くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

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カテドラル

#71 すべての瓦礫に刻まれたすべての瑕(きず)

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 プーティーウィッ、という音とともに私は覚醒した。小鳥の唄声だった。姿は見えなかった。あの爆発でどうやって生き残ったのかそもそもどうして地下室まで鳴き声が届いたのか。とにかくそれが目覚ましになったんだ。
 酒場の地下室は半分崩落しており私と未亡人は何とか巻き込まれずに済んだ。運がないのはやはりというかのっぽ・・・の戦友だった。瓦礫に片脚を潰されてしまい麻酔なしでその場で切断する必要があった。視力も二度と回復しなかった。本当に不運な奴だと私は呟いた。そういうものさと奴は返答した。

 傷口の焼灼を終え痛みで気絶した戦友を背負い私は立ち上がった。店にいるよう未亡人を説得すると彼女はピアノを運んでくれた感謝の印としてブランカ酒を二本持たせてくれた。私は礼を述べて深く頭を下げた。この先の人生において酒が必要になる事態はそれこそ星の数ほど訪れるであろうことは外に出る前からすでに予測がついていた。

   □

 後で知ったことだが我々は半日以上も気絶しており外界に出たのは明くる日の正午だった。それより前に街に出るのは旋風のように駆け巡る火焔のためにどちらにしろ困難だった。天球は真っ黒い煙に覆われていた。二度と青空を拝むことはできないのではないかと思われた。煙のなかにまるで針で突ついたみたいに小さな白っぽい穴があったがよく見るとそれは太陽だった。今にも雨が降りそうなほどに薄暗かった。街は鉱物以外に何もない月の表面を思わせた。街路にはいくつもの黒焦げになった丸太まるたが転がっていた。それらはつい先日まで塹壕を掘ったり炊き出しの料理を作ったりしていた働き者の丸太であった。

 親鳥が落っことした魔鉱兵器は街の郊外でその力を解き放った。ゆえに爆発のグラウンド・ゼロから離れた街区ほど損傷は少なく完全な月面と化した市街との間でなだらかなグラデーションをなしていた。瓦礫と灰塵と溶けたガラスが一緒くたになって丘のような起伏が無数に出来上がっておりこの星に新たな山脈でも生まれたのかと錯覚した。私は口をあんぐりと開けて周囲を見渡していた。少なくともその頃の私には街ひとつが一晩で廃墟と化す程度の出来事で驚愕できるだけの感受性がまだ残っていたわけだ。

   □

 部隊と合流した私はのっぽの戦友を軍医に預けると被害確認のために街に出た。部隊長も一緒だった。彼はいつもの二倍の量の噛み煙草を包み紙から取り出して口に放り込んだ。普段は煙草を節約している私もこの時ばかりはヘビー・スモーカーの仲間入りをしていた。そうでもしないと立ち込める臭いに我慢ならなかったからだ。

 部隊長は歩きながら云った。
 上からの指令が途絶えた。狙われたのはここだけじゃないらしい。今ごろは国中が火の海だろうな。
 苦労して取り返したのにそれですか。
 何千万人が死につつあるのかさっぱり分からん。生き延びられたとしても煙草を愉しめるのはあるいはこれが最後やもしれんぞ。
 これからどうするんです?

 部隊長はそれには答えずに手近な建物を覗きこんだ。買い物かごみたいな骨組みだけとなった鉄屑がいくつかあり黒焦げになった大小さまざまな丸太が転がっていた。そこは託児所であり鉄屑の正体はベビーカーだった。我々は顔を見合わせてから再び歩き出した。

   □

 途中でちょっとしたいさかいに出くわした。ぼろぼろの軍服を着た男達が壁際にうずくまっており何十もの市民が取り囲んで石を投げつけたり棒で叩いたりしていた。軍服は敵国、――すでに敵という言葉が過去のものになっているのを私はうっすらと感じつつあったがとにかくその服はやっこさんのものだった。先の攻防戦で我々が捕らえた捕虜であった。

 部隊長が生き延びた市民の群れの中へと押し入った。いくつかの押し問答と荒々しい呼吸が挟まれた。そのうち市民が泣き出したので隊長が彼の肩を叩き噛み煙草をひとつまみその手に握らせた。

