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モーテル
#10 紳士、ただ一人の ★
しおりを挟むアリサはその日もモーテルで捜索を続ける予定だったがどうにも身が入らなかった。それで外に出て身体の節々を伸ばしたりドラム缶で燻っている熾きを掻き回したり廃車の中で力尽きている白骨死体を観察したりしていた。その死体は部屋の前で駐車したところを撃たれたらしかった。着弾と同時に弾頭が割れるよう細工されており肋骨に鉛の破片が喰いこんでいた。シートの脇へと腕が力なく垂れ下がっている。
アリサが遺骸の服のポケットを探っていると魔鉱駆動の音が近づいてきた。入ってきたのは二輪車でもなければ軍用車両でもなかった。ピカピカに磨き上げられた黒い高級車でヘッドライトの上のところに旗が二本立てられていた。旗に描かれているのはこの領邦がまだひとつの国家としての体をなしていた時分に使われていた国章だった。
アリサはまばたきした。軽い目眩を覚えた。
先に降りたのは運転していた少女だった。場違いな給仕服に身を包んでおり国旗を模したスカーフを首に巻いている。後ろにまとめた藤色の髪を颯爽と揺らして後部座席のドアを開ける仕草は戦前の時代からタイムスリップしてきたかのようだと上の世代の者たちは云うだろう。だが給仕服のスカート部分は動きやすいようにスリットが設けられておりその隙間から傭兵が好んで着こむようなアンダー・アーマーが覗いている。
降りてきたのは恰幅の好い紳士だった。アリサはそれまでの人生で紳士と呼んで差し支えない人間を見たことはなかった。だが目の前の人物こそはその称号に相応しいように思われた。戦前の書物で描かれた姿さながらに山高帽を被り真っ黒なステッキを手に持っていた。首にはしっかりネクタイを締めていたが少女と同じくその柄は国旗模様だった。
男は白いものが混じった髭の先を指でつまみながら辺りを一望した。そして口を開いた。
――ああ、なんと嘆かわしいことだ。
彼は首を左右に振った。傍らに立つ少女も目を伏せて憂いを示した。
初老の紳士は続ける。……偉大な国家が斯くも荒廃する様を見て建国の父たちは何と云うだろうか。死骸が葬られぬまま風雨にさらされて。餓えと渇きにあえぐ人の姿おびただしく。国家の代わりに薄汚い組合の亡者どもが数少ない富を独占してさらなる搾取を続けている。――挙句の果てには年端もいかぬ可憐な少女がくず鉄拾いに身をやつしているなど!
……可憐って。それ私のこと?
アリサは顎に人差し指を当ててみせた。
紳士はうなずく。もちろんだ。……食うに困って屍肉漁りに堕ちたか。あるいは黄色の鑑札を受けるを好しとしなかったか。自分を恨むでないぞ幼子よ。恨むべきは国を滅ぼしてしもうた白煉瓦の馬鹿者どもだ。泥沼の対外戦争。悲惨な内戦。国家の大分裂。そして飢餓地獄……。総ては連中の無策が為すところだ。
白煉瓦? 連中?
政府だよ。
……政府ねぇ。
紳士は振り回していたステッキを下ろして溜め息をついた。そして車のドアに身をもたせかけた。従者の少女は日傘を差して容赦ない陽射しから主を守ってやっていた。
…………そうか。そうだな。知らぬのも無理はない。お前が生まれた時にはすでに国は滅びていたのだ。
アリサは腕を組んだ。政府があろうがなかろうが私はどうせアウトローだよ。自分の意思で父さんの後を継いでスカベンジャーをやってるんだ。誰かに文句を云われる筋合いはない。憐れみなんか真っ平ごめんだ。
だが待てしばし。本当にそれで好いのか。生まれた時代さえ間違えなければ今ごろお前はティータイムのクッキーでもつまみながら読書に耽っていたかもしれん。あるいは愛犬と戯れていたかもしれん。広々とした庭園でな。――想像したことがあるかね? 満ち足りた生活。健康的な毎日。憂いのない天国のような日々を。
そりゃさ、夢想くらいはするさ。……でもそんなこと考えても空しいだけだよ。
紳士は従者に視線を向けた。――これスヴェトナ。あれを持ちなさい。
スヴェトナと呼ばれた少女が首を傾げる。よろしいのですか?
構わん。言葉では通じぬ道理もあるものだ。
かしこまりました。
スヴェトナは車から傷ひとつないランチボックスを取り出してアリサの目の前で蓋を開けてみせた。中には夕陽のような色をした四角い固形物が入っていた。雪の結晶めいた白っぽいものが表面に散りばめられている。
嗅いだことのない甘い香りが鼻孔を満たした。アリサは唾を飲みこんだ。
……何これ。
本来ならツェベック様がアフタヌーンに召し上がれるはずだった極上のトフィーだ。ありがたく食え。……ただし一個だけだぞ。
タフィー?
