スイセイ桜歌

五月萌

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第4章 ゆいなの歩く世界

1 ゆいなの想い人

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 クリスマスの日、ゆいなは初めての失恋をした。

「ゆいなちゃん、揚げ物お願い!」
「はい」
 柳川やながわゆいなは22歳の頃にフリーターをしていた。
 辛くなったらすぐに辞めて新しい職につく、皆はこんな宙ぶらりんの生活は良くないというが、ゆいなにとっては最高の子供部屋おばさん生活だ。
 こんな私でも恋する日がやってくるなんて。
 スラッとした長い手足、眼鏡の奥は真面目そうな精悍な顔つき。頭一つ分大きい身長。声すらかっこいい。
 その人物、細村連司ほそむられんしはゆいなが働いているお弁当屋に後から入ってきた、大学生のアルバイターだった。



 そして連司がアルバイトに入って2ヶ月後のアルバイトの時間。連司とは金曜日だけシフトが被っているのだ。ゆいなの生きがいの一つでもある。
 そして今日は金曜日。
 客はいつ来るかわからないので神経を張っていなくてはならない。ガラガラと扉が開く音がしたので、 すぐにレジに向かった。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

 ゆいなはレジを担当しているので笑顔で接客する。

「唐揚げ弁当とのり弁当」

 来ていた客は若い男性でずんぐりむっくりな体型だ。

「はい。オーダー入ります、唐揚げ一丁、のり一丁、以上です」

 マイクを通して中にいるパートとアルバイターに伝える。

「ゆいなちゃん、細村君が来ると声高くなるよね」

 パートのおばさん同士でそのようなことを言われても気にしない。
(だって好きな人には自分をよく見せたいじゃない?)

 連司はゆいながミスした時も怒らず冷静に対処してくれて、物覚えもよく、よく働いていた。
 最初は一目惚れだったが、次第に価値観や性格を知りもっといろんなことを知りたいと思っていた。
 アルバイトの終わり時間、ゆいなは一時間早くあがる。なぜなら男の人に乱暴されかけて外に出るのが怖いからだ。



 しかし、幸せの終わりはいつも急にやって来る。
 ゆいなは過呼吸になり、目の前がぐるぐるしパニック障害になり、薬を飲みすぎて、職を辞する事となった。
(根本にあるのは高校で受けたいじめだ、そして男性に乱暴されかけてトイレに逃げ込んで難を逃れた事だ)
 連司の連絡先はすでにゲットしていたのだが。
 月日が経っても色褪せない、大切な大好きな人だ。

 そして、ゆいなは1年間、精神病棟に入院した
 初めは5日間、保護室に入れられ、ストレスや不安に押しつぶされそうだった。
 保護室というのは症状で暴れてしまう人や大声を出してしまう患者さんが普段利用してるが、入院してまもない患者さんも何日か入れられているようだ。ゆいなはそこで出されたご飯をあまり食べずに、身体的拘束で点滴を受けていた。というのも、ただたんに、ご飯の味を感じなかったのであまり食べなかった。
 身体的拘束が解けるのに4日、それから1週間は保護室で過ごした。保護室には簡易的なトイレとベッドしかない、なんの娯楽もない部屋だ。
 「ここから出して!」という声を出す人や「お父さん!」と叫ぶ人がいた。ここに長く居ると確実に心を病んでしまうだろう。
 大ホールに出れたときは感動して、他の棟にまで足を運んでしまい別の棟の患者さんに指摘されて謝った。
 4人部屋に入ることになった。
 朝の眠気で挨拶が気に入らないおばさんに「私なにかしました? なんで不機嫌そうなのよ」と言われて、「すみません、眠くて」と謝った経験もある。「私は5時に起きてるけど?」と言われて、謝るしかなかった。
 他にも、浴場で水虫になったり、トランプやろうと誘われて成り行きで彼氏ができたり、壮絶な1年間だった。
 退院して家に戻ったゆいなは今度は、幻聴に悩まされることになる。
 「死ね」と幻聴で聞こえることがあった。
 それでも、アルバイトを頑張って続けていると、身体的な悪口を幻聴で聞こえるようになる。
「デブ、引くわ」等だ。



 それから3ヶ月後、彼氏と別れる。
 唾液を飲まさせようとする彼氏に生理的嫌悪感を抱いてしまったゆいなは、彼氏と別れることにした。
 元々、対して好きではなかったためかすぐにどうでも良くなった。それもそのはず、病院で性交しようとしたり、車内で性交しようとしたり、性欲が高くてゆいなには合わなかった。
 好きな人、細村連司に連絡を取ろうとしたのだが、アルバイト生活のために身をすり減らすほど精神的にきていたゆいなは1年間は連絡をとれなかった。



 1年後、久しぶりに連司にチャットアプリで連絡を入れた。久しぶりです、友だちになってくれませんか、という簡単な内容だ。
 彼は優しく、『私で良ければ悩みを聞きます』と言ってくれた。
 色んな話をした。明けましておめでとうメールも送りあった。
 楽しかった。
 相変わらず、丁寧で心のこもったメッセージをくれる連司。いつからか好きだと伝えてしまっても良いと判断してしまった愚かなゆいな。
 「大好きな人の内の1人です」と書いて送ってしまったこと。
 「会いたいです」と書いて送ってしまったこと。
 答えはもらえなかった。もう返事はこなかった。
 それがクリスマスのことだった。
(既読にもならないメッセージはどこにいってしまったのだろうか?)


