スイセイ桜歌

五月萌

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第2章 ローリの歩く世界

13 チェスとユウキ

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 ローリは右胸に深く刺さった剣を抜いている。こちらも血がダラダラと出ていた。

「ローリ様こそ大丈夫ですか?」
「心臓は避けてくれたから大丈夫だけど、一応弾いておこう、血と体力を戻す曲」
「主よ人の望みの喜びを、ですね、バッハの」
「「ウォレスト」」

 始め、ローリのボーイングが苦しかったが、途中からは悠然としたアップとダウンに変わっていった。
 ネニュファールは血が体内に戻るまで音を外してしまい、辛そうにしていたが、やはり途中から楽になったようだった。
 途中から安定した満足いく演奏ができた。血が体に戻って縫うように傷口が塞がれた。

「はっはっはっは、いたた」

 ローリは笑いながら傷の跡を擦る。

「ふふふふふふふっいつ」

 ネニュファールも傷跡のあとひく痛みがあるようだ。

「うまくいきましたね」
「ルナナめ、もう少し手加減してくれればいいのに」
「万が一、帰ってきたときのための布石ですよ、ふふ」

 ネニュファールはいたずらっぽく笑う。

「半月になって逃げることはないのですよね?」
「ケーキに薬を盛っておいたから平気だよ」

 ローリは一呼吸おく。

「さて、チェスの本読みながらゆっくり帰るか」
「女王が行方不明なのにチェスするのです?」
「言ったことは曲げないのが母上の良いところだよ」
「さいですか」
「二人のときは敬語ではなくても良いんだよ」
「わかりましたわ。ところで歩きだと三十分はかかると思いますの」
「では、君が翔んでいくかい? 疲れるよ?」
「ローリ様が良ければ近くまで翔びますわ」
「構わないよ。パース」

 ローリは箱を出すと中にチェスの本をしまった。

「ではでは」

 ネニュファールは体を丸めるようにして、一瞬の光のうち、ミミズクに変身した。片方の目の色は赤くなる。

「大変だったり危なかったら僕を落として逃げるんだよ」

 ローリは同じく体を丸めるようにして、光ってフェレットに変わった。さらに同様に片目が赤くなる。
 二人は空の旅になる。
 空は清々しいほど晴れ渡っている。
(思えば長かった。ネニュファールがメイド試験合格したのを皮切りに、二人でガウカを半月狩りに攫わせようと作戦を考えたのだ。悪いことをしてしまったが、ネニュファールと共にいるのにガウカの存在が妨げであった。月影化できない薬は二四時間効く魔法がかかっている。多分監禁するところも月影化はできないところだろう。ルナナにはフェルニカで良くしてもらえるように願い石とお金をたんまり渡しておいた)
 ローリはチェスの手を思索する。
 ネニュファールは今までに何度もガウカへの愛と憎しみが交錯していた。ローリが言った、『愛してます』という言葉を聞いたときはガウカを暗殺しそうになっていた。
 城下町まで翔んでいくと十分かかるか、かからないか位だった。路地裏に降り立つ。
 ネニュファールはローリを優しく地面に置いた。
 二人は一緒に人間の姿へ変わる。

「やっとここまで来ましたわね」
「君の演技に期待しているよ」
「ローリ様の方が気になりますことよ」
「ここからは敬語でいてくれたまえ」
「はい」
「しかし、この格好だと目立つから着替えよう」
「パース」

 ネニュファールはメイドの服を隠すようにケープを羽織った。

「ああ、そうだね。パース」

 ローリは庶民の服を取り出し脱いで着替え始めた。
 ネニュファールは目のやり場に困る。
 ローリが着替え終わると箱を消した。フォーマルなモノトーンコーディネートに黒い帽子も被っている。

「では行こう」

 ローリは通りが賑やかなのを利用して歩こうと踏み出す。
 ネニュファールはローリの手を繋いだ。

「人混みですと、危ないですよ」
「そうだね」
「少しのんびり行こうか」

 ローリは八百屋まで来るとりんごの積んであるダンボールからりんごを二つとると、金貨四枚を箱から出して店員に渡していた。そしてりんごをネニュファールに手渡した。

「あの、ナイフとかで切らないのですか?」
「かぶりつけばいいよ」
 ローリはりんごにかじりついた。
 ネニュファールも真似してみた。

「美味しいです」
「そうだね」
「公園があります」

 二人は公園に入ると並んでベンチに座った。

「ルフランはフェルニカに行ってしまわれたのですね」
「母上が荒れそうだね、チェスわざと負けたほうがいいかな」
「わざと負けたらわたくしがその秘密を暴きますので、おやめください」

