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番外掌編
S3.夢と未来
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※瑠奈と陽が高校一年生のクリスマスのSSです。本編の「白雪と薔薇」、続編の「夕陽と青空」を読んでいただければより分かりやすいと思います。
――クリスマスを陽と過ごすだなんて何年ぶりだろう?
ここは樋野家が代々洗礼を受けた神戸の教会だ。今日、わたしは陽と二人で聖夜のミサに来ている。
なぜなら友達とのパーティは二十三日に済ませてしまっていた。イブと今日はみんな彼氏(!)とお出かけするので忙しいだそうだ。家族での御馳走はお父さんが出張になったので、急遽二十四日の夜に終わらせている。
だからクリスマス当日は……一日とても退屈な日になるはずだったのだ。部活の先輩を天体観測に誘おうにも、二年も三年も皆それぞれ忙しい。部長は当然来年に向けての受験勉強、松本先輩はおうちのパン屋さんのお手伝いだ。
わたし達双子がまだ小さくて、樋野のママが立って歩けたころには、あの洋館で華やかなパーティを開いていた。けれどもママが伏せってしまってからは、なんとなくそれも立ち消えになっていたのだ。仕方なく今日は暇だとごろごろベッドに転がる中、突然陽から電話がかかってきたのである。
『ああ、瑠奈。今日暇か?』
陽の声の向こうからは、クリスマスのBGMと人のざわめく声が聞こえた。
「うん、暇だけど、どうしたの?」
わたしがそう答えると、陽はくすくす笑い、あるひとつの提案をしてくれた。
『やっぱりそうだと思った。だったらミサに行かないか?』
「みさ?」
『瑠奈はまだ行ったことがないだろ?』
わたしは荘田の養女となっているので、お正月には神社にお盆にはお墓参りに行く。つまりはごくふつうの日本人だ。けれども陽は代々カトリックの樋野家の家訓に従い、生まれてしばらくしてから洗礼を受けている。だから、クリスマスの意味もわたしとはちょっと違った。プレゼントを渡すだけではなく、教会でお祈りをする日なのだそうだ。わたしは目を輝かせ何度も大きく頷いた。
「楽しそう! 行きたいっ!でも、わたしは洗礼受けてないけれどもへいき?」
『ああ、大丈夫。一般からも参加者は毎年いるから。じゃあ、六時半にあの教会の前まで来てくれ。いい席取りたいからな』
そんなわけでわたしと陽は現在、聖堂の長椅子に腰かけている。
聖堂はいつもとは違い祭壇は花で埋められている。明りはいくつかを残して消され、代わりに蝋燭の炎が揺らめいていた。その穏やかな赤がステンドグラスに映り、磔刑像とマリア様を照らし出している。耳に届く音は出席者の息遣いとパイプオルガンの生演奏だけだ。その音楽も高らかではなく、落ち着きのある抑えた曲だった。静かで優しい暖かな夜だ。キリストが生まれた夜の厩もこんな光景だったのかもしれない。
わたしが二千年前の聖書の世界に思いを馳せていると、白いスモッグを来た聖歌隊が音もなく祭壇前に並んだ。数秒の間の後、指揮者の合図ととともに「きよしこの夜」が聖堂に響き渡る。この辺りには外国の人が多いからか、歌詞は英語で合唱された。
Silent night, holy night!
All is calm, all is bright.
Round yon Virgin, Mother and Child.
Holy infant so tender and mild,
Sleep in heavenly peace,
Sleep in heavenly peace
Silent night, holy night!
Shepherds quake at the sight.
Glories stream from heaven afar
Heavenly hosts sing Alleluia,
Christ the Savior is born!
Christ the Savior is born
Silent night, holy night!
Son of God love's pure light.
