くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

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コマーシャル・コンプレックス

#51 きれいなまま

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 フレイド少年は一階の床にできた穴を覗きこんだ。下の様子は真っ暗で窺えなかった。床に叩きつけられた際に飛び散った肉片は何とか集めて片づけることができたがそれ以上は無理だった。空っぽのテントや寝袋の散らばる地下駐車場の光景を想像した。少年はその場をぐるぐると十数分のあいだ歩き回ってから二階に戻った。
 おもちゃ屋にも顔を覗かせた。目をこすったがいくら錯覚を疑っても天井から崩落してきた梁がミニチュアの城に深々と突き刺さっているのは紛れもない事実だった。あれ以来、ここで疑り深い王様よろしく引きこもっていた少年の姿は見かけていない。つまりはそういうことだった。
 フレイドは地面に落ちていた恐竜のおもちゃを蹴っ飛ばした。
 何だってんだ、と独り言が漏れた。
 その場にふさわしい善き本からの引用は浮かんでこなかった。

   □

 洋服店に顔を出してみたが幸いにも双子の少女は吹き抜けから飛び降りていないし鉄骨に潰されているわけでもなかった。お互いを姿見として服の着せ合いっこをしていた。いつものように。だが店内をよく見てみるとそこにはトフィーがいた。彼女はそれまでフレイドにしか話していなかった魔鉱石のペンダントを胸元にしまうところだった。
 フレイドは訊ねた。
 三人してどうしたんだ?
 別に、とトフィー。衣装発表会に付き合わされてただけ。
 へえ。
 あなたこそどうしたの。
 ついこの間まで一緒に飯を食べて生活していた仲間を弔おうと格闘していたところだよ。手伝えとまでは云わんが祈りを捧げる時間くらいは割いてやっても罰は当たらないんじゃないか。
 トフィーは目をそらして顔をうつむけた。メイラとリッサはそもそも話を聞いていないようだった。互いのことしか見えていない。見ようともしない。
 ……悪かったわよ。トフィーは呟いた。話はそれだけ?
 今後のことも決めないといけない。たぶん二、三日のうちに電気も使えなくなる。
 いよいよって感じね。
 なんでお前はいつもそう他人事みたいな調子なんだ。
 実感が湧かないの。クライクやサイモンみたいになるなんて。
 四人で出て行くって選択肢もあるぞ。
 ――それは嫌。
 双子の姉妹が揃って云った。奇妙なほどに透明で現実感のない声だった。壁に投げつけられた粘土みたいに扁平な声音。フレイドはたじろいだ。自分と同じく双子は栄養失調で痩せていた。だが瞳だけが異様な輝きを放ってこちらの胸を射抜いてきた。
 フレイドは椅子に腰かけた。深呼吸して気持ちを落ち着け話を切り出した。

 ……大人達はもう帰ってこない。父さんも母さんも。誰もかもみんな。おれとサイモンは見ちまったんだ。あの兵士達は人間を人間とも思っていない。この前やってきた汚い格好の連中だってそうだ。荷物を漁ったときバッグに何が入ってたか知ってるか。――奴らは人間を喰ってるんだ。

 だったらなおさら、とメイラ。わたし達が出て行ったところで殺されるだけじゃない。
 あなたは自分からわざわざジャーキーになりにいきたいの? リッサが後を継ぐ。子供のお肉ならなおのこと喜ばれるわよ。
 おれだって想像したくねぇよ。だからっていつまでもここには――。
 そこまで話したところでフレイドは黙った。こちらをじっと見つめ返す双子の少女を見返した。それから店中に散乱する衣服の数々を見渡した。まるで大事な式典か何かに臨むための正装を選んでいるかのように徹底して吟味されていた。トフィーは視線をそらし続けていた。本を握りしめる指に力がこもっているのが見て取れた。

 フレイドは声の調子を落として訊ねた。
 ……それ・・がお前らの選択なんだな?
 双子の少女はうなずいた。
 後悔はないのか。
 いいえ、とメイラ。
 最期まであがけるだけあがくって選択肢は?
 これこそわたし達なりのあがき・・・よ、とリッサ。
 …………。

