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禿鷲の組合
#35 タリスマン (9)
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リシュカの手土産にスヴェトナが真っ先に反応した。
好いもの見つけたな。
おう。
まだ弾けるか?
弦は無事。これから音を合わせるよ。
調弦するにしても音叉がないだろう。
ケースのポケットに入ってる。
ラッキーだな。
大切に使ってたんだろうね。
持ち主はどうしてた?
干からびて真っ二つになってる。
気の毒だな。
鍋底に残ったペリッチャをスプーンでこそいで食べていたアリサが首だけを振り向かせた。
何それ。ギター?
ええ。懐かしくなってつい拾ってきてしまいました。
弾けるの?
はい。腕が鈍っていなければ。
食後の音楽か。仕事の最中なのに贅沢だな。
そう云ってアリサは再び残飯処理に戻った。よほどお腹が減っていたのかもしれない。背を丸めて鍋の中身を食べているアリサの姿は確かに禿鷲に似ている。死体の腹に鋭い嘴を突っこんで腐肉をむさぼる猛禽のそれだ。こんなちっぽけな少女でさえスカベンジャーの特質は好く備えている。リシュカは目を細めて禿鷲の少女を見ていた。
◇
リシュカはギターを取り出した。音叉で最初の音を合わせたあと五フレットと開放弦で残りの調弦を行った。音を確認しながらペグを回しているリシュカの姿をスヴェトナはソファの肘かけに頬杖を突きながら見ていた。
リシュカは訊ねた。――なに?
いや……。そうやって楽器を扱っている姿を見てるとさ。懐かしい気持ちになっただけ。
向こうじゃ唯一の娯楽だったからねェ。
お前がいちばん楽しそうにしてたのは歌ってるときだったな。
そう?
ああ。瓦礫に囲まれた場所でも汚物の臭いが絶えない場所でも。リシュカが歌えばそこはコンサート・ホールになった。戦前の人びとが時のアーティストに熱狂していたのも分かる気がするよ。疲れも傷も癒えることはないが少なくとも忘れることはできた。ブロックを積んで椅子代わりにして。ドラム缶に火を焚いてさ。雪がちらつく空の下でお前が座って古びたギターを弾いてる。
時どき演奏中に砲弾が飛んできたけどね。
あったな。
暖炉がぱちぱちと燃えていた。奇跡的に保存されていた弦楽器のヘッド部が炭火の明かりを完璧に照り返していた。外は夜の雪が降り始めている。昔と同じだなとリシュカは思った。
幾つかコードを押さえて音を確かめたあと手首を振った。それから呼吸を一つ入れてリシュカは歌った。
陽が降り注ぐ
でも向こうに黒い雲が見える
ぼくらは渡り鳥さ
変わりゆく空の機嫌をうかがって
先に行くよ ぼくは先に行く
吹雪いてくる前に
でもさ
あと二日 いや一日でもいい
君といたいと思う
だって
春がきたときには
ぼくは今までのぼくじゃなくなっているから
あと二日 いや一日でもいい
一日で……
春がきたときには きっと
ぼくは今までのぼくじゃなくなっているから
歌い終えたリシュカはスヴェトナと目を合わせた。濁った藤色の瞳は昔日の輝きを幾分か取り戻しているように見えた。あるいはそれは暖炉の明かりのせいかもしれない。旧友は頬杖を解いて親指の腹を唇に当てていた。背筋が伸びていた。リシュカがなおも熱を込めて見つめ続けているとスヴェトナは視線をそらした。
◇
……好い唄だな。
鍋の中身を片づけたアリサがスプーンを置いて云った。
ええどうも。
リシュカ、――あんたは故郷にいたころ何をやってたんだ? 路上で唄を歌って稼いでいたとか?
…………。
アリサはスヴェトナの方を振り向く。
――そういやスヴェトナがツェベックの爺さんとこで働く前のこともあまり知らなかったな、私。
リシュカとスヴェトナは顔を見合わせた。旧友はバツが悪そうに顔を伏せた。横倒しになって水面に浮かんだ魚のように沈黙している。リシュカはギターのボディに二の腕を置きその上に顎を乗せた。微笑みを浮かべながらピックガードに爪を軽く打ちつけた。カンカンという冷たい打突音が暖炉の熾きの爆ぜる響きをかき消した。
リシュカはたっぷり間を空けてから口を開いた。
……ねェくず鉄拾いさん。ドリステンがどんな場所かご存知?
未だに紛争が続いてるのは知ってる。よくある民族紛争。破滅の時代で比較的被害を受けなかったもんだからそれが逆に今も戦闘を長引かせる主因になってるって聞いた。オーデルやサロッサなんかはとっくにみんな戦争なんて贅沢をやってる余裕がないからね。
それならお分かりになるかと思います。私もスヴェトナもあまり表だっては云えない職業に就いていました。あの場所では少年少女が真っ当に生きる糧を得られる職はほぼありません。兵士になって地雷原に突撃するか。それとも……、といった具合ですね。私はこのダッフルバッグの中身と似たようなものを売り歩いていましたしスヴェトナも彼女にとって大事なものを売って暮らしてました。死にかけたことだって一度や二度じゃ済みません。
…………。
私は、――あたし達はその地獄で生まれ育ちました。二人で。――二人だけでね。
……そっか。悪いこと訊いたかな。
アリサは声の調子を落としてスプーンの先を見つめていた。実際には何も見てはいないようだった。
二人の様子を眺めていたスヴェトナが手を軽く叩いた。
――さぁ、もう休もう。明日は邦境を越えるんだ。しっかり寝ておいた方が好い。
好いもの見つけたな。
おう。
まだ弾けるか?
