くず鉄拾いのアリサ

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廃墟都市

#02 父の想い出

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 翌朝。アリサと老スカベンジャーは連れだって走り続け昼過ぎには廃墟都市からいちばん近い集落に辿り着いた。入り口にはバーが下ろされており守衛が手を上げてきたので車から降りた。
 あんたらくず鉄拾いか。
 二人はうなずいて許可証を渡した。
 守衛は証書を一瞥してから少女に向けて云った。
 これに載ってる名前。まさかお前じゃないよな。
 私の父さんの名前。
 親子そろってスカベンジャーか。
 ああ。
 親父さんは死んだのか。
 そう。
 その馬鹿でかい散弾槍も親父さんの形見?
 何もかもそうだよ。私たちの慣習じゃ最初に拾った奴がそのひとの資格を引き継ぐことになっていて――。
 あんたらの風習なんてどうでもいい。とにかく問題を起こしてくれるなよ。責任をとらされるのは俺なんだからな。
 アリサはうなずいた。
 よし通れ。

 集落に入ると老人は組合にいってくるよと挨拶を交わして去っていった。少女は彼の後ろ姿を眺めながら溜め息をついた。そしてバラックが立ち並ぶ集落の通りを歩いた。一部には戦前の廃屋をそのまま再利用している者もいて壁には砲弾の破片の痕が残っていた。廃車に乗りこんで遊んでいる子供たちの姿を見つけて少女は歩みを緩めた。彼らは笑いながらもう動くことのない機械のハンドルを握り彼らだけの世界で彼らだけのドライブを楽しんでいた。
 ずっと以前に少女は父親にねだって二輪車の前に座らせてもらったことがありそのとき感じた風の心地よさや降り注ぐ太陽の暖かみを今でも覚えている。そのとき聞かされた彼の言葉も。アリサは首を振ってから散弾槍を背負い直して歩き続けた。

 最初に訪れたのは廃墟となった教会だった。尖塔は中ほどで崩れており錆びついた鐘が中庭に横たわって空を見上げていた。
 少女は歩きながら回廊の柱を見ていたがそのうちのひとつに黒い血痕がこびりついていた。立ち止まってしばらく観察した。そして腰のポーチから拳大の再生機を取り出して術式を唱えた。機械の前面に取り付けられた魔鉱石の鏡のように磨かれた表面から光がほとばしって懐中電灯のように血痕を照らした。少女は機械のダイヤルをいじりながら目的の時期を探していった。やがて痕跡の映像が出力された。

 黄緑色の光に照らされて人影が浮かびあがった。腕に赤子を抱えた女性だった。回廊の奥から息をきらせながら走ってきたが兵士とおぼしき人影が立ちふさがり小銃の先から光がぱっと飛び散った。母親は声を上げる猶予さえなく胸を撃ち抜かれ回廊の柱に血が飛び散った。兵士は銃をおろした。追いついてきた仲間としばらく言葉を交わしたのちその場を立ち去った。あとには赤子の泣き声だけが残された。

 少女は眼をつむった。術式を口にして再生機を止めた。顔を上げると回廊の先からやってきた別の少女が眼に留まった。薄汚れた継ぎ接ぎだらけの聖衣を羽織っており豊かな金髪を二つに分けて背中におろしていた。うつむき加減なためにその視線は見上げるようだった。
 いま、と彼女は云った。いま撃ち殺されたのは私の母です。
 アリサがうなずくと彼女も確認するように首を上下させた。
 その再生機。――スカベンジャーの持ち物ですね。
 そうだよ。
 本来は遺品の在りかを探すために使うものでしょう。
 気になることは何でも調べたくなるタチでね。

 廃教会の少女は眼を細めた。……じゃあこう云いましょうか。死者の墓穴を掘り返していったい何が目的なんですか。そもそもどうしてくず鉄拾いの方がここに。
 町に着いたら最初はかならず教会に寄るようにしつけられてるんだ。ここはすでに教会の機能を果たしていないみたいだけど。
 彼女はしばらく間を空けてから云った。――善き本は持っていらっしゃるのですか。
 アリサはポーチの中からハンディ版の書物を取り出して頁を開いてみせた。教会の少女は福音にしばし指をなぞらせてから微笑んだ。
 あなたは善きひとなのですね。それでしたらゆっくりしていってください。お茶くらいでしたらお出しできます。
 いや、もう行くよ。中の様子が見たかっただけだから。
 そうですか。せっかくですからもっとお話をしたかったのですが。
 悪いけど話をするのは苦手でね。
 ……分かりました。

 少女は教会の外まで見送ってくれた。アリサが別れを告げようとすると彼女は唇に指を寄せながら云った。
 あの、……あなたも街まで物拾いに?
 いや。どうして。
 組合の建物に同業の方が大勢集まっていますから。噂もいくつかお聞きしました。彼らに頼みたいことがあったのですが門前払いされてしまって。
 スカベンジャーは報酬なしには動かない。
 彼女はうなずいた。……私には財産がありません。ここの人たちの援助で暮らしていますから。できることと云ったら祝福の言葉をかけることくらいです。
 何の役にも立たないな。
 それも分かっています。スカベンジャーは神になどすがらない。――そうでしょう?

