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36.紳士の皮を被った悪魔

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「ではしっかり見ておいてくださいね」

 まずは見本を……っということで、エドワードとキャロラインが踊ってみせてくれる。

 二人の流れるような動きから目が離せない。踊りが終わった時、自分が息をするのも忘れていたことに気がついた。慌てて息を吸い、二人に大きな拍手をおくる。

 さて次は私の番だ。まずは簡単なステップからスタートして、徐々にルベルアップしていく。

 全神経を足元に集中していたので気がつかなかったけど、なんだってこんなにギャラリーがいるんだろう? さっきのお茶会の時より侍女の数が倍以上増えている。

 皆の目当てがエドワードであることは分かっていても、こうも人が多いとやりにくい。こんな大勢の侍女達に、私の無様なステップを見られるのは結構辛いものがある。

「ステップも覚えられたようですし、そろそろわたしの出番ですね」
 それまで黙って私とキャロラインの様子を見ていたエドワードが立ち上がった。

「ではキャロライン、皆を連れて出ていってもらえるかな? こんなに大勢に見られながらでは、アリス様も緊張されるでしょう」

「そうですわね」
 膨れあがったギャラリーを見て、キャロラインが苦笑しながらうなずいた。

「ではお兄様、アリス様をお願いします」

「大丈夫だよ。手取り足取り教えてあげますから」

 そう言って私の肩を抱くように引き寄せたエドワードを見て、部屋は侍女達の興奮した叫びで溢れかえった。

「では、はじめましょうか」

 ギャラリーのいなくなった部屋は急に静かになり心細さを感じる。

 相変わらず冷めた視線で私を見るエドワードと二人きりなんて、居心地の悪さが半端ない。それでも逃げ出すことなどできるはずもなく、よろしくお願いしますと頭を下げた。

「右手はこの位置に。そう、それで左手は私の腕に置いて……」
 エドワードの手がすっと私の腰にまわされた。

 うわぁ。ダンスのためだと分かっていても、これは非常に緊張する。一瞬にして体がガチガチに固まってしまった。

「じゃあ早速踊ってみましょうか」

 リズムをとりながら足を動かす。ステップは特別難しいわけではないけれど、油断するとエドワードの足を踏んでしまいそうで怖い。とにかく集中集中……っと突然エドワードが足を止めた。

「アリス様、足元ばかり見ず顔をおあげください」
 エドワードに言われて顔をあげると、綺麗なグリーンの瞳が私を見つめていた。

「そうです。その調子です。このままわたしから目をはなさないで」
 エドワードが再びリズムをとり始める。

 目を離さないでと言われても、こんな至近距離でこんなイケメンを見つめ続けるなんて到底無理な話だ。

 さりげなく視線を少しだけ下げてみる。とたんに、「アリス様」っと色気のある甘い声が私の名を呼ぶ。仕方なく顔をあげるとエドワードが小さくうなずいた。

「そうです、いい子ですね」

 目をそらすことを許されぬまま踊り続けること数十分、さすがに足が疲れてきた。離れて見るイケメンは目の保養になるけれど、この距離でイケメンに見つめ返されるというのは拷問だ。緊張で吐き気はしてくるし、体は固まるし、いい事なんてひとつもない。

 体の力を抜くようにと何度も言われたけれど、ガチガチになってしまった体からどうやったら力がぬけるのかが自分でも分からなくなってしまった。それでもぎこちなさはあるものの、始めた頃に比べればダンスっぽくはなってきた。

「少し休憩しましょうか」
 よかった、なんとかエドワードの足を踏まずに踊り終えることができた。

 いつまでもエドワードに密着しているのも嫌なので少し距離をとろうとするが、右手はまだ繋がれたままだ。

「エドワード様、手を……」
 離して欲しいのに、なぜだかエドワードの手に力が入った。

 手を握り締められたまま、エドワードにじっと見つめられると心拍数が高まってくる。

 な、なんなのこの雰囲気は。

「よくがんばりましたね。だいぶ上達しましたよ」

「あ、ありがとうございます。エドワード様のおかげです」

 エドワード様ってこんな優しい表情もできるんだ……今までの冷たい表情がふっとやわらいだのを見て、心臓がドキっと大きな音を立てる。

「ではお礼をいただいてもよろしいですか?」
 そう言ってエドワードが熱のこもった瞳で私を見た。

 繋がれたままの手がぐいっと引かれ、少し距離をとっていた体が再びエドワードに密着してしまう。

「エド……ワード様?」
 驚く私の頬にエドワードの手が触れた。

 これはまずい。まずすぎる展開だ。

 手を振り払って逃れようとするが、背中を抑えられて離れることができない。

「は、離してください!!」

「嫌だと言ったら?」
 エドワードの囁くような甘い声に恐怖を感じた。

 もしかしてキスするつもり!? そんな馬鹿な。エドワードのような素敵な男性が私とキスしたいと思うわけないじゃない。私が自意識過剰すぎるだけよ!!