弦は無事。これから音を合わせるよ。
調弦するにしても音叉がないだろう。
ケースのポケットに入ってる。
ラッキーだな。
大切に使ってたんだろうね。
持ち主はどうしてた?
干からびて真っ二つになってる。
気の毒だな。
鍋底に残ったペリッチャをスプーンでこそいで食べていたアリサが首だけを振り向かせた。
何それ。ギター?
ええ。懐かしくなってつい拾ってきてしまいました。
弾けるの?
はい。腕が鈍っていなければ。
食後の音楽か。仕事の最中なのに贅沢だな。
そう云ってアリサは再び残飯処理に戻った。よほどお腹が減っていたのかもしれない。背を丸めて鍋の中身を食べているアリサの姿は確かに禿鷲に似ている。死体の腹に鋭い嘴を突っこんで腐肉をむさぼる猛禽のそれだ。こんなちっぽけな少女でさえスカベンジャーの特質は好く備えている。リシュカは目を細めて禿鷲の少女を見ていた。
◇
リシュカはギターを取り出した。音叉で最初の音を合わせたあと五フレットと開放弦で残りの調弦を行った。音を確認しながらペグを回しているリシュカの姿をスヴェトナはソファの肘かけに頬杖を突きながら見ていた。
リシュカは訊ねた。――なに?
いや……。そうやって楽器を扱っている姿を見てるとさ。懐かしい気持ちになっただけ。
向こうじゃ唯一の娯楽だったからねェ。
お前がいちばん楽しそうにしてたのは歌ってるときだったな。
そう?
ああ。瓦礫に囲まれた場所でも汚物の臭いが絶えない場所でも。リシュカが歌えばそこはコンサート・ホールになった。戦前の人びとが時のアーティストに熱狂していたのも分かる気がするよ。疲れも傷も癒えることはないが少なくとも忘れることはできた。ブロックを積んで椅子代わりにして。ドラム缶に火を焚いてさ。雪がちらつく空の下でお前が座って古びたギターを弾いてる。
時どき演奏中に砲弾が飛んできたけどね。
あったな。
暖炉がぱちぱちと燃えていた。奇跡的に保存されていた弦楽器のヘッド部が炭火の明かりを完璧に照り返していた。外は夜の雪が降り始めている。昔と同じだなとリシュカは思った。
幾つかコードを押さえて音を確かめたあと手首を振った。それから呼吸を一つ入れてリシュカは歌った。
陽が降り注ぐ
でも向こうに黒い雲が見える
ぼくらは渡り鳥さ
変わりゆく空の機嫌をうかがって
先に行くよ ぼくは先に行く
吹雪いてくる前に
でもさ
あと二日 いや一日でもいい
君といたいと思う
だって
春がきたときには
ぼくは今までのぼくじゃなくなっているから
あと二日 いや一日でもいい
一日で……
春がきたときには きっと
ぼくは今までのぼくじゃなくなっているから
歌い終えたリシュカはスヴェトナと目を合わせた。濁った藤色の瞳は昔日の輝きを幾分か取り戻しているように見えた。あるいはそれは暖炉の明かりのせいかもしれない。旧友は頬杖を解いて親指の腹を唇に当てていた。背筋が伸びていた。リシュカがなおも熱を込めて見つめ続けているとスヴェトナは視線をそらした。
◇
……好い唄だな。
鍋の中身を片づけたアリサがスプーンを置いて云った。
ええどうも。
リシュカ、――あんたは故郷にいたころ何をやってたんだ? 路上で唄を歌って稼いでいたとか?
…………。
アリサはスヴェトナの方を振り向く。
――そういやスヴェトナがツェベックの爺さんとこで働く前のこともあまり知らなかったな、私。
リシュカとスヴェトナは顔を見合わせた。旧友はバツが悪そうに顔を伏せた。横倒しになって水面に浮かんだ魚のように沈黙している。リシュカはギターのボディに二の腕を置きその上に顎を乗せた。微笑みを浮かべながらピックガードに爪を軽く打ちつけた。カンカンという冷たい打突音が暖炉の熾きの爆ぜる響きをかき消した。
リシュカはたっぷり間を空けてから口を開いた。
……ねェくず鉄拾いさん。ドリステンがどんな場所かご存知?
未だに紛争が続いてるのは知ってる。よくある民族紛争。破滅の時代で比較的被害を受けなかったもんだからそれが逆に今も戦闘を長引かせる主因になってるって聞いた。オーデルやサロッサなんかはとっくにみんな戦争なんて贅沢をやってる余裕がないからね。
それならお分かりになるかと思います。私もスヴェトナもあまり表だっては云えない職業に就いていました。あの場所では少年少女が真っ当に生きる糧を得られる職はほぼありません。兵士になって地雷原に突撃するか。それとも……、といった具合ですね。私はこのダッフルバッグの中身と似たようなものを売り歩いていましたしスヴェトナも彼女にとって大事なものを売って暮らしてました。死にかけたことだって一度や二度じゃ済みません。
…………。
私は、――あたし達はその地獄で生まれ育ちました。二人で。――二人だけでね。
……そっか。悪いこと訊いたかな。
アリサは声の調子を落としてスプーンの先を見つめていた。実際には何も見てはいないようだった。
二人の様子を眺めていたスヴェトナが手を軽く叩いた。
――さぁ、もう休もう。明日は邦境を越えるんだ。しっかり寝ておいた方が好い。
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