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第二章「容疑者ですが、侍女に昇格しました。」

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ソランジュの心臓がドキリと鳴る。


 侍女頭は侯爵家出身のアンナと名乗ると、暖炉前に置かれた椅子に目を向けた。


「どうぞそちらへお掛けください」


 ソランジュが恐る恐る腰を下ろしたのち、テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろす。


「ソランジュ様は貴族の身の回りの世話に慣れていらっしゃるそうですね」


「あっ、はい」


 奥方の髪結いまでやっていたので、それだけは特技だと胸を張って言えた。


「そこで、陛下の侍女を務めていただくことになりました。ちょうど前任の侍女が老齢を理由に実家に引き下がったところでしたので」


「……」


「ソランジュ様?」


「あっ、いいえ。申し訳ございません。びっくりしてしまって……」


 思わず膝に目を落とす。頬がみるみる熱くなった。


 推しの――今はもう好きな人の世話ができるなど幸福どころではなかった。それ以上にアルフレッドが魔に取り憑かれそうになっている時、そばにいれば守ることができると思ってほっとする。


 しかし、懸念点がひとつあった。


「あの……本当に私でいいのでしょうか。私は伯爵の愛人の娘なのですが」


 侍女頭のアンナが侯爵家出身であるように、さすがに国王の侍女ともなるとそれなりの身分を求められるはずだ。


 アンナは「問題ございません」と頷いた。


「ソランジュ様は認知されていますし、取り潰しになったとは言え貴族の血筋には違いありませんから。それに、今後は私が後見人になるので問題ございません」


「えっ」


 さらりと入った「取り潰し」の単語にぎょっとする。


「あ、あの、取り潰しって……」


「あら、お聞きしていませんでしたか。嘘偽りの理由で子息を従軍の義務から逃れさせていた罪で、先月あの伯爵家は爵位を剥奪されたのですよ」


「……」


 エイエール王国は徹底した軍事国家であり、成人男子には漏れなく兵役がある。


 そして、地位や身分が高くなるほどノブレスオブリージュを求められる。王侯貴族の男子が従軍の義務を怠ろうものなら国家反逆罪にも値すると厳しく責め立てられる。


「で、では、旦那様や奥様たちは……」


「屋敷が接収されたのち、着の身着のままで出て行ったそうですよ」


 ひたすら財産を食い潰すばかりで、働いたことのないあの一家が今後どうなるのか、ソランジュには想像も付かなかった。


☆☆☆


 ――アンナはソランジュの部屋から出た足で、王宮敷地内の軍事訓練場に向かった。


 訓練場はあえてぬかるみで足場を悪くしてあり、そこで馬上での一騎打ちが行われる。


 あちらこちらで騎士と騎士の剣がぶつかり合い、冬の空の下に乾いた金属音が響き渡る。


 アルフレッドも漆黒の鎧兜を身に纏って愛馬に跨がり、腹心の部下の一人でもある歴戦の騎士と試合を行っていた。


 右端と左端、反対側から来た馬と馬がすれ違いざま、騎士がアルフレッドを倒そうと剣を薙ぎ払う。


 しかし、アルフレッドはその動きを見切ると、刃が脇腹を切り裂く間際に愛剣を真上に振り上げ、騎士の剣を叩き落とした。


 よほどの圧力がかかっていたのか、ギンと双方の剣の鋼が軋み、鈍く重い音とともに馬も地も揺れる。


「……っ」


 腕が痺れたのか騎士の剣が地に転がる。


 剣を失ったことでバランスを崩した騎士は、そのまま落馬し急いで起き上がろうとしたが動きが鈍い。ぬかるみに足を取られてもいるようだ。


 その間に馬上のアルフレッドが騎士に剣の切っ先を突き付けた。兜を脱ぎ捨て漆黒の双眸で騎士を見据える。


「アダン、腕が鈍ったな」


 騎士は肩を竦めて両手を挙げた。


「陛下の腕が上がったのですよ。まったく、それ以上お強くなられてどうなさるのですか」


「……」


 自分に向けられた視線を感じ取ったのだろう。アルフレッドの肩がピクリとしたかと思うと、目が騎士から柵の外に佇むアンナに移る。


「しばらく席を外すぞ」


 アルフレッドは軽く馬を走らせると、地に降り立ちアンナの前に立った。


 アンナがドレスの裾を摘み深々と頭を下げる。


「ソランジュ様に侍女の件をお伝えいたしました」


 頭を下げたまま「一つお聞きしたいことが……」と話を切り出す。


「陛下、本当に侍女扱いでよろしかったのでしょうか」


 ソランジュを紹介され後見人を頼まれた時、アンナは初め愛妾候補だろうと思っていた。伯爵の愛人の娘では妃となるには身分が低いが、愛妾ならそれで十分だからだ。


 愛妾にせよ戦闘狂で戦にしか興味のなかったアルフレッドが、ようやく女性に目が向くようになったのは喜ばしいと歓迎していた。


 ところが、愛妾ではなく侍女として受け入れろという。


「……」


 アルフレッドは敷地内中央に聳え立つ王宮を見上げた。


「現在捜査中だが、王宮にまだ鼠が紛れ込んでいる。それも恐らく中枢にだ」


 アンナははっとして顔を上げた。


 鼠とは間諜の隠語だ。


 先の戦でも軍事情報の一部が相手国に漏れており、いくつかの作戦を見破られていたと聞いている。それでもエイエール王国軍の圧倒的優勢は変わらず、勝利を収めはしたものの危機感が残ったと。


 更に先月の満月の夜には別の間諜が取り押さえられ、レジスに魔術で自白させられそうになったところで逃げ出した。その後王宮を抜け出そうとして、追ってきたアルフレッドに手打ちにされている。


 ちなみに、ソランジュも当初は極秘情報を把握していたことから、間諜の容疑者として王宮に連れて来られたのだとか。もっともそれは間諜だったからではなく、預言者の素質があったからだということだが。


「いずれにせよ当分はソランジュを外には出せない」


 しかし、部屋に軟禁したままではこの女は重要人物ですと宣伝しているようなものだ。かえって間諜に怪しまれ、狙われる恐れがあるので、差し当たって侍女扱いにしたのだと。あくまで一時的な処置だという。


「さようでございましたか……かしこまりました」


 アンナはようやく納得し、同時に残念な気分にもなっていた。


 今までアルフレッドはどれほどの美姫の秋波にも一切靡かず、女など邪魔だとばかりに近付けようともしなかった。


 そんな孤高の王にようやく春が来たのかと思っていたのだが――。


「それでは間諜を逮捕後はソランジュ様をどうなされるおつもりでしょう。その、つまり……」


 アルフレッドはアンナが何を言いたいのかを悟ったのか、「愛妾にする気はない」と一言だけ答えて身を翻した。


 アンナはやはりそうかとがっかりしながら、再び軍事訓練に戻る広い背を見送る。その後間もなくある事実に気付いて思わず口を押さえた。


 ――愛妾にする気はないと言っていたが、妃にする気はないとは言っていない。
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