 りんごは芯までローリが食べるので、ネニュファールは芯の部分をローリにあげた。
 ゆっくり歩きながら二人で城までついた。

「あら、二人共? 馬車はどうしたのよ?」

 ルコは城の前で仁王立ちしていた。

「途中で野盗、多分フェルニカの人物に襲われて、ガウカさんが、拉致されたのです。僕らも追いかけようとしたのですが手酷くやられて。ガウカさん、月影化して逃げると思ったのですが……眠らされたか、気絶したのかは定かではありません」

 そう発言したのはローリだ。悔しそうに顔を伏せている。

「あとルナナさんに裏切られました。あとから来た彼女に陛下が刺されて傷はなんとかなったのですが、おそらく護衛の馬車は潰されたかと思われます」
「……それはそれは、大変だったわね。小舟は用意しているから中で話聞くわ。……まさかルナナが裏切るなんて……」

 ルコは身震いしながら船に乗り込んだ。
 ローリとネニュファールも手に汗を握りながら乗り込む。
 ルコが予め乗っていた使いのものに出発のサインを出すと、小舟はゆっくりと動き始めた。
 ローリはずっとチェスのルールを考えていた。

「ついたわ」

 ルコの声にローリはいち早く反応し、先に降りて、後から降りる人に手を貸した。それは使用人、問わずだった。

「母上」
「何かしら?」
「チェスしましょう」
「わかってるわよ、食卓でいいかしら?」

 ルコは苛立ちを隠せない様子で言った。

「ええ、イカサマがないように誰か信用できる者をそばに置きましょう」
「するわけないじゃない、もちろんいいわよ、あたしからも誰か観てもらいましょう」

 ルコは使いのものに命じてプラチナとホワイトゴールドのチェス盤が用意させた。

「はっこの匂い」
 ローリは鼻が効くため匂いに敏感だった。
「ネムサヤだ」
「いいわね、ネムサヤに観てもらうわね、小舟の手配を」
「小舟いらないみたいです。飛行中です」
「あら、そう」

「ネムサヤは半月だから大丈夫なのですね」
ドン!

「大変です、皇太后様、ルナナが暴走して、陛下たちを殺そうと言っていました! ……あれ、陛下……? ご無事で何よりです」
「ルナナは他になにか言ってなかった?」
 ルコは冷たい目でネムサヤを見た
「いえ、特には……刺されたのですが半月の血でなんとか生き残りました」
「ネムサヤ、お疲れかもしれないけど頼まれてくれない?」
「何をですか?」
「見てわからない?」
「チェス?」
「不正がないように見届けてくれる?」
「はい、皇太后様のご命令であれば!」
「僕はホワイトゴールドの方にするよ」
「え?」
「え? って何よ?」
「いや、それは」
「僕がホワイトゴールド選んでなにか問題でもあるのかい?」

 ローリの声は一触即発のすごんだ声になっている。

「いえ、すみませんでした、何でもありません」
「何かあったの? まさかイカサマじゃないわよね?」
「今、持ってこられてイカサマ仕込む時間ありましたか?」
「そうね、……ホワイトと名がつくから先行でいいわよ」
「はい、ありがとうございます」

 ローリは並べられた駒のポーンを二つ前に動かした。

「参考書読んだみたいだけれどイレギュラーな動きはしないよね?」

 ルコによって鏡のように同じポーンが動かされた。

「僕に死線をさまよわせる気ですか?」

 ローリは誘いに乗らないように着々と攻めていく。

「一気に来ないのが素敵よ、チェック」
「母上も、なかなかですね」

 ローリはビショップでキングを守った。

「後どれ位かかりますかね」
「御二人とも本気なので十分、十五分くらいじゃないですか?」
「そういえば帝王さまに伝えたのか? ガウカ様が連れ去られた事」

 ドーリーがネニュファールに話しかける。

「いけない! 二次会を楽しみにしていらっしゃるはずです。今伝えてきます」

 ネニュファールは急いでラウレスクに事情を伝えた。
 そして気落ちしたラウレスクは二次会の中止を発令する。これはガウカ様の行方不明を伝えるためでもあった。
 ネムサヤ以外の使用人は二次会の中止になったことを言って回った。
 更に何人か、帰らぬ人となった使いの者も出たとネムサヤが言った。
 次の日に葬式が開かれることになった。