 人手がいるんだ。ちょうどいい。こいつらを使おう。
 隊長は向こうの言葉で捕虜に話しかけた。捕虜らは両手を挙げたまま恐るおそる立ち上がった。よく見るとまだ十代の若者だった。顔が煤で汚れていて分からなかったがあどけなさを残していた。それに気づいた市民は目をそらして散ってしまった。

 我々と捕虜は月面の上を歩き出した。彼らが無事だったのは臨時の捕虜収容所として徴用された屠殺場の地下貯蔵室に放り込まれていたからだった。密閉されており頑丈で即席の防空壕よりもよほど堅牢だった。見張りの兵士はどうしたんだと部隊長が訊ねると街の惨状を目にして途方に暮れ捕虜らを置いて何処かへと逃げたという。

 我々は幾つか街区を切り抜けたあと看板を頼りに一つ目の防空壕に辿り着いた。隊長が再生機を起動させその壕に十数人の市民が逃げ込んだことが明らかになった。入り口は完全に塞がっていた。隊長の指示を受けて捕虜らはスコップで瓦礫を取り除き始めた。

 入り口をこじ開け捕虜の一人を中に送り込んだ。彼はしばらく戻ってこなかった。地上に上がってきたときには若者の顔は真っ青になっていた。部隊長は何度かうなずきながら話を聞き追加の噛み煙草を口に含んだ。

 隊長は首を振って云った。ここは駄目だ。予想はしていたが。どれもミイラみたいになってるそうだ。
 壕が浅くて熱に耐えられなかったということですか。
 その前に酸欠で死んだのかもしれん。ものすごい熱風が吹き荒れて地上の空気がまとめて押し上げられるんだ。あるいは旋風が壕に吹き込んで生きたまま蒸し焼きにされた可能性もある。地下鉄も入り口に近いところにいた者は全員助からなかった。
 私はなるべく神妙にうなずいた。

   □

 こうして防空壕あらため死体坑の発掘が始まった。それは数日間続いた。どの壕もまるで蝋人形館のようになっていた。中には散乱した骨と緑茶色の液体が床一面を満たしているところもあった。人間が百人単位で溶けるという事態がどういう状況下で引き起こされるのか学のない私には想像もできなかった。

 作業が数日で中断してしまったのはいくつか理由があった。まず人手が足りないために死体の搬出が間に合わず街中の遺体が腐敗を始めた。壕の入り口や瓦礫の隙間から滲み出た腐敗臭が言葉のあやではなく文字通り街全体を覆った。あれに比べたら我々の占領直後の硝煙と黒煙の臭いなど風呂上がりにかれるアロマのようなものだった。我々が連れていた捕虜の若者達は懸命に作業をしてくれたが悪臭と酸欠のあまり一人が肺浮腫を起こして死んでしまった。
 加えて外部からの物資が完全に途絶えてしまった。上からの指示もなくラジオも繋がらなかった。まるで中世前期へと時代が巻き戻ったかのような圧倒的情報の孤島に人びとは放り出され流言蜚語ひごが飛び交い市民は我々の指示に従わなくなった。市民権という概念そのものが焼失したことに人びとは肌で感じ取っておりもはや助け合いなど論外になった。助けが来るという当てがあるからこそ彼らは今まで協力して戦争という名の殺し合いの応援をしていたのだ。

 結局のところ我々軍人以外で最後まで協力を続けてくれたのは奇妙なことだが捕虜の若者達だった。彼らは他には頼るものを何も持たず祖国に帰る手段もなくその祖国自体が存在しているのかも怪しかった。作業の中断後に部隊長は彼らに見張りをつけなくなったが脱走した者は一人もいなかった。

   □

 当面のことを話し合うために部隊長は我々を集めてセントラーダの大聖堂に赴いた。周囲が月面と化すなかでしぶとくその尖塔は生き残っていた。中に入ると思わずえずいてしまいそうな臭いが鼻腔に押し寄せた。聖堂の奥に通じる扉に何百という遺体が折り重なって倒れていた。その悪臭をものともせずに一人の男がひざまずいて祈りを捧げていた。

 あれって司教さんじゃないか。
 戦友の一人がそう云った。部隊長はうなずいてから彼に話しかけた。二言、三言の会話が交わされた。私は死体の山をじっと見ていた。親鳥による爆撃から逃げる際に聖堂の奥へと避難しようとしていた人びとの背中を思い出していた。
 隊長は司教をそのままにして外に出てきた。いったいここで何があったんです、と戦友の一人が訊ねた。許可なく質問すべからずという軍人の不文律を無視した振る舞いだったが隊長は咎めずに答えた。