トフィーだ。発音が違う。
薬か何かか? 生憎だけどヤクはやらないんだ。
お前は馬鹿か。菓子の類も見たことがないのか。
アリサはむっとして従者を睨み返した。害がないことを確認してから一個手に取り口に放りこんで咀嚼した。途端にその場にうずくまってしまった。両手で頬を押さえてすぼまる唇を隠そうとした。豊かな金髪が身体の後を追って背中に着地する。
二人の来訪者が見守る中ようやく嚥下してからアリサは立ち上がった。
――やっぱり薬じゃないかっ! 顎が落ちるかと思ったぞ!
ツヴェックという名の紳士が笑う。ほほほ。刺激が強すぎたか。無理もない。甘露な逸品を口にしたのは生まれて初めてだろうからな。だがお前の云うこともひとつの真理だ。砂糖も薬の一種には違いない。――どうだ、遠慮せずもう一個お上がりなさい。
ツェベック様……。
よいよい。よいのだ。
アリサはツェベックの顔と菓子とを交互に見ていた。従者のスヴェトナはニヤニヤしながらこちらを見ている。キッと見返してからランチボックスをひったくって残りのトフィーをぱくぱくと食べ始めた。
…………ありがとう。美味しかった。魔法みたいだった。
アリサは箱を返して頭を下げた。紳士は笑う。気に入ったようじゃな。戦前の時代はこれを当たり前のように食すことができた。薄気味悪い土色の空が広がることもなく。燦々と降り注ぐ陽射しの下でティー・タイムと洒落こんだものだ。――さて、スヴェトナ。
はい。従者の少女が後を継ぐ。――おいくず鉄拾い。お前が今ブタのように平らげたトフィーがいくらする代物なのか知ってるのか。
分かるわけないだろ。
スヴェトナは価格を告げた。アリサは別の意味で顎が落ちそうになった。
嘘だろ……。
嘘なもんか。ツェベック様こそは戦前の遙か三百年の歴史を通じて血統を繋いでこられた由緒正しき名家・フォーレンホルン家の現当主だ。あの悲惨な内戦で他の有力貴族や郷士が軒並み没落してもなお家名を保っておられるのは間違いなくこの方のご尽力によるものだ。――同時に真の愛国者でもある。
ふーん……。
アリサは腕を組んで紳士を見た。ツヴェックは辺りを歩き回りながらモーテルの外観を検分していた。廃車の中を覗きこみ炸裂弾を撃ちこまれた気の毒な死体に黙祷を捧げて首を振った。
今度はスヴェトナがムッとする番だった。……もっと感心してみせたらどうだ?
貴族と云われてもピンとこないんだ。要は金をたくさん持ってるってことなのか。
金だけで貴族になれるのなら工場の経営者も苦労はしない。
それでそのエラい人が私に何の用? 云っとくけどお金は持ってないよ。
ツェベックは顔だけを振り向けて笑みを浮かべてみせた。
……安心しなさい。トフィーはお近づきの印というものだ。スヴェトナが伝えたように儂は憂国の士だ。この国を愛しておる。だが国そのものが亡くなってしまった今となっては儂にできることはただひとつ。かつての栄光の欠片をほんの僅かでも再生させ艱難の時代を生きる人びとに資することだ。
ツェベック様は篤志家なのだ。
と、スヴェトナ。
主人は頷いて続ける。その第一歩としてまずはこのモーテルの営業を再開させたい。国中に張り巡らされたハイウェイ。それはこの国の血流そのものであると同時に文明崩壊後も私たちの手に遺された数少ない財産とも云える。モーテルは道行く人びとの心と身体を休める第二の我が家となるだろう。私は再建した各所のモーテルを無償で開放するつもりだ。
それはご立派なことで。
憐れなスカベンジャーの少女よ。お前にはしばらく私の手伝いをしてほしい。必要なものが山ほどあるのでな。
アリサは二人の顔をじっと見ていた。散弾槍の銃口こそ向けていないがトリガーには指をかけたままだった。
……何でよりによって私なんだ。あんたなら金の力でいくらでも人手を集められるだろ。どこの馬の骨とも知れないくず鉄拾いを雇いたいだなんてそんな酔狂な――。
――それはお前の目だ。
目?
か弱い幼子。お前の瞳にはまだ輝きが残っておる。ツェベックはステッキをトンっと地面に突いて云う。――それはこの世界のほとんど総ての人びとが喪ってしまった類いの輝きなのだ。いわば希望の灯だ。お前のような人間が私には必要なのだよ。どうだ。報酬は弾むぞ。
灯……。
そう。灯だ。
アリサは頭の後ろを掻いた。その場で何度か足を踏みかえた。
でもなぁ……。
ツェベックは云った。もっとお菓子が欲しくないかね。トフィー以外にもたくさんの甘露を取りそろえておるよ。それともお前はほろ苦い味の方が――。
――分かったやるよ。やれば好いんでしょ。
アリサの心は決まった。
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