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本編

飼い主はあなたです(1)

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 その日一日で若返りの薬に加工されそうになるわ、俺様なアビシニアンもどきに即物的に嫁にされそうになるわ、もうとっくに私のライフはゼロになりかけていた。

 おまけにあれから方向も確かめずに突っ走ったので、ここはどこ私はアイラ状態……早い話が迷子になっている。人間に戻って道を尋ねれば早いものの、戻ると全裸なので痴女として通報されてしまうだろう。あのカイは変身しても忍者の衣装を着ていたけど、あれってどういう仕組みだったんだろうか……。

 おかげで猫のまま自力でお屋敷に戻るしかなく、フラフラになりながら裏通りを彷徨ううちに、一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎ、もう二週間になろうとしていた。

 幸か不幸か体にたっぷり脂肪を蓄えていたので(!)、飢え死にすることこそなかったものの、外で眠るのは寒いし、怖いし、体が痛くなる。時にはその辺を縄張りにするオス猫に、目をハートマークにして追い回され、心は一時も休まることがなかった。

 うっ、うっ、うっ……こんな微妙なモテ期いらない。お屋敷に戻りたい。もう一生あそこから出なくていい……。

 そうして歩く間にどこか見知った街並みが目に入り、その中のパン屋の壁の張り紙を何気なく見上げて、私はあっと息を呑んでその場に立ち尽くした。自分の似顔絵が描かれたポスターだったからだ。

『猫、探しています。メスで一歳前後。白黒ハチワレ、エメラルドグリーンの目のとにかく世界一可愛い靴下猫。異論は認めない。アイラと呼ぶと、悔しいが、誰にでもホイホイ寄っていく。ヤギのミルクとササミが大好物。アライブオンリー。むしろアライブじゃなければ、地の果てまで貴様を追って殺ってやる。報奨金金貨一〇〇枚。元気なら五〇〇枚。連絡先は王宮まで。以上』

 な、なんか殺気立った「猫、探しています」だけど、これって私のことじゃありませんか……!! ということは、この街はお屋敷に近いのだろうか。

 でも、さすがに二週間歩き続けて疲れ切った体では、もうそれ以上前に進めそうにはなかった。ヘロヘロとお店の前に倒れ込む。

 ああ、やっぱり享年十七歳がこの世界での私の寿命なのだろうか。まあ、前世とは違って死ぬ前にいい思いをしただけまだマシなのか。結局辞世の句の推敲が終わらなかったのが心残りだ。退職金・一度でいいから・欲しかった・できれば夢の・一千万円以上……。

 意識が次第に遠くなりゆく中で、私は「アイラ!」と自分を呼ぶ声を聴いた。

「アイラ、探しました……! こんな近くにいたとは……! しっかりしてください!」

 ああ、嬉しいな。誰かが私の名前を呼んで、死んでほしくないと思っているんだ。それだけで嬉しい。この世界にいてもいいんだって嬉しい。そう言われたくて頑張ってきた気がした。

「可哀そうに。こんなに痩せ細ってしまって……」

 いや、これは痩せ細ったんではなく元に戻ったんですわ……絶食放浪ダイエットの効果抜群……と突っ込む間もなく温かい胸に抱き上げられてしまう。

「帰りましょう。もう二度と君を手放すつもりはありません」

 私はよく知った体温に心からほっとして、眠りの闇にそのまま身を任せたのだった。



 私は夢の中でふわふわで温かい、雲の中に包まれていた。天国があるのだとすれば、きっとこんなところなのだろう。

「君は困った子ですね。それに、不思議な子だ」
 
 私の背を誰かの手が優しく撫でる。

「初めて会った時、私は目を疑いましたよ。猫族の君がくるくると働いているのだから。猫族は、獣人でもことさら労働を嫌う種族のはずなのに」

 ああ、そう言えばお父さんはしょっちゅう仕事をサボって、「このろくでなしが!」とお母さんに笑顔でしばかれていたわ。とにかく家でゴロゴロするのと昼寝が好きで、夜目が効くことから深夜の町の城壁の衛兵をやっていた。これは猫族の血を引いているのは間違いなくお父さんの方だわ……。

 夢の中で冷や汗を流す私に、声はさらに優しく語り掛ける。

「本能に逆らってまでなぜ働くのかと不思議でした。私たちが出会った日のことを覚えていますか。君は、思わず声を掛けた私の誘いを吹っ切って、ハエ叩き二本を両手にどこかへすっ飛んで行ってしまったのです。……女性に見向きもされなかったことは初めてでした。しかも、仕事に負けたのも初めてでした」

 ああ、そういえばそんなことがあったような。

 図書館の掃除をせっせとしている時に、後ろから声を掛けられたのよね。

『君……まさか……。名前は?』

 書物を抱えた絶世の眼鏡イケメンが、目を見開いて立っていたから、私も何事かとぎょっとしたものだ。魔術師のローブを着ていたところから、魔術師なのだとはすぐに判明したけど、当時は顔を合わせる機会が少なかったから、誰が誰なのかまではわからなかった。

『はあ、アイラ・アーリラでございますが、何用でしょうか?』

『出身は?』

『ここから馬車で二時間ほどのミッケリですが……』

『……。君、これから時間を取れないだろうか。確かめたいことがあって……』

 ところが、次の瞬間廊下に悲鳴が響き渡ったかと思うと、同僚のメイドが半泣きで図書館に飛び込んできたのだ。

『アイラ、アイラ、大変! 食糧庫にゴキブリが出たわ!』

『な、な、な、なんだってー!』

 ゴキブリは一匹出ると背後に百匹はいると言われている。放っておけばさらに百倍の数に増えてしまい、穀物も、チーズも、干し肉も、イモ・マメ類も全滅だ。
 
 ゴキブリが苦手だとか言っている場合ではない。私はこれは天下の一大事だと、退治のためのハエ叩き二本を両手に、一も二もなく聖堂から飛び出した。二本いるのは二刀流だからである。ゴキブリの前にはイケメンのことなんて、頭から綺麗にすっ飛んでいた。

『ありがとう。アイラが一番ゴキブリ退治がうまいから。あなた、すばしっこいじゃない』

『どの倉庫? 一番? 二番?』

『二番よ』

『あ、あの……アイラ、話が……』

 後ろから慌てて肩を掴まれたけれども、それどころではないと振り返りもせずに、廊下を一目散に駆け出した。

『すいませーん! 後でお願いしまーす!!』

 まさか、それがアトス様だとは思わず、後から聞いてヤバいと青ざめたものだ。アトス様が全然怒っていなくて、「いえいえ、仕方がないですから」と、笑って許してくれたからよかった……。

「それから、私は君の観察を始めたんです。君は、私が知る猫族とはあまりに違う。君自身はどのような女性なのかとどうしても知りたくなりましたーー」
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