くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

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禿鷲の組合

#29 タリスマン (3)

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 ――じゃ、ちょっと出かけてくるから。
 夕食を終えた主人はそう云って立ち上がった。
 仕事か?
 まぁね。
 私も椅子を引いて立ち上がる。――なら同行しよう。
 いいよ別に。スヴェトナは休んでいて。
 それは駄目だ。
 一日作業してて疲れただろ。
 これしきのことでバテやしないさ。
 ……スヴェトナ。

 アリサはテーブルにそっと片手を置いた。彼女はすでにスカベンジャーの紅い外套を羽織っており顔をうつむけると表情が半ば隠れて感情を読み取るのが難しくなる。口元が隠れてしまうのだ。彼女の空色の瞳は澄んでいるばかりで余計なことを語らない。目つきの悪い私とはそこが違った。それは星一つない天球を思わせる。美しいと同時に空虚なのだ。

 ――この際だから云っておきたいんだけどさ。アリサは語った。私はスヴェトナが旅に付いてきてくれて嬉しく思ってる。それは間違いない。……でもあんたを従者にした覚えはない。堅苦しいのは嫌だし尽くされるのも御免だ。友人みたいに接してくれたら私も助かる。
 友人……。
 ああ。友達。
 私は“友情”という言葉が苦手なんだ。喉の奥がむずむずしてくる。
 じゃあ別の言葉で云い換えても好い。……とにかく無理に付き添う必要はないんだよ。
 ――それじゃ駄目なんだ。
 どうして?

 私はアリサから貰ったタリスマンを右手で握りしめる。
 …………かつて私は大切な人を二度も喪った。どちらも私の目の前で。
 彼女は無言で話を聞いていた。
 傍にいながら護れなかったんだ。ただでさえこんな不甲斐ない人間が主人から離れていてどうして役立てる? もうあんな無様な失態は沢山だ。今度こそ恩人を、――私の命に代えてでも護りたいんだ。それだけだよ。それの何がいけない?
 悪いってわけじゃないよ。
 じゃあ何でそんな哀しそうな顔をする。
 哀しいんじゃない。重いんだ。
 …………。

 スカベンジャーの少女は外套の襟を目蓋の下まで引き上げた。首を絞められているかのように眉間に皺が寄っている。私はタリスマンを握りしめ彼女は外套の襟をつかんでいる。二人して似たような姿勢でテーブルを挟んで睨み合っていた。以前にもこんなことがあった。――と云っても今みたいに静かな夜でもなければまともな・・・・夕食が出る席でもなかったが。

 …………分かったよ。
 幾ばくかの呼吸を挟んでからアリサは溜め息まじりに云う。
 スヴェトナの好きなようにしたらいい。
 ああ。
 行こう。そんなに遠い場所じゃない。

   ◇

 セントラーダの街は戦時中に一度月面のようになったと聞いている。三波に分かれた爆撃機が海中を行進する魚群のように空を覆って一昼夜に渡り猛爆撃を加えたらしい。らしいというのはスカベンジャーの組合事務所の受付の女性が親切に教えてくれたからだ。彼女はこの都市の生まれであり戦時中に幼少期を過ごし父親は爆撃のあった夜に死んで母はその後に栄養失調で亡くなっていた。

 爆撃を生き残った大人はみな発掘作業に追われた。出入口が塞がった地下鉄や防空壕の中に生存者がいるかもしれないからだ。だが彼らが掘り当てたのは緑茶色の液体と人骨が溜まった巨大な鍋底か。さもなくば即席の蝋人形館だった。中にある死体は無傷だった。ただグズグズに溶けていた。何百体もの遺骸が熱で溶解して混ざり合い防空壕の内部はさながら煮こみ過ぎたスープ鍋の有り様だった。時間が経つとそれらが腐って芥子ガスのような悪臭を地上へと噴き上がらせた。それで街中が反吐の出るような臭いに包まれた。
 ――私は母といっしょに父を探したわ。
 暇を持て余した組合の受付の女性はそう語った。
 ……でも見つかるはずがなかった。歯型か何かで特定しようにも鑑定できる人がみんな死んでしまったからね。目に映る色は灰ばかり。街全体が瓦礫の山。水道も電気もない。食料も水もない。それらが街の外から届けられる見込みもない。助けは何も来ない。それでも私達は留まったわ。父が帰ってくると信じてね。
 私が住んでたところも似たようなものでしたよ。
 彼女は私の給仕服を頭のてっぺんから爪先まで検分した。受付といってもその女性は私のように華やかなエプロンドレスを着ているわけではなかった。薄汚れたジーンズにシャツ、その上に紅く染めた軍用の作業服を着こんでいた。
 ……あなたはどこから来たの?
 私は自分がかつて住んでいた領邦の名前を告げた。
 彼女は首を振った。――むごいことが沢山起きたそうね。あそこは。
 私がいたときは未だに紛争を繰り返していました。あれから四年は経ってるはずですが今も殺し合いを続けているでしょう。
 捕らえた子供を兵士にして前線に送り出していると聞いたわ。
 ええ事実です。
 あなたもそうだったの?
 違います。軍役には就いていません。危うく別の役割を押しつけられそうになりましたが。
 彼女は再び首を振った。

