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第2部
23.薔薇と真紅(3)
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高野さんは大地君の入院するあの病院を知っていた。つまりはこの男に命じられ、たびたび様子を見に来ていたということだ。なら、僕が顔を出すようになったこともすでに聞いていたはずだ。僕にまだ未練がある上で瑠奈の事情を知り、こうなるかもしれないことも予測していただろう。
樋野陽は紅の花弁を一枚契り足元に落とした。
「……血液と内臓の状態が悪かったんです」
低く艶やかな声からは何の思いも感じ取れない。それが返ってこの男の胸に渦巻く激情を示しているようにも思えた。
「どう言うことなんだ」
声は僕に問われるままに答える。
「瑠奈が、死ぬかもしれなかった」
大地君を妊娠したと判明した直後、瑠奈は突然倒れ病院に運び込まれたのだと言う。それから三日間生死の境をさまよった。母体の血液の状態が悪く、妊娠の継続には負担がかかり、危険が伴うと言われたのだそうだ。樋野陽は迷いなく瑠奈の命を選び、中絶をしてほしいと医師に頼んだ。ところが、母親である瑠奈が拒絶したのだ。
「瑠奈に絶対に嫌だと言われました。命は、そんな簡単に消していいものじゃないとも……」
もともと瑠奈の意志を汲むような男ではない。説得が無理ともなれば、力尽くでも中絶させるつもりだったらしい。ところが――。
「死んでやると言われました」
黒い瞳が戸惑いに揺れる。初めて見る途方に暮れた表情――迷子の子どものように見えた。
「この子を殺したらわたしも後を追うと、そう言われました」
「死にたい」ではなく「死ぬ」と言われたのだとあの男はぽつりと言った。瑠奈は瞳を潤ませながらも真っ直ぐに弟に目を向け、病院のベッドの上からこう告げたのだそうだ。
『陽がこの子を殺すなら、わたしも後を追って死ぬ。だって可哀想でしょう?暗闇しか知らずに日の光も見ずに、殺されるだなんて可哀想でしょう? だから寂しくないように一緒に逝ってあげるの』
「……本気でした」
瑠奈の心に一切迷いはなかったと樋野陽は言った。
「本気で瑠奈は死ぬつもりだった」
瑠奈は樋野陽がそれだけはできないと知っていて、子どもを守るために自分の命を盾にしたのだ。そして、わたしだけはこの命を喜んであげるのだと、縋るこの男を振り切り洋館を出て行った。援助も一切受け取ろうとしなかったのだそうだ。
「あれだけ怖がっていたのに」
僕は聞き捨てならない言葉にはっとなった。冷たく整った美貌を凝視する。
「怖がっていた……? 何をだ?」
もう何も隠すつもりはないのだろうか。樋野陽は小さく頷き薔薇を蔓ごと握り締めた。花がぐしゃりと潰れ形を失くす。掌に棘が刺さったのだろう――長い指と指との狭間から血が滲んで流れ出し、剥がれ落ちた紅色の花弁とともにぽたり、ぽたりと地に落ちた。どちらが薔薇で、どちらが血なのかも分からない。
「言った通りですよ。瑠奈は俺が犯すたびにもう止めてと叫んでいた。妊娠だけは嫌だと怖がり泣いていました。瑠奈が俺を受け入れてくれて、もう必要ないと思い無理に抱かなくなった。なのに、最後の夜に子どもができていた。ははっ……皮肉ですね」
樋野陽は紅の花弁を一枚契り足元に落とした。
「……血液と内臓の状態が悪かったんです」
低く艶やかな声からは何の思いも感じ取れない。それが返ってこの男の胸に渦巻く激情を示しているようにも思えた。
「どう言うことなんだ」
声は僕に問われるままに答える。
「瑠奈が、死ぬかもしれなかった」
大地君を妊娠したと判明した直後、瑠奈は突然倒れ病院に運び込まれたのだと言う。それから三日間生死の境をさまよった。母体の血液の状態が悪く、妊娠の継続には負担がかかり、危険が伴うと言われたのだそうだ。樋野陽は迷いなく瑠奈の命を選び、中絶をしてほしいと医師に頼んだ。ところが、母親である瑠奈が拒絶したのだ。
「瑠奈に絶対に嫌だと言われました。命は、そんな簡単に消していいものじゃないとも……」
もともと瑠奈の意志を汲むような男ではない。説得が無理ともなれば、力尽くでも中絶させるつもりだったらしい。ところが――。
「死んでやると言われました」
黒い瞳が戸惑いに揺れる。初めて見る途方に暮れた表情――迷子の子どものように見えた。
「この子を殺したらわたしも後を追うと、そう言われました」
「死にたい」ではなく「死ぬ」と言われたのだとあの男はぽつりと言った。瑠奈は瞳を潤ませながらも真っ直ぐに弟に目を向け、病院のベッドの上からこう告げたのだそうだ。
『陽がこの子を殺すなら、わたしも後を追って死ぬ。だって可哀想でしょう?暗闇しか知らずに日の光も見ずに、殺されるだなんて可哀想でしょう? だから寂しくないように一緒に逝ってあげるの』
「……本気でした」
瑠奈の心に一切迷いはなかったと樋野陽は言った。
「本気で瑠奈は死ぬつもりだった」
瑠奈は樋野陽がそれだけはできないと知っていて、子どもを守るために自分の命を盾にしたのだ。そして、わたしだけはこの命を喜んであげるのだと、縋るこの男を振り切り洋館を出て行った。援助も一切受け取ろうとしなかったのだそうだ。
「あれだけ怖がっていたのに」
僕は聞き捨てならない言葉にはっとなった。冷たく整った美貌を凝視する。
「怖がっていた……? 何をだ?」
もう何も隠すつもりはないのだろうか。樋野陽は小さく頷き薔薇を蔓ごと握り締めた。花がぐしゃりと潰れ形を失くす。掌に棘が刺さったのだろう――長い指と指との狭間から血が滲んで流れ出し、剥がれ落ちた紅色の花弁とともにぽたり、ぽたりと地に落ちた。どちらが薔薇で、どちらが血なのかも分からない。
「言った通りですよ。瑠奈は俺が犯すたびにもう止めてと叫んでいた。妊娠だけは嫌だと怖がり泣いていました。瑠奈が俺を受け入れてくれて、もう必要ないと思い無理に抱かなくなった。なのに、最後の夜に子どもができていた。ははっ……皮肉ですね」
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