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第二章「容疑者ですが、侍女に昇格しました。」

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 もう日付は翌日に変わっているのに、一体何をしているのだろう。


 もう一度確かめようとしたのだが、雲のヴェールに覆われた月明かりでは頼りない。


 アルフレッドは国王であり、王国軍の最高指揮官であり、屈強な肉体の持ち主だ。加えて剣の腕では大陸で並び立つ者がない。


 しかも、ここは城壁と衛兵に守られた王宮の敷地内だ。一人歩きをしてもなんの問題もないとわかっているが、なぜか妙な胸騒ぎがしてならなかった。


 ソランジュは扉に駆け寄り、思い切って扉に手を掛けた。


 今まで実質軟禁されていたので、てっきり鍵が掛けられているのかと思いきや、軽く軋む音とともにゆっくりと開く。廊下に見張りもいなかった。


 息を呑みながらも一歩踏み出す。あとで咎められるかもしれなかったが構わなかった。


 壁掛けランプが数十メートルおきに設置されているが、この世界の燃料はまだ効率が悪く灯りは弱い。あとは窓から差し込む儚い月光だけが頼りだった。


 深夜の石造りの廊下は足音が不気味に響き渡る。ソランジュは恐ろしさを堪えながら、階段を下り、導かれるように外への出入り口を見つけて抜け出した。


 敷地内には庭園がいくつか設けられており、王宮裏手にも春や夏には色とりどりの花が咲き誇る花畑があるが、冬の今はすべてが枯れ果てひっそりとしている。


 そして、アルフレッドは一人でそこで佇んでいた。寝間着にマントを羽織っただけに見える。同じく眠れなかったのだろうか。


 不意に肌を刺す冬の風が薄雲を払い、欠けた月がアルフレッドをくっきりと照らし出す。


 アルフレッドは手に剣を持って天にかざしていた。恐らく愛剣のレヴァインだ。剣でありながら意志を持ち、みずからあるじを選ぶという魔剣――。


 黒い瞳は不吉に黒光りのする刀身に向けられている。


 その姿はたった一頭で月を見上げ、遠吠えをする狼さながらに孤独に見えた。


 ソランジュははっとして目を瞬かせた。


 闇よりも深く黒く、禍々しい霧がアルフレッドに纏わり付き、その身を呑み込まんとして蠢いている。


「……!」


 気が付くと無我夢中で飛び出し、広い背に抱き付いていた。その拍子にアルフレッドの手から魔剣が落ちる。


「駄目っ……! 離れてっ……!」


 この霧は魔だ。血の穢れを受けた時と満月の夜だけだと思っていたのになぜ――。


 アルフレッドを庇おうと手を広げる。


「あっちへ行ってっ……! アルフレッド様に近付かないでっ……!」


 冬の夜空にソランジュの悲鳴が響き渡る。


 同時に、ソランジュに拒絶された魔も甲高い声で絶叫し、取り憑いていたアルフレッドから離れる。そして、悶え苦しむように全体がぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間にはその黒い霧を一瞬で四散させ、跡形もなく消え失せた。


「……っ」


 逞しい背に顔を埋める。


 心臓が早鐘を打っている。アルフレッドを守れた安堵から、足から力が抜け落ちそうになった。


 すかさずアルフレッドが振り返り手を伸ばし、ソランジュの華奢な体を支え、胸にもたれさせる。


「ソランジュ、なぜここにいる」


 それよりもと四散した魔のあった空間を凝視した。


「お前があの魔を祓ったのか」


 ソランジュはアルフレッドのマントを握り締めた。


「アルフレッド様……あの魔は……いつから取り憑いていたのですか」


 アルフレッドの目がソランジュに移る。


「さあな。昨日だったか今日だったか」


「……っ」


 つまり、全体的に魔の影響が強まりつつあるということだ。


 こんな設定は黒狼戦記では書かれていなかったと愕然とする。ようやくレジスが危機感を抱いて研究を急ぐわけがわかった。


 やっとの思いで声を出す。


「恐くは……ないんですか」


「……」


 アルフレッドは答えの代わりに地に転がるレヴァインを見つめた。


「魔はこの世に生まれ落ちた時からともにあった」


 もはや光よりも馴染んでいると呟く。


「俺は母の胸の代わりに呪いに抱かれ、乳の代わりに魔を啜って育ったようなものだからな」


 それでも時折今夜のような夜には、レヴァインの刀身にみずからを映し、問い掛けるのだ、とアルフレッドは語る。


「俺は人なのか、魔なのか、それとも――」


 ソランジュは堪らずにアルフレッドの胸に縋り付いた。


「――あなたは人間です!」


 人間でありたいと願う限り人間でしかないのだと訴える。


「お願い。どうかあなたでいて……」


 アルフレッドが母の呪い通りに父王を牙で切り裂いた時のような、あんな恐ろしい異形に二度となってほしくはなかった。


 アルフレッドはソランジュを見下ろしていたが、やがて細い背に手を回し、そっと胸に抱き締めて目を閉じた。


「……ああ、そうだな」


 また風が吹き月を覆い隠す。


「人の男でなければお前を抱けない」


 ソランジュの耳にかかるアルフレッドの吐息は、凍て付く夜気とは対照的に熱かった。
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