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コマーシャル・コンプレックス
#49 雷管と閃光
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次に埋葬することになったのはトフィーの“知り合い”ではなく一週間前に施設を訪れた四人の遺骸だった。そのうちの一人は地下駐車場、残りの三人の遺体はスーパーマーケットだった店の冷蔵室に放り込まれていた。駐車場の女性は落下して首の骨を折ったことが死因だったが他の男女は頭や胴体がシチューに放りこまれる根菜のように輪切りにされたことが原因だった。
……何だコレ、とスヴェトナ。持ち運びは幾分かやりやすくなってるが。
ごめんなさい。
トフィーが珍しく気落ちした声で云った。
できることならもっと綺麗にしてあげたかったんだけど。
お前がやったのか?
襲われそうになったから。魔鉱石の熱線で一思いに。
そんなことまでできるのか。
ええ。
アリサは首をひねる。再生機の映像を観たけどそんな悪い人達には見えなかったな。
仲間想いなのと博愛主義はまったく別のお話よ。
うんまあそれは私も今までの経験から嫌というほど思い知ってるけどさ。
わたしが高く売れると思ったのね。
アリサはトフィーの透き通るような銀髪と胸元のペンダントを見つめた。
……それは否定できないな。
この人達にも残してきた家族がいたの。食べさせてあげないといけなかった。しかも仲間を一人喪ってる。手ぶらで帰ることだけはできなかった。
何か別のものを渡してお引き取り願うとか……。
このペンダントより価値のあるものなんてここにはないわ。トフィーは首を振る。そしてわたしはこれだけは誰にも渡すわけにはいかなかったの。三人ともぴりぴりしてた。わたしがいくら云っても聞く耳を持ってくれなかった。どんな言葉もこの人達を刺激するだけだった。――そしてこの人達は銃を持っていた。引き金を引くだけでわたしを殺せる武器を手にしていたの――。
トフィーはその後も続けようとしたがスヴェトナが手で制した。従者の少女は眉間のしわを隠すように手のひらで顔を覆った。
お前にも人間らしい心が残ってたんだなってことはよく分かった。
どういうことよ。
罪悪感はあるんだなってことだよ。
当たり前……。
これが初めてじゃないんだろ?
うん。
もう何人殺したんだ。
云いたくない。
数えてはいるんだな?
少し待って……。
初めてやったときはどんな感じがした?
――いい加減にしてよ! トフィーが爆発した。撃針で叩かれた雷管のように瞬間的だった。――そうやって質問責めにして何がしたいの? 楽しんでるの?
これが楽しんでいるように見えるのか?
…………いえ。
スヴェトナがトフィーの頭に手をそっと置いた。呟くように云う。
私だってこの前に初めて人の命を奪ったばかりなんだ。私が撃った弾でトラックが炎上してほとんど丸焼きになった。その全員が別に殺意があったわけじゃない。彼らにしてみれば自分が手に持っていたのは人殺しの道具なんかじゃなくて交渉のための手段のつもりだったんだろう。だが本人がどう捉えていようと銃は銃であり弾丸は弾丸だ。そんなものを相手に向けた時点で否応なく責任はついて回る。それを分かってない奴が結局は早死にするんだ。あいつらもそうだったしここでカット・ステーキみたいに転がってる連中だってそうだ。
トフィーは透明に潤んだ瞳でスヴェトナを見上げた。……それってあなたが自分に云い聞かせてるだけよね?