Radiant beams from Thy holy face
With dawn of redeeming grace,
Jesus Lord, at Thy birth
Jesus Lord, at Thy birth
意味はぼんやりとしか取れなかったけれども、澄んだ歌声に身も心も包み込まれるようだった。メロディそのものに祈りが込められているのだと分かる。そんな清らかさに満ちる聖堂の中央の絨毯を、神父様が二人に付き添われ歩いて行った。わたしは胸がいっぱいになり、思わずため息を吐いてしまう。わたしの知るクリスマスは、パーティと、プレゼントと、ツリーと、そんな賑やかで楽しいものでしかなかったからだ。
「クリスマスって……お祈りの日だったんだね」
そっと隣の陽に耳打ちをする。
「ああ、そうだ」
陽はふとその切れ長の目を柔らかにすると、わたしの頭をそっと撫でた。
それから聖書の朗読や教会への寄付、聖餐式や神父様からの祝福をいただいだき、閉会の歌を歌いミサは終わった。参加者が連れ立って扉から外へと出て行く。けれども、何人かのクリスチャンは聖堂に残り、祭壇の前に跪き磔刑像に祈りを捧げていた。わたしは帰り支度をする陽に尋ねる。
「ねえ、陽。あそこでお祈りをしている人がいるけど、いいの?」
「ああ、瑠奈もやるか?」
「わたしがしても大丈夫?」
「ああ」
陽はわたしを見下ろし大丈夫と頷く。
「大事なのは祈りたいと思う気持ちだから」
陽はわたしを連れ祭壇の前に行くと、長い睫毛を伏せその場に跪き手を組んだ。迷いのない動きにわたしは驚く。慣れているのだと気が付いたからだ。
陽はいつもここに祈りに来ているのだろうか?
陽は隣に並ばないわたしに気が付き、どうしたんだと首を傾げた。
「瑠奈、祈らないのか?」
「あ、う、うん」
わたしも慌てて陽を真似て跪く。どうも気になりちらりと隣を見ると、陽は瞼を閉じ深く思いを込めていた。わたしはまたわたしの知らない陽に驚く。
いったい何を願って祈りを捧げているのだろう?
一方で、わたしはどう祈ればいいのかが分からない。ううんとしばらく首を傾げていたけれども、やがてそうだと思い付き手を組んだ。知らず力が指と額に籠り眉間に皺が浮かぶ。
「神様、どうかお願いします。なんとか十年後には……」
陽がちらりと顔を上げぶつぶつと呟くわたしを見る。その黒い瞳に楽しげに細められ、笑いを堪えているのだと分かってしまった。
駅へと向かう帰り道を歩くころには、辺りはすっかり静まり返り、わたしと陽以外の誰も歩いてはいなかった。この辺りは住宅街でもともと人通りが少ないからだろう。時折あるバス停のランプと街頭だけが目に眩い。
「ねえ、陽、さっきどうして笑っていたの?」
わたしは両手に息を吐きながら尋ねる。今夜は底冷えがしてひどく寒い。陽みたいにマフラーを付けてくればよかったな、と少しだけ後悔をした。今日の陽はジーンズに長袖のシャツ、トレンチコートと言うシンプルなスタイルだ。わたしは気合を入れて髪の一部を編み込みにし、神様の前なのだからと紺色のワンピースを着てきている。上着には短めのピーコートを羽織っていた。
「お前があまり熱心に願うからおかしくなってさ」
わたしは思わずその場に立ち止まる。
「だ、だってお祈りって言うから」
陽もわたしに合わせて立ち止まった。
「ああ、そうか。日本には初詣があるからそんな感覚になるのかもな。キリスト教では祈りって願い事をするだけじゃないんだ。仏教でも墓参りの時には願い事をするわけじゃないだろ?」
言われてみれば確かにそうだ。
「もちろん願い事の場合もあるけれども、ああした場では祈りは神との対話だ」
「かみとのたいわ?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。陽はそうだと頷きわたしの背を叩いた。「行こう」と促し歩きながら語り始める。
「苦しみを打ち明けることもあれば、罪の許しを求めることもある。今日を無事に過ごせたことを感謝することもある」
「苦しみ?許し?」
