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君だけしかいらない(6)
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その夜、薫は流山に呼び出され、駅前にあるファミリーレストランにやって来た。
広々としてぱっと明るい店内で、サラリーマンやOL、学生らが料理と会話を楽しむ中、隅のテーブルにいる流山だけに笑顔がない。
「遅くなって申し訳ございません。流山さんですね? 初めまして、狩野薫です」
頭を下げつつ向かいの席に腰を下ろす。
流山に会うのは初めてだったが、明るくさっぱりした時任とは対象的に、武骨で無口な印象のある男だった。また、どこかで会ったことがある気がする。
休憩中の電話で春継の名前を突然出された時には、流山にはすでに冬馬の息が掛かっており、こちらの動きを警戒されたのではないかと眉を顰めた。
だが、ならば春継ではなく冬馬について言及する、あるいは、夏柊の息子ではないかと問い質すほうが自然である。
それ以前に、馬鹿正直に高柳家と関係があるだろうと尋問すること自体があり得ない。脅して手を引かせるにしても、警察ならもっとうまくやるだろう。
流山の意図が把握できなかったが、ひとまずこちらの情報をどれだけ掴んでいるのかを確かめ、今後の出方を考えなければならない。
だから、当たり障りなく、
『はい。確かに春継は僕の祖父に当たります。ただし、僕の父親は祖父と絶縁したので、顔も知らない状態ですが』
、と答えたのだ。
すると、流山は「今夜駅前のジョニーズに来い。そこで真琴さんの情報をやる」と告げて電話を切った。
――流山はコーヒーを黙々と啜っていたが、向いの席に着くとしばしの沈黙ののち、「……話がある」と重々しい声で呟いた。
「駆け引きをする気は欠片もないし、義姉と関係があったのかと責める気もない。君にもそんな時間はないはずだ。頼む。君が知り得る限りの高柳家の情報をくれ。代わりに真琴さんの救出に全力を尽くすと約束する」
なぜ流山に高柳家の情報が必要なのかと内心首を傾げる。不信感からひとまず距離を取り、流山の手の内を探ろうとした。
「そう言われましても、電話で申し上げたように、僕の父は勘当されています。それから接触を持っていなかったので、高柳家のことはほとんど知りません」
「いいや、そんなはずはない。君は春継氏の遺産の一部の相続を持ち掛けられただろう。だが、あっさり放棄しているな。若い男なら喉から手が出るほどの大金だったはずだ。なぜ惜しげもなく手放した」
「……」
「それに、この街に来たのはなぜだ。何かを調べるためなんじゃないか。君の両親はもう亡くなっているそうだな。警視庁はさっさと事故で処理したようだが、当時君の義父は言い掛かりに近い理由で、勤め先をクビになり掛けていた。高柳家の圧力だったんじゃないか」
真之と月子の心中を疑われているだけではなく、すでに徹底的に洗い上げられているらしい。だが、なんのためにそうするのかがわからなかった。
あらためて流山の目を見てはっとする。なぜ会ったことがあると感じたのかを悟ったからだ。
「……流山さん、勘違いでしたら申し訳ございません。流山さんの亡くなった彼女は、高柳家と関係があったのでしょうか?」
そう、流山の目は鏡で見る自分のものと同じだった。命より重い何かを切望し続け、なのに手に入れられず、結果、絶望を昏い光に変え、その瞳に湛えている。
流山は溜め息を吐くと、テーブルの上に手を組んだ。
「こっちも隠していても仕方ないな。時任から聞いただろうが、俺には十二年前葉月って彼女がいて……いずれ結婚するつもりだった」
葉月は地元の大学に通う四年生だった。高柳産業の系列会社にアルバイトに入り、そこでまだ存命だった春継と出会った。春継は葉月の真面目な仕事ぶりを気に入り、卒業後は正社員にしてやると約束していたらしい。
