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第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」
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☆☆☆
教皇が王宮を訪れたのは、それから一週間後のこと。
ソランジュも大多数のエイエール国民と同じくクラルテル教の教徒である。幼い頃、伯爵邸を訪れたシプリアンが洗礼を施してくれた。
食事と就寝前には必ず祈りを捧げ、聖職者にはごく自然に敬意を抱いている。初めて接した聖職者だったシプリアンのモットーが清貧、かつ無限の無私の慈愛の持ち主だったので、彼のイメージがそのまま聖職者のものとなっていたのだ。
それだけに教皇庁から現教皇アレクサンドル二世が訪れ、シプリアンと合流して二週間ほど滞在し、その後教皇領へともに向かうと聞いた時には、ぜひそれまでに顔を拝みたいと楽しみにしていた。
何せ教皇はクラルテル教トップに君臨する神の代理人なのだ。さぞかし高邁な精神の人物に違いないと期待していた。
しかし、教会関係者に関わるなと止められているので、残念ながら直に会いに行くことはできない。
ならばと教皇が王宮を訪れたその日、掃除の名目でアルフレッド専用の浴室に入り、こっそり窓の外に顔を出してみた。教皇が宿泊する予定の客間のある階を覗こうとしたのだ。ここからなら中庭越しで、多少遠いがなんとか見える。
さて、もう二、三分で教皇がやって来るはずだ。
今か今かと待っていると、なぜか「いやーんもうっ」と女の鼻に掛かった甲高い声が聞こえた。
「……?」
アーチ型にくりぬかれた窓の向こうを、純白のローブを身に纏い、カロッタを被った老人が通り掛かる。顔も体もたるんだ老人だった。顔が妙にテカテカツヤツヤしている。
やっと来てくれたかと思いきや、その両側に女性を侍らせていたのでぎょっとする。更に、信じがたい光景を目にしてしまった。
「教皇様のエッチ! 誰か見ていたらどうするのお」
「構わん、構わん。ここは教皇庁ではない。ほら、お前もこっちに来なさい」
なんと、真っ昼間からヘラヘラと女性に触りまくりである。女性たちは胸元が開いた服装からして夜のお仕事従事者に見える。
まさか、あの狒々爺が教皇なのか。そんな馬鹿なと硬直していると、「やれやれ、お盛んですねえ」と、背後から聞き慣れた声がした。
恐る恐る振り返るとレジスが背後に立ち、手を翳して教皇と愛人一行を観察している。もはやその神出鬼没っぷりにも慣れつつあった。
「れ、レジス様、また脱獄したんですか? 前は捕まらなかったんですか?」
レジスはそれなりにひどい目に遭わされたのか、最後の問いには答えず「一時保釈です」と肩を竦めた。
「間諜探しにまた駆り出されましてね。陛下は間諜が教皇滞在中に動くと睨んでいるようです」
ということは、自白魔術の腕を期待されていると言うことなのだろう。
だが、ソランジュには間諜についてよりも、今はそれ以上に聞きたいことがあった。恐る恐るキャアキャア騒ぐ教皇一行に目を向ける。
「あ、あの……」
「お嬢さんのお父上の身元調査についてはまだ確認に少々時間がかかります」
「そちらの件ではなくて……」
レジスがソランジュの視線を追って教皇に目をやり、「ああ」と薄い唇の端を歪める。
「あの方は間違いなく教皇猊下ですよ。なかなかご立派な方でしょう」
レジスは自分以上の立場にある、興味のある者にしか皮肉を言わない。今までそれはアルフレッドだけだったのに、こうした物言いをするということは、教皇に同じだけの強い関心があるということだ。
一方、ソランジュは教皇への幻想を完膚なきまでに破壊され、ショックでその場に立ち尽くすしかなかった。
以前、シプリアンが教会上層部の腐敗を嘆いていたが、まさかトップにある教皇その人が女に骨抜きにされているとは。
レジスがソランジュの心を読んだかのようにまた嘲笑う。
「ご安心ください。ああ見えて娼婦たちに心は許していません。ほら、目が笑っていないでしょう。あくまで遊びでしかありませんよ」
「えっ……」
ソランジュにはそこまではわからない。
「レジス様は教皇様をご存知なのですか?」
「それはもう、魔術師なら知らずにはいられないでしょうね。恥を思い起こさせてくれる張本人ですから」
「それってどういう……」
「おや、お嬢様は歴史をご存じない?」
「……申し訳ございません。今勉強中なんです」
アルフレッドはソランジュが文字こそ読めるが学がないと知ると、語学、エイエール語、歴史、文学のそれぞれの家庭教師、おまけにマナー講師も付けてくれた。皆ソランジュに無理のないペースで教えてくれるので、今のところ楽しく身に付けることができている。
おかげで立ち振る舞いや会話が洗練され、ようやく令嬢らしくなってきたのではないかと、我ながらちょっと嬉しくもなっていた。
歴史の授業の単元は現在のところ現代史には程遠い。だから、アレクサンドルが何をしたのかもよく知らなかった。
レジスの唇の端が笑みではない形に歪む。
「あの教皇は魔女狩りで名を上げたのですよ。その功績で教皇の座を得ています」
「えっ……」