わたしは思わず陽を見上げた。
「ねえ、陽、何か悩み事でもあるの?」
つい真剣な眼差しになってしまう。
「もしかしてママのこと?わたしでいいなら相談に乗るよ。だってわたしは――」
――陽のお姉ちゃんだもの。
わたしのいつもの決まり文句だった。けれどもその続きを陽は「違う」、と強引に遮ってしまったのだ。
「母さんのことじゃないさ」
腕を組み笑いながらわたしを見下ろす。
「瑠奈は何を願ったんだ?お前が教えるなら俺も教える」
「え、ええっ」
「知りたいんだろ?」
「……」
わたしはもじもじと下を向いた。笑われることが分かっていたからだ。頬が恥ずかしさに赤くなるのが分かる。
「いつか好きな人と両想いになって結ばれて、可愛いお嫁さんになれますようにって」
それはわたしの昔からの夢だった。小さな庭のあるお家で花を育てながら、毎日おいしいご飯とお菓子を家族のために作ること。子どもはできれば三人――男の子がひとりと女の子が2人の組み合わせがいい。男の子にはいつもご飯のお代わりをよそって、女の子には可愛い洋服を着せるのだ。ふと旦那様として部長が思い浮かんだけれども、慌てて振り払い照れ隠しに頬を抑える。
「い、言ったよ。言った!これでいいよね?陽の悩みは何?」
けれども陽から答えは返ってこない。一分過ぎ、二分過ぎたけれども、陽は何も言わなかった。
「陽?」
陽はわたしの視線にはっとなり目を伏せた。手を伸ばしわたしの頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「や、やめてよう。せっかく編み込んだのに」
涙目になるわたしの頭を陽はなおも撫で続けた。
「……お前が結婚なんてできるわけがないだろ」
声が一瞬低くなったけれども、すぐにいつもの口調に戻る。
「誰がもらってくれるって言うんだよ」
わたしはああやっぱりと再び顔が赤くなってしまった。
「絶対そう言うと思ったから言いたくなかったのに!」
わたしは抗議をしようと勢いよく顔を上げ、陽のママそっくりの美貌の向こうに、白い何かがひとひら、ふたひらと落ちていくのを見つける。
「……雪!」
わたしは恥ずかしさも忘れ宙に手をかざした。
「ねえ、見て、陽、ホワイトクリスマスだよ?」
密やかな夜の街に淡雪がゆっくりと舞い降りていく。わたしはその光景にいつか陽と見た十二月の雪を思い出した。
「素敵、素敵。雪を見るなんて何年ぶり……っくしゅん」
はしゃぎすぎたのか思い切り雪を吸い込み、わたしは小さくくしゃみをしてしまう。
「馬鹿。落ち着けよ」
陽は苦笑し自分のマフラーを解いた。そのままわたしの首にふわりと掛ける。マフラーは陽の肌に温められており、雪の冷たさをかき消してしまう。わたしはダメだよと驚き首を振った。
「陽、寒いでしょ?」
「寒いのはお前だろ?」
陽はそのままマフラーの端と端を器用に結び合わせてしまう。その間にも雪は次々とわたし達の上に落ちてきた。
「すごくきれいだけど、髪濡れちゃうなぁ」
わたしは溜息をあーあと吐き空を仰ぐ。陽も釣られて空を仰いだけれども、やがてふと手を伸ばしわたしの髪に触れた。
「瑠奈、編み込みが絡んでいる」
「え、ええっ!?」
「悪い。崩したみたいだ。このまま解いていいか?」
わたしは仕方ないなぁと笑った。
「うん、いいよ。帰ったらどうせ解くもの」
ピンが外され三つ編みがゆっくり解かれる。陽の長い指がわたしの髪を優しく梳いていった。わたしはその優しさについ笑い出してしまう。
「陽、陽、く、くすぐったい」
「……」
「ねえ、くすぐったいよ」
陽はそれでもやめようとはしない。やがてその掌がわたしの頬に触れ、零れ落ちた髪の一筋を掬った。黒い瞳がわたしを見下ろし、その目の中に小さな光が瞬いている。それが哀しみなのだと理解するには、そのころのわたしはあまりに馬鹿だった。
「……陽?」
雪が音もなく辺り一面に降り積もる。そんな白と夜の黒との静かな世界で、わたしは陽の温かさだけを感じていた。
――クリスマスを陽と過ごすだなんて何年ぶりだろう?