当時就職活動をしていた葉月は、このアルバイトをやってよかったと、恋人の流山にデートで語った。流山もいい縁ができたなと喜んでいた。
ところが、葉月は一ヶ月後忽然と姿を消し、流山の必死の捜索にもかかわらず、半年後に白骨遺体となって発見された。
「失踪した日、アルバイト先に呼び出されたから、デートは別の日にお願いって連絡があって……それっきりだ」
当然捜査本部が立ち上げられ、流山も葉月の当日の言動を証言し、春継の取り調べを求めたのだが、春継は証拠がないからとあっさり釈放された。ならばと高柳家の家宅捜索を主張したものの、十分な根拠がないと却下された。
葉月の目撃情報はいくつもあり、そのすべてが高柳家、あるいは春継に関わっていた。なのに、本部はろくに捜査することもなく、未解決のまま解散させられたのだ。
以降、流山は蛇のように執念深く高柳家を見張り、春継の別件逮捕の機会を狙っていた。しかし、疑われるのには慣れているのか、春継はなかなか尻尾を出さない。そうこうするうちに死んでしまい、あの世にまで逃げてしまった。
「……なぜ葉月が死ななければならなかったんだ? どうしてもそれを知りたいんだ。そして、あの男が守り続けてきたものを、踏みにじらなければ気が済まない」
その一心で続いて冬馬に張り付き、高柳家の失脚の機会を狙ってきた。そして、十二年後になって、絶好の機会が巡って来たのである。
「真琴さんの事件も高柳家が関わっている。だが、県警はこの通り当てにならない」
流山の姿が自分に重なる。
だが、双方には絶対的な差があった。
すでに愛する者を失った者と、まだ失っていない者と。真相の追求と復讐に燃える者と、何よりも愛する者を救いたい者と。
それでも、流山は強力な協力者になると確信する。
「……わかりました。できる限りお話します」
流山の瞳の光がわずかに明るくなった。
「ありがとう……」
まず、なぜ両親の事故死を疑うことになったのか、そのきっかけはなんだと問われる。
「義父の形見のパソコンに母の写真があったんです。義父があの頃精神的に不安定だったのは、理不尽に解雇されかかっていたからだけじゃない。母のあの写真を受け取ったからだと思います」
「あの写真?」
「……人には見せられないものです」
詳細は伏せたものの、流山はその説明だけで、おおよその想像がついたようだった。
若かりし頃の月子の何枚もの写真――当時中学生の子どもすら、その異常さには息を呑んだ。
足首を犬のように鎖に繋がれ、ただ泣いているまだ少女の月子。何者かに座敷で陵辱される二十歳頃の月子。しどけない姿で中空をぼんやり眺める月子――
最後の写真がもっとも扇情的に見えたのは、絶望の果てにすでにその目が光を映さず、陵辱されるだけの肉人形と成り果てていたからだろう。
男の劣情で壊された女は美しいのだと、この時吐き気とともに思い知った。みずからも男だからこそ理解できてしまった。
ちなみに、月子が過去について語ったことは一度もない。「お父さんと結婚する前ってどうだったの?」と尋ねても、「大人しくておうちで遊んでばかりだったわ」と、困ったように微笑んで答えるばかりだった。語れるはずがなかったのだ。
「どこの誰があんな写真を送り付けてきたのかを調べました。ですが、義父は写真以外のデータを削除していてわからなかった」
ならばと高校に進学して以降は投資で金を稼ぎ、真琴には友人との旅行などと嘘をついて、この街に何度も出向いて月子の過去を探った。
月子が施設出身だと知ったのは、月子と親友だった女性を探し当てたからだ。この女性は高木愛子といい、やはり施設で育っていたが、十八歳で就職し、結婚して以降は、平凡な主婦となっていた。
愛子は会うなり「まあ……」と絶句し、「月子ちゃんそっくり」とはらはらと涙を流した。
