くず鉄拾いのアリサ

Cabernet

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廃墟都市

#05 夜の街

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 陽が落ちて街にふたたび静寂が訪れた。戦前の集合住宅の一室。照明を最小限に落とし窓に暗幕を垂らしてから三人は夕食をとった。朝方に店の地下室で見つけた酒を兄は何本も空にした。持ち寄った缶詰を火にかけ燻製にした肉をナイフで切り分けてから無言で口に運び続ける。弟の散弾槍は部屋の隅に立てかけられており兄は濁った瞳を時おりそちらに向けていた。

 食事もあらかた済んだ頃合いになって彼は口を開いた。
 ……せめて埋めてやることくらいできなかったのかよ。あそこは教会だろ。墓場も近くにあったってのに死体を放置はねえだろうが。
 老人が吹かした煙草の煙を見つめながら云う。くず鉄拾いに土葬や火葬は御法度だろう。
 分かってるよ。だけど納得いかねえ。
 散々遺体を漁っておいて自分が死ぬときは安らかに眠らせてもらえるなんて思うなよってことさ。
 兄が酒瓶を叩きつけるように膝に置いた。
 ――それが納得できねえって云ってんだ。身内でさえちゃんと弔えずにあの汚らしい鳥どもに喰わせろってのか。はらわたをさらけ出して野ざらしにして。ぽかんと開いた口から飛び出した舌を珍味か何かみたいにつつきやがるあいつらにくれてやれだと。

 老人が半眼で青年を見据えた。……スカベンジャーは家族を持っちゃいかんとお前さんはトロッコで云っていたな。その理由を今のお前さんがこれ以上ないくらい明白な形で体言してくれとるわけだ。後学になる。
 ぶっ殺すぞクソじじい。
 老人が兄に顔を近づけた。アリサの角度からは老スカベンジャーの表情は窺えなかった。兄が酔いから醒めたように眼を開いて身を引いた。彼が黙っていると老人は云った。
 ――厭ならこの仕事から足を洗うことだ。悪いことは云わん。

 兄は黙って酒瓶に視線を落とした。アリサは煙草を取り出して一本吸った。しばらくして老人が立ち上がってアリサの肩に手を置いた。少女は老スカベンジャーの顔を見てから腰を上げて彼についていった。別の部屋に入りベランダに出て二人は夜空を見上げながら話をした。
 今回のことで気になったんだが。お前さんの父親の最期はどうだった?
 ……云いたくない。
 無理にとは云わんよもちろん。
 私はその頃からスカベンジャーとしては失格だったよ。さっきの話に照らして云うなら今も昔も私は掟破りだ。父さんは禿鷲に喰われることをむしろ喜んだだろうけど。でもどうしても私にはそんなことできなかった。これ以上はあんたには云えない。
 別に構わんよ。充分だ。

 銃声の止んだ街はまた元通りの死骸に戻っていた。まるで何千年も昔からそれが当たり前の状態であり月の明かりと同じように変わらず存在し続けてきたのだと云うように。何者も介在しなければ死骸は死骸のまま永遠に残り続けこの星の消滅のときまで生前の面影を語り続けていくのだと。でも実際は、と少女は首を振った。

 ……父さんが死んでから私が学んだのはこの世に不変のものなんて何もないってことだよ。月並みだけど本当にそうなんだ。私たちのようなくず鉄拾いや連中みたいな流賊がいなければ野ざらしになった死体はずっと尊厳を保っていられるのか。そんなわけない。すぐに野犬や禿鷲に喰い散らかされるに決まってる。そいつらもいなければ今度は蛆虫がご馳走にありつく。それさえいなけりゃ眼に見えない細菌が骨になるまで腐らせる。街だってそうだよ。風と雨が何もかもを削り取っていく。そうなる前に使えるものを回収してまだ生きている人のために還元するのが私の仕事なんだって形だけでも信じてきたよ。でも最近はその形さえもが曖昧になってきた。スカベンジャーの存在意義だって時が経てば変化する。形のないものもこの世界じゃ風化してしまうんだ。――爺さん、あんたは何を信じてる。何十年もスカベンジャーをやってきたんだから同じようなことを疑問に思ったりはしたんだろ。
 信じるも何も。老人は答えた。私は元から信じるものを持たんよ。スカベンジャーになった理由も軍にいるよりはマシだってその程度のことさ。格好つけてるんじゃなくて事実そうなんだ。理想を抱くにも私は戦争でいろいろなものを見過ぎた。これは生きてるだけでも儲け物とはまったく別の感情でな。肉体的な感覚は残っているのに心がどこか幽霊のように漂っている感触が永いこと消えないんだ。たぶん死ぬまでこのままだろう。そんな爺が人の輪に入って一緒に暮らせると思うかい。答えは明らかだよ。