ここは樋野家が代々洗礼を受けた神戸の教会だ。今日、わたしは陽と二人で聖夜のミサに来ている。
なぜなら友達とのパーティは二十三日に済ませてしまっていた。イブと今日はみんな彼氏(!)とお出かけするので忙しいだそうだ。家族での御馳走はお父さんが出張になったので、急遽二十四日の夜に終わらせている。
だからクリスマス当日は……一日とても退屈な日になるはずだったのだ。部活の先輩を天体観測に誘おうにも、二年も三年も皆それぞれ忙しい。部長は当然来年に向けての受験勉強、松本先輩はおうちのパン屋さんのお手伝いだ。
わたし達双子がまだ小さくて、樋野のママが立って歩けたころには、あの洋館で華やかなパーティを開いていた。けれどもママが伏せってしまってからは、なんとなくそれも立ち消えになっていたのだ。仕方なく今日は暇だとごろごろベッドに転がる中、突然陽から電話がかかってきたのである。
『ああ、瑠奈。今日暇か?』
陽の声の向こうからは、クリスマスのBGMと人のざわめく声が聞こえた。
「うん、暇だけど、どうしたの?」
わたしがそう答えると、陽はくすくす笑い、あるひとつの提案をしてくれた。
『やっぱりそうだと思った。だったらミサに行かないか?』
「みさ?」
『瑠奈はまだ行ったことがないだろ?』
わたしは荘田の養女となっているので、お正月には神社にお盆にはお墓参りに行く。つまりはごくふつうの日本人だ。けれども陽は代々カトリックの樋野家の家訓に従い、生まれてしばらくしてから洗礼を受けている。だから、クリスマスの意味もわたしとはちょっと違った。プレゼントを渡すだけではなく、教会でお祈りをする日なのだそうだ。わたしは目を輝かせ何度も大きく頷いた。
「楽しそう! 行きたいっ!でも、わたしは洗礼受けてないけれどもへいき?」
『ああ、大丈夫。一般からも参加者は毎年いるから。じゃあ、六時半にあの教会の前まで来てくれ。いい席取りたいからな』
そんなわけでわたしと陽は現在、聖堂の長椅子に腰かけている。
聖堂はいつもとは違い祭壇は花で埋められている。明りはいくつかを残して消され、代わりに蝋燭の炎が揺らめいていた。その穏やかな赤がステンドグラスに映り、磔刑像とマリア様を照らし出している。耳に届く音は出席者の息遣いとパイプオルガンの生演奏だけだ。その音楽も高らかではなく、落ち着きのある抑えた曲だった。静かで優しい暖かな夜だ。キリストが生まれた夜の厩もこんな光景だったのかもしれない。
わたしが二千年前の聖書の世界に思いを馳せていると、白いスモッグを来た聖歌隊が音もなく祭壇前に並んだ。数秒の間の後、指揮者の合図ととともに「きよしこの夜」が聖堂に響き渡る。この辺りには外国の人が多いからか、歌詞は英語で合唱された。
Silent night, holy night!
All is calm, all is bright.
Round yon Virgin, Mother and Child.
Holy infant so tender and mild,
Sleep in heavenly peace,
Sleep in heavenly peace
Silent night, holy night!
Shepherds quake at the sight.
Glories stream from heaven afar
Heavenly hosts sing Alleluia,
Christ the Savior is born!
Christ the Savior is born
Silent night, holy night!
Son of God love's pure light.
Radiant beams from Thy holy face
With dawn of redeeming grace,
Jesus Lord, at Thy birth
Jesus Lord, at Thy birth
意味はぼんやりとしか取れなかったけれども、澄んだ歌声に身も心も包み込まれるようだった。メロディそのものに祈りが込められているのだと分かる。そんな清らかさに満ちる聖堂の中央の絨毯を、神父様が二人に付き添われ歩いて行った。わたしは胸がいっぱいになり、思わずため息を吐いてしまう。わたしの知るクリスマスは、パーティと、プレゼントと、ツリーと、そんな賑やかで楽しいものでしかなかったからだ。
「クリスマスって……お祈りの日だったんだね」
そっと隣の陽に耳打ちをする。
「ああ、そうだ」
陽はふとその切れ長の目を柔らかにすると、わたしの頭をそっと撫でた。
それから聖書の朗読や教会への寄付、聖餐式や神父様からの祝福をいただいだき、閉会の歌を歌いミサは終わった。参加者が連れ立って扉から外へと出て行く。けれども、何人かのクリスチャンは聖堂に残り、祭壇の前に跪き磔刑像に祈りを捧げていた。わたしは帰り支度をする陽に尋ねる。
「ねえ、陽。あそこでお祈りをしている人がいるけど、いいの?」
「ああ、瑠奈もやるか?」
「わたしがしても大丈夫?」
「ああ」
陽はわたしを見下ろし大丈夫と頷く。
「大事なのは祈りたいと思う気持ちだから」
陽はわたしを連れ祭壇の前に行くと、長い睫毛を伏せその場に跪き手を組んだ。迷いのない動きにわたしは驚く。慣れているのだと気が付いたからだ。
陽はいつもここに祈りに来ているのだろうか?
