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モーテル
#13 紅蓮 ★
しおりを挟む* illustrated by Yamamomo
慎ましく暮らす家族のような団欒の時間も終わった。久々にぐっすり眠っていたアリサはその夜遅くにスヴェトナに起こされた。アリサの肩を激しく揺さぶりながら押し殺した声で従者の少女は云う。
敵襲だ。
な、――なに、何だって?
敵襲だって云ってる。――いや正確にはまだ敵かどうか分からんが。
アリサは寝返りを打った。あんたが適当に追い返しとけばいいだろ。
正気か? 報酬の分は働け!
護衛まで頼まれた覚えはないぞ。
このゾウリムシ! いいから起きろ! 報酬なら私からもツェベック様に増額を願い出てやるから!
スヴェトナがもう一度肩をつかんで揺さぶってきた。その手が震えていることに気づいてアリサは身を起こす。
……もしかしてスヴェトナ、――あんた戦えないのか?
そ、そんなことはない。銃の心得はある。スヴェトナは部屋の出口に視線を向けてから戻した。……だが私一人で戦うのは初めてなんだ。
アリサは天井を仰いだ。――どういうことだよ。それでよくおっさんの従者が勤まってきたもんだな。ただでさえ金持ちは狙われるだろ。
いつもなら私以外にも雇われの傭兵がいるんだがな。あの方は今回の出張に限っては私だけを連れていくと仰って譲らなかった。大げさにしたくないと。肩肘張らずに出向きたいと。そもそもツェベック様は傭兵という人種がお嫌いなのだ。
それで死んだら元も子もないだろう。――人数は?
十人は下らない。全員が手製の銃で武装してる。いま表でツェベック様を出せと喚いてる。
アリサは急いで寝台から降りた。サイドボードに置かれた拳銃を腰のホルスターに差しこみ壁に立てかけてあった散弾槍を引っつかんだ。そして胸のポーチから榴弾を取り出し先端部の信管から安全ピンを抜いた。先台を引いて榴弾を薬室へ慎重に装填しながらスヴェトナに訊ねる。
……いちおう訊いとくけど散弾槍の弾代もツェベックの爺さんが出してくれるの?
当たり前だ。依頼にかかる費用は別途お支払いなされる。
それじゃ気兼ねなく撃てるな。信管付きのは高いんだ。
スヴェトナは頷いて自身の得物を持ち上げた。見た目は単発式のライフルだがレシーバーに純金のような輝きを放つ飾り彫りが施してあり雷管を打つべき撃鉄がどこにも見当たらなかった。
なんだそれ。変わった銃だな。
特注品だ。術式で魔鉱弾を発射する。
初めて見たぞ。あの爺さんそんなオーパーツめいた高級品まで持ってんのかよ。
準備は好いか? ――さァ行くぞ。
◇
ツェベックを管理棟に残して二人は裏口から外に出た。スヴェトナの云う通り“敵”は大所帯だった。アリサは建物の角から顔を覗かせて人数を確かめた。十二人はいる。そのうち十人が銃を手にして並んで立っていた。他の二人はトラックの荷台だ。車は左側面をこちらに向けて停車しており荷台にいる二人のうち一方が三脚に固定された重機関銃に取りついている。もう一人は車のルーフレールに取りつけられた哨戒灯を担当しているようだった。
フォーレンホルンを差し出せ。男たちの一人が叫んだ。ここにいるのは分かってンだ。
厄介だな……。スヴェトナが隣で舌打ちする。あんなデカブツまで持ち出してくるなんて。
あいつらは何だ? 傭兵でもなさそうだし軍人でもない。
それは――。
いや話は後にしよう。アリサは遮った。先に出るよ。私が撃ったらあんたはここから援護してくれ。
それではアリサ、お前を囮にしてしまうことになる。あれの威力は知ってるだろ? 一発でも喰らったら四肢が弾け飛ぶぞ。
スヴェトナは顔を知られてるんだろ? だったら私が行って油断させるしかないだろ。
できることならここを戦場にはしたくないんだが……。
そんなこと云ってる場合か。あいつらが一か所に固まっている今がチャンスだ。散開されたら勝ち目はないぞ。
…………分かった。ツェベック様の安全が最優先だ。
アリサはゴーグルを引き上げて目元を隠してから建物の裏を回って彼らの正面に出た。鋭い指示の後すぐに哨戒灯がこちらに向けられた。アリサは怯まずに歩き続けたが遮光レンズが入ったゴーグル越しでもその光は強烈だった。闇夜に生まれた銀色の太陽に温もりはない。冷たかろうと熱かろうと近づきすぎれば命はないだろう。それでもアリサは歩き続けた。
男たちが一斉にコッキング・レバーを引いて薬室に初弾を送りこむ音が聞こえた。その音は錆びた金属がこすれて軋んだような詰まった響きだった。銃の整備にはあまり熱心でないらしい。それを知ることができてアリサは少しだけ肩の筋肉の緊張を緩めた。
――止まれ。先頭の男が云った。屍肉喰らいがここで何してる?