ああ。スヴェトナがうなずく。まったくその通りだ。
トフィーはそれ以上は何も訊ねなかった。黙って会話を聞いていたアリサは二人を促して作業に取りかかった。
□
その始まりもまた一発の銃声からだった。
アリサの頬をかすめ何本かの髪をさらっていった銃弾は背後にいたトフィーの右脇腹を貫通して真っ赤な肉を数グラム削りとりながら地面に命中し土埃を立てた。スヴェトナが電撃を喰らったかのように身体を硬直させた一方でアリサはすぐに二人を押し倒して埋め戻そうとしていた墓穴に飛び込んだ。腐ったカットステーキとなってしまった三人の遺骸がこの世でもっとも不快なクッションとなり少女達は頭を強打せずに済んだ。遅れて一瞬前まで彼女達が立っていた空間を小銃弾が新品のカミソリのように切り裂いた。
スヴェトナがようやくショックから立ち直って銃を取ろうと手を伸ばしたときにはアリサは散弾槍の引き金を引いていた。立て続けに先台を引いて茂みの向こうにめくら撃ち。幾百の子弾が茂みの枝をかじり取りながら音速を超えた速度で空間を飛翔した。銃弾に混じってかすかな喚き声が聴こえた。向こうからの間断なき銃声が衰えた。
装填してある分を撃ち尽くしてしまうとアリサは補助バレルの薬室に煙幕弾のカートリッジを叩き込んでさらに数発撃った。茂みの向こう側はたちまち白く濁った煙に覆われ射界を阻害した。
アリサは叫んだ。――スヴェトナ!
あ、ああ。
怪我は?
私は大丈夫だ。でもトフィーが。
とにかく走るよ。私が援護するからこの子を担いでくれ!
わ、――分かった。
口では分かったと云いながらスヴェトナは自分の銃と腹から血を噴きだし続けるトフィーとを交互に見つめるばかりだった。平手で頬を思いきり張り飛ばしてやるとようやく我に返りトフィーを背負った。給仕服の背中の生地は見る見るうちに血で黒ずんだ。
銃撃が再開された。アリサは出し惜しみせず次々と煙幕弾を撃ちまくり施設の駐車場一帯は濃い白煙に覆われた。数十メートルを全力疾走しバリケードに身体をねじ込んで施設の中に駆けこんだ。残り少ない入り口のガラスが着弾の衝撃で粉々に吹き飛びアリサの髪や服に降り注いだ。
スヴェトナに手を貸してエスカレーターを駆け上がるころには襲撃者がバリケードを爆薬か何かで吹き飛ばすところだった。轟音から一拍置いて十数人もの武装した男女が続々と施設に雪崩れ込んでくる。アリサはそこに目がけて階上から榴弾を撃ち込んだ。二脚を立てる暇がなかったために銃口は大きく跳ね上がりアリサは尻餅をついた。
直下で爆裂が起こり施設を震わせた。榴弾の外殻が壁の塗装やエスカレーターの手すり、そして襲撃者の内臓をごっそりと削り取りながら爆散し怒号と悲鳴が一帯を埋め尽くした。場慣れしている反応の早い者が一人混じっており階上に向かって正確に撃ち返してきた。二発目を撃とうと身を乗り出したアリサのすぐ眼前の土嚢が銃撃を受けて布地が弾け飛ぶ。埃まじりの繊維が目に吹きつけられて視界が真っ暗になった。袖で目をこすると涙がとめどなくあふれ出た。反撃することに頭がいっぱいになっておりゴーグルの装着を忘れていたのだ。
――アリサ!
スヴェトナが隣に滑り込んできた。
大丈夫か、撃たれたのか?
ちがう目にゴミが入っただけ。――トフィーは?