月子に何があったのかを知らないかと尋ねると、重い口を開いて打ち明けてくれた。愛子も一人で抱え込むことに耐え兼ねていたのだろう。
月子の半生は聞くも切なく、痛ましいものだった――
広々としてぱっと明るい店内で、サラリーマンやOL、学生らが料理と会話を楽しむ中、隅のテーブルにいる流山だけに笑顔がない。
「遅くなって申し訳ございません。流山さんですね? 初めまして、狩野薫です」
頭を下げつつ向かいの席に腰を下ろす。
流山に会うのは初めてだったが、明るくさっぱりした時任とは対象的に、武骨で無口な印象のある男だった。また、どこかで会ったことがある気がする。
休憩中の電話で春継の名前を突然出された時には、流山にはすでに冬馬の息が掛かっており、こちらの動きを警戒されたのではないかと眉を顰めた。
だが、ならば春継ではなく冬馬について言及する、あるいは、夏柊の息子ではないかと問い質すほうが自然である。
それ以前に、馬鹿正直に高柳家と関係があるだろうと尋問すること自体があり得ない。脅して手を引かせるにしても、警察ならもっとうまくやるだろう。
流山の意図が把握できなかったが、ひとまずこちらの情報をどれだけ掴んでいるのかを確かめ、今後の出方を考えなければならない。
だから、当たり障りなく、
『はい。確かに春継は僕の祖父に当たります。ただし、僕の父親は祖父と絶縁したので、顔も知らない状態ですが』
、と答えたのだ。
すると、流山は「今夜駅前のジョニーズに来い。そこで真琴さんの情報をやる」と告げて電話を切った。
――流山はコーヒーを黙々と啜っていたが、向いの席に着くとしばしの沈黙ののち、「……話がある」と重々しい声で呟いた。
「駆け引きをする気は欠片もないし、義姉と関係があったのかと責める気もない。君にもそんな時間はないはずだ。頼む。君が知り得る限りの高柳家の情報をくれ。代わりに真琴さんの救出に全力を尽くすと約束する」
なぜ流山に高柳家の情報が必要なのかと内心首を傾げる。不信感からひとまず距離を取り、流山の手の内を探ろうとした。
「そう言われましても、電話で申し上げたように、僕の父は勘当されています。それから接触を持っていなかったので、高柳家のことはほとんど知りません」
「いいや、そんなはずはない。君は春継氏の遺産の一部の相続を持ち掛けられただろう。だが、あっさり放棄しているな。若い男なら喉から手が出るほどの大金だったはずだ。なぜ惜しげもなく手放した」
「……」
「それに、この街に来たのはなぜだ。何かを調べるためなんじゃないか。君の両親はもう亡くなっているそうだな。警視庁はさっさと事故で処理したようだが、当時君の義父は言い掛かりに近い理由で、勤め先をクビになり掛けていた。高柳家の圧力だったんじゃないか」
真之と月子の心中を疑われているだけではなく、すでに徹底的に洗い上げられているらしい。だが、なんのためにそうするのかがわからなかった。
あらためて流山の目を見てはっとする。なぜ会ったことがあると感じたのかを悟ったからだ。
「……流山さん、勘違いでしたら申し訳ございません。流山さんの亡くなった彼女は、高柳家と関係があったのでしょうか?」
そう、流山の目は鏡で見る自分のものと同じだった。命より重い何かを切望し続け、なのに手に入れられず、結果、絶望を昏い光に変え、その瞳に湛えている。
流山は溜め息を吐くと、テーブルの上に手を組んだ。
「こっちも隠していても仕方ないな。時任から聞いただろうが、俺には十二年前葉月って彼女がいて……いずれ結婚するつもりだった」
葉月は地元の大学に通う四年生だった。高柳産業の系列会社にアルバイトに入り、そこでまだ存命だった春継と出会った。春継は葉月の真面目な仕事ぶりを気に入り、卒業後は正社員にしてやると約束していたらしい。
