スイセイ桜歌

五月萌

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第4章 ゆいなの歩く世界

16 月影のダニとの戦い

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18時47分頃だった。
パーーーー!
 美優のトランペットの音は鳴り響いている。

「もしもし、いましたよ。美亜さんが刺されたので後で救護を。それ以外は無事です」

 ゆいなは太陽に連絡をとっていた。そして、全員無事なことを伝える。
 目の前でダニの月影が苦しんでいた。8センチ程度のダニの月影だ。ひっくり返って足をバタバタとさせている。

「あなた、ちょっとバカね。不思議でしょう?」

 美亜は半月の影に入れないように美優のトランペットの炎で月影のダニを炙ってもらっている。

「あたし達、皆、背中にガウカの血を塗ってあるのよ。普通の人間の血は、吸ったら毒になるんでしょう?」

 ドラゴンの月影にめちゃくちゃにされ、瓦礫の山になっているこの場所に来る前、皆の背中にガウカの血を塗っていたのだ。

「もういいですって。生け捕りにはできないから殺しましょう」

パーーーー!

 美優のトランペットの角度はどんどん鋭角になっていく。

ジュウウウ!

 ダニの月影は文字通り消し炭になった。

「……帰ろうか」

 ゆいなは言いながら、明日のアルバイトのシフトに入っていたことを思い出す。

「そうですね」

 美亜は生返事をして帰路につく。アイとアスは喋らずついてきた。
 スターリング城まで約200メートルだ。時間も時間なので、皆急いでいる。

「今度こそ良かったね、ダニの月影が半月の血に敏感で」
「ダニのことは気持ちが悪いから言わないでください」

 美優は青ざめた顔をする。
「話題、変えます。美優ちゃんはいつから太陽君を好きなの?」
「だいぶ昔からですね。幼稚園の頃からですかね」
「12年も前か!」
「柳川さんは?」
「私も前から好きな人がいたよ。もう結婚してて子供もいるとわかってから、吹っ切れたよ」
「そんな事あるんですね」
「美亜ちゃんは?」
「何です? いないですよ、好きな人なんて!」
「うっそーん、本当は?」
「しつこいわよ、美優」
「怖いよ」
「あ、そういえばあれ持ってきた?」
「もちろんです、好きな場所に植えてほしいんでしたよね?」

 美優はゆいなの質問に答える。
 そして、ポケットからその挿し木をする木を取り出して優しく掴む。

「私は皆の足手まといになるといけないから、先に城で待ってるよ」

 ゆいなはローリの住む城を囲う湖まで来るとそう言った。

「そんな事ないと思うけど。クライスタルまで行っていてください。太陽は私達の帰る用だから待っててもらいますが、翔斗と先に日本へ帰っていてもいいですよ」
「新しい曲は決まったの?」
「はい、ローリと相談して決めましたから大丈夫です、テイアのどこにつくかは分かりませんけど、すぐにローリに連絡入れるので!」
「わかったわ、私も連絡先交換しておくね」
「はい、それじゃ」

 城の湖の船着場までゆいなはたどり着いた。

「おーい」

 ゆいなが手をふると、小舟が1艘流れるように船着場についた。
 操縦しているのは執事のダイチだった。

「おまたせしました」
「そんなに待ってないけどありがとう」

 ゆいなが小舟に乗る。チャポンと水がはねた。
 ダイチは目配せをして、オールを漕ぎ始める。
 器用なものだと感心しているとすぐに城の中へ入っていった。
 船着き場にローリが佇んでいた。
「やあ、帰ってきたね。さっそく状況を説明願おうか」

「ろ、いや、陛下、ビオの送ってきたダニの月影は倒しました。美優さんのトランペットの炎で炭になるまで焼き殺しました。そして、世界樹の作成も順調です。足手まといになるので私は帰ることになり、美優さんはクライスタルで太陽さんと待ち合わせしたいとのことです。後連絡先教えていただけますか?」
「そうかい。僕らもビオを連れてクライスタル行くことが決まったよ。ビオの知っている新たな世界樹の場所に行くためにね。連絡先は……パース」

