くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

文字の大きさ
上 下
37 / 80
禿鷲の組合

#37 タリスマン (11)

しおりを挟む
 ロッジのベランダに出て夜空を見上げているとリシュカが後ろから肩を叩いてきた。足音はまったく聴こえなかった。私は危うく手すりを飛び越えて階下に転げ落ちそうになった。
 ……――びっくりさせるなこのバカ!
 ごめんよ。そんなに可愛い反応が返ってくるなんて思ってなかったから。
 場合が場合なら反射的に撃ち殺してたところだぞ。

 リシュカは毛布を一枚持っていた。それで私の隣にくっついて手すりにもたれかかり毛布の片端を渡してきた。しばらく間が空いた。私は毛布の端を握ったまま阿呆のように硬直していた。
 ――早くして。寒い。
 リシュカは横目で私を見ながらそう云った。白くて長い憂いを含んだまつ毛がまばたきの度に踊った。水気を含んで濡れ光るさまが目に見えるようだった。寒さで濁った息が吐きだされては山風にさらわれてすぐに姿を消していく。彼女の肩は微かに震えている。
 私は諦めて毛布の片端を自分の身体に巻きつけた。二人の肩がひたいを合わせて互いの体温を伝え合う。

 リシュカの手は子供のように熱いが頭は思っていたよりも冷たい。
 昔からそうだった。
 彼女はいつも身体のどこかで冷めていた。
 それが私には分かった。私にしか分からないだろう。アリサはもちろん彼女の主人のモーレイだって見抜けていない。

 リシュカは星のまたたく空を見上げながら呟いた。
 ……今も視るの?
 何を。
 昔の夢。
 うん。――まあ。
 砲撃の夢? たしか怪我人でいっぱいのテントに榴散弾が直撃したことがあったな。
 いや……。
 じゃあ仕事の夢?
 ええ。私はひとつ深呼吸を入れた。……テッセラを吸わされてそのままベッドに運ばれたときのこと。何もかもが七色のアメーバみたいにぼやけて見えたよ。ゴツゴツした手で身体をまさぐられる感触さえ上等な羽毛で撫でられているかのように感じた。認めたくはないけれど。そして何もかも終わったその後が酷かった。
 あれね。リシュカが眉をひそめた。――冷たくなった七面鳥みたいにもがき苦しむあんたを介抱したのを覚えてる。
 あの時は本当に死ぬかと思った。
 でも落とし前はしっかりつけてやったでしょ。
 うん。もうヤクはごめんだ。

 リシュカは煙草をポケットから取り出してライターで火を点けて吸った。
 私は云った。――なァそれ、アリサの煙草だろう。
 そうだよ。
 手癖の悪さは相変わらずだな。
 あんたも吸う?
 煙草はやらないんだ。ついでに酒もな。
 あら勿体ない。――あの子、なかなか好いのを吸ってるね。万年貧乏なのに。

 彼女は満足そうに煙草を吸い終えると指で吸殻を弾き飛ばした。そしてこちらにいっそう身を寄せてきた。反対側の肩に彼女の腕が回される。力を込めて引き寄せられる。リシュカが顔を近づけてくる。桜色の唇が呪文をかけようと試みて私の耳にささやきかけてきた。
 ――ねえ、スヴェトナ。
 なに。
 話を繰り返して悪いんだけど。
 だから何さ。
 ほんとうにあの子に付いていくつもり? ――このままずっと?

 リシュカの顔を見た。乾いた北風は身体を芯から凍らせる。それでも彼女の顔は熱で紅潮しているように見えた。それもまた彼女の脚色なのだとしたら驚異的な演技力だった。戦前に生まれていたならば女優としてスターダムに続く階段を一足飛びで駆け上がっていたかもしれない。私とリシュカの濁った吐息が芸術的に交わった。だが私の頭の芯はリシュカのそれと同じくらいに冷えていた。

 ……しつこいよリシュカ。私は答えた。そのうちお前もアリサのことが分かるよ。職業で偏見を持つな。
 人が好いとか悪いとか稼業がどうとかの問題じゃないんだよスヴェトナ。
 リシュカは私の肩を握る手に力を込めた。
 ……昼間も云ったけどあの子に付き合っていたらあんたは確実に巻き込まれて死ぬ。“前も似たようなことを云われた”ってあんた笑ってたな? ――ってことは私以外にも誰かまともな鑑識眼を持った奴が同じことを思ったってことだ。あたしはあんたを見殺しにするなんてごめんだ。逆の立場だったらスヴェトナはどうする?
 トラックの中じゃあんな邪険にしてきたくせに。

 リシュカは“あァ”と呻いて眉間のしわを深くした。
 ――……スヴェトナの気を引こうとしたんだよ。あれは。
 だったらお前の演技は見事に成功したよ。スタンディング・オベーションだ。認めざるを得ない。なんせあのとき私は猟銃で撃たれた小鹿みたいに傷つけられたからな。

 リシュカの瞳がはっと潤んだ。肩に回されていた彼女の手が私の頭の後ろに当てられた。その手がそっと頭を押してきて気づいたときには彼女と唇を合わせていた。ほんの一瞬の出来事だった。私が瞬きを一回挟んだときにはすでに彼女は唇を離して元の位置に戻っていた。

 彼女は云った。……頼むよスヴェトナ。モーレイ様に頼みこんであんたを雇ってもらう。それで私達は一緒だ。――今度こそ。ずっと。
 私は答えずに毛布をはぎ取ってぬるま湯のような空間から離脱した。冷たい風が背中に吹きつけて現実という名の死の世界へと私を引き戻してくれた。夢を視るのは終わりだ。

 私は矢車草のブルーの瞳を見ながら呟いた。……昔の関係には戻れないよ。リシュカ。熱がすっかり引いてこれ以上いくら叩いても鉄は形を変えてくれない。何もかもがあるべき場所に収まってる。友達としてやり直すことはできてもあの頃の私達はもう還ってこない。
 私はそう云い終えると振り返らずにその場を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...