 そう思いながらも、頭の奥がビシバシと危険信号を放っている。逃げようと思ってジタバタしても、体を押さえられてエドワードから離れられない。

 頬に触れていたエドワードの手が動き、親指が私の下唇に触れた。ゆっくりと私の唇をなぞる指の感触に、嫌悪感からザワザワと鳥肌が立ってくる。

 嫌だ、気持ち悪い!!

 これ以上触られるなんてごめんだ。体が逃げれないなら、とりあえず顔だけ逃げればいい。キスされてなるものかっという思いで、顔をブンっと思い切り下に向け振った。

「だから、離してって言ってるでしょ!!!」

 運がいいのか悪いのか……
 顔を振った拍子に勢いあまって前のめりになってしまった私は、エドワードの胸に盛大な頭突きをかましてしまった。

「うっ」
 エドワードの口から苦しそうな声が漏れる。

「ごめんなさ……」

 思わず謝まりかけたが、よく考えたら悪いのはエドワードの方だ。稀代のモテ男だかなんだか知らないけど、いきなり唇に触るなんてただのスケベじゃないか。怒りにも似たような感情がふつふつとわいてくる。

「いってーな。いきなり頭突きって……お前はヤギかよ」
 胸部を押さえながらエドワードの吐き捨てた言葉に耳を疑う。

 今のって……まさかエドワード様が言ったの?

「全く……俺に手を握られて喜ばなかったのは、お前が初めてだぞ」

 やっぱり間違いなくエドワードの口から出た言葉のようだ。さっきまでの丁寧な口調とはうってかわり、いきなりガラが悪くなってしまったエドワードをぽかんと見つめるしかできない。

 まさか私の頭突きが原因で変なスイッチが入ってしまったのだろうか? いわゆる二重……

「言っとくが、二重人格じゃねーぞ」

「えっ、何で……?」

「お前みたいなお子様の考えはお見通しなんだよ」
 馬鹿にしたようにエドワードが笑った。

「えーっと……エドワード様……ですよね?」

「他に誰に見えるってんだ」

 どうしよう……全く頭がついていかないんですけど……二重人格じゃないのなら、どうしてそんなにガラが悪くなっちゃったのよぉ。

「どうして……?」

「どうしてって、猫被ってたに決まってるだろ。こっちが素なんだよ」

「猫……ですか?」

「そっ。俺はこの通りの色男だからな、紳士的に振る舞った方が色々得なわけよ」

 まぁ確かに。エドワードのこの美しい見た目にこのガラの悪い口調は全く似合わない。
 にしても猫って……一体何匹かぶったら、あんな紳士が出来上がるのだろう。

「キャロラインですら素の俺を見たことないんだからな。貴重なものを見せてもらったことに感謝しろよ」

 そんなこと言われても、素直に感謝なんてするわけがない。できれば私にも知らせないままでいてほしかった。

「なんでキャロライン様ですら知らない素の姿を、私に見せたんですか?」

「そりゃ……お前が特別だからに決まってるだろ」

「えっ、それってどういう……」
 私を見つめるエメラルドグリーンの瞳があやしくきらめいて思わずドキリとする。

 特別って……まさか本当にエドワード様は私の事を好きだとか? だからキスしようとしたのかしら?

 あまりにも不慣れな状況に言うべき言葉が見つからない。そんな私を見てエドワードがおかしそうに声を出して笑った。

「冗談に決まってるだろ。頭突きされたことなんて生まれて初めてだったからな……驚いてつい素に戻っちまっただけだ」

 エドワードが笑うのをやめ、私の顔を覗きこんだ。

「まさか俺がお前の事を好きだとか思ってたんじゃねぇよな?」

「そっ、そんなこと思ってません」

 慌てて否定したけど、図星だったことはエドワードにはバレバレだろう。エドワードは再び声をあげて笑い出した。

 信じられない。この人は見てくれがいいだけで性格最悪の悪魔だ!!

「冗談真に受けて赤くなるなんて、まだまだだな」

「これは怒りで赤くなってるんです!!」

 笑いすぎて涙が出たのか、目元を軽く押さえている美形悪魔を、私のあらんかぎりの力を使って全力で睨みつけた。
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