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第二章「容疑者ですが、侍女に昇格しました。」
(11)
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☆☆☆
――アルフレッドが手渡してくれた鏡は、貴族の令嬢向けのものなのだろう。裏面につる薔薇の意匠が彫り込まれた銀製の手鏡だった。
「見てみろ」
ベッドの縁に座らされ、隣のアルフレッドにそう促されたものの、つい躊躇してしまう。
アルフレッドは醜くないと言ってくれたが、やはり現実を思い知るのは恐ろしい。
それでも恐る恐る鏡を表に返せたのは、アルフレッドが有言実行の人だと知っていたからだった。
「……っ」
鏡に映る女の姿を見て驚きのあまり息を呑む。
緩やかに波打つ長い巻き毛は闇色のアルフレッドと対照的で、朝日の光を紡いだのかと錯覚するほど淡く眩い金髪だ。伯爵に気味が悪いと蔑まれてきた大きな目は、やはり黄金色だが髪より濃く、朝日よりは純金の金に近い。
煙るような睫毛は長く憂いある影を瞳に落とし、鼻は摘まんだように小さく控えめだ。わずかに開いた唇の薄紅色はシミ一つない白い肌を彩っていた。
それらのパーツが小さな卵形の輪郭に、完璧なバランスで収まっている。
ソランジュは思わず口を押さえた。
溜め息を吐くほど愛らしい、あどけなさを残した美貌だったからではない。
ソランジュが胸に抱いていた、曖昧になりかけていた母の面影に、瞳の色以外はぴったりと重なったからだ。
「お母さん……」
知らず声が震えた。
母子とはいえこれほど似ているとは思わなかったのだ。
隣で見守っていたアルフレッドがわずかに目を見開く。
「お母さん……お母さん……」
黄金色の双眸からポロポロと涙が零れ落ちた。
母が亡くなったのは六歳の頃だったので、もう十一年以上が過ぎていることになる。
どれだけ忘れたくないと願い、記憶に留め置こうとしても、月日の流れとは残酷で次第に顔立ちがおぼろげになっていった。
母との思い出が色鮮やかに蘇る。
ともに過ごした日々は短かったが、あの頃は母さえいれば幸福だった。配給された一杯だけのスープを分け合い、二人で一枚の布にくるまって温め合って眠った。
『ソランジュ、私の太陽、私の天使』
勇気を出してよかったと思う。これからは鏡を見れば母に会えるのだ。
懐かしさのあまり母の記憶を辿るうちに、死期が近付き、床についた頃のセリフまで思い出し、複雑な思いに駆られる。
『あなたのお父さんに感謝しなくちゃね。こんなに可愛い宝物を私に授けてくれたんだから……』
母は例え使用人で愛人扱いでも伯爵を愛していたのだろうか。あるいは野垂れ死にしてもおかしくないところを、拾ってもらった恩義はそれほど大きかったのだろうか。
ソランジュにはそれだけがわからなかった。
鏡を膝に置き涙を拭う。
それから間もなく今更のように、アルフレッドに見つめられているのに気付いた。
「あっ、もっ、申し訳ございません……」
しまったと先ほどまでの言動を後悔する。
アルフレッドは母の思い出がないどころか呪われている。そんな彼の前で母の名を呼んでしまったのだ。
「なぜ謝る」
「そ、それは……」
「お前はなんでも顔に出るな」
アルフレッドが呟く。
「なるほど。お前は俺が母に呪われているのも知っているのか」
「そ、れは……」
ソランジュが気まずくて答えあぐねる間に、アルフレッドはその体をゆっくりとベッドに押し倒した。
「アルフレッド様……」
黒い瞳が黄金色の瞳を射抜く。
「俺には父も母も必要ない」
言葉とともにソランジュの両手に指を絡め、シーツに縫い留める。
「だが……」
乾いた唇がソランジュのそれに重ねられる。
「……ん」
結局その日「だが……」の続きを聞くことはできなかった。
