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そうだ、結婚しよう(1)
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夜八時のダイニングキッチンはやけに広く寒そうに見える。面積は六帖程度のはずなのだが、きっと久々に一人きりで食事をするからだろう。
「さてと、乾杯するとしますか」
真琴はいつもの自分の席に腰掛け、テーブルに置かれたワインボトルを手に取った。
今日はお祝いだからと奮発して、デパ地下で三千円のワインを買った。それだけではなく生ハムやスモークサーモンのベーグル、シーザーサラダも入手し、来客用の小皿に丁寧に並べてある。
これくらいの贅沢は許されるよねと、誰にともなく言い訳をしながら、何年振りかに使うコルク抜きを手に取った。しかし、栓を取るのにはコツがいるようで苦戦する。
「ねえ、薫、開けてよ」
振り返ってここにいない器用な義弟を呼び、「あ、そうだった」と溜め息を吐いた。
義弟は、薫は同じゼミの同級生と卒業パーティを楽しんでいる最中だ。一次会のみで終わるはずもないだろうから、もしかすると今夜は帰らないのかもしれない。
(女の子をどこかに連れ込んだりなんかしたりしてね。あの子ももうすぐ二十三歳なんだし)
うんうんと頷きつつどうにかコルクを抜く。
母親代わりとしては寂しくはあったものの、さすがに成人した薫の恋愛まで、把握し管理する気はなかった。
(……私も過保護から卒業しなくちゃね)
本人は恋人などいないと言ってはいたが、そうなってもまったくおかしくはない。
中学二年頃までは小柄で華奢で、むしろ可愛い少女に見えたものだが、十五歳からぐんぐん背が伸び男らしくなり、現在はなんと一八一cmになった。真琴より二十二センチも高い。
亡き義母に似た涼しげな目元の整った顔立ちは、眼鏡をかけると一層引き立ち、我が義弟ながらなかなかの美形だと感心していたものだった。
卒業式でのスーツ姿も身内贔屓だとは思うが、数いる卒業生の中でもっとも栄えて見えた。薫のクールなイメージにネイビーはよく合い、長い足をよく引き立てていた。
その姿に「モデルにもなれるわ」と親バカ……ではなく、姉バカを一人爆発させていたのだった。
そう、本来であれば義母が腰掛けていたはずのその席で、真琴は薫が卒業証書を受け取るさまを見守っていた。
(きっと天国のお義母さんも喜んでいるよね)
ワインをグラスに注ぎ「乾杯」と宙に掲げる。一口含むと口内に爽やかな香りが広がった。飲みやすさに釣られて一杯、二杯、三杯と煽る。食事も進み瞬く間に小皿は空になった。
死に際でもないのに脳裏で走馬灯が回り、これまで義母に代わって出席してきた、薫の卒業式のシーンがいくつも過る。中学校、高校、そして今日の大学――
(そっか。これでお役御免なんだな)
ほろ酔いでグラスを揺らしながら、センチメンタルな気分になって溜め息を吐いた。
真琴と薫は義理の姉弟である。真琴が十四歳、薫が十歳の頃に、それぞれの父と母が子連れで再婚したのだ。
なさぬ仲ながらも義母らとの関係は良好で、家族四人で幸福に暮らしていたのだが、その生活はたった三年で打ち切られることになった。両親が自動車の自損事故でそろって亡くなったからだ。
それによって得た望みもしなかった二人の保険金は、自宅のローンの返済と薫の学費にあて、真琴自身は高校卒業後に就職して家計と家事を担い、今日にいたるまで薫を育ててきたのである。
苦労しなかったとは言わないが、今となってはすべての思い出が愛おしかった。
幸い薫は飛び抜けて出来がよく、中学、高校を優秀な成績で卒業し、名門かつ高偏差値が必要なK大へ入学。おまけに大学四年で司法予備試験と本試験に合格している。なんでも検察官になるつもりなのだそうだ。昔からミステリー小説が好きだった薫らしい選択だと思う。
十二月からは司法修習の導入修習とやらが始まり、来年には実務修習だかで地方へ行くと聞いているので、それまでにはこの家を出て行くのだろう。
(これから私はどうしようかな……)
仕事に生きるのも悪くはないと思うが、それだけでは少々味気ない気がした。薫が抜けることでぽっかり空くであろう、心の穴を誰かと寄り添うことで埋めたかった。
しかし、この十年薫の面倒を見るのに必死で、半ば女を捨てていたからか、たった一人だけ付き合った元恋人には、四年前交際開始一年の時点で振られている。「二十代なのに所帯じみた女は嫌だ」と言われて。
以来、恋愛そのものに嫌気が差し、独り身を通してきたのだが、そろそろ自分の人生を考えた方がいいのかもしれなかった。
だが、まだ義姉……というよりは、母親気分が抜けきっていないのか、どうも積極的な気分になれない。
(まさか、空の巣症候群? まずい。このままだと鬱になっちゃう)
無理矢理にでも動いた方がいいのかもしれないと、テーブルの上で両の拳をぐっと握り締める。
とはいえ、二十代後半で恋愛を一から始めるのはきつい。この際すべての過程をすっ飛ばして結婚にまで持って行きたかった。
(となると、まず私がすべきことは……婚活! 結婚相談所に登録してお見合いだ!)