「チェックメイト!」

 少しの駒の音だけが漂う中、声を上げたのはローリだった。

「あたしが負けるなんてそんなこと……もう一度よ! もうひと勝負よ」
「明日にしましょう。僕はもう疲れていて、頭が働かな」
「大変です!」

 部屋に転がり込んできたのはドーリーだった。

「何よ?」
「地下倉庫の武楽器庫が荒らされてます! 盗られたものがないかチェックしている段階ですが」
「こんな時に? バラバラなの? あたしも行こうかしら?」
「犯人は七人らしいです。一人は捕らえました。しかしそれ以外は逃げられました。園児のように若い子もいました」
「湖畔は探したの? 子供に渡れるほど浅い湖じゃないわよね」
「首謀者一人と共犯が六人いて、箱の力で湖をわたられました」
「あたしが体に聞こうかしら」
「それって拷問するということですか。おやめください、彼はすでに痩せていて骨と皮だけの人間なのです」
「お金目的の泥棒ねえ」
「母上、身柄を開放してください」

 実はローリはこそ泥のことを知っていた。もちろん彼らの匂いは消臭スプレーで消してあり、ルコの気を引くためにチェスをしていたのだ。

「何よ強気ね?」
「さっきチェスに勝ちましたよね? つまり僕の言うことを聞くんですよね? 身柄を開放してあげてください」
「今すぐここに呼んできなさい」
「はい!」

 執事が泥棒にはいった男を連れてくる。手錠をかけられて縄で繋がれている。

「すみませんでした! どうか命だけは」

 白髪交じりの初老の男だった。随分痩せている。

「大丈夫、君の身柄は開放されるよ」

 ローリは気持ちに寄り添うように優しげな声を出した。

「何もしないとは言ってないわよね」
「え?」
「呪いをかけてやるわ、あなたの名前は?」
「私はユウキと申します」
「逃げた人の名は」
「言えません」
「言いなさいよ」
「言えません」
「その件はいいとしてなにか盗んだの?」
「私達も貧困にあえいでいて外界の月影と戦える武楽器が欲しかった、それだけなのです、許してください」
「貧困になった原因は? 農家で不作だったの?」
「プログラマーだったのですが、エーアイに仕事を取られてしまいまして、無職になってしまったのです」
「家族も?」
「月影にやられて、妻に先立たれ、娘が一人おります」
「ここいる皆で魔法曲、弾くわよ、あでも、防音じゃなかったから、あたしの部屋で弾くわよ」

 ルコはキッとユウキを睨みつけ威圧すると、そのまま立ち上がり移動した。
 ここにいる皆はルコに続いた。

「時間内にエーアイと言わないか、あなたの娘に触られるもしくは目線を合わせると爆発する呪いをかけるわね」

 ルコは部屋につくなり開口した。

「なんてそんなひどい」
「あたしがひどい? ついでにきのこにしてやる」
「やめてあげてください」
「急速に成長する彗星樹の種があったはずだわね」
「ちょうど植木鉢に植えてある苗がございます」

 ネムサヤは残酷な顔で言った。

「それ持ってきなさい」
「はい」
「反対です、それよりもまず謝っていることに着目してあげてください」
「あなた、ネニュファールをむち打ちの刑に処するわよ?」
「やめてください」
「じゃあ黙ってみてなさい」

 ルコの言葉にローリは何も言い返せずにいた。
 しばらく経つと小さく丸く刈られた木をネムサヤが軽々と持ってきた。

「じゃあ魔王を弾いて、体を移すわよ。ウォレ」
「母上」
「きのこにするイメージで弾くのよ」
「「ウォレスト」」

ネムサヤとドーリーが武楽器を出した。フルートとチェロだ。

「「ウェレ」」

ネニュファールとローリの声が揃った。

「フランツ・シューベルトの魔王よ」

うわあああああああああ
 ユウキが樹木に吸収されていく。顔の出た顔面きのこに変わっていった。ユウキは過呼吸になっていて、見るに耐えない。

「次はフォーレのエレジーよ」
「もうおやめいただけませんか?」
「ネニュファールには関係ないわ。あたしがどれだけチェスに時間をつぎ込んだのかわからないでしょ、ローレライに怒りが向かないだけありがたいと思いなさい……。それで娘の名前は?」
「……アイです」
「しかし、エレジーはチェロ独奏とピアノのための楽曲、この場にはピアノ弾ける人はいません。遠征に行っている兵士を待たねばなりません」
「あら、しらばっくれる気? ネニュファールはピアノはとても上手に弾けるはずよ」
「ピアノ弾ける事、どうして母上が知っているのですか?」
「施設の先生よりうまいらしいわね」
「そのようなことをお聞きになられたのですか、……ですが、ピアノはありませんよ」
「武楽器ではないピアノならあるわよ、パース」

