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一章
三十九話・凶報
しおりを挟むその夜、呼び出された場所にはいつもいるはずの男の姿が無かった。
一人でいるところを見るのは初めてだな。そう思いながら姿を見せると、俺を呼び出したその人は静かに口を開いた。
「里冉さん、任務報告です」
「………その顔……最悪の展開、かな」
「そうですね」
紫鶴くんの瞳に微かな恨みの色を見て、俺は想定していた中で最も悪いものが現実になってしまったことを察した。
「悪い事をしたなあ……」
「僕からすれば悪い事をした、で済まされることではないですけどね」
「……うん、ごめん。読みが甘かった」
俺が暗い表情を見せると、紫鶴くんは責めることを諦めたらしい。任務の報告を始めた。
「……接触は案外簡単でした。貴方の言った通り、あの後あちらから現れました」
「だろうね」
「僕はあの時姿は見せていないのですが、おそらく……いえほぼ確実に仲間だとバレてはいるのでいつ消されるか分からない状況です」
「……そう……」
紫鶴くんが巻き込まれてくれたのは、泪さんが引き受けたから、だろう。
その泪さんが居なくなった今、俺に協力する理由など無いはずだ。それでもこうして危険を冒してまで任務報告をしてくれている。
それはきっと、彼の犠牲を無駄にしないため。
「潜入先で何があったかは……残念ながら僕にはわかりませんでした……。当たり前ですが盗聴器の類はリスクが高すぎて使えませんでしたし……僕一人じゃ拠点に近づけすらしない……っ…」
悔しさを滲ませるその顔に、俺は罪悪感で何も言えずにいた。
「遺体もあちらで処分されているでしょうし……この目で確認した訳では無いので未だ信じられないんですけどね……外部に連絡が取れないだけで、今もまだ生きている可能性はゼロでは…ないんですよ……けど……」
「……そうだね」
紫鶴くんはそっと、巻物を取り出す。
「これは泪さんから貴方へ渡すよう預かったものです。いつこれの存在がバレて殺されるかとヒヤヒヤしていたのですが……呼び出しに素早く応じてもらえて助かりました」
「これは……」
「彼の過去視で見えたことを暗号化して書き記したもの、だそうです。事件自体が甲賀によって揉み消されているせいか断片的な記憶しか拾えなかったようですが……」
「……! ……助かるよ、ありがとう」
俺は巻物を受け取り、その場で目を通すと「…よし」と視線を外した。
「もしかしてこの場で処分する気ですか?」
「まあね。一度目を通せばそれで十分だし、暗号とはいえ梯にとってはあまり存在して欲しくない物だろうから。見つかる前に無かったことにしてしまうのが一番でしょ」
そう言うと、紫鶴くんに「待って」と止められる。
「……あの、不要なのであればそれ、僕に譲ってくれませんか」
「……話聞いてた?」
「はい」
何を言い出すんだこの子は、と困惑する俺。
「遺品として……欲しくて……」
「見つかれば殺されるかもしれないのに?」
「巻物があろうが無かろうが、既に殺される可能性高いですから僕。……それに、これを持っていればあの人の所に行ける気がするんです」
「……そう……なら好きにしなよ」
それが紫鶴くんの望みなら。
少し躊躇いながらも、巻物をその手に返した。
「ありがとうございます。……そしてこれは僕からの任務報告…というか貴方個人への忠告ですが」
「……?」
「今回見たあの場所の霊達は、お察しの通り法雨家への怨念でこちらの世界に留まっているものです。地縛霊のようなものなのであちらからは近づいて来れないですが、法雨の皆さんは…特に十様の息が最もかかっている貴方は近づかない方がいいです」
「……言われなくても、近づかないよ。大丈夫」
「そうですか。ならいいです。……ただでさえ貴方はあちらの者に好かれやすいので、お気をつけて」
そう話す紫鶴くんの左右で色の異なる瞳が、俺の少し後ろを見ている……ように見えた。それには流石の俺も背筋が冷えて、少しだけ表情が強ばってしまっている……気がする。
「……君は、これからどうするの?」
「一人でも旅を続けます。一刻も早くこの地を離れた方が良さそうですしね」
今回の報酬があれば暫くは持ちますし、と呟く紫鶴くん。やはり全部この子に託してから潜入に向かったんだな、泪さん。
「……無事を祈っているよ」
「思ってもないこと言うもんじゃないですよ」
「ふ、これくらいは言わせてよ」
「むしろ本当に思ってたとしても嫌です。貴方に祈られると余計に死亡フラグ立つ気がするんですよ」
「相変わらずひどいなぁ、〝紫鶴ちゃん〟」
そう呼ばれると少女は細い肩をピクリとさせ、苦笑いを浮かべて俺を見上げる。
「……やっぱり貴方にはバレていたんですね」
「ま……そりゃね」
「わかってて女嫌いの泪さんの前では男扱いをしてくれていたんですね」
「優しいでしょ、俺」
「それを自分で言うあたりはダメですね」