スカベンジャーのやることと云ったら決まってるだろ。
アリサは警告を無視して歩き続けた。まだ散弾槍の射程外だった。
男は苛立ちを含ませて云った。下手な演技は止めろ。フォーレンホルンは何処にいる?
誰だよそれ。知らないな。
……吹き飛ばされたいのか糞餓鬼。
まア私の話を聞けって――。
おい止まれと云っただろうがッ!
男たちが銃を構えてこちらに向けた。荷台の重機関銃もこちらを向いている筈だがすぐ隣の哨戒灯が眩しすぎて見えない。見えないことが逆に要らぬ想像を掻き立ててきた。闇夜の中で冷たい太陽がもう一つ弾けた瞬間がつまりは私の最期なんだとアリサは頭の隅で考えた。大口径の弾丸は命中した瞬間にアリサの内臓の一切合財を持っていくはずだった。運悪く頭に直撃すれば首から上は血煙になって弾け散るだろう。大地を踏みしめる脚から感覚が失われていった。まるで魔法をかけられてただの棒切れに変化していくかのように。自分が致命的に馬鹿なことをやらかしているんじゃないかという考えが癌細胞のように増殖して脳髄を満たしていった。死刑執行台をそれと知らず喜び勇んで向かって歩いていくような……。
アリサは声が上ずらないよう全神経の注意を喉に注いで再度呼びかけた。
悪いがお前たちの探し人のことは本当に知らない。昨日到着したばかりの通りすがりなんだ。
その馬鹿でかい散弾槍を下ろせ。――最後の警告だ!
男が銃から片手を離して頭上に掲げた。アリサは立ち止まった。まだ遠かったがこれ以上は無理だった。散弾槍の引き金にかけた指が震えていた。双方は睨み合った。アリサも男たちも口を閉じたまま沈黙に身をさらしていた。
静寂を破ったのは禿鷲だった。電柱に留まってじっと成り行きを見届けていた彼らが一斉に羽ばたいた。同時に首を絞められた赤子のような鳴き声を上げた。闇夜の中でその鳴き声は死神の隊商が奏でる音楽のように不吉に響いて男たちの注意を集めた。
アリサはその瞬間を逃さず引き金を引く。散弾槍から発射された榴弾は音速の壁を喰い破って直進し男たちの目前で炸裂した。信管作動による曳火で榴弾の外殻に眠っていた数百の金属球が解き放たれる。爆風と共に飛来する金属片は男たちをまとめて薙ぎ倒しその内臓を新品のカミソリのように引き裂いた。悲鳴はない。呻きもない。驚いた禿鷲たちの飛び立つ音だけが後から追いすがる。
アリサは発射後すぐに手近な廃車の影に滑りこんだ。初撃のショックから立ち直った機関銃の射手が訳の分からない怒声を発しながら起き上がるところだった。充分に近づけなかったせいで信管の作動が予定よりも早くなり荷台にいる二人を無力化できなかったのだ。
排莢して次は散弾を放とうと身を乗り出したときアリサの頭の横の空間を大口径弾が切り裂いた。右耳の聴覚が一瞬で吹き飛びアリサは脊髄反射で廃車の影に身を伏せた。だが機関銃弾は車体を易々と貫通して火花を散らしながら伏せているアリサの頭上を突き抜けた。一発一発に込められた殺意が手に取るように感じられた。アリサは地面に身体を必死に縫いつけながら叫んだ。
――スヴェトナ! ――――早くしてくれッ!
叫びに応えるように一発の弾丸が放たれた。中空に紅い航跡を描き魔鉱駆動エンジンに似た甲高い音を轟かせるスヴェトナの反撃。それは銃撃の音というよりも楽器の和音に似ている。魔鉱弾はトラックに着弾する寸前で力を解放し火炎が渦を巻いて車体を包みこんだ。声なき悲鳴が荷台から上がった。――次の瞬間、大爆発が起こって車輌が数メートル浮き上がった。積んであった弾丸の火薬に引火したのだ。闇夜は一瞬にして白昼へと裏返り空を煌々と染めあげた。
アリサは爆発が起こってからもしばらく車体の影に隠れて頭をかばっていた。破片や落下物の心配がないことを確かめるためだったがそれ以上に腰が抜けて動くことができなかった。十数秒が経過してから少女はよろよろと起き上がった。散弾槍を杖にして立ち尽くす。そして炎上を続けるトラックの残骸を夢でも見ているかのようにぼんやりと眺めていた。
男たちの半数は火炎に巻かれて焼死していた。それでも数人がしぶとく生き残って地面でもがき続けていた。アリサは何度か瞬きしてから散弾槍を構え直し戦いのケリを付けるために歩き始めた。
◇
スヴェトナが追いついてアリサの肩に手を置いた。
――無事で好かった。怪我は?
