紅雨 サイドストーリー

法月

文字の大きさ
上 下
6 / 7

伊賀潜入作戦・5

しおりを挟む


五十嵐刹那に見抜かれたあの日。紗は自身に桔流空翔としての人格が生まれつつあったことを自覚した。
まだ幼く自我の薄い紗がその忍びの才能を持ってして他人に成りすまそうとすること。それは非常に危険な行為であった。
月城紗を他人で上書きすることの恐ろしさを、知った。

人格を作り上げること自体は、忍びとしては正心を貫く正しい向き合い方だったと言える。些細な嘘偽りすら言ってはいけないという古い習いに従った、バレにくい潜入の仕方でもある。それでも見抜いた刹那は、やはりまともに相手をしていたら手強かっただろうに、どうしてか梯に好意的であった。
刹那がどうやって梯だと見抜いたかはわからない。ただ、あの段階で〝紗〟へと語りかけてくれたこと、それは紗にとって命綱を投げて寄越されたかのような出来事であった。
自覚してしまえば、後は大丈夫。刹那の協力もあって梵や朱花にも術をかけようと画策し、梯として伊賀内部にいる味方と関わりを持つようにもなった。

そうして紗としての人格を保ちながらも空翔として動けるようになった、とある日。

「……これは…」

紗は定期的に忍烏を梯の拠点へと帰して、柊との連絡をとっていた。その忍烏が足につけて帰って来た紙片には、新たな任務が忍び文字で綴られていた。

〝廃村ニ不審者ノ目撃情報 火鼠ヲ向カワセヨ〟

その他は日時以外の詳細は書かれておらず、思わず首を傾げる紗。一体なんの意図があるのかはわからないが、何にせよ紗は従うしかない。
指定された日時は今日の夜。考えている暇はなかった。


他の班の動向を探りつつ、大体が出払っているタイミングを狙って長へと目撃情報を報告した空翔。狙い通り火鼠へと調査が回されたことを確認し、いつも通り道場へと向かおうとした……が、長に引き止められ、ついでだからと火鼠へと連絡するように申し付けられた。

そういえば空席となっていた火鼠の三人目が最近やっと補充され、新体制になったんだったな。それに何か関係がある任務だったりするのだろうか。空翔は昨日遭遇した人懐っこそうな立花の少年の姿を思い出しながら、長に指示された場所へと向かった。
菊の露という万屋。どうやら今日はここに火鼠が集まるらしい。
つい紗としての興味が湧いてしまい、姿は見せないようにそっと侵入し、屋根裏に潜んだ。噂の三人目である楽がまだ来ておらず、何故だか祝い事のような雰囲気で何かの会の準備が進んでいく様子をしばらく眺めていたが、梯として盗み見をしていたが故の弊害、というか衝動が紗を襲っていた。口寂しさだ。この潜入任務を引き受けた時点で真っ先に捨てた自身の特性が、ついつい戻りかけていた。

飴…はない。が、机の上にある団子の皿が目に入る。
部屋の中にいる者は忍びでもない子供二人に、兎頭の大男。

いける。余裕で欺ける。
そう思ってしまった紗は、三人(二人と一羽…?)が机に背を向けている隙を狙って、皿の上から団子を拝借していったのだった。



***



案の定盗み食いを叱られつつも火鼠に長からの呼び出しを伝えた。その後、空翔も、いや紗もひっそりと長屋敷へと戻っていた。
確実に火鼠が廃村へと向かったことを確認し、柊へと任務完了の報告をするためだった。

「目撃情報って…まさか梯ですか…?」
「可能性はある。けれど​────」

執務室での長と火鼠のやりとりを盗聴し、会話が終わる前にさっさとその場を離れた。が、廊下の角へと身を隠しつつもつい火鼠が出てくるところへ視線をやっていたのが茶紺に勘付かれたらしい。執務室から出てくるなり立ち止まり、周囲の気配へと意識を向けたその姿に少しヒヤリとした紗だったが、なんとかバレずに乗り切れたようだ。