陽は隣に並ばないわたしに気が付き、どうしたんだと首を傾げた。
「瑠奈、祈らないのか?」
「あ、う、うん」
わたしも慌てて陽を真似て跪く。どうも気になりちらりと隣を見ると、陽は瞼を閉じ深く思いを込めていた。わたしはまたわたしの知らない陽に驚く。
いったい何を願って祈りを捧げているのだろう?
一方で、わたしはどう祈ればいいのかが分からない。ううんとしばらく首を傾げていたけれども、やがてそうだと思い付き手を組んだ。知らず力が指と額に籠り眉間に皺が浮かぶ。
「神様、どうかお願いします。なんとか十年後には……」
陽がちらりと顔を上げぶつぶつと呟くわたしを見る。その黒い瞳に楽しげに細められ、笑いを堪えているのだと分かってしまった。
駅へと向かう帰り道を歩くころには、辺りはすっかり静まり返り、わたしと陽以外の誰も歩いてはいなかった。この辺りは住宅街でもともと人通りが少ないからだろう。時折あるバス停のランプと街頭だけが目に眩い。
「ねえ、陽、さっきどうして笑っていたの?」
わたしは両手に息を吐きながら尋ねる。今夜は底冷えがしてひどく寒い。陽みたいにマフラーを付けてくればよかったな、と少しだけ後悔をした。今日の陽はジーンズに長袖のシャツ、トレンチコートと言うシンプルなスタイルだ。わたしは気合を入れて髪の一部を編み込みにし、神様の前なのだからと紺色のワンピースを着てきている。上着には短めのピーコートを羽織っていた。
「お前があまり熱心に願うからおかしくなってさ」
わたしは思わずその場に立ち止まる。
「だ、だってお祈りって言うから」
陽もわたしに合わせて立ち止まった。
「ああ、そうか。日本には初詣があるからそんな感覚になるのかもな。キリスト教では祈りって願い事をするだけじゃないんだ。仏教でも墓参りの時には願い事をするわけじゃないだろ?」
言われてみれば確かにそうだ。
「もちろん願い事の場合もあるけれども、ああした場では祈りは神との対話だ」
「かみとのたいわ?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。陽はそうだと頷きわたしの背を叩いた。「行こう」と促し歩きながら語り始める。
「苦しみを打ち明けることもあれば、罪の許しを求めることもある。今日を無事に過ごせたことを感謝することもある」
「苦しみ?許し?」
わたしは思わず陽を見上げた。
「ねえ、陽、何か悩み事でもあるの?」
つい真剣な眼差しになってしまう。
「もしかしてママのこと?わたしでいいなら相談に乗るよ。だってわたしは――」
――陽のお姉ちゃんだもの。
わたしのいつもの決まり文句だった。けれどもその続きを陽は「違う」、と強引に遮ってしまったのだ。
「母さんのことじゃないさ」
腕を組み笑いながらわたしを見下ろす。
「瑠奈は何を願ったんだ?お前が教えるなら俺も教える」
「え、ええっ」
「知りたいんだろ?」
「……」
わたしはもじもじと下を向いた。笑われることが分かっていたからだ。頬が恥ずかしさに赤くなるのが分かる。
「いつか好きな人と両想いになって結ばれて、可愛いお嫁さんになれますようにって」
それはわたしの昔からの夢だった。小さな庭のあるお家で花を育てながら、毎日おいしいご飯とお菓子を家族のために作ること。子どもはできれば三人――男の子がひとりと女の子が2人の組み合わせがいい。男の子にはいつもご飯のお代わりをよそって、女の子には可愛い洋服を着せるのだ。ふと旦那様として部長が思い浮かんだけれども、慌てて振り払い照れ隠しに頬を抑える。
「い、言ったよ。言った!これでいいよね?陽の悩みは何?」
けれども陽から答えは返ってこない。一分過ぎ、二分過ぎたけれども、陽は何も言わなかった。
「陽?」
陽はわたしの視線にはっとなり目を伏せた。手を伸ばしわたしの頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「や、やめてよう。せっかく編み込んだのに」
