スイセイ桜歌

五月萌

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第4章 ゆいなの歩く世界

8 ボノボの斧

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 ローリはそう言うとフェレットになった。箱が消える。
 ネニュファールもミミズクになりローリを足で固定すると飛び立って行ってしまった。

「何を言ってるの? 安全なところなんてないじゃない」
「陛下を信じましょう」

 カナはゆいなの手を握った。
ガアーーー!
 先程の紫色のドラゴンの月影は大きな口で威嚇してくる。しかしながら、ミミズクのネニュファールとフェレットのローリが囚われてしまい口の中に放り込まれた。そして飲み込まれたのだ。

「ああ。食べられちゃった。もうおしまいだ」

 ゆいなは顔を手でおさえた。
(統括する人を失った、あのドラゴンにみんな食われるんだ)
 ゆいなが悲壮に震えてる時だった。

「あ、何かあのドラゴン苦しんでる」

ゲクォッゲクォッ

 紫色のドラゴンの月影は何かを吐き出そうとしている。水が口からぼたぼたと落ちる。
 水に紛れて、ミミズクが出てきた。

「何したの? ローリ?」

 ミミズクはそそくさとゆいなの方へ来て、とまった。人間の姿に戻る。

「ネニュファールさん、ローリは?」
「ローリ様の箱の力と、魔法曲の、『ベドルジハ・スメタナ作曲、モルダウ』ですわ」
「川を作る曲だね、陛下は?」
「ローリ様は胃の前の食道の中にいますわ。今肺に水を送っているところですわ」
「心臓が弱点なのにいいの?」

 カナはおずおずと尋ねた。

「不躾ですわね、肺が呼吸をやめたら、心臓は止まりますわ」

ガボォーーー!

 紫色のドラゴンの月影は水を吐き続けている。
 呼吸をしたそうだ。
 紫色のドラゴンの月影はついに前を見ながら後ろへ倒れた。
「頑張れ、ローリ!」
「ローリ様は普段抜けてる分、決めるときは決める人ですわよ、心配ご無用ですわ」

 ネニュファールは眼下を見ながら言った。
 しばらくすると、人間姿のローリが紫色のドラゴンの月影の口からやっと出てきた。

『兵士達、ドラゴンは気絶しているだけだよ、やつの心臓を潰してくれたまえ』

 ローリがそういったようにゆいなは口の動きを読み取る。
 ローリは濡れ鼠のようにずぶ濡れのフェレットになった。そう思ったら体をブルブル震わせて、水気を払う。

「ははあ」
「ローリ様! よくぞご無事で!」

 ネニュファールの高い声が大きく響く。そして、ミミズクになるとローリの元へ一目散に翔んでいった。
 リコヨーテ兵は紫色のドラゴンの月影の駆除に手間取っているようだ。

「あっ、新しい月影だ!」

 7メートルほどのボノボの姿がゆいなの目に飛び込んできた。
 ボノボはこちらを向く。

「違う、あのボノボは半月よ。確か噂で聞いたんだけど、半月のルコ様の月影風のお姿だよ」

  カナは安心した様子で教える。
 ボノボのルコは藍色の目と赤色の目をしていた。肩に人が乗っている。

「女王!」
「が、いや、女王なんだ」

 ゆいなはガウカと口に出しそうになりいい改めた。
(ガウカ一体何をする気なのか?)

ズシンズシン!
 ルコはゆっくりローリや紫色のドラゴンの月影の方に寄っていく。
 ゆいなが思ったより早く、その場所に到達した。
『ウォレ』
 ガウカの口がそう動いたように見えると、それは大きなコントラバスの模様の斧が現れてボノボであるルコが掴んだ。斧は刃渡り4メートルほどだ。ガウカは弦を長くしてガウカとボノボのルコに巻き付いて、二人を繋いでいた。
キィーーー!
 ボノボのルコのもつ斧が紫色のドラゴンの月影の心臓へと振り落とされた。
 紫色のドラゴン月影の血がどっと迸った。何度も何度も憎んでいるかのように斧でたたき切られている。

「あ、おさまった」

 ルコは人間に戻り、ガウカも武楽器を消した。
 ゆいなは特に気にしてなくて舌を翻したが、紫色のドラゴンの月影の死体の周りに楽団の全員が近くに集まっていた。70人近くいるようだ。
「『プッチーニの、蝶々夫人、ある晴れた日に』?」

