スイセイ桜歌

五月萌

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第2章 ローリの歩く世界

8 児童養護施設で

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(十年前次の日の朝)


 ローリは寝室にて王子の服に着替えて、ルコから渡された長方形の印鑑を箱に入れた。更に、箱に簡単な着替えである、高級な衣類を入れた。それは着るかわからないが念には念を入れた。緊張気味にバイオリンを奏でる。ラウレスクに教えてもらった、目覚めよと呼ぶ声ありだ。ただし、最後の音は弾かずとっておいた。

(これで準備は完了だ)
 ローリは武楽器を消すと、食堂へ朝食を食べにいく。

「いただきます」

 ローリは卵の不使用のパンを食べる。中に乳製品不使用のチーズやケチャップが入っていた。噛み付いたチーズが伸びていくので、手でちぎった。他のパンもアンパンやジャムパンなど種類が色々だった。

「ごちそうさまでした」

 ローリは手を合わせた。

「王子様、本日はよろしくおねがいします」

 タイクに声をかけられた。黒い額縁のメガネを掛けていて堅物そうだ。
「うん、よろしく頼むよ」
「はいっ。一三時四五分にまた声をかけます」
「僕はその時間は本を読んでいるだろうからね」
「勤勉ですね」
「そうでもないよ、僕はよく昼寝する」
「寝る子は育ちますよ」
「僕の身長が低いことを揶揄しているのかい?」
「い、いえ、そんなつもりは……」
「言葉を謹んでくれたまえ」
「はい」
「僕は寝室で国立図書館から届いた本を読んでるから。時間になったら来てくれたまえ」
「わかりました」

 その後、ローリは自分の背丈あるほど積んである多くの本を読み漁った。
ゴーンゴーン
 からくり時計がお昼を告げている。
 ローリは眠たげな目をこすりながら食堂についた。
 お昼ごはんはシーフードカレーだった。

「板前、日本から来ただけあるね」

 ローリは珍しげにスプーンの上に乗ったカレーをみて、そして口へと運んだ。

「ほう、美味しい」

ものの五分でカレーは平らげられた。

「王子様、お忍びで行くので三角帽を被っていきませんか?」
 タイクが言ったように三角帽は流行しているのだ。
「ああ、用意しておいてくれたまえ」
「かしこまりました」
「ときに、タイク、君は何の武楽器かい?」
「サックスです」
「そうかい。今治安が悪くなっているから十分気をつけたまえ」
「そうですね、警戒します」
「ところで半月なのかい?」
「アフリカゾウの半月です」
「そうかい。では僕は読書に戻らせてもらう」
「はい」

 タイクの返事をきくと、ローリは寝室へ戻った。
 しばらく時間がたち、ローリは立ち上がると部屋の窓を少し開けた。今日はフォーマルな黒を基調とした服に着替えた。
 すると同時にコンコンとドアがノックされた。

「王子様」
「タイクか。すぐに出る」
 ローリは変装用のメガネを掛けた。そして、部屋から出た。
「馬車の用意はできております」
 タイクはすたすた歩くので、ローリも急ぎ足で向かった。
 小船で湖を渡る。豪華な四輪の馬車が見えてきた。
「私がお先お乗りします、王子様どうぞ」
 タイクの手を借りローリは馬車に乗り込む。
「手はずどおり進んでください」
「はっ」
 御者の鞭で馬が駆け出す。ゆっくりと馬車が動き出した。
「王子様、ご気分いかがですか」
「快適だよ、ありがとう」
「何かあれば何なりとお申し付けください」
「まずは乳児院に行った後、町を見て歩きたい」
「はい」
「どこ行こうか」

 ローリはカーテンを開ける。
<チョコペニ○ン&冷やしチョコおっ○いボール>
 怪しげな店が二人の目に入ってきた。バーのようなグラスのマークも添えてある。

「僕あの店行きたい」
「いけません! いかがわしいです」
「ぶー」
「あのような店行かれるのを、ルコ様に知られたら」
 タイクはガクガクブルブル震えだした。

「わかってるさ、冗談だよ」
「それなら良かったです。もうすぐ着くはずです」

 馬のパカパカと調子のいいリズムがだんだん速くなってきた。
 御者が手綱を引いた。馬車は完全に止まった。

「王子様、私が先に降ります」
「ああ、すまない」

 ローリも続いて降りるが足が届かないのでタイクに抱き上げられるように降りた。
(胸板厚いな、鍛えてるのか?)
 ローリはタイクの上半身を考えた。タイクは細マッチョのようだ。