 アリサは善き本に視線を落として父が好んで引用していた一節を頭のなかで声に出して読んだ。そして眼を閉じて呼吸をひとつ入れた。
 ……何事にも例外はある。アリサは云った。それで何を頼もうとしていたの。――街に捜し物?
 廃教会の少女は眼を見開いた。よろしいのですか。あなたはさっき街には行かないと――。
 気が変わったんだよ。私らにはよくあることだ。
 彼女は胸に手を当ててこちらを真っ直ぐに見つめた。しばらくしてありがとうという言葉が唇の端からこぼれた。

   ◇

 少女が荒野や木立のなかで野営するときいつも思い出すのは父親が繰り返し語っていた禿鷲の比喩だった。彼は焚き火の明かりを頼りに善き本を朗読しながら向かいに座っている娘に時おり視線を配った。退屈すると決まって少女は口べたな父をからかって遊んだ。

 そんなに本が好きなら聖職者にでもなれば好かったんじゃない?
 父は本を閉じて困ったように笑った。それ、お前の母さんにもむかし云われたよ。教会で働いたほうがずっと安全だし世の中のためにもなるって理屈だった。思えばあいつもよく付いてきてくれたもんだ。
 なろうと思えばなれたんでしょ?
 もっと腰を落ち着けられるような職業にか。
 ――もっとマシな職業だよ。少なくともね。
 アリサは膝に置いた手の甲を見つめながらそう答えた。

 父は即答を避けた。焚き火のおきが音を立てて破裂し火の粉が二人の間を舞い躍った。少女が胸のなかで思い出を温めるたびに考えるのは自分と父との語らいでは常に“ともしび”がそばにあったということだった。それは焚き火だった。同時に銃の発射炎でもあった。街を焼き尽くした炎でもあった。炎上する街は空を染めあげ夜になっても昼間のように一帯を照らしていた。灯りがなくとも父は善き本を朗読することができた。遠くから爆発音が聴こえた。人びとが逃げ出した街で火は七日のあいだ消えることがなく暴れ続け父をはじめとしたスカベンジャーはたくさんの遺品を戦火から救い出すことができた。父がよく語ったのは“温もりを与える火”も“破壊をもたらす炎”も同じ“灯”で出来ていて両者のあいだに大した違いはないのだということだった。灯と言葉は僕たち人間が成した最大の発明であり灯で稼働する散弾槍も言葉で反応する魔鉱石もそれらのもたらす恩恵を受けているのだと。

 もっとマシな職業。父は少女の言葉を繰り返した。そうだな。世の中には今よりもずっとまっとうな仕事がたくさんあるかもしれない。
 父さんは旅をするのが好きなんでしょ?
 ああ。
 だったら運び屋とかでも好かったんじゃない?
 そうだな。――でも誰かに遣わされるのがいやだったんだ。
 まあ分からないでもないけど。でもなあ。
 お前と母さんには悪いと思っているよ。
 またそう云ってなだめようとする。

 父は吸い終えた煙草を踏み消すと魅入られたように焚き火を見つめながら続けた。……傍から見ていたら汚くて卑しい仕事だ。それは否定しないよ。死体どころか生きている人間から剥ぎ取ろうとする外れ者だっている。――ただ好いことだってあるんだよ。以前に父さんは子供を喪った母親からその子の遺骨の回収を頼まれたことがあってね。再生機が役に立ってくれた。もちろん簡単な仕事ではなかったけどね。あの人の笑顔は忘れられなかったな。
 アリサは眉をひそめた。じゃあなに。――父さんは人助けが生きがいだって云うの。くず鉄拾いなのに。傭兵よりも金にがめつくて流賊よりも自分勝手な連中だなんて云われ方をしてるのに。

 父はうなずいたが姿勢は変えなかった。だが靴がわずかに動いて砂がざらついた音を立てた。短く刈りこまれた白髪まじりの頭に火の明かりが反射して暖かい色に染まっていた。彼は云った。
 僕がこの仕事をしている理由は禿鷲たちが教えてくれる。
 私たちに付いてきてるあいつらが?
 そう。――屑拾いの動物たちは遺骸をむさぼる。腐肉を消化することで死体の分解を促しやがては大地に還してくれる。肥やされた大地は新しい命を芽吹かせる。そうして命は巡っていくんだ。僕たち人間だって同じだ。戦争で廃墟となったかに見えた住まいでもやはり誰かが暮らしを続けていて過ぎ去りし時代の遺物を活用しながら今日という日を生きている。僕たちくず鉄拾いは危険を犯して遺物を回収し生計を立てる。組合から市場に売り出された過去の遺産は人びとの生活を助ける。そうして世界は廻っているんだよ。
 …………。
 今では道端に転がるものでさえ貴重品だ。だから僕たちは組合を無視して自分だけのために商売してはならないんだ。公益のために拾いものをしているという建前が崩れるからね。少なくともそれが理想だしその理想があるからこそ父さんはこの仕事を続けることができる。誰かがやらなければならない仕事だ。便利なものをたくさん造ってくれた工場なんてもうどこにもないんだからね。

 アリサは父親と同じように焚き火に視線を向けていた。膝がしらに肘を立てて両手で頬を覆いながら言葉を吟味していた。
 ……母さんにも聴かせたの、今の話。
 もちろん。
 納得してもらえた?
 ああ。
 そっか。
 少女は表情を緩めた。
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