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禿鷲の組合
#34 タリスマン (8)
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ロッジの暖炉に灯がともされた。寒季が近づいており陽の入りは早い。荷物を下ろしてひと息ついた頃にはラウンジを照らす明かりは暖炉でぱちぱちと音を立てている焔のみとなった。ロッジは吹き抜けになっており天井が高くなかなか温まらなかった。眠るときには三人して暖炉の前で身を寄せ合うことになりそうだ。
リシュカは半装軌車に積んできた荷物から三人分の夕食を取り出して調理を始めた。火にかけた鍋に固形物を放りこんで溶けるまで熱するというシンプルな作業。立ち昇ってくる肉と脂の焼ける匂い。それにつられたアリサが肩をくっつけながら鍋を覗きこんできた。
――なにこれ。初めて見る。
スカベンジャーなのに知らないのですか。立派な保存食ですよ。長旅には欠かせません。
保存食つっても缶詰かビスケットくらいだからな私は。
リシュカは寝具を広げている旧友の方を振り返って訊ねた。
――どうスヴェトナ。懐かしい香りでしょ?
ああそうだな。
アリサが目を輝かせて声をかける。
教えてよスヴェトナ。何の料理だこれ?
ペリッチャ。私達の故郷では好く食されていた。雪原ヤクからとった脂肪を加熱して溶かす。そのあと干し肉やドライフルーツやらと一緒に混ぜてから冷やすと煮凝りのように固まる。それを包んで持ち歩くんだ。再度加熱するだけで食べられるから北の地では重宝されていたよ。
へえ。ただの茶色い石ころかと思ったら脂肪の塊だったのか。
身体が芯から温まりますよ。
栄養もありそうだな。
再び鍋を覗きこんで香りを吸いこむアリサにリシュカは云う。
……くず鉄拾いさん。さっき云ってたビスケット、分けてくれませんか。
どうするんだそんなの。
少量の湯にビスケットを溶かしてペリッチャに混ぜると即席のシチューになるんです。
へへえ……。
アリサの唇がひくつくように動いて笑みを形作った。声の調子も表情の変化も抑えきれずに零れ落ちた様子がありありと伝わってきた。いそいそとバックパックからビスケット缶を取り出しているアリサの背中をリシュカは飽きずに見つめていた。血のように紅い屍肉喰らいの外套。無表情を繕った普段の冷静な態度。――だが言葉を幾らも重ねないうちに見せかけの表層は溶けてなくなる。それまで隠れていた年相応の少女が雪兎のようにひょこっと頭を出してくる。彼女の様子は水を湛えた堰堤に似ていた。風雨の洗礼を受けて傷んだその壁は一見して強固そうに見えるが実際にはあちこちに亀裂が走っている。決壊して何もかも台無しにしてしまう危うさをはらんでいる。補修がなければとっくに崩れていてもおかしくはない。――モーレイ様という物質的な支えさえなければ。とうの昔に。こんな少女は。
リシュカは表情を変えなかった。微笑み続けていた。スヴェトナが横目でじっとこちらの様子を窺っているのが分かっていたからだ。
◇
ロッジは屋根の一角が老朽化で崩れており真下の部屋が瓦礫で埋まっていた。到着した際の探索ではその部屋だけは望み薄だと判断して調べていなかった。
食事後にリシュカは持参してきたバールを右手にその部屋へ向かうため階段を昇った。バールは握りを好くするために取っ手のところにテープが何重にも巻きつけてあった。全長はリシュカのつま先から腿の付け根の高さまであり両端の梃子の作用部も通常のものより二倍近くは大型だった。木製のドアどころかシェルターで使われている防爆隔壁もこれ一本でこじ開けられそうだった。戦前ならば業務上の許可なく所持しているだけでも逮捕されるような代物だ。片側の先端は狭い箇所へ差しこむためにL字に曲がっていたがくぎ抜きの部分がこびり付いた古い血と毛髪で汚れていた。
リシュカは愛用のバールを手に部屋のドアを難なくこじ開けた。歪んだドアは人間があばら骨を折られた時のような音を断続的に響かせながら開いた。リシュカは部屋に一歩入って立ち止まった。視線を床から天井へと徐々に上げていった。それからまた床に戻した。床には干からびた死体がひとつ転がっており首にロープが巻きつけられていた。ロープのもう一端が結びつけられていたはずの天井の梁は腐って落下し死体の腹部を押しつぶしていた。臭いはなかった。遺骸のぼっかりと開けられた口は今も酸素を求めて喘いでいるかのように見えた。
リシュカは表情を変えずに部屋を探索した。隅に黒い樹脂製の入れ物が立てかけられていた。それはギター・ケースだった。蓋を開けて中身を確認した。古木のような焦げ茶色のアコースティック・ギターが一本。新品とはいえないが奇跡的に状態はいい。弦もそろっている。リシュカは蓋を閉じて微かにうなずいた。ギター・ケースの表面をさらさらとなでた。戦前に人気だったシンガーのサイン入りステッカーが貼ってあった。
リシュカは死体とギター・ケースとを交互に見た。それからバールとケースを拾い上げて階下に戻った。
リシュカは半装軌車に積んできた荷物から三人分の夕食を取り出して調理を始めた。火にかけた鍋に固形物を放りこんで溶けるまで熱するというシンプルな作業。立ち昇ってくる肉と脂の焼ける匂い。それにつられたアリサが肩をくっつけながら鍋を覗きこんできた。
――なにこれ。初めて見る。
スカベンジャーなのに知らないのですか。立派な保存食ですよ。長旅には欠かせません。
保存食つっても缶詰かビスケットくらいだからな私は。
リシュカは寝具を広げている旧友の方を振り返って訊ねた。
――どうスヴェトナ。懐かしい香りでしょ?