宝石店の奥だ。応急処置だけは施したが――。
今はとにかくあいつらを何とかしないと。
スヴェトナが単装式の特注銃を構えようとしたがそのすぐ頭上を銃弾が突き抜けた。彼女は慌てて身を伏せた。銃撃の援護を受けて数人が全速力でエスカレーターを駆け上がってくるガンガンという音がした。一刻の猶予もなかった。アリサはリグのポーチから小石程度の大きさの真っ赤な魔鉱石を取り出した。火起こしに使うのに便利だったが四の五の云ってられなかった。土嚢ごしに放り込みタイミングを見計らって術式を唱えると閃光がほとばしり薄暗い施設を稲妻のように一瞬照らして爆発した。中ほどでぽっきりと断裂したエスカレーターが仕切り板や駆動チェーン、そして人間の臓器と肉片の一切合切を巻き込みながら崩落し階下の床にぶちまけられた。
再び銃撃が止んだ。呆気に取られているスヴェトナの頬をアリサが再度平手で張り飛ばすと従者の少女は我に返ってライフルを構えた。発射と同時に魔鉱兵器特有の甲高い音が空間を震わせ力のすべてを解放して一階のエスカレーター周りを火の渦へと変えてしまった。
二人は土嚢ごしにそっとようすを窺った。最初の榴弾で致命傷を負った幾人かが声にならない絶叫を上げながら焼かれていたがそれでも人数が足りない。特に反応が素早かった一人の姿がなかった。アリサはスヴェトナと顔を見合わせた。うなずき合って急いで立ち上がり移動を開始した。
障害物からさらに障害物へと息を切らして走り続け反対側にある別のエスカレーターへと向かった。しかし遅かった。残り三十メートルというところで相手が先に二階に現れこちらに小銃を構えるのが見えた。柱から飛び出しかけた二人に向かって精確無比な弾丸が飛来しそのうちの一発がスヴェトナの右脚のふくろはぎを撃ち抜いた。アアっという声とともに彼女が崩れ落ち反射的に肩をつかまれたアリサもその場に倒れた。ほんの一瞬の差でアリサの首の位置を狙った銃弾が空間をむなしく引き裂いた。
心臓が口から飛び出しそうだった。もはや頭を少しも出すことさえ叶わない。天井に向けて残り少ない煙幕弾を放ちスヴェトナを抱えて柱を背にしながら走り出した。煙の渦をまとわせながら銃弾が何発か飛来した。もしアリサが柱から飛び出していたら命中していた位置だった。十分離れたところで通路を曲がり手近な服飾店に駆け込んだ。
スヴェトナの手当をする余裕はなかった。圧迫による止血をする猶予もない。店の床に散らかっていた衣服を引き裂き膝頭の下の位置できつく縛った。スヴェトナが呻き声を上げた。
――……あ、ありさ。
なんだ!
お前だけでも逃げろ。
馬鹿いうな!
あいつはただの無法者じゃないぞ……。
分かってるよ。たぶん兵役あがりだ。次元がちがう。
だったらなおさら――。
黙ってろ!
止血の処置を続けているとスヴェトナがアリサの肘をつかんだ。彼女の視線を追って店先のディスプレイに目をやった。一瞬なんなのか分からなかった。服を着せられたマネキン、――こうした店ならごくあり触れたものが陳列されているだけに見えた。だがそれは人形ではなかった。二人の少女が生前の姿を留めたまま完全に静止していた。それはトフィーが回想で話していた双子の少女だった。
あアもう――。スヴェトナが半笑いの表情で荒い息を吐き出す。本当に退屈しないな、ここは。
とにかく逃げよう。態勢を立て直さないとっ。
もう少し休めないか……。
血痕を辿られているはずだ。長居できない。
スヴェトナを背負って再度走り出した。彼女に加えて装備類や散弾槍を身につけたまま行動するには全身の筋肉を限界まで酷使しなければならなかった。店の外に出て十数歩はなれたところで背中に破裂音が叩きつけられアリサは前のめりに倒れた。振り返ると店のありとあらゆる衣服が燃えながら吹き抜けの下へと舞い落ちていくところだった。店の中身ごと焼夷榴弾で吹き飛ばしたのだ。飾られていた双子の少女がどうなったのか今は気にしている余裕はない。
通路から通路へと移動して何とか裏をかこうとしたが相手は的確かつ用心深く距離を詰めてきた。そして焦らなかった。牽制の銃撃を適宜挟んでは数刻前までアリサ達が隠れていた場所へと遮蔽物を貫通させて銃弾を撃ち込んできた。