 奴さんは一人で聖堂の地下に隠れて入り口の鍵を下ろしたんだそうだ。閉め出された連中はみんな生きたまま焼かれた。弔いのためにああして祈りを捧げているんだと。
 ――弔い? 戦友は眉をひそめて云った。罪滅ぼしの間違いじゃないですか。
 隊長は笑った。だがあの人数を収容できる空間はこの建物の地下にはない。パニックになって結局全員が死んでいただろう。あの司教はご自慢の明晰な頭脳で瞬時に決断した。それで避難民はもちろん今まで献身的に尽くしてくれたブラザーもシスターもみんな見捨てることにしたんだ。何とも合理的な判断じゃないか。

 戦友は咳払いした。まるで街中に立ち込める腐敗臭よりも鼻孔を詰まらせる物体を鼻先に突きつけられたかのようだった。捕虜の少年らは聖堂の入り口を覗きこんでは口々に何かを云い合っていた。

   □

 …………とにかくここはもう駄目だ。
 部隊長は静かに云った。駐屯地跡に戻り上からの指令が届いていないことを再確認した後だった。
 戦争はじきに終わるだろう。――これから俺達はただ命令を受けて死にに往くんじゃなく自分の頭で考えて生き延びるすべを模索しなきゃならん。一夜にして今までとは真逆の生き方をせねばならなくなったわけだ。だから無理に付いてくる必要はない。抜けたい奴は止めはせんから今ここで申し出ろ。

 誰も動かなかった。捕虜の若者達も同じだった。隊長が噛み煙草をやる咀嚼音が瓦礫の崩れる音に混じって聴こえるだけだった。我々は互いに顔を見合わせることさえしなかった。たとえ郷里に残してきた家族が灰になりつつあると知っていたとしても部隊を離れて一人で生きていくなど論外であることを全員が見せつけられていた。

 隊長はうなずいた。
 ――荷物をまとめろ。最後だからしっかり見納めておけ。諸君が命をかけて闘い抜いた、――その報酬がこの有様だ。
 
 我々はしばらく立ち尽くして周囲の月面に眼差しを配っていた。煙草を吹かしたり珈琲を啜ったりと各々に違うやり方で現実を受け止めようとしていた。散弾槍を抱えて半ば途方に暮れた我々はそのとき二十代の半ばにも達していなかった。六年前に志願したときは十代の少年だった。全員が少年のままで塹壕の中で時が静止しその頃に持っていた理想も夢もすべてが弾雨の中ですり潰されていた。子供のままでいることも大人になることも拒否された我々は虚ろな肉塊となって永劫さまようことになるのはその時点で全員が悟っていたように思う。私はこうなる前にある戦友がぽつりとこぼした言葉を頭に思い浮かべていた。真っ当な生活?

   □

 街を出る前に我々はある光景を目撃した。一羽の鳥が焼け残った子供の遺体をついばんでいた。腐敗して柔らかくなった肉にツルハシのように鋭いくちばしが幾度も突き立てられた。それはこの辺りにはいない種類の鳥であるはずだった。図鑑の中でしか見たことのないその猛禽の名称を思い出すのにしばらく時間がかかった。捕虜であった元敵国の若者が我々にも分かる言葉で云った。
 ――スカベンジャー。
 部隊長は翼を広げて肉を喰らう禿鷲の姿を見入られたように見つめていた。噛み煙草を味わう口の動きが止まっていた。我々全員も同じだった。担架に乗せられたのっぽ・・・の戦友が私に向かって呟いた。
 奴らの胃酸はめちゃんこ強烈らしい。それで腐敗した肉を食べても菌が死滅するからよほどのことがなきゃ平気なんだと。
 物知りだな。
 本で読んだんだ。
 俺達もああなるべきなんだろうな。
 腐肉を漁って暮らせってか。
 飲み込んだものを区別なく消化できるようになれってこったよ。昔のこともこれからのことも一切合財。
 ああ。
 自分が骨になるまで。
 ああ分かるよ。
 でも禿げにはなりたくないな。
 違いない。

 我々は唇を歪めて笑った。禿鷲は後から後から集まってきた。小さな身体が分解され骨になるまできれいに食べ尽くされてしまうまでの過程を黙って眺め続けていた。
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