どういう意図で柊がこの指示を寄越したのかが気になっていた紗だが、任務モードに入ったらしい上忍を相手にするのは賢い選択とは言えない。そこからの追跡は諦めて、大人しく任務報告の忍烏を飛ばしにいつもの高台へと向かったのだった。


そうして向かった高台。烏を見送った後、たまには、と空ではなく伊賀の里を見下ろしていると、見覚えのある黒いシルエットが病院の方から出てくるのが見えた。
全身真っ黒な装束は、忍びの里では何気に珍しい。もしや…と思ってじっと見ていると、真っ黒なそれはこちらに気が付いたらしく、ものすごい速さで空翔の方へと近づいてくる。そういえば人外の視力してたんだった、と若干引きつつも大人しくその場で待つ。

「聞いてよ~~~今日もダメだったよお~~~~!」
「その割には元気そうだね」

うん!元気!と明るく返事する桐は烏というよりは犬のようだ。うちの忍烏もこれくらい可愛げあればいいのに、なんて相棒達に失礼なことを思いながらも、空翔は横に降り立った桐の真っ黒な羽が折り畳まれていくのを見ていた。

「もう慣れたからね!」
「いつからアタックしてるんだっけ」
「えっとねえ、二年とちょっと前?」
「えっそんな長かったの」

それは初耳だったな。空翔がそう思い、改めて彼女との出会いの話を聞きたいと言ってみると、桐は嬉しそうに話し始めた。

「おつかいで来たときに伊賀者が練習で張ってた罠にかかっちゃって羽怪我して、里に帰れなくなってたおれを手当てしてくれたんだ」
「ドジだ……」
「でもおかげで出会えたから!結果おーらいってやつ!」
「ポジティブだ……」

彼女は桐を担いで病院に連れ帰り、手当をし、完治するまで自身の住み込んでいる当直室(私物化しているらしい)に置いてくれたのだという。妖怪を相手にそこまでしてくれる人間は確かにレアかもしれない。そもそも妖怪の治療までできるのは伊賀の医療班ならではだ。
まあ梯にも一人で人間も人外も診れてしまう天才医療忍者がいるのだが、梯のは…おじさんだからな…。紗をからかったり張り合ったりしてくる大人気ない白衣のおじさんの顔を思い出してしまい、ついブンブンと首を振る。

「そういえばそんとき丁度失恋直後だったみたいで髪短かったんだよね、杏子さん」
「失恋で髪切る人本当にいるんだ」
「短い時もかわいかったな~!今もかわいいけど!」

んっふふ~とニマニマし始めた桐に、本当に好きなんだなあ……と今更ながらに思う空翔。

「でね、その直前に別れた彼女が妖怪だったんだって」
「彼女…しかも妖怪なんだ…急な情報量…」
「それもひどい別れ方だったらしいのさ」

詳しくは話してくれないけど、人生で一番心に傷が付いたのがその時なんだって。と桐は続ける。

「だからおれが嫌とか妖怪が恋愛対象じゃないとかじゃなくて、前のトラウマで恋愛できなくなってるだけなんだって」
「なるほどね、道理でフラれてもめげてないわけだ」
「そうそう」

そんな調子でいつものように話をした二人。
途中、空翔に想い人はいないのか、という話になり困る空翔の姿があった。色んな意味で今はそれどころではないというのが本音だったが、今はいないとだけ答えて後は有耶無耶にした。そうして桐と解散した空翔は道場へと向かい、鍛錬に励んだ。


トラウマで恋愛ができなくなる​────────
一人になった帰り道。少年は紗として桐の話を思い出しながら、ぼんやりとその言葉を反芻していた。

桐にとって空翔は初めての人間の友達らしかった。もし本物の空翔が既にこの里にはいなくて、出会っていたのが梯に属する全くの別人で、それを伊賀者が知る頃には本物の空翔はこの世からいなくなっていると、桐が知ったら?

〝人間の友達〟が、トラウマになりかねない。
紗の思考がそこへと行き着いたのと同時に、その足は桔流家に着いていた。

罪悪感なんて抱いていたら任務にならない。
忍びは義理堅く、同時に非情であるべきだ。

それだけ考えて、空翔へと意識を切り替えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

処理中です...