先に体力が尽きたのはスヴェトナを背負っているアリサのほうだった。足がガクガクと震えて動かなくなり息は完全に上がっていた。最後の力を振り絞って距離を離しホームセンターで陳列されている家具の後ろに隠れた。
二人とも荒い息を何とか整えようと胸に手を当てた。微かな音さえ聞き逃さない相手だった。スヴェトナがアリサの手を強く握りしめてきた。その手は震えていた。アリサも反射的に握り返した。従者の少女の背中を抱き寄せ身を縮みこませて隠れ続けた。
スヴェトナが小さく悪態をつく。
……なんでああも的確にこちらの隠れ場所が分かるんだ。ちゃんと止血したぞ。
分からない。分からないけど、――ああクソ。
何か手はないのか。
それをいま考えてる。
ほとんど間を置かずに男の足音が聴こえた。アーマーリグとアーミーブーツを身に着けている戦前から生き残ってきた軍人特有の油断ない重々しい足音だった。アリサ達はますます身を寄せ合って息をじっと殺した。
足音が止んだ。それからぶつぶつという独り言が聴こえたかと思うとブウウウンというこれまでアリサが何度も耳にしたことのある機械の稼働音が木霊した。それから緑色の淡い光が一瞬だけ視界の端にチラついた。それで合点がいった。
相手は再生機を使っている――。
一か八か――。アリサは散弾槍を構えて物影から飛び出そうとした。手遅れだった。男が目の前にいた。接近の音はまったく聞こえなかった。気づいたときには木製の銃床がアリサの首にもろにめり込んでいた。視界が真っ赤に染まり一瞬で意識が遠のいた。散弾槍が手を離れてガシャンという音を立てて落下した。苦しさのあまり身体がくの字に折れ曲がったところをブーツのつま先で胸を蹴り上げられアリサは仰向けに倒れた。店の天井があまりに遠く感じられた。
――アリサぁ!
スヴェトナが上に覆いかぶさってきた。意味のない、反射的な行動だった。アリサ達を見下ろしている男の目の色は僅かたりとも変わらなかった。指先がぴくりと反応することさえなかった。すでに彼は同じような場面で同じような殺しを何十回と経験してきたはずだった。必要とあれば泣いている赤子ですらただの肉袋にしか見えないよう心理的訓練を自身に課してきているはずだった。
そして今回もまた、――彼は一瞬たりともためらいはしなかった。
何かがアリサの視界を横切った。それが通り過ぎたほんの一瞬だけ店内が白陽にさらされたかのように明るくなった。本当に刹那の出来事だったのであるいは何も起こらなかったのではないかと思えるほどだった。男は引き金に指をかけたまま固まっていた。瞳はアリサを捉えておらず不気味に上向いていた。
続いて男の脇にあった家具、――食器類と調理器具を収納しておくための棚の上部だけがゆっくりとスライドして床に落下した。サンプル品として中に収められていた皿やカップがちょうどウェイターがうっかり蹴つまずいて落っことしたかのようにぶちまけられた。棚の切断面は黒く焦げておりか細い煙が幾筋も立ち昇っていた。
同じことが男の身体にも起こった。棚が切断された高さはちょうど男の胸よりもやや低い位置だった。最初に筋肉質の肘から指先にかけての腕が重力に従って丸太か何かのようにぼとりと落下した。心臓の鼓動のリズムに合わせて切断面から血が噴きだした。続いて彼は真横に倒れた。床に触れた瞬間にその上半身はまるで磁力を喪失した二つの磁石のようにあっけなく分かたれた。アリサの目には切り分かれた半身のうち頭に近いほうの切断面が見てとれた。綺麗に切断されたあばら骨の断面が病斑か何かのように白く目に焼きついた。輪切りにされた臓腑の奥では心臓が鼓動を続けていた。
脈が機能を停止するにつれて死体の出血は緩やかになったが紅い血だまりは広がり続けてアリサのブーツのかかとを濡らした。そこでようやく我に返ることができた。スヴェトナを助け起こして立ち上がり周囲を見渡すと少女はすぐに見つかった。
トフィーは肩で息をしながら両手を胸元のペンダントにかざしていた。撃たれた脇腹の部分の服は破けていたが銃創は完全に塞がっていた。全身の力が抜けたように少女はその場にへたり込んだ。白銀の瞳から涙がひと筋、――頬を伝い落ちた。
……何だコレ、とスヴェトナ。持ち運びは幾分かやりやすくなってるが。
ごめんなさい。
トフィーが珍しく気落ちした声で云った。
できることならもっと綺麗にしてあげたかったんだけど。
お前がやったのか?