「さあ行きましょう。手はつなぎますか?」
「子供扱いしないでもらいたい」
「ははは」

 乳児院はミルクの匂いや乳酸菌の匂いでいっぱいだった。中は広々とした檜造りの建物だった。

「こんにちは昨日お連れしたルフランさんの仮親で王国の王子スターリングシルバー一家、私はその執事です。病院付属の乳児院だそうで、健康診断書を作成なさってもらえたと思うのですが、その判子を押しに参りました」
「いいですか? スターリングシルバーの父上と母上の子供は僕だけですから」

 ローリは力いっぱい言い放った。
 変装している意味がなくなった瞬間だった。

「はい、申し訳ありませんが赤ちゃんが驚くので大きな声をあげぬようにしていただけますか?  いま健康診断書をお渡ししますので椅子にかけてお待ち下さい」
「これは失敬しました。なるべく早くお頼み申します」

 ローリは椅子に座って待っている赤子が泣いているので居心地が悪かった。

「いないいないばあ」

 タイクは赤子をあやして変な顔をした。

「おお!」
 ローリがみていた赤子はニコニコと笑った。

「診断書をお持ちいたしました。ルフランちゃんは生後三~四ヶ月位ですね」
「三,五ヶ月にすればいいのではないのかい?」
「そういう問題では」
「王子様の言うことが聞けないのか? 独房に入りたいのか?」

 タイクがローリの発言を抑えるように言った。

「ひい、かしこまりました」

 少し院内が混乱し始めている。職員の人は書き換えにフロントを走った。

「おやおや、可愛いお父さんですねえ」

 高齢の白髪の生えた女性がローリに声をかける。

「王子様、紳士たるもの、怒ってはいけませんよ」
「はっはっは、僕が父親か。これはこれは、面白い冗談だね」
「お母さんはどこにいるの? 飴ちゃんなめる?」
「僕に気安く声をかけてもらいたくないね」
「子供扱いされたからってキレないでください」
「キレてないが」
「ほうら、飴ちゃんだよ」
「善意ですよ、怒らないでください」
「はあ、ありがたく頂戴する」
 ローリはレモン味の飴をもらうとガリガリ噛み砕いて食べた。
「王子様、飴は舐めるものですよ」
「別に胃の中入れば同じじゃないかい?」
「歯が強いんだわね~ばあちゃんは総入れ歯だあよ」
「お待たせしました」
「そうかい。やっと持ってきてくれたか。パース」
 ローリの前に小さなルービックキューブのような箱が出てきた。
 ローリは朱肉と長方形の印鑑を出すと健康診断書に静かに印を押した。
 この世界ではサインする人は半分ほど、押印する人は半分なのは日本の文化がかなり流通しているからだと言える。
「失礼ですが、本当に王族の方でしょうか?」

 質問してきたのは坊主頭の痩せている血色の悪い男性だ。エプロンを見る限りここの職員だ。

「証明するよ、これでいいかい?」

 ローリは箱の中からコヨーテのあしらったエンブレムを出して見せた。ダイヤモンドの付いているそれは室内の照明を反射させていた。かなり高価で取引されるだろうそれは、ローリの指につままれていた。

「りょ、了解しました」
 最後の『た』の声が裏返っていた。
「診断書、しっかり乳児院の院長に渡しておくように頼むよ」
「はい!」
「さあ、用がすんだので外をぶらつこう」
「王子様、実は護衛のため後ろについてきた馬車の者も合流することになってます」
「そうかい、後何人来る?」
「後五人は増えます」
「全然自由ではないな」
「王子様、自分の身分をわきまえてはいかがですか?」
「ああ、しっかりわきまえているさ」