 ローリは納得した様子で箱を出した。箱からアーガイルチェックの名刺を1枚取り出すとゆいなに手渡した。携帯電話番号と本名と役職も書かれてあった。

「ローレライ=スターリングシルバー。あ、様。様つけ忘れました、すみません。今ケータイかけますね」

 ゆいなはケータイを落としそうになる。ローリがとっさに掴むと、ゆいなの左手と軽くぶつかった。
(ローリ様。近すぎます!)
 ゆいなの思いとは裏腹にローリはニコっと笑い、ゆいなの右手にケータイを乗せる。

「ごめんよ、とっさに触っちゃった」
「いえいえ、いえいえ、いえいえ。私が悪かったです」

 胸が踊るゆいな。
(やばい、私、冷静じゃない)

「何をしておるのじゃ?」

 階段を上がったところにガウカがいる。

「ベベベ別に何もしてませんよ」
「柳川さんと話していたのだけれど」
「それならいいのじゃが。それで話は進んだのかえ?」
「うん、美優さん達、クライスタルで待つって、ね?」

 ローリは澄んだ目でゆいなを見つめ、囁くように言った。

「そうですね、はい」

 ゆいなは顔を赤くして何度も点頭する。ケータイを見てごまかす。
 時間は19時過ぎくらいだ。

「では急いで支度していこうか? クライスタルまで」
「はい」
「了解なのじゃ」
「柳川さんは中庭で待っててくれたまえ」
「はい」

 ローリとガウカはまたもや何処へ消えていった。
 ゆいなは安心し、その場の階段の上に腰を下ろす。一瞬だったが、手のぬくもりが忘れられなかった。

「柳川さん、大丈夫ですか?」

 数分後、太陽が階段を覗き込んだようだった。

「あ、うん、大丈夫。私も中庭まで行かないとだね?」
「まだ慌てなくても良いですよ」
「太陽君はなんで美優ちゃんのことを好きになったの」
「え? 一番合う人だからですかね」
「一番合うって何?」
「2人が、ない部分とある部分を合わせると一致することですかね。後はバランスの良さですかね」
「もういいよ、行こう?」

 ゆいなはケータイをいじりながら階段を上がる。電話のコール音と心音がリンクしているようだった。

『陛下、私です、柳川ゆいなです』
『連絡ありがとう。登録しておくよ。……女と連絡するんじゃないぞい! いいか、ロー君はわしの夫じゃぞ! この泥棒猫! 今度電話する時はわしを通すのじゃぞ。……ちょっとガーさんがうるさくてごめん。ガーさんのことは約束でもないから守らなくていいから。あと10分後に中庭に集合だよ、それでは失礼』

 ゆいなはローリの声の余韻にひたり会話を続けようとするも邪魔が入った。
 太陽は不安気にゆいなを見やる。

「何か?」
「ろ、いや、陛下は絶対に好きになっちゃいけませんよ」
「はい、アイドルを見るような感覚です。推しですけど、自重します」

 それから2人は中庭まで言葉をかわす事なくついた。

「後5分、チェロを綺麗にしましょう」
「ウォレット・ストリングス」

 ゆいなは武楽器を眼の前に出すと、腰を落とす。チェロは薄汚れていて、弦も伸び切っている。
(これじゃあ、演奏はおろか、出すこともためらわれる)

「これで拭いてみてください」

 太陽はショルダーバッグからフェイスタオルを引っ張り出した。

「ありがと」

 ゆいなは小さくお礼を言うと、そのタオルでチェロを拭き始めた。
 タオルは真っ黒になる。比例してチェロは命を帯びているかのようにきれいになる。

「太陽、ゆいなちゃん、何してんの?」

 どこからともなく翔斗が現れた。

「ちょうどよかった、翔斗、水、出してくれるか?」
「小便小僧みたいに?」
「そうじゃねえよ。お前のボーンから出る水を必要としてんだよ」
「仕方ねえやつだな」
「お前には貸しがあるんだぞ。このタオル洗いたいだけだから勢いよく出すなよ」
「ウォレスト」

べーーーー!