「そうよ」と頷き天井を見上げる。
(で、首尾よく相手を見つけて、三十になる前に入籍!)
更に、決意をかためるために高らかに宣言した。
「よし! 決めた! 結婚する!」
直後に、ダイニングキッチンのドアが開けられ、「……結婚?」と聞き慣れた声がしたのでぎょっとする。
「義姉さん……結婚ってどういうことだ?」
なんと、女子とラブホにしけこんでいるはずの(?)薫だった。上着を腕にかけこちらを凝視している。
先ほどの痛々しい言動を目撃されていたのだろうか――慌てふためきさらに挙動不審になってしまった。
「えっ、ちょっと、なんでここにいるの!?」
壁掛け時計の針の示す時間はまだ九時である。二次会を途中で抜け出したのだろうか。
「なんでって俺は家に帰っちゃいけないのか」
眼鏡のレンズの向こうにある切れ長の目がなぜか怖い。いつにない射るような眼差しに、真琴は何事かとたじろいだ。
「いけなくはないけど……」
同級生らとの付き合いはどうなるのか――そう尋ねる前に薫が再び口を開く。
「それより、義姉さん、結婚するのか? ……相手は誰だ?」
「さてと、乾杯するとしますか」
真琴はいつもの自分の席に腰掛け、テーブルに置かれたワインボトルを手に取った。
今日はお祝いだからと奮発して、デパ地下で三千円のワインを買った。それだけではなく生ハムやスモークサーモンのベーグル、シーザーサラダも入手し、来客用の小皿に丁寧に並べてある。
これくらいの贅沢は許されるよねと、誰にともなく言い訳をしながら、何年振りかに使うコルク抜きを手に取った。しかし、栓を取るのにはコツがいるようで苦戦する。
「ねえ、薫、開けてよ」
振り返ってここにいない器用な義弟を呼び、「あ、そうだった」と溜め息を吐いた。
義弟は、薫は同じゼミの同級生と卒業パーティを楽しんでいる最中だ。一次会のみで終わるはずもないだろうから、もしかすると今夜は帰らないのかもしれない。
(女の子をどこかに連れ込んだりなんかしたりしてね。あの子ももうすぐ二十三歳なんだし)
うんうんと頷きつつどうにかコルクを抜く。
母親代わりとしては寂しくはあったものの、さすがに成人した薫の恋愛まで、把握し管理する気はなかった。
(……私も過保護から卒業しなくちゃね)
本人は恋人などいないと言ってはいたが、そうなってもまったくおかしくはない。
中学二年頃までは小柄で華奢で、むしろ可愛い少女に見えたものだが、十五歳からぐんぐん背が伸び男らしくなり、現在はなんと一八一cmになった。真琴より二十二センチも高い。
亡き義母に似た涼しげな目元の整った顔立ちは、眼鏡をかけると一層引き立ち、我が義弟ながらなかなかの美形だと感心していたものだった。
卒業式でのスーツ姿も身内贔屓だとは思うが、数いる卒業生の中でもっとも栄えて見えた。薫のクールなイメージにネイビーはよく合い、長い足をよく引き立てていた。
その姿に「モデルにもなれるわ」と親バカ……ではなく、姉バカを一人爆発させていたのだった。
そう、本来であれば義母が腰掛けていたはずのその席で、真琴は薫が卒業証書を受け取るさまを見守っていた。
(きっと天国のお義母さんも喜んでいるよね)
ワインをグラスに注ぎ「乾杯」と宙に掲げる。一口含むと口内に爽やかな香りが広がった。飲みやすさに釣られて一杯、二杯、三杯と煽る。食事も進み瞬く間に小皿は空になった。
死に際でもないのに脳裏で走馬灯が回り、これまで義母に代わって出席してきた、薫の卒業式のシーンがいくつも過る。中学校、高校、そして今日の大学――
(そっか。これでお役御免なんだな)