 ローリは立ち上がると飴をくれた女性に手を振った。手を振り返されるとローリは小さく笑って、歩きだした。

 院外はうるさいほど人通りが激しかった。
 しかしローリはアーガイルチェックのマントを羽織った黒服のガードで前が見えなかった。

「何処へ行かれます?」
「僕、靴が見てみたいな」
「何も町で買わなくても、最高等級の靴は買えますよ」
「庶民の靴が気になるんだ」
「全て我々が保管しましょうか?」
「いや、大丈夫、パースに仕舞っとくよ。ありがとう」
「我々に沿って歩いてくださいね」

 それからは行くところに店があれば全部見て回った。商店街の殆どの店を軽く見て回り、庶民の着るような黒い半袖のパーカーや青いスキニーパンツを買った。それから靴もブランド物を何足か。
 パン屋のテラスで食事をしていた。卵不使用の米粉のパンに舌鼓を打っていた。

「はばかりに行ってくる」
「ついて行きます」
「はばかりの前で待ってくれたまえ」
「ははっ」
 使いのもの何人かでお手洗いに向かった。
「待っててくれたまえ」
 ローリは念押しすると、ササッと入っていった。
 個室に入る。
(うちのトイレよりも断然、狭い。玄関と同じかそれ以下くらいだ。……落ち着け)
「パース」
 ローリは便器のふたの上、床にレジャーシートをかけてその上に先程買った着替えを箱から出して置いた。そして、自身は脱いで、庶民風の服に着替えた。靴も履き替える。
「ウォレスト」
 ローリはバイオリンを出す。箱から消音器も取り出し、バイオリンの駒につける。髪の毛を一本抜いた後、レジャーシートの上に置く。

 一音、目覚めよと呼ぶ声ありの最後の音を弾いた。少し反響している。
 瞬時にローリから、一本の髪の毛のある方へ不思議な光線が注がれ、裸のローリが横たわっていた。
「成功だ」
 ローリは口を閉じて、さっき着ていた衣類を分身に着せる。
「ローリ様」
 ローリの分身にそう呼ばれ、ローリは小便を出した後のようにビクッとした。
「ああ、愛しのローリ様の体です」
「君は一体?」
「殉職したメイドですよ」
「ええと」
「私、ほらこの間、ローリ様に見とれて、階段から落ちて殉職した、シヨンヌです」
「シヨ!」
「ローリ様!」
「これからの僕のことを任せても平気かい? 一日僕のふりをしてくれれば助かるんだけど」
「ローリ様、任せてください。ローリ様のことが気がかりで成仏できなかったんですよ、でも今ではローリ様のことが何でもわかります」
「僕は別に、殉職してる使いのものもたくさんいるし、このミッションが済んだら成仏してくれよ」

 ローリが言っている最中に、シヨンヌはワキのニオイを嗅ぐ。

「あのさ、そういう事しないでもらいたいのだけど」
「ローリ様の匂い、ハアハア」

 シヨンヌはローリの前にしてためらうことなく、ローリに全力の愛をぶつけてくる。

「僕の脇が臭いみたいに言わないでくれるかい? やっぱり分身変えたほうがいいかな」
「いや、私で大丈夫です。あ、僕で大丈夫だよ」
「はあ、頼むよ」
「はい」
「じゃあ、使用人にもう帰るって言って、二十二時になったら寝室の窓を開けておくれ。くれぐれも変なことするなよ」
 ローリはシヨンヌにメガネを掛けさせる。帽子も被せた。
「はーい、わかりました~」

 シヨンヌはそう言うと、個室のドアを開けて出ていった。

「王子様、平気ですか?」
「オーキードーキーだ、すまない、糞のキレが悪くて」
「ははは、次はどこ行きますか?」
「僕はもうお眠だから帰ろう」
「わかりました」

 シヨンヌ一行が離れていくのをローリは肌で感じとった。
「何がオーキードーキーだ、だ。バレなきゃいいけど……」
 ローリは呆れながら散らかった衣類やレジャーシートを箱に移した。外へ出る。世界は一変して見えた。少し離れたところに人だかりがあった。猿の半月が芸をして金を稼いでいる群衆、テラス席でイチャイチャしているカップル。
「ネニュファールのところへ行かないと」
 ローリは適当な二輪馬車を操る御者に声をかけた。