当時就職活動をしていた葉月は、このアルバイトをやってよかったと、恋人の流山にデートで語った。流山もいい縁ができたなと喜んでいた。
ところが、葉月は一ヶ月後忽然と姿を消し、流山の必死の捜索にもかかわらず、半年後に白骨遺体となって発見された。
「失踪した日、アルバイト先に呼び出されたから、デートは別の日にお願いって連絡があって……それっきりだ」
当然捜査本部が立ち上げられ、流山も葉月の当日の言動を証言し、春継の取り調べを求めたのだが、春継は証拠がないからとあっさり釈放された。ならばと高柳家の家宅捜索を主張したものの、十分な根拠がないと却下された。
葉月の目撃情報はいくつもあり、そのすべてが高柳家、あるいは春継に関わっていた。なのに、本部はろくに捜査することもなく、未解決のまま解散させられたのだ。
以降、流山は蛇のように執念深く高柳家を見張り、春継の別件逮捕の機会を狙っていた。しかし、疑われるのには慣れているのか、春継はなかなか尻尾を出さない。そうこうするうちに死んでしまい、あの世にまで逃げてしまった。
「……なぜ葉月が死ななければならなかったんだ? どうしてもそれを知りたいんだ。そして、あの男が守り続けてきたものを、踏みにじらなければ気が済まない」
その一心で続いて冬馬に張り付き、高柳家の失脚の機会を狙ってきた。そして、十二年後になって、絶好の機会が巡って来たのである。
「真琴さんの事件も高柳家が関わっている。だが、県警はこの通り当てにならない」
流山の姿が自分に重なる。
だが、双方には絶対的な差があった。
すでに愛する者を失った者と、まだ失っていない者と。真相の追求と復讐に燃える者と、何よりも愛する者を救いたい者と。
それでも、流山は強力な協力者になると確信する。
「……わかりました。できる限りお話します」
流山の瞳の光がわずかに明るくなった。
「ありがとう……」
まず、なぜ両親の事故死を疑うことになったのか、そのきっかけはなんだと問われる。
「義父の形見のパソコンに母の写真があったんです。義父があの頃精神的に不安定だったのは、理不尽に解雇されかかっていたからだけじゃない。母のあの写真を受け取ったからだと思います」
「あの写真?」
「……人には見せられないものです」
詳細は伏せたものの、流山はその説明だけで、おおよその想像がついたようだった。
若かりし頃の月子の何枚もの写真――当時中学生の子どもすら、その異常さには息を呑んだ。
足首を犬のように鎖に繋がれ、ただ泣いているまだ少女の月子。何者かに座敷で陵辱される二十歳頃の月子。しどけない姿で中空をぼんやり眺める月子――
最後の写真がもっとも扇情的に見えたのは、絶望の果てにすでにその目が光を映さず、陵辱されるだけの肉人形と成り果てていたからだろう。
男の劣情で壊された女は美しいのだと、この時吐き気とともに思い知った。みずからも男だからこそ理解できてしまった。
ちなみに、月子が過去について語ったことは一度もない。「お父さんと結婚する前ってどうだったの?」と尋ねても、「大人しくておうちで遊んでばかりだったわ」と、困ったように微笑んで答えるばかりだった。語れるはずがなかったのだ。
「どこの誰があんな写真を送り付けてきたのかを調べました。ですが、義父は写真以外のデータを削除していてわからなかった」
ならばと高校に進学して以降は投資で金を稼ぎ、真琴には友人との旅行などと嘘をついて、この街に何度も出向いて月子の過去を探った。
月子が施設出身だと知ったのは、月子と親友だった女性を探し当てたからだ。この女性は高木愛子といい、やはり施設で育っていたが、十八歳で就職し、結婚して以降は、平凡な主婦となっていた。
愛子は会うなり「まあ……」と絶句し、「月子ちゃんそっくり」とはらはらと涙を流した。
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