 ゆいなはルコの口の動きから判断した。
 他の楽器の人もいるが、多くのバイオリニストの数だ。

「よく口元の動き読めるね。その曲は歌劇ね、オペラとも言う」
「人がいっぱいねー。ネニュファールが歌うのね、楽器を持ってないよ。うわ、聞きたいなー」


 ゆいなに時差があるが音楽が聞こえてきた。
 小さく聞こえてくるネニュファールの声は心地よくなり癒やしを分け与えてくれるような美しい声だった。
 雪はいつの間にか止んでいて、雲は空高くブラックホールのようなものに吸収されていく。
 温かい晴れの天気になった。
 紫色のドラゴンの月影は血肉と体液が金貨、銀貨、銅貨、宝石、貴金属、装飾品類に変わる。そして空を華麗に舞いながらリコヨーテの兵士やメイド、召使い達の楽器に透明になって入っていく。
 ちなみにローリは箱を出して、曲を演奏してるため、多くの金貨はローリのものとなっている。

「虹だ」

 どちらからともなく言った。オーケストラの空の上にはもうブラックホールはなく、虹がかかっていた。

「ビオはもうドラゴンを落とす気ないのかな?」

 ゆいなは不安を押し殺すように言った。
「ビオと交渉した方がいいね、私はあなたを推薦するよ」
「な、なんで? 私、人見知りがあってその」
「純日本人だからだよ、ね、きっと陛下も許してくれるよ。今からあの場所に行ってみよう?」
「でも私この城で働きたいと思ってるの」
「本当? それならまだ名のしれてないあなた――、名前は?」
「柳川ゆいなです」
「ゆいなちゃん、行こう!」
「ええー?」
「早く、曲終わっちゃうよ」
「うーん、分かった」
「待って、……風で髪型が乱れてる」

 カナは手鏡をポケットから引っ張り出すとゆいなを写した。ついでに木でできたクシを持つと、ゆいなの髪の毛をとかし始めた。
 ショートカットに8、2分けの髪型を完成させると、蝶々のピンドメを耳にかけている髪につけた。
(薄化粧しておいてよかった)
 ゆいなはダメ出しを食らうかと思ったが、カナの表情は笑っていた。

「行こう」

 カナはゆいなの背中を押す。
 階段を降りて、廊下を進む、国王と女王の間を通り抜けて更に進んでいく。
 どんどん進んで湖の小舟乗り場についた。

「城の者ほとんど出払っているし、私が漕ぐから、さあ乗って」
「う、うん」

 ゆいなは小舟に乗ると、カナも大きなオールを持って乗り込む。
 二人を乗せた小舟はスイスイと進んだ。
「カナさん、小舟漕ぐの上手ね」
「カナでいいよ。そういえばさ、両親に連絡しなくて大丈夫?」
「うちは放任主義だからね、1日いなかったとしてもなんにも思わないよ」
「こっちで働くのも平気なの?」
「あー、一応後で聞いてみるね。多分了解は得られると思う。ところでカナの両親は?」
「今はもう亡くなってる」
「え? 病気で?」
「月影に食われてね。私が子供だった頃」
「リコヨーテの兵士だったの?」
「そう、テイアでね、もう7年前、私が14才の頃だったよ」
「そっか。でも兵士というかメイドやっているのは母の影響?」
「私のお母さんはとても正義心が強くて、子供を助けるために自らが囮になったと聞いてるよ。私もかっこよく誰かを助けたい。結婚して子供が生まれたら、お母さんみたいになりたいって言われるのが夢なの!」
「素敵!」
「本当? そう言ってくれるのゆいなちゃんだけだよ」
「ゆいなでいいよ、私のが8つ年上だし」
「えー! 全然同い年くらいかと思った!」

 カナは危うくオールをすべり落とすところだった。

「ゆいなも城の者になるのか、これから楽しくなるね」
「ビオさんとの会談がうまくいかないとねー下手したら帰れなくなりそうだけど」
「そのことは陛下に聞いてみよう? 何かビオのこと知ってるかもしれないし」

 カナの声に力が入って、小舟は岸についた。
 2人は並んで歩く。
 10分くらい無言で歩くと、ローリ達が見えた。
 ローリ含めオーケストラの皆はぐったりとして座っていた。

「陛下、まばゆい戦いでした、私達を守ってくれてなんと申せばよいのやら」
「カナ、柳川さん。君達いつの間に仲良くなったんだい?」
「今さっきです。陛下、ビオさんに交渉の余地があると思い、ここまで来ました。公証人に、この、柳川ゆいなさんを強く推します」
「ビオさんはリコヨーテの様子をどこかから見ていると思う。どこか安全なところでニーベルングの指環でみてみる、決めるのはそれからだね」
「城に戻りますか?」
「いや、どこかの家屋に入って、地下室を作る。見張りになってくれるかい?」
「了解しました、どこに入りますか?」