 ネニュファールは庭先で本を読んでいた。外では同い年くらいの子供がブランコ、滑り台、砂場で一五人くらいが塊に分かれて遊んでいる。

「ネニュファールちゃんも遊ぼうよ」と男勝りなTシャツに半ズボンでスポーツ刈りの女の子に声をかけられた。

「このような場所で遊ぶなど不衛生、極まりないですことよ。泥でも付いたらせっかくのお洋服が台無しですわ」

 ネニュファールは貴族だった頃のように内にこもり、人見知りをしてしまう。

「洗濯してくれるから平気だよ」
「わたくし、本を読んでいますので」
「パウィ、お高く止まっているやつによく会話できるな?」

 話に混ざってきたのはダイチ・ツナントという男児だ。

「やーい、ブース、ブース」

 ダイチの腰巾着の男児のヴァニヤン。

「緊張しいなだけかもしれないじゃん」

 パウィはネニュファールをかばう。

「だいたいおかしいよ。一人だけ高い服と靴だしな、よーし皆、こいつの服汚してやろ!」

 ヴァニヤンが騒ぎながら視線を巡らせる。
 ネニュファール以外は皆、制服のような金色の縦縞が入った黒い服を着ている。

「泥団子爆弾、くらえ」

 ヴァニヤンの高い声が響いた。泥団子を手に握っている。

「きゃあ」

 ネニュファールは手で顔を覆った。

「パース」

「え?」
 ネニュファールが見たのは炎のように赤い箱だった。

「ど、どうしたんですか、ダイチ様」
「お前らはアイツにてぇだすな。俺がいじめるんだ」

 ほこを収めるのはダイチだった。

「そういうことですね、ダイチ様」
「ダイチ様? 一体どういう関係ですの?」
「あいつの父親のツナントグループって結構上流企業で幅を利かせているの」

 パウィの説明でなんとなくヒエラルキーが見えたネニュファールは不思議に思った。

「ですが、なんで泥団子で遊んでますの? 勉強やマナーなど習わないのですの?」
「それはいま子供が遊ぶ時間だからよ」
「ダイチ様、泥団子作りました」
「だから人に向かって投げるものじゃねーーーんだよ」

 ダイチは受け取った泥団子を後ろの遠くに向かって投げた。

「んわ!」

 塀の向こう側から人の声がした。高い塀から誰かがこちらを見ていたようで、その人に当たったようだった。
 ネニュファールは胸が高鳴った。
(この声、もしかすると)
 ネニュファールが塀に近寄り、木に登ろうとする。するとまた声が聞こえた。

「こらこら、ワンピースで木に登っちゃいけないよ」

 満面の笑みで顔に泥がついたローリが塀の向こう側にいた。箱で登っているらしい。

「よっと」

 塀をジャンプして着地した。ローリが施設に入り込んだ。

「お前どこのもんだ?」

 ダイチは腕を組んで問いただす。

「僕はローリ」
「俺はダイチだ、この養護施設の管理者のようなものだ」
「さっきの弾のコントロール良かったね。後ろに目でもあるのかと思ってしまったよ」
「お前、何者だよ」
「僕はネニュファールの保護者のローリだ」
「ってことはお前金持ちか? 何処のもんだ? ラインコット家か?」

 ファンボは狼狽える。

「まあまあ、それはいいとして、よくも泥団子をぶつけてくれたね」
「な、なんだよ、やるってのか?」
「ローリ様、当てようとして当てたわけじゃないと思いますの」
「そうじゃなくてね、ごほんっ……僕に泥団子の作り方教えてくれないかい?」
「ぷはっ、お前、泥団子作ったことねえのかよ、いいよ、教えてやる」

 ダイチは笑いながら言う。
(根っからの悪じゃないのですわね)
 ネニュファールはローリを心配そうに見た。
 ローリはハンカチで顔を拭いている。

「なんだい? あまり見つめないでおくれ」
「あ、あの、わたくしも一緒でもいいですの?」
「いいよ」
「やっと混ざってくれたな」
「わーい。嬉しさの舞!」

 パウィはネニュファールの体に抱きついてくる。

「ローリお前いくつ?」
「十二才だよ」
「俺たちは九才。お前年上のくせに身長低いな」

 ローリは自分より背の高いヴァニヤンに噛みつくように返答する。
「何かね? ぶん殴られたいのか?」
「なんだよ、本当のことだろ」
「僕は大人だから受け流すけど、言われた側が傷つくと考えないもんだねえ?」
「受け流せてなかっただろ」
「僕は身長のことでからかわれるのが一番キライなんだっ」
「ローリ様は心が大きいから小さくてもいいのですわ」
「小さいは余計だよ」
 ローリは砂場にたどり着くと、座った。
「まず少しの水と砂を混ぜる」
「ジーンズでこすると光沢が出るんだ」
「できた」

