くず鉄拾いのアリサ

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禿鷲の組合

#41 タリスマン (15)

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 邸宅のゲートまでリシュカが見送りに出てきた。彼女はずっと黙りこくっていたがアリサとスヴェトナが開いたゲートを抜けたとき初めて顔を上げて声をかけてきた。
 ……スヴェトナ。と彼女は云う。アリサさん。
 アリサは頷いて先を促した。
 リシュカは語る。モーレイ様はあのように仰っていますが本当はアリサさんのことを気にかけていらっしゃるはずです。ただ立場上、手厳しい態度をとらざるを得ないことがあります。それがたとえ大事な取引相手であったとしてもです。
 ああ分かってるよ。アリサは答えた。――依頼をしくじった私だけ特別扱いされるわけにもいかない。
 ……ごめんなさい。
 なんであんたが謝る?
 想定外の事態でした。いつも通りの仕事だと油断していたのです。危うくあなたを死なせてしまうところだった。
 よくあることだ。でも引き受けた以上はそれも私の責任の内だよ。

 リシュカはそれからスヴェトナを見返した。藤色の髪の少女は視界の下で右手を開いたり閉じたりしていた。唇が言葉を紡ごうと毛虫のようにもごもごとうごめいていた。やがて少女は旧友に向けて云った。
 ……リシュカ、お前は云ってたな。アリサと付き合っていると私は早晩死んでしまうって。だが今回の依頼の顛末だけを見ていたら華麗にして崇高なるモーレイ紳士に付き従っている方が私にはよっぽど危険に思えてくるんだ。事実アリサは右肩の肉を味見されたし奴の気が変われば私達だってその日のディナーにされてしまう可能性だってあったんだ。
 …………。
 分かったろ。安全な場所なんてないんだ。モーレイ氏は確かにこの屋敷で優雅に余生を過ごしていらっしゃるのかもしれん。でもそうした生活は私達やその他の人間の犠牲のもとに成り立ってる。――今回の取引が無事に果たされていたとしたら? そしたらあの麻薬を使ってさらに多くの人間が死地に追いやられる。三人がバラバラに解体されるくらいじゃ済まなかったんだ。

 ……それでもさ。
 リシュカが呟くように小さな声で答えた。
 それでもあんな地獄の生活に戻るのはごめんなんだ。――あんたなら分かるだろスヴェトナ? 今の時代を生きてる人間なら誰だって共感してくれるはずだよ。一度つかんだ幸運は死んでも手放したくない。そのために何を犠牲にしてでも……。
 彼女の声は途中までどんどん高まっていったが終わるころには再び小さくなっていた。喪服のような白黒の衣装の裾を握りながらうつむいた。スヴェトナが右手を伸ばした。手のひらでリシュカの頭をそっとなでた。
 それから彼女は云う。…………分かるよ。
 分かってる、と彼女は繰り返した。
 分かるからこそ、――私はお前の誘いに乗るわけにはいかないんだよ。リシュカ。

   ◇

 ゲストハウスの部屋でアリサは支度を整えていた。まだ怪我は完治してはいなかったが右肩の感覚は何とか戻っていた。買い物から戻ってきたスヴェトナが荷造りの手伝いをしてくれている。彼女は気づかわしげにこちらを見ながら云う。
 ……なぁ。
 なに。
 そう急ぐこともないんじゃないか。右腕を動かすたびに痛そうに顔をしかめてるじゃないか。
 万全とはいかないけど仕方ない。食べていかなくちゃいけないしこの部屋の贅沢に慣れすぎるのも好くない。
 お金はまだあるんだろう。
 前も云ったけどそのお金は額に汗して稼いだものじゃないんだ。元はといえばモーレイの奴が昔くれた金だからね。
 ……本当なのかそれ。
 ああ。この前の失敗ではっきりした。やっぱりあいつの金に頼り切るのは褒められたことじゃない。

 スヴェトナは気まずそうに自分の胸元に手をやった。
 ……気にしてるのか。
 なにをさ。
 あのタリスマンを結局売ってしまったことだ。
 …………別に。
 私は気にしてないからな。本当に。治療費がかさむのは仕方がないしお前の怪我を治すのが何より大切だ。

 アリサは顔をそらした。奥歯をゆっくりと噛みしめながら言葉を探した。
 ……失敗は誰にでもある。それは仕方がない。でも情けないって気持ちは消えないんだな。
 そういうこともある、だろう? ――繰り返すが私は何も気にしていない。
 でもあの御守りを身につけてたスヴェトナは本当に嬉しそうだったし何より綺麗だったから。

 横にいるスヴェトナが身動きするのが分かった。彼女はアリサの背中から両腕を回して抱きしめてきた。
 ……そう云ってくれるだけで充分幸せだ。
 無理してない?
 まさか。それにあれは御守りだ。こういう時のために役立ったんだから正しい使い道だろう。
 なら好いんだけど。

 窓から差しこんだ夕陽が部屋を照らしていた。もうすぐ夜がやってくる。それを予感してアリサは顔を上げた。寝息かと聞き間違えるほど穏やかなスヴェトナの吐息が髪にかかった。荷造りはまだ終わっていない。だがアリサはスヴェトナをさせるがままにしていた。ただじっと部屋の壁を見つめていた。そこに何かがあるわけではなかった。その先には何もない。それでも、とアリサは思う。身体の前に回されたスヴェトナの手首をぎゅっと握りしめてアリサはひとつ頷いた。そして目を閉じたのだった。

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 タリスマンのお話の完結をもちまして、いったん物語の区切りとさせていただきます。
 ここまでご読了くださった方へ、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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