襲われそうになったから。魔鉱石の熱線で一思いに。
そんなことまでできるのか。
ええ。
アリサは首をひねる。再生機の映像を観たけどそんな悪い人達には見えなかったな。
仲間想いなのと博愛主義はまったく別のお話よ。
うんまあそれは私も今までの経験から嫌というほど思い知ってるけどさ。
わたしが高く売れると思ったのね。
アリサはトフィーの透き通るような銀髪と胸元のペンダントを見つめた。
……それは否定できないな。
この人達にも残してきた家族がいたの。食べさせてあげないといけなかった。しかも仲間を一人喪ってる。手ぶらで帰ることだけはできなかった。
何か別のものを渡してお引き取り願うとか……。
このペンダントより価値のあるものなんてここにはないわ。トフィーは首を振る。そしてわたしはこれだけは誰にも渡すわけにはいかなかったの。三人ともぴりぴりしてた。わたしがいくら云っても聞く耳を持ってくれなかった。どんな言葉もこの人達を刺激するだけだった。――そしてこの人達は銃を持っていた。引き金を引くだけでわたしを殺せる武器を手にしていたの――。
トフィーはその後も続けようとしたがスヴェトナが手で制した。従者の少女は眉間のしわを隠すように手のひらで顔を覆った。
お前にも人間らしい心が残ってたんだなってことはよく分かった。
どういうことよ。
罪悪感はあるんだなってことだよ。
当たり前……。
これが初めてじゃないんだろ?
うん。
もう何人殺したんだ。
云いたくない。
数えてはいるんだな?
少し待って……。
初めてやったときはどんな感じがした?
――いい加減にしてよ! トフィーが爆発した。撃針で叩かれた雷管のように瞬間的だった。――そうやって質問責めにして何がしたいの? 楽しんでるの?
これが楽しんでいるように見えるのか?
…………いえ。
スヴェトナがトフィーの頭に手をそっと置いた。呟くように云う。
私だってこの前に初めて人の命を奪ったばかりなんだ。私が撃った弾でトラックが炎上してほとんど丸焼きになった。その全員が別に殺意があったわけじゃない。彼らにしてみれば自分が手に持っていたのは人殺しの道具なんかじゃなくて交渉のための手段のつもりだったんだろう。だが本人がどう捉えていようと銃は銃であり弾丸は弾丸だ。そんなものを相手に向けた時点で否応なく責任はついて回る。それを分かってない奴が結局は早死にするんだ。あいつらもそうだったしここでカット・ステーキみたいに転がってる連中だってそうだ。
トフィーは透明に潤んだ瞳でスヴェトナを見上げた。……それってあなたが自分に云い聞かせてるだけよね?
ああ。スヴェトナがうなずく。まったくその通りだ。
トフィーはそれ以上は何も訊ねなかった。黙って会話を聞いていたアリサは二人を促して作業に取りかかった。
□
その始まりもまた一発の銃声からだった。
アリサの頬をかすめ何本かの髪をさらっていった銃弾は背後にいたトフィーの右脇腹を貫通して真っ赤な肉を数グラム削りとりながら地面に命中し土埃を立てた。スヴェトナが電撃を喰らったかのように身体を硬直させた一方でアリサはすぐに二人を押し倒して埋め戻そうとしていた墓穴に飛び込んだ。腐ったカットステーキとなってしまった三人の遺骸がこの世でもっとも不快なクッションとなり少女達は頭を強打せずに済んだ。遅れて一瞬前まで彼女達が立っていた空間を小銃弾が新品のカミソリのように切り裂いた。
スヴェトナがようやくショックから立ち直って銃を取ろうと手を伸ばしたときにはアリサは散弾槍の引き金を引いていた。立て続けに先台を引いて茂みの向こうにめくら撃ち。幾百の子弾が茂みの枝をかじり取りながら音速を超えた速度で空間を飛翔した。銃弾に混じってかすかな喚き声が聴こえた。向こうからの間断なき銃声が衰えた。
装填してある分を撃ち尽くしてしまうとアリサは補助バレルの薬室に煙幕弾のカートリッジを叩き込んでさらに数発撃った。茂みの向こう側はたちまち白く濁った煙に覆われ射界を阻害した。
アリサは叫んだ。――スヴェトナ!