 ローリは二人のマネして泥団子を作る。キラキラした泥団子ができた。

「ありがとう」
「うるせえな」
 ダイチは照れくさそうに言い放った。
「ローリ様に失礼ですわ。それにしてもきれいな泥団子ですこと」
「男子ー、そろそろ先生来るよー」
「はーい」
「皆、遊んでくれてありがとう、また来るよ。そうそう、ネニュファールにお願いがあるんだ」
「なんですの?」
「ちょっといいかい?」
 ローリはネニュファールの手を引き滑り台の影に隠れる。
「ネニュファールの力で僕を城に送っていってほしいんだ」
「ミミズクになれたとしても、ローリ様をお連れできないと思いますわ」
「僕がフェレットになれば平気だよ、城のすぐ裏に寝室があるんだ、僕の分身がサイン出すから」
「ええー?」
「最近、吸血鬼が街に現れているらしいんだ。ここにいるうちは大丈夫かもしれないが安全かどうか確かめておきたくてね。二十二時まで帰れないから、ネニュファールの部屋で見張っていてもいいかい?」
「わかりましたわ。わたくしの部屋でじっとしていてくださいね。あら、ですが四人部屋ですの」
「君のベッドに潜り込んで監視するよ」

 ローリは一瞬光って小さなフェレットになった。

「とりあえず、ショルダーバッグの中に隠れていてください」

 ネニュファールはローリを掴むとショルダーバッグに入れた。

「皆、手を洗って中に入りましょう」
 お団子ヘアの若い先生が児童を誘導する。
(この人妙な匂いの残り香がする)
 ローリは微妙な腐ったような匂いを嗅ぎ取った。

「そんなに顔だして……あの人の事気になりますの? 確かマッケンナー先生と言いますの。二十六歳ですのよ」

 ネニュファールの手でローリは頭を撫でられる。
 ローリは気持ちよさそうに目をつむりショルダーバッグの中に伏せて眠った。
「眠ってしまいましたわ」

 ネニュファールは小さな声で言うとショルダーバッグを二段ベッドの上の枕元へ置いた。

「ネニュファール、次お風呂の番よ?」
「今行きますの」

 ネニュファールは応える。そして、ローリを置いて行ってしまった。
 十五分経つとネニュファールは帰ってきた。髪は乾かしたようで桃の香りがする。

「ローリ様も洗って差し上げますわ」

 ネニュファールは桶の中にお湯をためてきていた。
 ローリは驚きながら首を振るも、ネニュファールに体を掴まれて、桶の中で洗われた。くすぐったかった。
(声が伝わらないのが不便だ)
 ローリはタオルで包まれるように体を拭いてもらった。ブルブルと震わせて一気に毛を乾かすのを我慢した。

「待っていてください」

 ネニュファールは桶を持っていった。次に現れるとドライヤーとブラシを持ってきていた。
 大人しく乾かされていると、ルームシェアしている女児三人が帰ってきた。

「戻してきますわ」とネニュファールは出ていった。
「何か独り言言ってない?」
「分かる、なんかね」
「緊張してるだけだって」

 パウィという女児はネニュファールをかばう。
(僕のせいで申し訳ない)
 ローリはネニュファールが帰ってくるのをひたすら待った。

「もうすぐ夕食だね」
「鮭のムニエル定食かチキンカレー定食だね」

 一時間後、帰ってきたネニュファールは鮭の匂いを漂わせて帰ってきた。

「ローリ様、鮭なら食べられますわね?」

 ネニュファールはローリが思った通り、袋に半分にされた鮭を持ってきていた。
 ローリは鮭に食いつく。ものの三分で食べ終えた。

「二十二時まで暇ですわね、消灯が二十一時ですのよ」

 ローリは部屋の壁の掛け時計を見る。
 時計の針は二十時半をさしている。
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