「魔女狩り」などという物騒な単語に息を呑む。
レジスは馬鹿騒ぎをする法皇をじっと見つめた。
「まあ、いずれ知ることですからね……」
教皇が王宮を訪れたのは、それから一週間後のこと。
ソランジュも大多数のエイエール国民と同じくクラルテル教の教徒である。幼い頃、伯爵邸を訪れたシプリアンが洗礼を施してくれた。
食事と就寝前には必ず祈りを捧げ、聖職者にはごく自然に敬意を抱いている。初めて接した聖職者だったシプリアンのモットーが清貧、かつ無限の無私の慈愛の持ち主だったので、彼のイメージがそのまま聖職者のものとなっていたのだ。
それだけに教皇庁から現教皇アレクサンドル二世が訪れ、シプリアンと合流して二週間ほど滞在し、その後教皇領へともに向かうと聞いた時には、ぜひそれまでに顔を拝みたいと楽しみにしていた。
何せ教皇はクラルテル教トップに君臨する神の代理人なのだ。さぞかし高邁な精神の人物に違いないと期待していた。
しかし、教会関係者に関わるなと止められているので、残念ながら直に会いに行くことはできない。
ならばと教皇が王宮を訪れたその日、掃除の名目でアルフレッド専用の浴室に入り、こっそり窓の外に顔を出してみた。教皇が宿泊する予定の客間のある階を覗こうとしたのだ。ここからなら中庭越しで、多少遠いがなんとか見える。
さて、もう二、三分で教皇がやって来るはずだ。
今か今かと待っていると、なぜか「いやーんもうっ」と女の鼻に掛かった甲高い声が聞こえた。
「……?」
アーチ型にくりぬかれた窓の向こうを、純白のローブを身に纏い、カロッタを被った老人が通り掛かる。顔も体もたるんだ老人だった。顔が妙にテカテカツヤツヤしている。
やっと来てくれたかと思いきや、その両側に女性を侍らせていたのでぎょっとする。更に、信じがたい光景を目にしてしまった。
「教皇様のエッチ! 誰か見ていたらどうするのお」
「構わん、構わん。ここは教皇庁ではない。ほら、お前もこっちに来なさい」
なんと、真っ昼間からヘラヘラと女性に触りまくりである。女性たちは胸元が開いた服装からして夜のお仕事従事者に見える。
まさか、あの狒々爺が教皇なのか。そんな馬鹿なと硬直していると、「やれやれ、お盛んですねえ」と、背後から聞き慣れた声がした。
恐る恐る振り返るとレジスが背後に立ち、手を翳して教皇と愛人一行を観察している。もはやその神出鬼没っぷりにも慣れつつあった。
「れ、レジス様、また脱獄したんですか? 前は捕まらなかったんですか?」
レジスはそれなりにひどい目に遭わされたのか、最後の問いには答えず「一時保釈です」と肩を竦めた。
「間諜探しにまた駆り出されましてね。陛下は間諜が教皇滞在中に動くと睨んでいるようです」
ということは、自白魔術の腕を期待されていると言うことなのだろう。
だが、ソランジュには間諜についてよりも、今はそれ以上に聞きたいことがあった。恐る恐るキャアキャア騒ぐ教皇一行に目を向ける。
「あ、あの……」
「お嬢さんのお父上の身元調査についてはまだ確認に少々時間がかかります」
「そちらの件ではなくて……」
レジスがソランジュの視線を追って教皇に目をやり、「ああ」と薄い唇の端を歪める。
「あの方は間違いなく教皇猊下ですよ。なかなかご立派な方でしょう」
レジスは自分以上の立場にある、興味のある者にしか皮肉を言わない。今までそれはアルフレッドだけだったのに、こうした物言いをするということは、教皇に同じだけの強い関心があるということだ。
一方、ソランジュは教皇への幻想を完膚なきまでに破壊され、ショックでその場に立ち尽くすしかなかった。
以前、シプリアンが教会上層部の腐敗を嘆いていたが、まさかトップにある教皇その人が女に骨抜きにされているとは。
レジスがソランジュの心を読んだかのようにまた嘲笑う。
「ご安心ください。ああ見えて娼婦たちに心は許していません。ほら、目が笑っていないでしょう。あくまで遊びでしかありませんよ」
「えっ……」
ソランジュにはそこまではわからない。
「レジス様は教皇様をご存知なのですか?」
「それはもう、魔術師なら知らずにはいられないでしょうね。恥を思い起こさせてくれる張本人ですから」
「それってどういう……」
「おや、お嬢様は歴史をご存じない?」
「……申し訳ございません。今勉強中なんです」
アルフレッドはソランジュが文字こそ読めるが学がないと知ると、語学、エイエール語、歴史、文学のそれぞれの家庭教師、おまけにマナー講師も付けてくれた。皆ソランジュに無理のないペースで教えてくれるので、今のところ楽しく身に付けることができている。
おかげで立ち振る舞いや会話が洗練され、ようやく令嬢らしくなってきたのではないかと、我ながらちょっと嬉しくもなっていた。
歴史の授業の単元は現在のところ現代史には程遠い。だから、アレクサンドルが何をしたのかもよく知らなかった。
レジスの唇の端が笑みではない形に歪む。
「あの教皇は魔女狩りで名を上げたのですよ。その功績で教皇の座を得ています」
「えっ……」
「魔女狩り」などという物騒な単語に息を呑む。
レジスは馬鹿騒ぎをする法皇をじっと見つめた。
「まあ、いずれ知ることですからね……」
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