そして翌日、ソランジュはレジスの訪問を受け、思いがけない交渉を持ちかけられることになる。
――アルフレッドが手渡してくれた鏡は、貴族の令嬢向けのものなのだろう。裏面につる薔薇の意匠が彫り込まれた銀製の手鏡だった。
「見てみろ」
ベッドの縁に座らされ、隣のアルフレッドにそう促されたものの、つい躊躇してしまう。
アルフレッドは醜くないと言ってくれたが、やはり現実を思い知るのは恐ろしい。
それでも恐る恐る鏡を表に返せたのは、アルフレッドが有言実行の人だと知っていたからだった。
「……っ」
鏡に映る女の姿を見て驚きのあまり息を呑む。
緩やかに波打つ長い巻き毛は闇色のアルフレッドと対照的で、朝日の光を紡いだのかと錯覚するほど淡く眩い金髪だ。伯爵に気味が悪いと蔑まれてきた大きな目は、やはり黄金色だが髪より濃く、朝日よりは純金の金に近い。
煙るような睫毛は長く憂いある影を瞳に落とし、鼻は摘まんだように小さく控えめだ。わずかに開いた唇の薄紅色はシミ一つない白い肌を彩っていた。
それらのパーツが小さな卵形の輪郭に、完璧なバランスで収まっている。
ソランジュは思わず口を押さえた。
溜め息を吐くほど愛らしい、あどけなさを残した美貌だったからではない。
ソランジュが胸に抱いていた、曖昧になりかけていた母の面影に、瞳の色以外はぴったりと重なったからだ。
「お母さん……」
知らず声が震えた。
母子とはいえこれほど似ているとは思わなかったのだ。
隣で見守っていたアルフレッドがわずかに目を見開く。
「お母さん……お母さん……」
黄金色の双眸からポロポロと涙が零れ落ちた。
母が亡くなったのは六歳の頃だったので、もう十一年以上が過ぎていることになる。
どれだけ忘れたくないと願い、記憶に留め置こうとしても、月日の流れとは残酷で次第に顔立ちがおぼろげになっていった。
母との思い出が色鮮やかに蘇る。
ともに過ごした日々は短かったが、あの頃は母さえいれば幸福だった。配給された一杯だけのスープを分け合い、二人で一枚の布にくるまって温め合って眠った。
『ソランジュ、私の太陽、私の天使』
勇気を出してよかったと思う。これからは鏡を見れば母に会えるのだ。
懐かしさのあまり母の記憶を辿るうちに、死期が近付き、床についた頃のセリフまで思い出し、複雑な思いに駆られる。
『あなたのお父さんに感謝しなくちゃね。こんなに可愛い宝物を私に授けてくれたんだから……』
母は例え使用人で愛人扱いでも伯爵を愛していたのだろうか。あるいは野垂れ死にしてもおかしくないところを、拾ってもらった恩義はそれほど大きかったのだろうか。
ソランジュにはそれだけがわからなかった。
鏡を膝に置き涙を拭う。
それから間もなく今更のように、アルフレッドに見つめられているのに気付いた。
「あっ、もっ、申し訳ございません……」
しまったと先ほどまでの言動を後悔する。
アルフレッドは母の思い出がないどころか呪われている。そんな彼の前で母の名を呼んでしまったのだ。
「なぜ謝る」
「そ、それは……」
「お前はなんでも顔に出るな」
アルフレッドが呟く。
「なるほど。お前は俺が母に呪われているのも知っているのか」
「そ、れは……」
ソランジュが気まずくて答えあぐねる間に、アルフレッドはその体をゆっくりとベッドに押し倒した。
「アルフレッド様……」
黒い瞳が黄金色の瞳を射抜く。
「俺には父も母も必要ない」
言葉とともにソランジュの両手に指を絡め、シーツに縫い留める。
「だが……」
乾いた唇がソランジュのそれに重ねられる。
「……ん」
結局その日「だが……」の続きを聞くことはできなかった。
そして翌日、ソランジュはレジスの訪問を受け、思いがけない交渉を持ちかけられることになる。
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