 3ヶ月たってもまだ返信を待っているゆいな。
 好きだった。
 もう一度話したい。


 そんな時、とある男性からご飯のお誘いが来た。
 しかし、ゆいなは男性恐怖症になっていて、断った。別の男性からの誘いも断って、人の誘いも断り続けて、返事を待ち続けて4年経過していた。
「最近元気ないようですけど大丈夫ですか?」

 お弁当屋でアルバイトしていたゆいなに声をかけてくれたのは、男子高校生の石井太陽いしいたいよう。高校2年生の太陽は落ち着いていて、連司のことを思い出させられる。29歳になったゆいなを気にかけてくれる心優しい男子だ。

「大丈夫。太陽君は学校、楽しい?」
「はい、楽しいんですけど、一昨日、体育の授業でバスケやってたら突き指しちゃって」

 太陽は怪我したのとは裏腹に笑いながら言う。

「逆に大丈夫?」
「なんとか平気ですね。そういえば昨日から今日の朝にかけて、彼女と彼女の母親と山梨に旅行行ってきました。信玄餅よかったらどうぞもらってください」
「彼女?」

 ゆいなは心の奥で希望と期待という何かがガラガラと崩れる音がした。

「去年から付き合ってます。写真見ます? 後で見せますよ」
「そうなんだ~、後で見せて。山梨は彼女の母親の実家があるの?」
「はい。彼女がついてきてほしいっていうので行きました」
「彼女と仲良くね」
「ありがとうございます」

 太陽が返事を返すと客が入店してきた。

「いらっしゃいませ」
「電話で頼んだ福島です」
「電話注文の福島様ご来店です」

 ゆいなは中の人に聞こえるように伝える。

「「お待ちしてました」」

 太陽ともう一人のアルバイターの女子大学生の子は合わせて言った。

「大盛りの竜田弁当と小盛りの南蛮弁当、以上で1,090円です」

 客にお金を払ってもらい、お弁当を手渡した。

「ありがとうございました」

 客が出ていく。

「上がっていいよ。柳川さん、石井君」

 店長の盛岡仁もりおかじんに名前を呼ばれた。気がつくと9時になっていた。
「気をつけて帰ってください。お疲れ様でした」

 女子大学生の子に言われて、ゆいなも手をふった。

「それで、さっき言ってた彼女の写真なんですけど」

 太陽は更衣室から出てくると第一にゆいなにケータイを見せてきた。

「ええ~可愛い」

 ゆいなはその画面に映る、はにかんだように笑っている子に注目した。ワインレッドの裾カラーをしていて、目がぱっちりとしていて、肌が白くて、なんだか芸能人に間違えられそうな外見だ。

「ありがとうございます」

 太陽はニヤけながら頭を下げた。
 ゆいなも更衣室のカーテンを閉めて着替える。

「なんていう子?」
風神美優かぜかみみやささんです」
「風神美優? 珍しい名字に名前ね? 風神ちゃんのことなんて呼んでるの?」
「え? 普通に美優ですけど。太陽と呼んでくるので」
「へえ、高校卒業したら結婚するの?」
「結婚? まだまだ先のことかと」
 太陽がいうと、一瞬、目が泳いだゆいなはにこやかに話題を変える。

「そういえば竹中さんも同じ学校に娘さんいたよね? その子とは仲良くないの?」
「美亜さんのことですか? 同じクラスですよ。仲は良くないですね。いや、嫌いって面と向かって言われたんで、ある意味仲いいのかも?」

 ゆいなは着替え終わって、太陽と一緒に裏口から出ていく。

「美亜ちゃんに何したの?」

「名前負けした陰湿野郎って言われて、ムカついて、ミジンコチビって言ったら、あんたなんて大嫌い! と言われてしまいまして」
「美亜ちゃんと仲いいじゃない」
「最悪ですよ」
「誰が最悪ですって?」

 曲がり角で美亜とかちあった。

「ぎゃあ! 出た! 柳川さんすみません! 俺急ぐので!」

 太陽はT字路の美亜の反対側に身体を向ける。

「待ちなさいよ。ぎゃあ、出たってどういう意味かしら?」

 美亜は逃げようとした太陽の腕をすごい力で掴んだ。

「痛い痛い、まさかチビに会えるとは思ってなくて、俺、感動しちゃってこんなバイト終わりの姿見せたくなくてさ」
「まるで、おばけでも見えたようだったわね。柳川さん、こんばんは」
「竹中さんの娘さん? 本当にそっくりだ。あ、こんばんは」

 ゆいなは小さな美亜を見下ろす。
(なかなか可愛い、キレイ系でなく可愛い系だ)

「こんなところでどうしたの? 迷子?」

 太陽が煽るように言った。
 美亜の顔がみるみるうちに赤くなる。

「誰が迷子よ、陰湿太陽、もはや、雨ね! ママが店内で履く靴、間違って履いて帰っちゃったからこのあたしが届けに来たのよ。仁さんとも顔見知りだし、ママが疲れたっていうから」
「夜だし危ないからついていこうか」

 ゆいなは提案する。

「いいんですか? お願いします」
 美亜は即決した。

「柳川さんの家って、美亜の家の真向かいだっけ?」
「そうだけどなんで知ってるのよ、ストーカー?」
「事務室に地図が貼ってあるだろ。店長が話してるのを偶然聞いたからだ。俺もついてくよ」
「何よ、盗み聞きじゃない? ……何か下心でもあんの?」
「それは紳士に言うセリフか?」
「翔斗よりかはましか……、いいわよ、ついてきても。ですよね、柳川さん?」
「そうだねー」
「翔斗の評判悪いな」
「誰?」

 ゆいなは困惑する。

「同じクラスの友達です」
「あの変態野郎のことはいいのよ、……行きましょう、柳川さん」
「ふうん、わかった」

 ゆいなは疑問を残しながら、うなずいた。

 夜はシーンとしている、まるで嵐の前の静けさであった。
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