 下向きの翔斗のトロンボーンで出す水でタオルを濯ぐ。

「おっけ、もういいぞ」

 太陽が言うと翔斗は武楽器を消した。

「人使いの荒いやつだ」と言った翔斗のセリフを無視して、太陽はチェロを拭き続ける。
 その結果光の反射でキラキラ輝くチェロになった。

「君達、そろそろ出発だよ」

 ローリのそばにネニュファールとガウカ、さらにビオ。
 ビオはチェック柄のワンピースに赤茶色のマントジャケットを羽織っている。手錠は前側につけたままだ。

「陛下、俺もついていきますよ」

 ネムサヤはローリの前でとうせんぼうする。

「残念だけど、君はやることがあるだろう? 安心したまえ、なるべく早く戻ってくる」
「本当ですか?」
「うん」
「気をつけて行ってらっしゃいです」
「ありがとう」

 ローリは中庭の赤い大樹の膜に入った。
バチッバチッバチッバチッバチッバチッバチッ。
 膜は人が入るたびにうねるように様相を変える。

「ジャングルつくんだったな、パース」

 太陽は虫除けスプレーを取り出して体につけている。

「ん!」
「ん」

 美優や他の皆も借りてつけた。

「僕が弾くから皆は見ていてくれたまえ。ウォレ」

 ローリは側面に幾何学模様のあるバイオリンを出現させる。



 間髪入れず、ジムノペディの演奏が始まって、夢のような高揚をゆいなにもたらした。
(綺麗だ)
 ゆいなは目を閉じていた。
 演奏はいつの間にか終わっていた。

「柳川さん? 飛びますよ」

 樹木にオーバルの形の赤い濁流ができていた。

「えい!」

 ゆいなは勢いをつけてそこへ飛び込んだ。
 足元に穴が空いて落っこちた。
 走った勢いのはずみで木に激突するゆいな。

「いだだ」

 皆降ってくる。
 翔斗はカッコいいポーズで降りてきた。

「平気かい?」
「陛下、大丈夫です」
「ローリでいいよ」
「鼻血出てますよ、パース」

 太陽は箱のティッシュを箱から出して、ゆいなにもたらす。

「あ、ありがとう」

 鼻にティッシュをつけるとその部分は真っ赤に染まった。



 軽快な音楽が鳴った。どうやらローリのケータイらしい。
 ローリはケータイをポケットから出して口元に近づける。

『もしもし? 木が小さすぎて飛べなかったが、膜はできたのだね? 緑色かい? それならクライスタルからいけるかもしれない。曲はそうだよ、うん、わかった』
「新しいリコヨーテの世界樹はネニュファールが行くのじゃよ? わしらはビオの演奏で日本の世界樹をあたるから」

 ガウカを見ているローリは少し悲しそうだった。
『それでは、失礼』
「ローリ様、私、弾きますね。マリア・テレジア・フォン・パラディスのシチリアーノ」
「その作者って幼い頃に失明した女性の音楽家じゃないか?」
「よく知ってるね」
「もちろん。知ってるさ。俺はピアノの先生を目指してるからな」

 太陽は力強く言い放った。
(へえ、ピアノの先生か)
 ゆいなは妄想すると顔がほてるのを感じた。鼻血もとまった。

「ピアノのって月収少なくないのか?」
「必要なお金はテイアで稼ぐよ」
「お前がいいのならいいけど、風神さんがなぁ」

 翔斗は言いよどむ。

「美優が?」
「やっぱなんでもない」
「言えよ」
「風神さんが将来ワンオペになるのかなって思っただけだ」
「それはその時にならないとわからないだろう」

 太陽はむっとして答える。

「まあまあ、月影が来ますよ、行きましょう」

 ゆいなは二人が喧嘩するのをやめるように促した。

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