右耳がうまく聴こえない。すごい耳鳴りがするし蜂に刺されたみたいに痛んでる。
あとで診てやる。――にしても大した奴だな。死んでもおかしくなかった。
今だって歯の根が合わないよ。こんなことは金輪際ご免だ。
アリサはサイドアームの回転式拳銃を腰のホルスターから、スヴェトナは銃身と銃床を切り落とした水平二連ショットガンを右脚のホルスターから引き抜いた。炎上するトラックのそばで斃れた男たちは動かない者もいればのたうち回っている者もいた。アリサは深呼吸してからもがいている男の首を踏みつけて固定すると口内にバレルを差しこみ一発撃った。彼は全身を痙攣させて動かなくなった。
お、おい……。
後ろで呟いたスヴェトナを無視してアリサは焼死した者以外の全員の口に一発ずつ撃ちこんで脳幹を破壊した。暗くて気がつかなかったが女も二人混じっていた。焼死して性別も分からなくなった死体の中にもいたかもしれない。一仕事を終えると拳銃をホルスターに戻して深い息を吐きだした。
容赦ないな。スヴェトナが云う。治療すれば助かったかもしれない。
深刻な後遺症を患ってか? ――止めを刺してやったほうがまだしも慈悲深いよ。
確かにそうだが。こうまでためらいなく殺る奴は初めてだ。
あんただって結構エグい弾丸を使ったじゃないか。
戦闘中の敵を相手にするのと戦意を失った人間を相手にするのとの間には差があるぞ。
アリサは振り返ってスヴェトナの瞳をじっと見返した。従者の藤色の瞳は炎の照り返しを受けて輝いていた。彼女は目をそらした。……な、なんだよ。
……私だって殺人への忌避感くらいは持ち合わせているよ。アリサは彼らが使っていた銃を拾い集めながら云う。単に怖いだけなんだ。残酷な仕打ちは恐怖の裏返しみたいなもんだ。――こいつらの誰かが死んだふりをしてこっちが背中を向けた途端に撃ってくるかもしれない。私はまだ死にたくないんだよ。
スヴェトナはゆっくりと頷く。
……悪かった。お前の云う通りだろう。
アリサが女の死体の服のポケットを探ろうと屈んだとき炎上するトラックの死角から乾いた破裂音がした。二人は反射的に身を伏せた。男が一人悲鳴を上げながら倒れるところだった。彼が取り落とした銃はレシーバーが弾倉ごと吹っ飛んでいた。バレルが真っ二つに裂けており最早ただの金属片に成り下がっていた。
スヴェトナが駆け寄って男の脇腹を蹴っ飛ばすと散弾銃をこめかみに当てた。
――やれやれ暴発、いや腔発か? ……アリサ、命拾いしたな。お前を狙っていたぞ。
ちゃんと整備しないからこうなるんだ。
アリサは男の顔を覗きこんだ。炎上する車両の明かりで壮年だと分かった。額に脂汗を浮かべて苦痛に耐えていた。猟銃で撃たれた獣のように足をばたつかせて痛みをごまかそうとしている。
スヴェトナが彼の右手首をつま先で小突いた。――うへぇ。指がほとんど全部吹っ飛んでるぞ。
あんたが持ってるソードオフは特に気をつけろよ。アリサが後を継ぐ。指どころか手首から先が丸ごともげた奴を見たことがある。
男が横目でこちらを見上げてきた。目蓋が震えている。
降参だ。――降参する。もう充分殺しただろう?
まだ殺したりないと云ったらどうする?
助けてくれないか。二度とあんた達の前には現れない。――誓うよ。
スヴェトナが訊ねてくる。……私に任せてもらっていいか? 少しでも情報が欲しい。それにこいつの云う通りこれ以上の流血は沢山だ。
分かった。でもしっかり見張っておいてよね。
ああもちろん。
アリサとスヴェトナは燃え上がるトラックの火を借りて男の傷口を焼灼した。麻酔なしだった。絶叫する男の口に布切れを突っこみながらスヴェトナは声を張り上げる。
我慢しろ! ――いや耐えられない痛みなのは承知してるがとにかく我慢しろ。
処置が終わるころには彼は気絶していた。アリサは彼を苦労して背負い上げた。飛び去っていた禿鷲たちがモーテルに戻り始めたところだった。彼らを見上げながらスヴェトナは意地悪く笑った。
――ほら、こいつらの存在も捨てたもんじゃないだろう?
アリサは認めざるを得なかった。
……偶然だろうけど、――今回ばかりは助けられたな。
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