紅雨-架橋戦記-

法月

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一章

二十一話・悪魔の目

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​───────時は三年ほど遡り、伊賀に程近い山の中。
霧がかったそこには、小さな小さな人里があった。

その人里に、一人で暮らす男の子がいた。
小さく痩せた体。ぼろぼろの服。伸びて顔の半分を覆ってしまっている仄かに青みがかった白い髪。
そしてその隙間から覗くのは、男の子の大嫌いな〝悪魔の目〟。

(おなか…すいたなぁ……)

雨上がりの地面。
空を映す水溜まりを覗き込むと、今日も今日とて少し不思議な色をした瞳が映り込み、男の子をじっと見つめていた。
恐ろしく鮮やかな赤が、緑がかった輝きを放つ。それはそれは不気味な瞳。

両親はこの目を恐れ嫌って、男の子は幼くもこの里へと棄てられた。

初めは目が見えないよう、気を付けて過ごしていた。
しかしある日一人に見られ、二人に知らされ、次の日には里中に『あの子は悪魔の目を持った悪魔の子、だから親に棄てられた』……なんて噂が広まってしまっていた。

「うわ、悪魔だー!」
「近づいたらだめなんだってさ!」
「こわーい」

「そんなことないんだけど…なぁ…」

反論する小さな声は、周囲には届かない。

満足に寝泊まりできる家なんてものはもちろんなく、なぜ生きていられるのかわからないほど食べるものもない。人と出会えば恐れられ、石を投げられる。酷く惨めな生活。

いつかここを出て、みんなと同じように暮らしてみたい。
そんな淡い夢を抱きながらも、ただただ衰弱していく日々だった。



ある日、里で事件が起こった。

「あそこの家族が殺されたんだって…」
「まるで狼に食い殺されたかのような無惨な姿になっていたそうよ……」

そんな話を盗み聞いた男の子は恐ろしいと思ったが、同時にいっそ自分も食い殺してくれないかとも思った。

でも、狼なんて見たことはないし、こんな場所にいるわけがない。
きっと誰かがそう見えるように殺しただけ。きっとそう。

いるはずのない狼に殺せと願うより、食べ物を探した方がいくらかマシだ。
そう考えながら、男の子はその場を離れた。



それからまた数日後。

今度は若い女性とその子供の、またもや食い殺されたかのような死体が見つかった。

男の子はある異変に気づいた。


知らない間に自身の服が少し変わっている。

(……?おかしいな…)

正確には元着ていたものと同じような、それでも明らかに新しい服になっていた。
忌み子である自分に新しい服をくれる人など、いるはずもない。

男の子はしばらく考え込んだ。

何も思い出せない。
着替えた記憶も無い。

しかし何をどうやっても原因などわからなかったので、諦めた。



更にまた数日後。

早くも三回目の事件が起こる。
里ではその連続殺人犯が〝人狼〟だという噂が広まっていた。

男の子は狼に殺して欲しいと思っていた。しかしこの日は、本当にいるのなら怖いな、とも思った。

………でも、どうせ自分は無関係だ。
きっと人狼ですら、僕をエサに選びはしない​。

─────そう思ったのも束の間。


「私見たのよ、人狼」


家屋の影から噂話に耳を傾けていたら、一人の女性がそう言うのが聞こえた。

「本当!?」
「ええ、それがね」


「〝悪魔の子〟だったのよ」


男の子は、耳を疑った。

悪魔の子?
何を言っているのだろうか?僕は人なんて殺した覚えはない。身に覚えなど、全くない。

男の子はぐるぐると混乱する頭で、必死に思考した。次第に心臓が耳元で早鐘を打ち始める。

僕が……人狼……?

そんなこと、あるはずがない。
そもそも男の子の小柄で衰弱しきった体では大人を何人も立て続けに殺すなんて、どう考えても不可能で……

「怖いわ…悪魔は本当に悪魔だったのね…」
「ええ…」
「何だと!?それは本当か!」
「私この目であの悪魔があそこの家から血塗れで出てくるのを見たのよ…本当よ…!」
「これは長に報告しないといけないな」
「犯人がわかったぞ!悪魔の子だ!」
「探せ!」

見つかれば、石を投げられるどころじゃ済まない。
人々のただならぬ空気を肌で感じ、それだけはわかった。

息を殺してその場を早足で去る。


できるだけ遠くへ、逃げよう。




だが、それも叶わなかった。



***



どのくらい気を失っていたのだろうか。
男の子は、ぼんやりする意識の中ふらふらと体を起こし、その場に座る。

男の子が気を失う前……最後の記憶を辿ると、浮かんだのは追ってきた男達にひたすら地面に叩きつけられ殴られる情景。

そして今目の前に広がっているのは、

男の子を痛めつけた者達が、血塗れで倒れている風景。


「…………ひ…ッ!?」


状況を理解した瞬間、男の子は酷い頭痛と耳鳴りに襲われる。


『君は悪魔の子なんて生温いものじゃない』


耳鳴りの中、突如響く声。
それは聞き慣れたようにも感じる、知らない誰かの声。

耳を塞いでもそれは確かに語りかけてくる。
男の子は押し寄せる恐怖に発狂しながら、地面に平伏した。



『思い出してよ、君はもっと悍ましい​───────』



男の子は逃げた。

襲ってくる恐怖から逃げようと、ひたすら走った。

ありったけの力を振り絞って、できるだけその場から離れようと、ただただ足を動かした。

息が苦しい。視界がぼやけてくる。足が棒のようだ。
周りなんて見えないほど朦朧とした意識の中、突如視界が明るくなり、開けた場所に出たことがわかった。


「っは、はぁ…はぁ……は……」


どさり、と倒れ込んだ。

頭がぐらぐらする。
胸を上下させて必死で酸素を取り込む。
それでもなかなか呼吸は整わないどころか、苦しさは段々と増すようにも思えて。
目を閉じる。その拍子に、苦しさで浮かんだ涙が零れ落ちた。


いよいよ男の子の意識が遠のきかけた、その時​───────


「君!大丈夫!?」


心配そうに男の子に駆け寄ったのは、青い眼をした黒髪の女性。

「大変…怪我だらけ…!」
「………っは、はぁっ、……なん…っ、で………っ……」
「こんな小さい子が血だらけで倒れてたらほっとけるわけないでしょう!!……君、名前は!?」


「ぎ……、ぎん……っ」



​───────これが吟と梅雨梨の出会いだった。
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