 八十八鍵盤の折りたたみ式の電子ピアノをルコが箱から取り出した。そして、スタンドと椅子も引っ張り出した。
「その、武楽器でないと魔法はかかりませんよ?」
「ドーリーのチェロは武楽器だから魔法は少し弱いけどかかるわ」
「ですが、フォーレなどと弾いたことのない曲に挑めるほど頭は弱くありません」
「絶対音感を持っているのでしょう? プレイヤーを貸してあげる、時間も少しならあげる。ベッドに座って聴きなさいよ」
 ルコはポータブルCDプレイヤーを箱から出すと、イヤホンとともにネニュファールに手渡した。
 ネニュファールは恐る恐るベッドに腰掛ける。そして耳につけて聴いてみた。
 ローリはしばらくの間、ネニュファールのつぶらな瞳を見つめていたが、視線を送りすぎたのかネニュファールは目を閉じた。
 ルコはだんだん眉根を寄せる。
「後五分で頭の中に叩き込みなさい」
「ピアノの伴奏のみですか? チェロも混ざっているのですか? なるべく伴奏を弾かせるならばピアノの伴奏のみではないといけません」
「あたしが意地悪すると思うわけかしら?」
(思う)
 ローリは口からでかかった言葉を飲み込んで褒めることに徹する。
「お優しいですね、さすが母上」
「ふん、当たり前でしょう」

 チクタクと時計の音がもどかしさをあらわにしている。

「五分ですね」

 ネニュファールはイヤホンとプレイヤーをルコに返却した。
「時間内……、そうね、十分経つごとまでににエーアイと言わないか、あなたの娘に触られるもしくは目線を合わせると爆発する呪いね」
「ドーリーさんはこの曲弾けるのですよね?」
「はい」
「早い所はじめましょう」
「ああ」

 ネニュファールはピアノの上に手をおいた。

 非の打ち所のない、完璧な演奏だった。背徳感をもちつつ、しかし気持ち良く弾いていた。
 チェロから出る薄緑色の光がユウキを照らした。

「無くなった武楽器はどうしますか?」
「楽器自体が盗られたわけじゃなく、武楽器になる一部分だけ盗られたようです」
「すでに弾いたり吹いたりして、なおかつ箱の中に入れられたら万事休すね。武楽器はこっちには戻ってこないわ」

 ルコはユウキのことは気に留めることなく喋る。
コンコン
 部屋がノックされたので、ルコは顎でローリに開けるよう指示した。

「報告です。三つの武楽器がなくなりました! ユーフォニアムとヴィオラ、それからをソプラノサックスの武楽器の一部を盗まれました」

 髪の短いメイドが言った。
 悪いことは重なるものだ。

「ああ、私達の受け継いできた武楽器が……、……今すぐこいつを街路樹にして埋めてきなさい」
 ルコはユウキを指差し、顔はネムサヤに向かって言い放った。
 ルコ達は部屋から出て食卓につく。
「夕食は何にいたしましょう?」
 すぐに板前がやってきて訊いてきた。
「チョコフォンデュよ、シズル感あふれる果物でね」
 ルコは半月であるがその事を言うと怒るのでチョコレートを食べる件に誰も口を出さない。
「僕は鮭のフレークに白米で構わない」
「か、かしこまりました」

 板前はここに来る前にネムサヤの抱えた木のきのこ面と目を合わせていたのだった。そして、ルコの機嫌を損なわないようにと心に誓っていた。

「チョコレートなんて甘い物よく食べられますね」
「あたしはあなたと違って、フェレットじゃないからね」
「父上は夕食召し上がりましたかね?」
「訊いてきなさいよ、励ますついでに」
「はい」

 ローリは素直に従う。それはルコ相手に強く言えないからでもある。そもそもその方が都合がいい。

「父上、入りますよ」

 ローリはラウレスクの部屋のドアを軽く叩く。鍵はかかっていないので引き戸を開けた。

「おお、ローレライ」

 ラウレスクはベッドに佇んでいた。病人のような顔色でローリを見つめた。手には火の付いたパイプタバコを持っている。そしてそれをプカプカふかしながら、やはりローリを見定めるようにじっと見ている。

「――」
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