くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

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エキストラ・ストーリィズ

#Ex.02 熾火

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 空の凪いだ星夜だった。オーデルのかつての大平原。その片隅にぽつりと佇んでいる岩のそばでアリサはまどろみから目覚めた。熾火がパチパチと音を立てて小さく爆跳するさまが目の端に見えていた。灯の明かりに照らされたスヴェトナの寝顔が焚火を挟んだ反対側に見えていた。脚には換えたばかりの真新しい包帯が巻かれている。ほっと息をついてアリサは半身を起こしてから食べ残しの黒パンのくずをコップに注いだ水に浸けて時間をかけてふやかした。やわらかくなったパンを水ごと口に流し込んで咀嚼した。無表情だった。それから身体の節々を伸ばして首を回してから起き上がった。

 数分ほど歩くとトフィーはすぐに見つかった。またたく星や三つ子の月が明かりを配る夜といえども視界はききづらい。その中でもトフィーの白銀の髪はともすれば不必要なほどに目立った。髪だけでなく彼女の周りの空間だけが淡く発光しているかのように見えてアリサは何度もまばたきした。
 少女は岩場に腰かけて胸元のペンダントを手で握ったり放したりしながら大平原の残骸を眺めていた。アリサはしばらく迷ってからトフィーの右斜め後ろに腰を落ち着けた。
 トフィーが振り返らずに云った。
 隣に座って。気にしないから。
 アリサは云われた通りにした。トフィーはペンダントをいじっていた手を膝に置いた。そして呟いた。
 きれいな月ね。
 うん。
 まだ交代には早いでしょう?
 目が覚めちゃったんだよ。
 じゃあ一緒に見張りましょうか。
 何を見張ろうか。
 敵? 闖入者? それとも強盗?
 分からない。
 アリサが云い出したことでしょ。

 アリサは少女の隣に腰かけて平原の墓地をじっと眺めながら話をした。
 ――誰を相手にしても敵って感覚がないんだな。もちろん撃ってきたら応戦はする。でも憎むとか、そういうのは。
 反応しているだけってことかしら。
 そう。同じことをスヴェトナに話しても理解してもらえないけど。

 銀髪の少女は岩陰の野営地を振り返って云う。
 たぶんメイドさんは敵とか味方とかいった言葉を実感をもって心の中に育てられるだけの豊かさに恵まれていたのね。
 以前は悲惨な生活だったらしいよ。詳しくは聞かせてもらってないけど。
 あら。それで身ぎれいなのにあんな目つきが悪いのね。
 それ本人の前で云うなよ。
 分かってるわよ。
 トフィーは戦前どうだった。敵ってどういうものを指してたの。
 国営ラジオで散々聞かされたわよ。同じ文句を延々と形を替えて。まるで人の姿かたちをした化物みたいに。
 前に拾い読みした新聞のトーンもそんな感じだったな。どこからそんなエネルギーが出てくるんだろうって不思議になった。
 エネルギー?
 人を憎めるエネルギー。
 そうね。トフィーはうなずいた。暗闇を照らす灯りにもなれば街灯をまとめて吹き飛ばす爆風にもなる。そうした熱量って。
 そのペンダントと同じだね。
 ええ。――でもそんなの理解しないほうがいいわ。不要よ。アリサには。

 そう呟いたトフィーは姿勢を変えてアリサの膝に頭を乗せてきた。外套越しでも彼女の常人よりも高い体温はアリサの肌の裏側で凝り固まっていた夜気の冷たさを溶かしてくれた。直接触れたまま眠りについたら低温やけどを負ってしまいそうに思えた。赤々と熱をたくわえた熾火。
 アリサが手袋を外して頬をなでてやると少女は目を閉じて微笑んだ。再び胸元のペンダントに手をやって握ったり放したりする仕草を始めた。紺碧の魔鉱石は月明りを溜め込んでいるかのように一定のリズムで明滅にも似た淡い光の振動を繰り返していた。

 目を閉じたままトフィーは呟いた。
 わたし、こんな世界になっても空だけは変わっていないなって思ってた。他に比べられそうな風景がないもの。
 だからしょっちゅう空を眺めてたのか。
 ええ。でもここにもあったわ。変わらないもの。
 トフィーはアリサのお腹に顔を押しつけた。たちまち熱が胃腸に伝わり黒パンとスープしか入っていない空きっ腹を温めてくれた。
 少女はつぶやく。……たまにで好いからこうして甘えさせてね。
 私よりも遥かに年上のくせにか。
 こんな時だけ持ち出さないでよ。その話。
 冗談だよ。
 ふふ。ありがとう。

 しばらくしてトフィーは寝息を立て始めた。少女の頬を撫でながらアリサはその横顔を見つめていた。彼女は食事と同じく睡眠もあまり必要としないのだと以前に云っていたことを思い出した。悪い夢も視るからと。だがその寝顔はあくまで安らかだった。アリサは視線を移して大平原の名残を見つめかつてトフィーとその家族と同時代の人びとが当たり前のように眺めていたであろう背の低い植生で覆われた大地ステップの在りし日の姿を頭に描こうとした。
 アリサは首を静かに振った。そしてトフィーの寝顔に眼差しを落としたのだった。
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