勝の、三奉行の一人、織田弾正忠三郎信秀の嫡男、である。
大名の家臣の家臣の嫡男…それが織田三郎だ。


 さて、その織田三郎殿は近隣諸国への評判が悪かった。
毎日悪童共を引き連れては、相撲や竹槍合戦をして遊ぶ。
人に寄り掛かって立ち食いをする…。
(これはとてつもなく行儀の悪い事で嫌われた)
 しかし、少年達からの信頼は厚かった。
それに遊んでばかりではなく、弓矢や鉄砲を習ったりもしている事を翔隆は知っていた。

翔隆は七つの時に初めて集落を出る事を許されて、偶然 織田三郎を見て一目惚れ。
以来、何かと彼を追い掛けて隠れて覗いたり、真似をしたりしていた。

そんな翔隆の行動を心配するのは、父である志木しぎだ。

志木しぎは、両目とその下に傷を負っていてめしいとなったが、その分感が鋭かった。
「翔隆はまた里か…」
薪を作り、里の方向に顔を向けて、ふと呟く。
すると、そんな志木の後ろからクッと喉を鳴らして笑いながら拓須たくすが言う。
「何を今更、詮無せんなき事を」
その言葉に志木は眉をしかめて、拓須に顔を向ける。
「〝先読み〟の出来るお主ならば、そう思い諦められるのか? 生憎あいにくと我らは違うのだ」
そう皮肉を込めて言い返すと、拓須は目を細めて志木を睨む。

 《先読み》をしても結果が変わらない事への厭味いやみなのかと思う事を、志木は度々言ってくる。

拓須は何も答えずに横を向く。

ここで立ち去れば、それが肯定した事になるからだ。
続けて志木が言う。
「弥生がお主らを置く事を許したとはいえ、わたしはまだここに居る事を許してはいないぞ、狭霧! あの子にとって悪しき存在となると判断した時は、全力でお主らを討つ! それを忘れるなッ!」
そう牽制するように言い放ち、志木は薪の束を手に立ち去る。
その後ろ姿を見ながら、拓須は冷笑する。
〈ク、クク…〝全力で〟な…。甘い奴らだ〉




ーーービッ
  指から血が出た。
「いて…」
翔隆は指を舐めて、木くずを投げ捨てる。

 集落から離れた森の中で、木の根に座り、先程から弓を作ろうとしているのだが全く上手くいかない。
目の前に、どんどん失敗作ばかりが積み上がっていくばかりだ。
「なんで上手くいかないかな……あの大きな弓は何で出来てるんだ?」
ぶつぶつ言いながらも側に置いておいた集めた木の枝を手に取ると、クスクスという笑い声が頭上から聞こえる。
翔隆は真っ赤になって見上げて言う。
「その声は睦月だな! 隠れて見てたのか!?」
「ふふ、すまんすまん…」
その言葉と共に木の枝から睦月が降りてきて、苦笑しながら翔隆を見る。
「余りに真剣で、邪魔をしては悪いと思ってつい、声を掛けそびれて……ふ、ふふぁははは!」
言っている途中で、睦月は堪えきれなくなって腹を抱えて笑い出した。
そんな睦月を見て、翔隆は恥ずかしさでムスッたれる。
「どうせガキっぽいって言うんだろ」
「すまん、つい…。器用なクセに変にりきむから駄目になるんだろう?」
言いながら睦月は笑ってしまった詫びに、手頃な枝を手にして木に寄り掛かりながら形を整えていく。
「分かってるよ…」
呟きながら、翔隆は膝を抱えてそれをじっと見つめた。
睦月は弓を作りながら喋る。
「ああいう、人間が使う弓は…木を丈で挟んでとうで巻いたりするそうだよ」
「…とう?」
「遠い熱帯の国にある木の事だ」
「へえ…睦月は物知りだな…」
「そうでもないよ」
微笑しながら弓を作る睦月の長い前髪が揺れて、チラチラと酷い傷跡が見える。

それは、昔 修行をつけてもらっていた時

 ーーー木登りが苦手で、大きな杉を登ろうと頑張ったが、手が滑って木から落ちた。
その時に、先に上に登っていた睦月が、翔隆を抱えて着地したのだが…その際に、酷い傷を負い失明させてしまったのだ。