 元の部屋に戻る前に老スカベンジャーが云った。
 ……結局、探し人は見つからずだったな。子供を一人死なせただけで終わってしまった。
 アリサは首を振った。そして再生機を取り出して記録した映像を老人に見せた。映っていたのは最後に逃げていった男の横顔だった。兄のスカベンジャーが取り逃がした相手。男の映像とアリサが差しだした写真とを見比べながら老人が片眉を上げた。
 ――こいつは驚いた。
 見間違いであってほしいと思ったよ私も。
 写真とはかなり風貌が違っているが。
 そうだね。でも間違いない。
 老人は煙草を踏み消してベランダの手すりにもたれかかった。
 ……聖職者だった父親が実は生きていて追い剥ぎになっていたと知ったらお前さんの依頼人はどう思うかね。
 あまり愉快な想像じゃないな。

 彼は元の部屋に視線を移してから云った。あの様子だとあいつ、弟の仇を討つためなら地の果てまで追いかけてなぶり殺しにするぞ。お前さんはどうする。正直に打ち明けて止めるつもりかい。
 アリサは再生機をしまって顔を上げた。
 あんたが手伝ってくれるっての。
 冗談じゃない。こっちが撃たれる。悪いが協力はできんな。
 それで正解だと思うよ。
 弱ったねえ。

 アリサはしばらく考えてから呟いた。……依頼人からは遺骨や遺品の回収を頼まれてる。生きた父親を連れてこいとは云われてない。
 まあそれが落としどころだろうな。
 少女は老人を睨んだ。
 ……何だよニヤニヤして。
 そんな顔してるかい。
 あんた本当はこの状況を楽しんでるだろ。性格の悪い奴だ。
 まあ否定はせんよ。この年になるとこうした複雑で緊迫した状況はなかなか味わえるもんじゃない。
 あの弟さん、あんたにはけっこう懐いていたじゃない。少しは哀しくならないわけ?
 今さら子供の一人二人で嘆いたりはせんよ。老人は淡々とした口調で語った。毎日のようにどこかで起きていることだ。……私は以前に干魃でほとんど全滅した村を漁りにいったときもう助からない子供が衰弱死してから禿鷲どもにぺろりと喰われるまでをじっと観察していたことがある。かぎ爪のような形をした奴らの嘴は皮膚を易々と食い破った。音も臭いも凄まじかった。奴らが羽ばたく度に翼の隙間から連山のように突きだしたあばら骨が見えた。あらかた食い尽くしたところで私は転がっていた石を手にして遺骸の頭蓋骨と背骨を断ち割って中身を味わいやすくしてやった。どうしてそんなことをする気になったのかは自分でも分からん。ただそうしなければならない気がしたんだ。――とにかく死体は綺麗に喰われて真っ赤に染まった骨だけが残った。骨に貼りついた皮が陽にあたっててらてらと光っていたことをいやに鮮明に覚えているよ。

 アリサは呼吸をひとつ入れてから云った。
 ……それって、あいつが話してた父さんの昔話と似てるような。
 まあお前さんの父親のような崇高な理由からじゃないさ。後にも先にもそんなことをしたのはあれ一回きりだからな。ただ勿体なく思えたもんで喉仏の骨は今も大切にポーチにしまってある。お守りのようなものだな。
 ……あのおっかない顔のリーダーよりもあんたの方がよっぽど怖いよ私は。
 老人は笑った。アリサは笑う気分にはなれなかった。二人は元の部屋に戻った。
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