涙目になるわたしの頭を陽はなおも撫で続けた。
「……お前が結婚なんてできるわけがないだろ」
声が一瞬低くなったけれども、すぐにいつもの口調に戻る。
「誰がもらってくれるって言うんだよ」
わたしはああやっぱりと再び顔が赤くなってしまった。
「絶対そう言うと思ったから言いたくなかったのに!」
わたしは抗議をしようと勢いよく顔を上げ、陽のママそっくりの美貌の向こうに、白い何かがひとひら、ふたひらと落ちていくのを見つける。
「……雪!」
わたしは恥ずかしさも忘れ宙に手をかざした。
「ねえ、見て、陽、ホワイトクリスマスだよ?」
密やかな夜の街に淡雪がゆっくりと舞い降りていく。わたしはその光景にいつか陽と見た十二月の雪を思い出した。
「素敵、素敵。雪を見るなんて何年ぶり……っくしゅん」
はしゃぎすぎたのか思い切り雪を吸い込み、わたしは小さくくしゃみをしてしまう。
「馬鹿。落ち着けよ」
陽は苦笑し自分のマフラーを解いた。そのままわたしの首にふわりと掛ける。マフラーは陽の肌に温められており、雪の冷たさをかき消してしまう。わたしはダメだよと驚き首を振った。
「陽、寒いでしょ?」
「寒いのはお前だろ?」
陽はそのままマフラーの端と端を器用に結び合わせてしまう。その間にも雪は次々とわたし達の上に落ちてきた。
「すごくきれいだけど、髪濡れちゃうなぁ」
わたしは溜息をあーあと吐き空を仰ぐ。陽も釣られて空を仰いだけれども、やがてふと手を伸ばしわたしの髪に触れた。
「瑠奈、編み込みが絡んでいる」
「え、ええっ!?」
「悪い。崩したみたいだ。このまま解いていいか?」
わたしは仕方ないなぁと笑った。
「うん、いいよ。帰ったらどうせ解くもの」
ピンが外され三つ編みがゆっくり解かれる。陽の長い指がわたしの髪を優しく梳いていった。わたしはその優しさについ笑い出してしまう。
「陽、陽、く、くすぐったい」
「……」
「ねえ、くすぐったいよ」
陽はそれでもやめようとはしない。やがてその掌がわたしの頬に触れ、零れ落ちた髪の一筋を掬った。黒い瞳がわたしを見下ろし、その目の中に小さな光が瞬いている。それが哀しみなのだと理解するには、そのころのわたしはあまりに馬鹿だった。
「……陽?」
雪が音もなく辺り一面に降り積もる。そんな白と夜の黒との静かな世界で、わたしは陽の温かさだけを感じていた。
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お話を読んでいくにつれて涙が止まらなくなってしまい最後は号泣でした。
双子の弟は物凄く歪んでいる愛情だったけど、とても好きだったんだなと思える内容でした。
こんな感動するお話を読めて嬉しく思います。
ありがとうございました
感想ありがとうございます!当時一番力入れて書いた作品なので、そう言っていただけるとたいへん嬉しいです(*^_^*)
弟は…そうするしかなかったんですよね…なので、終わりもああするしかありませんでした…(。・ω・。)
退会済ユーザのコメントです
感想ありがとうございます!ちょっと前の作品なのですが、大変力入れて書いたので、物語と言っていただいて嬉しかったです(*´∀`)
そう、主人公はどちらをより多く愛してる、と言うのではなくて、それぞれと違う絆を築いていた、と言う感じです。最後に陽と逝ったからと言って一樹を捨てたわけではなく、もうそれが彼女にとって運命だったみたいな…
小説はこれで終わりですが、もし大地が出生の知るとしても、きっと彼自身が作った家族(奥さんや子ども)が癒してくれるのではないかなあ…と思います。自分も夫になって父親になって、育ての親の気持ちを知って、妻を通して母親の気持ちを知って、それが激情を抑えるストッパーになるのではないかなと。
感想ありがとうございました♪