ずっと謝っていたら、布で隠し、更には前髪を伸ばして隠すようになってしまった…。
〈綺麗な目なのに…見えなくさせて…〉
そう思い落ち込んでいると、急に睦月が作った弓に矢を番えて翔隆に向け、鬼の形相で怒鳴る。
「また織田の嫡男の事か!? 会ったのか?!」
「違うから! 近い! 目に刺さるからっ」
翔隆が驚きながら言うと、睦月は落ち着く。
「それならば良いが…」
そう言い、睦月は弓矢を翔隆に渡す。
翔隆はそれを受け取り苦笑した。
織田三郎の事となると、睦月は誰よりも怖くなる。
「…ねぇ、睦月」
「ん?」
「俺がこういう事をすると、父さんは怒るけど…弓とか槍なら習う事だしいいと思わない?」
「…それは、まあ…」
「それとも里に出る事が駄目なのかな? それならなんで里に出ていいなんて言ったんだろ…」
言いながら翔隆はまた、しょんぼりとする。
事情を知っている睦月は、戸惑いながら答える。
「いや、里に出てもいいのだが…」
「だが?」
「その…」
睦月が言い淀むと、翔隆は更に落ち込む。
そんなに落ち込ませたくはないのだが、はっきりと〝何が駄目なのか〟を言えない理由があるのだ。
 ここの誰もが知っている掟を、翔隆だけが知らない。
自分が不知火一族の嫡子であるという重要な事ですらも、知らされていないのだ。

不知火の掟には
 〝七つの年に掟を教える〟
とあるのに、何故か志木達は里に出る事を先に許したのだ。
〈もう限界だろう。志木殿に進言してみよう〉
睦月が眉をしかめて考えていると、翔隆が心配そうに声を掛ける。
「睦月?」
「え? ああ、なんでもないよ。…駄目ではないのだが、また怖い思いをするのではないか、と心配しているのだよ」
「………」
翔隆は無言になってうつむく。


 ーーーー初めて村に出たのは、七つの時の正月(一月)。

 雪の中、初めて見る景色が楽しくて、丘に登った。
そこから全体を見ようと思ったら、先客が居た。

九歳の織田吉法師きっぽうし(織田三郎)が馬に乗って、遥か彼方を見つめていたのだ。

その姿に一目惚れして、翔隆は一度集落に戻って皆に〝こんな子が居たんだ!〟と言って回り、またすぐに里へ走っていった。

母の弥生や姉の楓、よく父と話をしている千太から聞いた山々や畑や沼、牛や馬などの様子を見て、ワクワクしながら自分と同じ年頃の子を探した。

村の子供達が集まっているのを見つけて、翔隆は大喜びで走り寄った。

 〝遊ぼうよ!〟

 ーーーそう、声を掛けようとした瞬間に子供達全員の顔が恐怖に引きつり、青ざめ、悲鳴を上げて逃げ出した。

翔隆は皆が逃げる理由が分からず、その場に取り残されて立ち尽くした。
追い掛けようと一歩、足を出したその時に大人達が駆け付けてきた。

大人達は共に逃げ、男衆が口々に〝鬼だ!〟、〝物の怪だ!〟と叫んで石を投げ付けて鍬や鎌を手にして襲い掛かってきたのだ。

翔隆は突然の出来事に混乱しながら逃げた。
〈何? なんで?! なんで!?〉
今まで、集落の中では皆が普通に接してくれていた。
挨拶し、言葉を交わし、笑顔で可愛がってくれた。

だから、こんなに殺気付いた大人は初めてでーーー訳の分からないまま、ザッと背中が切られて熱くなり、激痛で転んだ。
「やった! 今だ、殺せ!!」
誰かが喜んで言い、更に鎌を振り上げたのが見えた。
〈殺される!!〉
そう思った時、後ろから来た誰かが前に立って手を広げた。

「やめよし。そない大勢でこんな小童一人を見苦しい。お前もさっさと帰りよし」
そう言い翔隆を立たせて背を押し、走らせてくれた人…。

聞いた事の無い言葉で、笠を被ったその人が、どうやら背中の致命傷を治してくれたらしい…と、後から知った。
短めの黒髪で、どこか睦月に似た人としか覚えていない〝命の恩人〟。
声は覚えているので、いつかまた会う事があれば、お礼が言えるだろう。


 …そんな、恐怖を味わって初めて、自分は異質な存在なのだと知った。

 父母や姉、集落の皆とは全く違う〝鬼〟なのだ、と。

皆が慈しみ接し、愛情を注いでくれていたから、自分が〝人間〟だと勘違いしていただけなのだと、やっと分かったのだ。

 何故、自分だけこんな姿なのか

その問いには、誰も答えてくれない。
拾われて、育てられたのだろうか…?