でももう男扱いする必要もなくなってしまったんだね。
飲み込んだその言葉で、改めて泪さんを喪ったことを実感する。
「それでは、僕はこの辺で」
「……一発くらい殴ってってもいいよ」
「殴る方も痛いので嫌です。それに本当に恨むべきは貴方ではなく梯の連中ですから」
「そっか……」
「では。……里冉さんもどうか生き延びてくださいね。泪さんはそれを望んでいるでしょうから」
声は出さずに、うん、と微笑んだ。
危険な任務を引き受けてくれた二人。
しかし、今回は俺の読みが甘かった。
敵の参謀は、今回調べていた彼だ。
初めて対峙したあの夜に言っていた「俺まず戦闘要員じゃねーもん」を聞いてからずっとそうじゃないかと思っていたが、案の定だろう。彼がリーダーに特別扱いされているであろう発言からも推測できる。ていうか副リーダーって呼ばれてたし。
そして彼にはこちらの考えは読まれており、だからこそあの夜は餌に食いついた。多分、最初から殺す為に。
大方、お前の思い通りにはさせない、というメッセージだろう。それか、回りくどいやり方してないで直接来い、とかかな。
なんにせよ彼が会いたいのは、俺なのだろう。
あの夜、参謀という重要な立場でありながらあっさりと姿を見せたことや失言が多かったことは、おそらくそこに起因する。冷静さを欠く程の何かがある。
だから調べた。
そして今回の報告で、確信は持てた。だが、まだスタートに立ったに過ぎない。
ここからどう動くかが重要だ。法雨として甲賀を守るか、それとも……
どの道を選ぶにしろ、今回頑張ってくれた彼等の勇気を無駄にしないため、俺のすべき事をしよう。
去っていく少女の背中が見えなくなった頃、俺もまた、歩き出していた。
* * *
刹那が襲撃にあった夜。
空翔はというと、伊賀を去ろうとしていた。
向かう先は梯。
空翔と入れ替わっていた少年の名は、月城 紗。もちろん、梯の構成員だ。
紗は空翔としても空を見上げる為によく来ていた高台から、里を見下ろして伊賀にそっと別れを告げていた。
(案外楽しかったな)
彼本人も、潜入前は想像していなかった。
最後の日にそんなことを思うだなんて。
(班長も桜日も恋ちゃんも、そんで……らっくんも……僕……空翔を……仲間として扱ってくれて……今日また仲良くなれて……)
本物と入れ替わっているんだし仲間扱いはそりゃそうなんだけど、と思いつつ、紗は〝皆を騙す罪悪感〟よりも〝空翔としての喜び〟を感じていた。
それ程までに、彼は空翔と同化していた。
─────ありがとな、空翔
楽の言葉を思い出す。思わず手が自身の頭へと伸びた。
楽の手は、紗が空翔になってから初めて感じる温かさだった。
(励ましたのは確かに僕だけど、僕がその辛さの原因である梯なんだから……ほんと皮肉な話……)
もしもこの先も楽の仲間でいれたら、その時はもっと仲良くなれていたのだろうか。そんな有り得ない想像が紗の頭に浮かんで、ブンブンと頭を振って振り払った。
最後に空翔として〝仲間を励ます〟ことができた。それで満足なはずなのだ。空翔に、伊賀者としての彼にこの先などないのだ。
切り替えて、明日からまた梯として生きるのだ。
自分へそう言い聞かせる紗。それでも楽の、無理に作った笑顔が脳裏に浮かんだ。
(僕が、空翔が死んでるとわかったら、また同じ顔をさせてしまうんじゃないか……とか)
考えたって意味は無い。同じように励ませる明日の空翔など、この世界には存在しない。
紗が伊賀者を数人、梯として絆したのは確かだ。
ただ、同時に紗も伊賀者に絆されてしまっていた。
(困るな、ほんと、良くないよそういうの。僕は紗だ。梯だ。空翔本人ではないしそれどころか真の伊賀者ですらない。ここで出会った人達は敵だ。いずれ殺し合う仲なんだ。いつまでも仲間気分で温いこと考えてたらリーダー達に顔合わせらんないよバカ)
(僕は梯だ。梯の、月城紗だ)
この潜入中、空翔として自然な言動をする為にできるだけ考えないようにしてきたそれを何度も繰り返す。
(もう空翔である必要は無い)
(僕は梯の紗だ)
梯に帰る為に、任務を完遂する為に、切り替えねばならない。
─────生きて帰るまでが任務。
潜入前に柊に言われたことを反復する。
忍びとしての大切な心得であり、今の紗には特に大事なことだった。
柊は紗が本人レベルで伊賀に溶け込むことまで予測して、それでも帰って来れるようにと言葉をかけてくれていたのかもしれない。
(……さ、リーダー達にドヤ顔で報告する為にさっさと帰ろ)
(久々に紅姉の入れたココアも飲みたいし)
(最年少なのに敵地で頑張ったんだから、皆にはこれでもかと褒めてもらわなくちゃね)
明日、伊賀に流れるのは桔流空翔の凶報。
そして梯に流れるのは、月城紗の生還という吉報。
(ばいばい、伊賀。また来るよ)
今度は、梯として───────
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