 ゆいなは周りを見渡す。
 ドラゴンの月影のせいで見る限りは倒壊した家屋に囲まれている。

「おいで」

 ローリは立ち上がり、2人ににっこり笑った。そしてゆいなとカナを引き連れ歩いていく。
「ローリ様、わたくしも同行します」

 ネニュファールがローリの声にすばやく反応している。

「ネニュファール、君は連れて歩くのに目立ちすぎるから、ここで町の再建の手伝いをしていてくれたまえ」
「そう、ですか……。わかりました」

 ネニュファールは哀切を極めた顔を隠そうとしたのか、うつむきながら答えた。

「行こう」
「「はい」」

 3人は庭付きの戸建ての広い家に立ち入った。

「パース」

 ローリはあの巻物を箱から出した。そして広げた。ミミズの這ったような字が書き連ねられていた。

「ここからでもお城と繋がってるんですか?」
「だいぶ離れているけどね。今から演奏する曲は誰にも教えてはならないよ」
「キイちゃんでしたっけ?」
「そうか、太陽君の演奏でもう知っていたのだね。あまり広めないでくれたまえ。ウォレスト」

 ローリはバイオリンを出して構える。ちょうどよく張った弓が弦を擦った。
 可愛い曲調だった。



 バイオリンとピアノとハープだとまるで個性があって表現が違った。
 巻物は階段と化していた。

「それでは、行ってくるよ」
「「いってらっしゃいませ」」

 ローリが階段へ降りるのを見送った後、ゆいながぼやく。

「ネニュファールさんも連れてきてあげればよかったのに」
「まあまあ、それでもいつも陛下と一緒に寝てるから……あ、女王も一緒にね」
「眠れなさそう」
「あははは、そうだね。でも最近笑顔が増えて幸せそうだし、いいんじゃない?」
「それもそうだね」

 ゆいなはローリが2人に挟まれて寝るのを想像した。
「いいな」
「陛下は好きになっちゃだめだよ。あのね、ライバル多いし、天然だから、好意を全部返すタイプだから」

 カナは必死になってゆいなの頬をつつく。

「別に好きなわけじゃないよ。かっこいいとは思うけど」
「なんだ、よかった。粛清させられるところだったよ、危ない」
「そんなに? 誰に粛清されるの?」
「それは言えないけど」
「カナも好きなの?」
「私はとっくの昔に諦めたからね」
「ええ? す、好きだったの?」
「城のメイドになって少し経ってからだね。でも、毎日来るラブレターと贈り物、訪問者で、諦めの境地に達したよ」
「ラブレターや贈り物にお返ししてるの? 訪問者って?」
「生真面目にお返しのプレゼント考えて返すから、きりがなくてね。徐々に陛下に見せなくなっていったよ、ちなみに訪問者も門前払いよ」
「そうなんだ」
「ファンクラブもあるらしいよ」
「すごーい」

 ゆいなが返すと、会話が終わってしまった。
 ゆいなは自分のコミュニケーション能力のなさを呪った。

「そういえば、シルバーストラ見たことあったっけ?」
「ああ、犬のね。シャクレ犬の」
「そうそう、シルバーストラと陛下の隠し撮り、あるけど見る?」
「見る見る」

 カナはメイドのエプロンのポケットからケータイを出した。画面をスライドする。

「ほら」

 カナの見せた写真はローリが少し見切れていてシルバーストラが気持ちよさそうにローリの腕に包み込まれていた。

「よくバレずに撮れたね」
「この写真、金貨5枚で売って歩いてるんだ。ゆいなには友達価格で銀貨3枚でいいよ」
「いや私、お金持ってなくて。いいよ、諦める」
「そういえば武楽器は?」
「最近、新しく武楽器もらって、チェロが武楽器なんだけど」
「ふうん、お金できたら売ってあげるね?」
「うん」
「何の話だい?」
 ローリが階段から顔を出した。

「ひゃ! 何でもないです、シルバーストラを可愛いねと話していたところです」
「いつから聞いていたんですか?」
「チェロが武楽器なんだけどのあたりからだね」
「そうなんです、私、初心者なので本当に右も左もわからないんです」
「城のものに教えるように言っておこう。君はリコヨーテ兵になるけどいいのかい?」
「あ、ちょうどその話もしていたのです。使用人になりたいということで……」
「君の家族が納得できればいいのではないかい? 来る者は拒まず去る者は追わずの精神だからね」
「あ、ありがとうございます」
「あと、ビオさんの件だけれど、難儀にあったようで、逆に僕たちがビオさんを救わなくちゃならなくなった」
「どういう事ですか?」
「城に戻りながら話そう。……テイアに行く。フェルニカ兵に悟られる前にビオさんを助けないと、リコヨーテが本当の意味で終わる。パース」

