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第一話「月の光と胸の痛み」

027.クマ男は語る(6)

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――いよいよ明日マーヤを発ってしまう。

 受付のエリカお姉さんとも、宿屋のおかみさんとも、食堂の料理人のおじさんとも、戦士のクマ男とも、みんなみんなお別れだ。この街で出会った優しい人たちだった。たくさんの温かい手や笑顔を思い浮かべて、私はどうしても寂しくなってしまう。その中でも私はクマ男が頭から離れなかった。

 クマ男はあの日胸の中に残る夢の欠片を、「ちっぽけな悩みだ」と言っていた。「よくあることだ」とも言っていた。ちっぽけで、よくあることだったら、どうでもいいことになってしまうんだろうか? 放っておかれても、忘れられてもいいことになってしまうんだろうか? どうして……どうしてこんなに心が痛むの?

 私はなんとなくでも答えが欲しくて、宿屋の窓辺に腰掛け夜空を見上げる。雲一つない背景にまん丸のお月様が浮かんでいた。今夜は私が一歳になって初めての満月だ。真月(しんげつ)と呼ばれる大きな月に、添え月と呼ばれる小さな月が寄り添っている。お日様はひとつしかないのに、お月様はふたつあるから不思議だ。私は小さなころから満月の夜には心が騒ぐ。名前がお月様から来ているからなんだろうか。

「ルナ、どうした?」

 明日の準備を終えたクルトが、窓のさんに手を掛けた。後ろに結んだ長い金の髪が、肩からさらさらと流れ落ちる。

「月を見ているのか」

 私は「うん」と頷き二つの満月のうちの、小さなひとつに目を向けた。

『なんだかざわざわするの』
「ざわざわ?」

 クルトはまず私を、次に月を見て、「そうか」とほほ笑みながら呟いた。

「月の光には微量だが魔力が含まれているからな。特に満月の夜には二つの月が影響し合い濃度が多少高くなる。お前もその魔力を吸い込み反応するんだろう」

 魔物とは人間以外の魔力を持った動物や植物だ。その中でも私のような身体の小さな猫科や植物の魔物は、自然の大気に含まれる魔力にも影響を受けるんだそうだ。

『じゃあクルトはなんともないの?』
「そうだな、少しくらいは感じるが」

 青空色のふたつの瞳に満月がうつる。

「こうして月を眺めたのも久しぶりだ」
 
 私は少し元気になって、ムン!を胸を張りクルトに尋ねた。

『お月様、とってもきれいでしょ?』
「ああ、そうだな」

 クルトはまぶしそうに目を細める。

「……きれいだな」

 なんだかとっても嬉しくなって、私は頭をクルトの胸にこすりつけた。クルトは私の背中を撫でながら、「そう言えば」と不思議そうな口調になる。

「よくあの剣がフーゴのものだとわかったな」

 私はクマ男の名前を聞き、またしゅんとなってしまう。

『うん……。だって、鞘の先のキズが同じだったから』

 はじめてクマ男に会った日に食堂でご飯を食べたあと、ケンもオロロンのクルトに帰るぞと言われて、クマ男が気になりながらもカウンターから飛び降りた。そこでクマ男が立てかけていた剣の先が目に入ったのだ。ふつうの戦士の持つ剣の鞘は、すぐに痛んで変える人が多い。鞘はそんなに高くはないからだ。けれどもクマ男の剣の鞘は違った。先の細かい傷まできれいに直されていて、いくつかは自分でやったものだった。

『鞘まで大切にしている人は、そんなにないから覚えていたの』

 クルトは静かに私を見つめていけれども、やがてその瞳の光を和らげまた月を見上げた。

「そうか、小さいから見えるものがあるのか……」
「……?」
「ルナ、お前には教えられることがたくさんある」

 な、なんだかわからないけど、役に立ったのならよかったにゃ?

 クルトは腰を屈め私に顔を近づけると、「言い忘れていたな」と目を覗き込んだ。

「やはり、明日もう一度古道具屋へ行くことにした」
『えっ……』
「宿屋も延泊を頼まなければならない。明日おかみに言っておいてくれるか?」
『……!!』

 私はクルトがクマ男の願いを叶えるつもりなのだと知った。心がぱっと明るくなり嬉しさに任せクルトの胸に飛び込む。

『ありがとう!!』

 クルトは「お前の仲良しだからな」と苦笑している。

「それにあの杖を二〇ゴールドでというのは気が引ける。少しでも借りを返さなければ……」
『あの杖はそんなにすごいものなの? ほんとうはいくらなの?』

 首を傾げる私にクルトはしばらく宙に目を泳がせたのち、「小国の国家予算ほどは……」と答えた。

『え、ええっ!?』

 こ、コッカヨサン!?

「それでも足りないかもしれない。だが、フーゴは信じもしなければ、こちらの有り金を受け取りもしなかったからな……。その魔術師はいったい何者だったのか……」
 
 クルトは私を胸に抱き直し、窓辺にゆっくりと腰を掛けた。何かを探し求めるかのように、再び二つの月に目を向ける。私もクルトの見るものを追った。その夜の二つのお月様は淡い銀に光っていた。まるで寄り添い合うように優しく穏やかに。

――そう、深夜にワイバーンが前触れもなく、マーヤに飛来するまでは。
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