あ、ああ。
怪我は?
私は大丈夫だ。でもトフィーが。
とにかく走るよ。私が援護するからこの子を担いでくれ!
わ、――分かった。
口では分かったと云いながらスヴェトナは自分の銃と腹から血を噴きだし続けるトフィーとを交互に見つめるばかりだった。平手で頬を思いきり張り飛ばしてやるとようやく我に返りトフィーを背負った。給仕服の背中の生地は見る見るうちに血で黒ずんだ。
銃撃が再開された。アリサは出し惜しみせず次々と煙幕弾を撃ちまくり施設の駐車場一帯は濃い白煙に覆われた。数十メートルを全力疾走しバリケードに身体をねじ込んで施設の中に駆けこんだ。残り少ない入り口のガラスが着弾の衝撃で粉々に吹き飛びアリサの髪や服に降り注いだ。
スヴェトナに手を貸してエスカレーターを駆け上がるころには襲撃者がバリケードを爆薬か何かで吹き飛ばすところだった。轟音から一拍置いて十数人もの武装した男女が続々と施設に雪崩れ込んでくる。アリサはそこに目がけて階上から榴弾を撃ち込んだ。二脚を立てる暇がなかったために銃口は大きく跳ね上がりアリサは尻餅をついた。
直下で爆裂が起こり施設を震わせた。榴弾の外殻が壁の塗装やエスカレーターの手すり、そして襲撃者の内臓をごっそりと削り取りながら爆散し怒号と悲鳴が一帯を埋め尽くした。場慣れしている反応の早い者が一人混じっており階上に向かって正確に撃ち返してきた。二発目を撃とうと身を乗り出したアリサのすぐ眼前の土嚢が銃撃を受けて布地が弾け飛ぶ。埃まじりの繊維が目に吹きつけられて視界が真っ暗になった。袖で目をこすると涙がとめどなくあふれ出た。反撃することに頭がいっぱいになっておりゴーグルの装着を忘れていたのだ。
――アリサ!
スヴェトナが隣に滑り込んできた。
大丈夫か、撃たれたのか?
ちがう目にゴミが入っただけ。――トフィーは?