 ローリは巻物をたたむと箱に入れた。外に出て、民家の通りを進む。

「陛下どこに行くおつもりで? ビオを殺すつもりですか?」

  レンシがローリ達の前に立ちはだかる。

「いや、助けるつもりだよ」
「助けるのか、それならここで決闘だ」
「レンシ、生憎だが君と争うつもりはない」
「ビオの元には行かせない! ウォレスト」
「やれやれ、僕らは同じ目的のはずなのだけれど」
「ビオは僕が殺す。かかってこい、ローレライ!」
「ほう、煽るのはいっちょ前だね。ウォレ!」

 ローリはバイオリンを出した。そして構える。

「させるか」

べーーーー!
 レンシはトロンボーンを吹くと分厚い30センチ四方の氷をベルの部分に集めた。

ゴッ!
「ぎゃ!」

 レンシは倒れ込んだ。トロンボーンは消え、氷はゆっくりと前に進んできたのでローリは「パース」と言い、箱を出して、中にしまった。
 何が起こったかと言うと、ネニュファールのライフルのグリップでレンシが殴られたのであった。 つまり、レンシは背後にいたネニュファールに気が付かなかったのだ。

「ローリ様、これからいかがいたしますの?」
「ビオさんに会いに行こう。だが、ビオさんはチンピラの仲間入りしている」
「まあ! それはいけませんわ」
「ビオはどこにいるのですか?」

 ゆいなは思い切って聞いてみた。

「ここだよ」
 
 ローリはタブレットの地図を箱から出した。リコヨーテの名称も載せてあり見やすく、付随してある索引からその国と地域がわかった。
 どうやらビオは、リコヨーテと日本の境目にいるようだ。
 ここからは少し距離があった。

「なんで分かるのですか?」
「ここ前に母上と行った会談の途中で休んでいたところだよ」
「城南島か。日本の埼玉からだと結構かかりますし、城からでもそれなりにかかりますね」
「東京からテイアに来てる人を探して一緒に世界樹で近くまで行って、タクシーに乗っていくかい?」
「そうしましょう! 皇太后様に聞いてみますか?」
「母上に聞いてみるよ。なるべく目立たないようにしたいから、ガーさんと僕と柳川さんの3人で行くよ」

 ローリは武楽器を消して、先程の兵士達がいる場所に戻った。

「ビオさんはレンシに記憶を取り戻してもらいたいようだけど、願い石でやるとただの召使いになってしまう可能性が拭いきれない為、自然に取り戻してもらいたいらしいね」
「どうすれば記憶が戻るのですか?」
「レンシにビオともう一度話してもらいたい」

 ローリは空を見上げた。
 ゆいなも真似すると大きなドラゴンの月影の骸骨が見える。

「その必要はありません。僕、思い出しました。ビオはクライスタル人兼日本人の母、つまり僕の嫁との子です。今の衝撃で思い出しました。ビオが怒っているのは、僕がリコヨーテ兵になってから、お金を振り込むだけで一向に帰らなかったからなのです。だから、リコヨーテを潰して僕をそばに置きたいというわけだけと考えられます」

 レンシは起き上がって一生懸命喋った。

「問題が解決したら、君にはビオさんと遊ぶ休暇をあげるね」
「あ、ありがとうございます。先程は失礼なことを言って申し訳ありませんでした」
「それで、ビオの母親は何を?」

 ゆいなは口を挟む。

「クライスタルで働いています。安月給です。だから僕が影から支えていたというわけです」
「なるほどね。ではビオさんのところまでついて来るかい?」

 ローリは理解したようだ。

「はい、もちろんです」

 レンシは真剣な目をしていた。

「母上、ビオさんと話すために少し出ていきたいのですが、構いませんか?」

 ローリは大きめな椅子に腰掛けていたルコに話を通す。

「いいけど、なるべく早く帰ってくるのよ」
「はい、ありがとうございます」
「わしも行きたいのじゃ」
「うん、君にもついてきてほしい」
「本当じゃな? わーいなのじゃ」

 そして、4人は城まで戻り、小舟に乗った。
 レンシの舵で城の内部に入っていった。
 ローリは黒いウィッグをかぶる。

「さてと、どうやって、東京から来ている人を探そうか?」

 ローリが中庭にいる3人に聞く。

「同報系防災行政無線屋外受信機のスピーカーから放送してもらいましょうか?」

 ゆいなはそう提案した。

「そうだね、クライスタルにもそんなようなスピーカーあったはずだよ」
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