 フレイドはトフィーに向き直りどうするつもりなのか訊ねた。彼女は首を振った。方法については教えてもらえなかった。代わりにやってやると申し出たがそれは断られた。少なくとも自分が考えつく限りのありとあらゆる手段はどれもこの双子の有終にはふさわしくないようだった。

 メイラとリッサは互いの着付けを終えるとフレイドに再び顔を向けた。念入りに時間をかけていた割には黒を基調とした質素なドレス姿だった。今までありがとう、とメイラが口にした。二人とも元気でね、とリッサが後を継いだ。
 フレイドは佇んでいた。敬虔な信徒だった父母から毎夜教えられてきた聖句、――そのどれもがこの場にはふさわしくないように思えた。クライクやサイモンのときと同じく今度もまた善き本の一節は頭に浮かんでこない。そもそも自分で自分を決することは教えで禁じられていた。
 フレイドは呟いた。
 …………ママとパパが帰ってくるかもしれないからって、お前ら云ってたよな。

 メイラは目を伏せてドレスのすそを軽くつまんでみせた。
 ……わたし、ママからいつもお小言みたいにこう云われてた。美しく生きなさいって。最初はその意味を文字通りに捉えてた。お化粧して、お洒落して、どんなときでも笑顔でいることが大切なんだって思ってた。ママは口紅の会社に勤めてた。最後に別れたときもきれいな赤い唇だった……。
 リッサがうなずいて腕を優雅に広げてみせた。
 ――でもママが云いたかったのは見た目の美しさだけじゃなかったわ。今のわたし達には分かるの。もうママもパパも帰ってこない。他の人を騙したり傷つけたりして汚く生きるくらいなら美しいまま最期を受け容れたはずよ。わたし達もそうありたいの。心も身体もきれいなまま往きたい。だからトフィーちゃんにお願いしたのよ。

 トフィーはこちらを一瞥いちべつしてから再度胸元よりペンダントを取り出した。研磨された紺碧の魔鉱石が発光を始めていた。双子はもうフレイドのことを見ていなかった。ウィンドウケースに上がってその時を静かに待っていた。

 フレイドの口から何だってたんだ、という言葉がもう一度漏れた。
 それから彼はきびすを返して自分の根城へと早足で歩き去った。

   □

 フレイドが根城にしている書店はトフィーが暮らしている宝石店のほぼ真向かいにあった。運び込んだソファに寝転んで聖典のある一節を読んでいた。それは携挙に関する記述だった。患難が訪れる前なのか後なのか。とにかく敬虔な信徒は天の高みへと引き上げられて永遠の安息のうちに在るはずだった。それまでは互いに励まし合って生きなさいと……。

 フレイドはしおり代わりに小指を挟んで聖典を閉じた。
 そしてぽつりと呟いた。
 ……それ・・はいつ来るんだ?

 トフィーの声がして彼は起き上がった。いつの間にかうたた寝していたようだった。彼女はソファのそばに安楽椅子を置いて本を読んでいた。フレイドがおすすめした小説本だった。なにか訊ねようとしたがフレイドは待つことにした。ただじっと目を閉じていた。
 やがてトフィーから口を開いた。
 ――二人のことは、もう終わったわ。
 そっか。
 わたし達だけになったわね。
 うん。
 この本も読み終わりそうなの。
 ああ。
 他に面白そうなの教えて。
 ……ああ。
 フレイドはソファから立ち上がって本棚を歩き回り一冊手に取って戻ってきた。ちょうどトフィーが胸元のペンダントを指先でいじっているところだった。フレイドは本を渡そうと手を差し出した。トフィーが受け取ろうと指を伸ばしたところでさっと上に引き上げた。
 銀髪の少女が眉をひそめる。
 ――なに?
 これを渡す前に訊かせてくれ。
 だからなに。
 あの双子に何をした。いやちがう。みんなに何をしたんだ。
 …………。
 そのおシャレなペンダントで何をしたんだって訊いてる。