「俺…皆の重荷になってるのかな」
ふいに翔隆がそう言うので、睦月は枝を落として目を見開く。
「何を…」
「だって…」
翔隆は、言わない方がいい事だと分かった上で、どうしても聞きたくて仕方がない事と不安を口にした。
「だって、父さんも母さんも姉さんも、皆 黒髪で黒い目なのに、俺だけこんな…ねずみ色の髪で青い目だから、こんな所に隠れ住まなきゃいけないんじゃないかって…!」
「翔隆、それは…」
「聞いちゃいけない気がして! ずっと怖くて聞けなくて! 明日聞こう、また明日、今度って…ずっと延ばして」
「翔隆、落ち着いて…」
「だって俺、捨て子か何かだろう⁈」
そう叫ぶように言うと、睦月に抱き締められた。
「決して捨て子などではない! それに、隠れ住んでいる訳でもないじゃないか。男衆は村へ色々な物を売りに行っているだろう?」
「…うん…」
翔隆は涙を拭って睦月の胸に頭を委ねる。
睦月はそんな翔隆の頭を撫でながら、落ち着かせてやった。
「そんなに後ろ向きな考えをするなと、いつも言ってるだろう?」
「ごめん…」
言うつもりはなかった…だが、弱音を吐けるのが睦月しかいないのだ。
睦月もまた、それは分かっていた。
弱音を吐くのは構わないが、翔隆には傷付いて欲しくない。
〈早く掟を教えるように、志木殿に頼んでみよう〉
ついでに、何故今まで教えなかったのかも聞こう。
そう思い、睦月はポンポンと翔隆の頭を叩いて離れ、まだ途中だった弓の仕上げに取り掛かる。
そんな睦月の手元を見ながら、翔隆は喋る。
「…睦月」
「ん?」
「俺…いつか化けられるかな?」
「化け…? 何に?」
「人間に、さ」
翔隆が寂しげに言うと、睦月は弓の弦を張りながら眉をひそめて考え、微笑して喋る。
「拓須の教えをきちんと身に付ければ、いつかは出来るさ」
霊術には姿を変える物もあるので、そう答えた。
すると翔隆は唸って頭を抱えた。
まだ拓須からはしごかれてばかりで、術は余り得られていないのだ。
それを見て笑いながら睦月が聞く。
「人間に化けてどうするんだ?」
「そのーーー思ってるだけだから、怒らないで欲しいんだけど……。出来れば俺ーーー…〝あの人〟の側に居たいなぁって……」
翔隆が苦笑しながら言う。
〈やはり、そうなるのか…〉
睦月は眉をしかめ、溜め息をきながら矢を作る。

…分かってはいた事なのだ。
翔隆が七つの時に集落を出た直後、

「奴は吉法師に惚れるぞ。それは奴の最大の弱点となり、支えともなる。…我らには吉だが、不知火にとっては凶となる」

そうーーー拓須が予言していたから。

それを知らされた後に翔隆が喜んで吉法師の話をしたので、睦月は必死に妨害してきた。
絶対に会わないように厳しく叱り付けておいたし、他の人間を褒めてみたりもした。
だが、翔隆は吉法師しか見ない…。
未来さきが分かっていたとて、それを阻止したり変えたりする事など出来ない。
〈この八年、何をしても無駄だった…〉
きつく叱ろうが、閉じ込めようが、縛って吊し上げようが、翔隆は織田の嫡男を見に行った。
 ならば少しでも悪い方向にいかないようにしておかなければと、〝見てもいいが、決して会うな〟と言い付けたのだが…。
それも失敗だったのだろうか?
〈翔隆、今はいい、今は。だが、お前が何者であるかを知り、道が定まった時に辛くなるのは、お前自身なのだ…!〉
睦月は弓矢を手に笑って走っていく翔隆の背を、悲しげに見送った。
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