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第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」

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 旅人曰く、エイエール王国でもっとも美しい季節は春ではなく初夏なのだそうだ。あちらこちらに自生するマロニエの花が咲き誇るからだと。

 あいにく満開前に教皇領に戻ることになりそうだが、アレクサンドル二世はそれを残念だとはまったく思わなかった。むしろ、エイエール王国の繁栄を象徴する花など忌々しい。

「どいつもこいつもこの儂を馬鹿にしおって……」

 座り心地の良い長椅子にどかりと腰掛け、先ほど持ってこさせたばかりのワインを呷る。

 贅を凝らした客間の絨毯の上には、もう何本もの空になった酒瓶が転がっていた。

 扉に向かって「おい、女はまだか」と怒鳴る。廊下で常時待機中の従僕代わりの助祭が「も、もう少し時間がかかるかと……」と怯えた声で答えた。

「まったく、気分が悪い」

 あの小賢しい若僧の国王にしてやられたのにもだが、それ以上にシプリアンに苛立ちが募っていた。

 初めてシプリアンを目障りだと感じたのは、魔女狩りを主導していた数十年前だったか。

 当時シプリアンは在野の神父を名乗り階級すらなかった。なのに、魔女狩りに真っ向から反対し、抗議してきたのである。

『信仰とは押し付けるものではない。信徒みずから望み、受け入れなければ意味がない。魔女狩りは聖戦ではなく単なる迫害であり虐殺だ。慈愛を説いた主は決してこのような真似は望まないはずだ!』

 それどころか、光の女神ルクスを崇める異教徒どもを庇いすらした。

 異教徒の間でもシプリアンの噂が広まりその手を借りて国外に逃れる、または表向きクラルテル教に改宗し、命を救われた者も多いと聞く。

 なのに、当時の教皇や教皇庁がシプリアンを罪に問えなかったのは、エイエール王国の貴族出身だったのが大きい。エイエール王国は寄付金の額が大きく、敵に回すのは避けたいという事情があった。

 とはいえ、シプリアンが在野の神父のままでいたのなら、どれもたいした問題ではなかった。

 ところが何を思ったのか、魔女狩りから十年後エイエール王国の中央教会に舞い戻っただけではない。あの温厚な微笑みを浮かべたまま、それまでとは打って変わって積極的に、貪欲に出世を求め、実現していったのだ。

 亡き兄に頭を下げられたから教会に帰ったとのことだったが、アレクサンドル二世はそんな説明をまったく信じていない。人はみずからの強い意思がなければ生き方そのものを変えようとしないからだ。

 シプリアンが何を考えているのかがわからないことが、アレクサンドル二世には不気味でならない。

 それでも、枢機卿に任命したのはその人気を取り込もうとしたからだけではない。

 シプリアンはもう八十歳近く。自分より二十歳年上である。

 現時点でどれだけ力があろうと、敵にならないうちに天に召されると踏んでいた。

「なのになんだ。ピンピンしとるじゃないか」

 最近足腰が弱ってきたなどと抜かしているが、本当に最近の話で、というよりは仕事のし過ぎで一時的なものだと思われる。

 なぜならシプリアンは昨年徒歩で八〇〇キロの聖地巡礼を完遂しているからだ。更に先月のミサの準備中には、聖体拝領に使用する未開封のワイン樽を、一人で軽々抱え上げたとも聞いていた。

「ええい、くそっ」

 まもなく新たなワインの瓶も空になり、酒を持ってこいと命令しようとしたところで、扉がゆっくりと音もなく開けられる。

「失礼いたします」

 ようやく頼んでおいた娼婦二人がやって来たらしい。

「おっ……」

 思わずゴクリと唾を飲む。

 娼婦らしく赤紫のドレスを身に纏った金髪の女だった。

 だが、注目したのは髪ではない。絶世の優美な美貌だった。紅の引かれた唇がなんとも艶めかしい。対照的なアイスブルーの瞳には品があり、とても娼婦だとは思えなかった。

 貴族の血を引いているのかもしれない。零落した貴族の令嬢が身を落とすのはよくある話だ。

「なんと……。ふん、あの若僧もなかなか気が利くじゃないか」

 大柄なところもアレクサンドル二世好みである。初心な生娘よりも派手で迫力のある大人の女がいい。

 たちまち機嫌が直り、「ほら、来なさい」と娼婦の手を取る。

 早速隣に座らせ肩を抱き寄せたところで、注文の内容を思い起こして首を傾げた。「金髪の娼婦を二人」と頼んだはずだ。

 美女二人に奉仕させるのが好きなのに。

「ん? もう一人の娼婦はどこだ?」

「上のお部屋にご用意しております」

 今からこの娼婦が連れて行ってくれるという。

「ふむ。この部屋にも飽きたところだ」

 アレクサンドル二世はなんの疑問もなく立ち上がり、隣に並んだ娼婦の腰に手を回した。

「ほれ、案内しなさい」

 夕暮れ時の石造りの廊下も酒を飲んだからか肌寒く感じない。

「寒くはございませんか。外套を用意しますが」

「ああ、いい。いい。どうせこれから暑くなるからな」

 それにしてもこの娼婦、若い女にしては随分低い声だ。声だけなら男と間違えそうである。客に付き合わされる間に酒焼けでもしたのだろうか。

 何気なく理由を聞いてみると、娼婦は喉元に手を当てて艶やかに笑った。

「不愉快でしたら申し訳ございません。昔、声帯を薬で焼いたんですの。……高過ぎる声は必要ないと言われまして」

「必要ない……?」

 低い声を使った特殊なプレイ専門の娼婦なのだろうか。それならそれで今夜が楽しみだった。

 アレクサンドル二世は娼婦に連れられ、どこに続いているのかも知らぬまま階段を上っていった。
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