   ◇

 アリサが二輪車を停止させてエンジンを切った。私は彼女の腰に回していた腕を解いてバイクから降りた。主人はすぐには動かずにハンドルに両手を置いたまま耳を澄ませていた。私もならって目を閉じた。何も聴こえない。大空襲を受けた日の翌朝の静寂が未だに続いているかのようにしん・・としている。

 その住宅地はセントラーダの中心街から離れており道は水の涸れた巨大な池の跡を回りこむようにカーブを描いていた。戦前は金持ちの老人達がこの閑静な宅地で余生を過ごしていたのかもしれない。浅い盆地に適切な距離を保って立ち並んだ家々。どの家にもピケットフェンスで仕切られた庭が例外なく付いていたが人気ひとけはなくシーズンオフのようなうらぶれた雰囲気を漂わせている。

 何だか墓場みたいな場所だな。と私は云った。爆撃の被害こそ受けていないがそれが却って不気味だ。
 住んでるのも同じくらいおっかない奴だよ。
 なおさらアリサ一人に行かせるわけにはいかないなこれは。
 別に悪人ってわけじゃない。話の分かる奴だ。ただ出口のないトンネルみたいに人を落ち着かなくさせるだけ。

 アリサは門柱に設置されているインターフォンを押した。ツェベック様のお屋敷以外にもこのような文明の利器が末期まつごの呼吸を続けている場所があったとは。間が空いて私達と同年代の少女らしい声がひどいノイズ混じりに聴こえた。
 ……どちら様でしょうか。
 くず鉄拾いのアリサだ。モーレイ氏と会いたい。
 アリサ様ですね。伺っております。今お出迎えいたします。

 給仕らしき少女が案内のために家から出てきた。私はその姿をじっと見ていた。彼女は紅梅色の髪を後ろにきちんとまとめており鋼鉄のような微笑みを顔に浮かべていた。その油断なき視線はポケットに入れたどんな小さい凶器でも立ちどころに見破ってしまいそうだった。革張りの立派な帳面のようなものを右脇に抱えこんでおり高級料理店のお品書きを思わせる。給仕服だかスーツだか分からない白黒の服装に身を包んでおりスカーフも履いている靴も漆黒に染められている。まるで喪服のようだ。――今のご時世、自分の冷徹さを見せつけようとする人間はいくらでもいる。その点で彼女は自分の役目を完璧に果たしていた。来訪者に“変な気を起こすな”と言外に伝えるという役割を。

 …………リシュカ?
 私は呟くように云った。アリサが私を見た。彼女も眉ひとつ動かさずに私に視線を向けた。
 失礼。どちら様ですか。リシュカは私に云った。初対面のはずですが。
 何とち狂ったこと云ってんだ。私だ。――スヴェトナだよ。
 私は一歩近寄ったが彼女も一歩下がって距離を保った。反発する磁石のようだ。

 事情を呑み込めないアリサが首を傾げる。――なに。知り合い?
 古い“友達”だよ。
 えらい偶然もあったもんだな。でもこいつはスヴェトナのことを知らないみたいだぞ。別人なのかそれとも頭でも打って記憶を亡くしたか。
 リシュカは首を振った。
 繰り返しますが私はあなたのことを存じ上げません。それから彼女はアリサに向き直る。……モーレイ様がお待ちです。
 少女はさっさと振り返って歩いていってしまった。アリサは私の顔を気づかわしげに見てから後に付いて歩き始めた。私はしばらくその場に立ち尽くしていたが再度アリサがこちらをかえりみてきた。そこで硬直が解けた。私は深呼吸してから彼女達の後を追った。

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