宝石店の奥だ。応急処置だけは施したが――。
今はとにかくあいつらを何とかしないと。
スヴェトナが単装式の特注銃を構えようとしたがそのすぐ頭上を銃弾が突き抜けた。彼女は慌てて身を伏せた。銃撃の援護を受けて数人が全速力でエスカレーターを駆け上がってくるガンガンという音がした。一刻の猶予もなかった。アリサはリグのポーチから小石程度の大きさの真っ赤な魔鉱石を取り出した。火起こしに使うのに便利だったが四の五の云ってられなかった。土嚢ごしに放り込みタイミングを見計らって術式を唱えると閃光がほとばしり薄暗い施設を稲妻のように一瞬照らして爆発した。中ほどでぽっきりと断裂したエスカレーターが仕切り板や駆動チェーン、そして人間の臓器と肉片の一切合切を巻き込みながら崩落し階下の床にぶちまけられた。
再び銃撃が止んだ。呆気に取られているスヴェトナの頬をアリサが再度平手で張り飛ばすと従者の少女は我に返ってライフルを構えた。発射と同時に魔鉱兵器特有の甲高い音が空間を震わせ力のすべてを解放して一階のエスカレーター周りを火の渦へと変えてしまった。
二人は土嚢ごしにそっとようすを窺った。最初の榴弾で致命傷を負った幾人かが声にならない絶叫を上げながら焼かれていたがそれでも人数が足りない。特に反応が素早かった一人の姿がなかった。アリサはスヴェトナと顔を見合わせた。うなずき合って急いで立ち上がり移動を開始した。
障害物からさらに障害物へと息を切らして走り続け反対側にある別のエスカレーターへと向かった。しかし遅かった。残り三十メートルというところで相手が先に二階に現れこちらに小銃を構えるのが見えた。柱から飛び出しかけた二人に向かって精確無比な弾丸が飛来しそのうちの一発がスヴェトナの右脚のふくろはぎを撃ち抜いた。アアっという声とともに彼女が崩れ落ち反射的に肩をつかまれたアリサもその場に倒れた。ほんの一瞬の差でアリサの首の位置を狙った銃弾が空間をむなしく引き裂いた。
心臓が口から飛び出しそうだった。もはや頭を少しも出すことさえ叶わない。天井に向けて残り少ない煙幕弾を放ちスヴェトナを抱えて柱を背にしながら走り出した。煙の渦をまとわせながら銃弾が何発か飛来した。もしアリサが柱から飛び出していたら命中していた位置だった。十分離れたところで通路を曲がり手近な服飾店に駆け込んだ。
スヴェトナの手当をする余裕はなかった。圧迫による止血をする猶予もない。店の床に散らかっていた衣服を引き裂き膝頭の下の位置できつく縛った。スヴェトナが呻き声を上げた。
――……あ、ありさ。
なんだ!
お前だけでも逃げろ。
馬鹿いうな!
あいつはただの無法者じゃないぞ……。
分かってるよ。たぶん兵役あがりだ。次元がちがう。
だったらなおさら――。
黙ってろ!
止血の処置を続けているとスヴェトナがアリサの肘をつかんだ。彼女の視線を追って店先のディスプレイに目をやった。一瞬なんなのか分からなかった。服を着せられたマネキン、――こうした店ならごくあり触れたものが陳列されているだけに見えた。だがそれは人形ではなかった。二人の少女が生前の姿を留めたまま完全に静止していた。それはトフィーが回想で話していた双子の少女だった。
あアもう――。スヴェトナが半笑いの表情で荒い息を吐き出す。本当に退屈しないな、ここは。
とにかく逃げよう。態勢を立て直さないとっ。
もう少し休めないか……。
血痕を辿られているはずだ。長居できない。
スヴェトナを背負って再度走り出した。彼女に加えて装備類や散弾槍を身につけたまま行動するには全身の筋肉を限界まで酷使しなければならなかった。店の外に出て十数歩はなれたところで背中に破裂音が叩きつけられアリサは前のめりに倒れた。振り返ると店のありとあらゆる衣服が燃えながら吹き抜けの下へと舞い落ちていくところだった。店の中身ごと焼夷榴弾で吹き飛ばしたのだ。飾られていた双子の少女がどうなったのか今は気にしている余裕はない。
通路から通路へと移動して何とか裏をかこうとしたが相手は的確かつ用心深く距離を詰めてきた。そして焦らなかった。牽制の銃撃を適宜挟んでは数刻前までアリサ達が隠れていた場所へと遮蔽物を貫通させて銃弾を撃ち込んできた。
先に体力が尽きたのはスヴェトナを背負っているアリサのほうだった。足がガクガクと震えて動かなくなり息は完全に上がっていた。最後の力を振り絞って距離を離しホームセンターで陳列されている家具の後ろに隠れた。