ほろ酔いでグラスを揺らしながら、センチメンタルな気分になって溜め息を吐いた。
真琴と薫は義理の姉弟である。真琴が十四歳、薫が十歳の頃に、それぞれの父と母が子連れで再婚したのだ。
なさぬ仲ながらも義母らとの関係は良好で、家族四人で幸福に暮らしていたのだが、その生活はたった三年で打ち切られることになった。両親が自動車の自損事故でそろって亡くなったからだ。
それによって得た望みもしなかった二人の保険金は、自宅のローンの返済と薫の学費にあて、真琴自身は高校卒業後に就職して家計と家事を担い、今日にいたるまで薫を育ててきたのである。
苦労しなかったとは言わないが、今となってはすべての思い出が愛おしかった。
幸い薫は飛び抜けて出来がよく、中学、高校を優秀な成績で卒業し、名門かつ高偏差値が必要なK大へ入学。おまけに大学四年で司法予備試験と本試験に合格している。なんでも検察官になるつもりなのだそうだ。昔からミステリー小説が好きだった薫らしい選択だと思う。
十二月からは司法修習の導入修習とやらが始まり、来年には実務修習だかで地方へ行くと聞いているので、それまでにはこの家を出て行くのだろう。
(これから私はどうしようかな……)
仕事に生きるのも悪くはないと思うが、それだけでは少々味気ない気がした。薫が抜けることでぽっかり空くであろう、心の穴を誰かと寄り添うことで埋めたかった。
しかし、この十年薫の面倒を見るのに必死で、半ば女を捨てていたからか、たった一人だけ付き合った元恋人には、四年前交際開始一年の時点で振られている。「二十代なのに所帯じみた女は嫌だ」と言われて。
以来、恋愛そのものに嫌気が差し、独り身を通してきたのだが、そろそろ自分の人生を考えた方がいいのかもしれなかった。
だが、まだ義姉……というよりは、母親気分が抜けきっていないのか、どうも積極的な気分になれない。
(まさか、空の巣症候群? まずい。このままだと鬱になっちゃう)
無理矢理にでも動いた方がいいのかもしれないと、テーブルの上で両の拳をぐっと握り締める。
とはいえ、二十代後半で恋愛を一から始めるのはきつい。この際すべての過程をすっ飛ばして結婚にまで持って行きたかった。
(となると、まず私がすべきことは……婚活! 結婚相談所に登録してお見合いだ!)
「そうよ」と頷き天井を見上げる。
(で、首尾よく相手を見つけて、三十になる前に入籍!)
更に、決意をかためるために高らかに宣言した。
「よし! 決めた! 結婚する!」
直後に、ダイニングキッチンのドアが開けられ、「……結婚?」と聞き慣れた声がしたのでぎょっとする。
「義姉さん……結婚ってどういうことだ?」
なんと、女子とラブホにしけこんでいるはずの(?)薫だった。上着を腕にかけこちらを凝視している。
先ほどの痛々しい言動を目撃されていたのだろうか――慌てふためきさらに挙動不審になってしまった。
「えっ、ちょっと、なんでここにいるの!?」
壁掛け時計の針の示す時間はまだ九時である。二次会を途中で抜け出したのだろうか。
「なんでって俺は家に帰っちゃいけないのか」
眼鏡のレンズの向こうにある切れ長の目がなぜか怖い。いつにない射るような眼差しに、真琴は何事かとたじろいだ。
「いけなくはないけど……」
同級生らとの付き合いはどうなるのか――そう尋ねる前に薫が再び口を開く。
「それより、義姉さん、結婚するのか? ……相手は誰だ?」
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