ああそうだな。
アリサが目を輝かせて声をかける。
教えてよスヴェトナ。何の料理だこれ?
ペリッチャ。私達の故郷では好く食されていた。雪原ヤクからとった脂肪を加熱して溶かす。そのあと干し肉やドライフルーツやらと一緒に混ぜてから冷やすと煮凝りのように固まる。それを包んで持ち歩くんだ。再度加熱するだけで食べられるから北の地では重宝されていたよ。
へえ。ただの茶色い石ころかと思ったら脂肪の塊だったのか。
身体が芯から温まりますよ。
栄養もありそうだな。
再び鍋を覗きこんで香りを吸いこむアリサにリシュカは云う。
……くず鉄拾いさん。さっき云ってたビスケット、分けてくれませんか。
どうするんだそんなの。
少量の湯にビスケットを溶かしてペリッチャに混ぜると即席のシチューになるんです。
へへえ……。
アリサの唇がひくつくように動いて笑みを形作った。声の調子も表情の変化も抑えきれずに零れ落ちた様子がありありと伝わってきた。いそいそとバックパックからビスケット缶を取り出しているアリサの背中をリシュカは飽きずに見つめていた。血のように紅い屍肉喰らいの外套。無表情を繕った普段の冷静な態度。――だが言葉を幾らも重ねないうちに見せかけの表層は溶けてなくなる。それまで隠れていた年相応の少女が雪兎のようにひょこっと頭を出してくる。彼女の様子は水を湛えた堰堤に似ていた。風雨の洗礼を受けて傷んだその壁は一見して強固そうに見えるが実際にはあちこちに亀裂が走っている。決壊して何もかも台無しにしてしまう危うさをはらんでいる。補修がなければとっくに崩れていてもおかしくはない。――モーレイ様という物質的な支えさえなければ。とうの昔に。こんな少女は。
リシュカは表情を変えなかった。微笑み続けていた。スヴェトナが横目でじっとこちらの様子を窺っているのが分かっていたからだ。
◇
ロッジは屋根の一角が老朽化で崩れており真下の部屋が瓦礫で埋まっていた。到着した際の探索ではその部屋だけは望み薄だと判断して調べていなかった。
食事後にリシュカは持参してきたバールを右手にその部屋へ向かうため階段を昇った。バールは握りを好くするために取っ手のところにテープが何重にも巻きつけてあった。全長はリシュカのつま先から腿の付け根の高さまであり両端の梃子の作用部も通常のものより二倍近くは大型だった。木製のドアどころかシェルターで使われている防爆隔壁もこれ一本でこじ開けられそうだった。戦前ならば業務上の許可なく所持しているだけでも逮捕されるような代物だ。片側の先端は狭い箇所へ差しこむためにL字に曲がっていたがくぎ抜きの部分がこびり付いた古い血と毛髪で汚れていた。
リシュカは愛用のバールを手に部屋のドアを難なくこじ開けた。歪んだドアは人間があばら骨を折られた時のような音を断続的に響かせながら開いた。リシュカは部屋に一歩入って立ち止まった。視線を床から天井へと徐々に上げていった。それからまた床に戻した。床には干からびた死体がひとつ転がっており首にロープが巻きつけられていた。ロープのもう一端が結びつけられていたはずの天井の梁は腐って落下し死体の腹部を押しつぶしていた。臭いはなかった。遺骸のぼっかりと開けられた口は今も酸素を求めて喘いでいるかのように見えた。
リシュカは表情を変えずに部屋を探索した。隅に黒い樹脂製の入れ物が立てかけられていた。それはギター・ケースだった。蓋を開けて中身を確認した。古木のような焦げ茶色のアコースティック・ギターが一本。新品とはいえないが奇跡的に状態はいい。弦もそろっている。リシュカは蓋を閉じて微かにうなずいた。ギター・ケースの表面をさらさらとなでた。戦前に人気だったシンガーのサイン入りステッカーが貼ってあった。
リシュカは死体とギター・ケースとを交互に見た。それからバールとケースを拾い上げて階下に戻った。
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