二人とも荒い息を何とか整えようと胸に手を当てた。微かな音さえ聞き逃さない相手だった。スヴェトナがアリサの手を強く握りしめてきた。その手は震えていた。アリサも反射的に握り返した。従者の少女の背中を抱き寄せ身を縮みこませて隠れ続けた。
スヴェトナが小さく悪態をつく。
……なんでああも的確にこちらの隠れ場所が分かるんだ。ちゃんと止血したぞ。
分からない。分からないけど、――ああクソ。
何か手はないのか。
それをいま考えてる。
ほとんど間を置かずに男の足音が聴こえた。アーマーリグとアーミーブーツを身に着けている戦前から生き残ってきた軍人特有の油断ない重々しい足音だった。アリサ達はますます身を寄せ合って息をじっと殺した。
足音が止んだ。それからぶつぶつという独り言が聴こえたかと思うとブウウウンというこれまでアリサが何度も耳にしたことのある機械の稼働音が木霊した。それから緑色の淡い光が一瞬だけ視界の端にチラついた。それで合点がいった。
相手は再生機を使っている――。
一か八か――。アリサは散弾槍を構えて物影から飛び出そうとした。手遅れだった。男が目の前にいた。接近の音はまったく聞こえなかった。気づいたときには木製の銃床がアリサの首にもろにめり込んでいた。視界が真っ赤に染まり一瞬で意識が遠のいた。散弾槍が手を離れてガシャンという音を立てて落下した。苦しさのあまり身体がくの字に折れ曲がったところをブーツのつま先で胸を蹴り上げられアリサは仰向けに倒れた。店の天井があまりに遠く感じられた。
――アリサぁ!
スヴェトナが上に覆いかぶさってきた。意味のない、反射的な行動だった。アリサ達を見下ろしている男の目の色は僅かたりとも変わらなかった。指先がぴくりと反応することさえなかった。すでに彼は同じような場面で同じような殺しを何十回と経験してきたはずだった。必要とあれば泣いている赤子ですらただの肉袋にしか見えないよう心理的訓練を自身に課してきているはずだった。
そして今回もまた、――彼は一瞬たりともためらいはしなかった。
何かがアリサの視界を横切った。それが通り過ぎたほんの一瞬だけ店内が白陽にさらされたかのように明るくなった。本当に刹那の出来事だったのであるいは何も起こらなかったのではないかと思えるほどだった。男は引き金に指をかけたまま固まっていた。瞳はアリサを捉えておらず不気味に上向いていた。
続いて男の脇にあった家具、――食器類と調理器具を収納しておくための棚の上部だけがゆっくりとスライドして床に落下した。サンプル品として中に収められていた皿やカップがちょうどウェイターがうっかり蹴つまずいて落っことしたかのようにぶちまけられた。棚の切断面は黒く焦げておりか細い煙が幾筋も立ち昇っていた。
同じことが男の身体にも起こった。棚が切断された高さはちょうど男の胸よりもやや低い位置だった。最初に筋肉質の肘から指先にかけての腕が重力に従って丸太か何かのようにぼとりと落下した。心臓の鼓動のリズムに合わせて切断面から血が噴きだした。続いて彼は真横に倒れた。床に触れた瞬間にその上半身はまるで磁力を喪失した二つの磁石のようにあっけなく分かたれた。アリサの目には切り分かれた半身のうち頭に近いほうの切断面が見てとれた。綺麗に切断されたあばら骨の断面が病斑か何かのように白く目に焼きついた。輪切りにされた臓腑の奥では心臓が鼓動を続けていた。
脈が機能を停止するにつれて死体の出血は緩やかになったが紅い血だまりは広がり続けてアリサのブーツのかかとを濡らした。そこでようやく我に返ることができた。スヴェトナを助け起こして立ち上がり周囲を見渡すと少女はすぐに見つかった。
トフィーは肩で息をしながら両手を胸元のペンダントにかざしていた。撃たれた脇腹の部分の服は破けていたが銃創は完全に塞がっていた。全身の力が抜けたように少女はその場にへたり込んだ。白銀の瞳から涙がひと筋、――頬を伝い落ちた。
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大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。
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