 トフィーは大きく息を吸った。痩せて骨ばった肩が持ち上がりそして下ろされた。
 ――ただ、夢を魅せてあげただけよ。
 夢?
 最初にやったのはメイラとリッサだった。次にサイモン。そしてクライク。でも最期の順番は逆だったわね。いちばん現実的な性格をしてそうなクライクが最初に死んだ。メイラとリッサはいちばん夢見がちに見えたのにわたしに頼んできたのは最後だった。
 おまえ何を云ってる?
 わたし達はみんなここで死ぬわ。外に出てもいっしょ。殺されるかさもなくば野垂れ死ぬ。あるいは死ぬよりも辛い目に遭わされる。遅かれ早かれみんな身も心も壊れてた。だからせめて、――世界がきれいだったころの夢を視ながらこの箱庭で過ごせたらなって思っただけなの。

 少女は顔をうつむけていた。フレイドは口を開きかけて閉じた。そしてその場を歩き回り一周してから戻ってきた。息が荒くなった。呼吸を整えてから訊ねた。
 ……メイラとリッサが店に引きこもって服の着せ合いっこをするようになったのも?
 ええ。
 サイモンがおもちゃでごっこ遊びするようになったのも?
 ええ。
 クライクが訳のわからん叫び声を上げながら飛び降りたのもお前の仕業なのか?
 ――ひとつ訂正させて。トフィーが震える声で反論してきた。殺すつもりはなかったの。ただ、みんなの気持ちが少しでも楽になるようにしようと思っただけ。でも加減が難しかった。夢と現実の区別がつかなくなるくらい効き目が強くなるなんて思わなかったの。
 ずいぶんな効き目だな。おい。

 フレイドはトフィーの左肩をつかんで揺さぶった。
 ――そうやっておれも殺すつもりだったのか? ああっ?
 ちがう。あなたには何もしてない。みんなと違ってあなたは気丈に見えたから――。
 気丈だと? もっとマシな嘘をつけ!
 トフィーが奥歯で唇を強く噛むのが見えた。
 ……そうよ。まとも・・・なのがわたしだけになるなんて耐えられなかった。それだけよ。
 おれまであいつらみたいになっちまったらお前の暇つぶし用に貸す本だって探せないしな。
 そんな冷たい云い方しなくても――。

 トフィーに投げつけるようにして本を渡すとフレイドは後ずさりした。自身の頭に手をやって髪の毛が引きちぎれそうなくらいに強く握りしめた。――本当に何だってんだ、という言葉が口から絞り出た。トフィーは消沈した表情で胸に押し抱いた本に視線を落としていた。
 ソファに身を投げ出すようにして腰かけたフレイドは少女に訊ねた。
 ……あれ・・がお前なりの思いやりか。
 少女はうなずいた。
 ずいぶん不器用な結果になっちまったな。
 …………。
 云っとくけどおれはきれいに・・・・死ぬつもりはないぞ。自分の死に方はできる限りまともな・・・・頭で決めたいんだ。
 ……うん。
 そのペンダント。お前の父ちゃんはほんとにとんでもない代物を遺していったな。
 これがあるからわたしはお父さんやお母さんと繋がっていられるの。
 それ最初に見せてきたときも云ってたな。
 そうだっけ。
 とぼけるなよ。“繋がっていられる”ってのもたとえ話とかじゃないんだろどうせ。
 ……ご明察。これを使えば――。
 いやいい聞きたくない。もうその薄気味悪い宝石に振り回されるのは沢山だ。フレイドは両手を挙げた。……とにかくトフィー、今日はもう出て行ってくれ。疲れたんだ。これからのことは明日考えようぜ。

 トフィーがそこで初めて顔を上げてこちらを見た。涙に潤んだ恨めしげな瞳だった。なんでおれがお前にそんな顔されないといけないんだ。泣きたいのはこっちだ、という言葉が喉元までせり上がってきた。フレイドは寝返りを打ってトフィーに背を向けた。やがて少女が安楽椅子から立ち上がり去っていく足音が聴こえた。それでもフレイドは背中を向け続けていた。長いながい時間、――そうしていた。
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