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第2章 ローリの歩く世界
1 ローリとネニュファール
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リコヨーテにて。
一人のメイドが雇い主のご子息に声をかけた。
「ローリ様、いや、陛下。アフタヌーンティーの準備ができました。……本日は極品のキームンのアイスティーでございます。シフォンケーキとご一緒にどうぞ」
ローリと呼ばれた青年はあどけない顔をしていて少しいかり肩だ。藍色の髪と瞳が太陽に照らされてキラキラ光る。
「ありがとう、ネニュファール。城の中では陛下と呼びたまえ。それで父上の病態は? 医者はなんと言ってるんだね?」
ローリは中庭の切り株と小池の睡蓮を見て、感傷に浸っていた。テラスの椅子に腰掛けている。
「容体はあいも変わらずです。先生は肺がんに抗生物質カルセドを投与なさって、様子を見ようとのことでした。陛下は何故に付き添わないのでしょう?」
そういったネニュファールはピンク色の髪を斜めに縛っている。髪留めは小さなフェレットのアクセサリーがついている。生クリームを添えたシフォンケーキと紅茶をテーブルにセッティングした。
「ほう。父上が崩御したらいよいよ僕が本格的に政治を取り行わなければ。身を固めるという点に置いて、とても重要だね。ネニュファール、君も座りたまえ」
「はい、ではお言葉に甘えて」
ネニュファールはパラソルのある椅子のローリとは向かい側の椅子に座った。
「僕が何故付き添わないか、と聞いたね? 僕のいる場で深刻な病状に悪化したら、父上は無理をする。リハビリなどしてまで、僕に笑顔を向けるだろう。安息にしていてほしいんだ。父上が僕を呼ぶまで僕は行かない。そのうち皇位継承が執り行うだろうけどね」
「左様ですか」
「ところで、日本人とうまくやっていくには、この場所を日本ではない国として認めて守らなくちゃいけない」
「東京湾に落ちたからと言って日本ではございませんと、日本の天皇皇后両陛下と話を通されたのでしょうか?」
「もちろんだとも。僕は日本は好きだが、この地を日本にくれる気はしない。ここはリコヨーテ。それだけは譲れないのだよ」
「おっしゃる通りでございます。そうしましたら、日本人に分をわきまえるように何か策を講じなくては」
「そうだね、日本の民衆は今の所これと言って目立った動きはない。僕は日本の文献を深く読まないと」
ローリはテーブルに置かれた分厚くて字の小さな本をしおりの挟まっていた部分から読み始めた。
ネニュファールは手持ち無沙汰になった。
「陛下、お花に水をあげてきてもよろしいですか?」
「構わないよ、ところでこのシフォンケーキは卵が入っているのかい?」
ローリは興味深げに言う。
(僕は肉と卵は食べない質だ)
「いえ、卵も牛乳も入っておりません。豆乳と米粉を使用しております」
「そう。それはよかった」
「それではわたくしはこれで」
(先日、と言っても一週間ほど前だが、凱旋パレードは華やかで、皆の支持も集められて良かった)
ローリは文献を読みながらそう考えた。
少し時間が立った頃、テーブルの上にあるストローバッグの中から単調な音楽が聞こえてきた。
ローリはかごを引き寄せて探る。そして球状のケータイを取り出した。
『もしもし、ローリか? 俺今、漲ってる』
声の主は石井太陽。最近仲良くなった男子高校生だ。最近彼とその彼女とよく月影を倒しにテイアまで行っている。
『やあ、さっそく月影を狩りに行く気かい? ああ、それと僕のケータイは、願い石で作った試作品なんだ、圏外になるところはないが、いつ壊れてもおかしくない。城下町に売られているケータイがほしいのだけれど、少し付き合ってくれるかい?』
『そうなのか。テイアで待ち合わせしてローリの弾く曲でリコヨーテに行くか? それで日本にいる美亜の曲で日本に帰る』
『できれば、リコヨーテにいると王族だと見つかる恐れがあるから、クライスタルで買いたいのだが構わないかい?』
『その後、月影を狩りに行こう』
『もちろん構わないよ』
『そっか。美優も来るけど、ネニュファールは?』
風神美優は太陽の彼女だ。長い黒髪に毛先がワインレッド色だった様だ。
『ついていくか聞いてみる』
ローリは目を閉じると息を吸い込んだ。
(本当は危ないところに連れて行きたくないんだけれど)
「ネニュファール!」
「はい、いかがなさいましたか? 陛下」
ネニュファールは額に汗をかきながらローズガーデンから戻ってきた。ジョウロを抱えている。
「これからテイアに行くのだけれど、一緒に来るかい?」
「お供します」
ネニュファールは即答した。
「ちょっとおいで」
「はい?」
「いいから」
ローリの声にネニュファールは動揺するも近づいた。
ローリはバッグの中からタオル生地のハンカチを取り出して、ネニュファールの汗を拭った。
「このタオルあげるよ、熱中症に気をつけるんだよ」
「ありがとうございます。それでは! わたくしは作業に戻らせていただきます」
ネニュファールはタオル生地のハンカチを手に、急いで振り返った。明らかにローリの目と焦点があってなかった。
『おーい、何いちゃついてるんだ』
『すまない、ネニュファールに気を取られて疎かになってしまった』
『いやいいんだけどさ……、今学校にいてもうすぐ部活終わっから、一時間後にクライスタルの前で集合でいいか?』
『学校か。承知した。気をつけてくるんだよ』
ローリは公務をこなして、寝室で自らの分身とネニュファールの分身を作った。分身は比較的、城内の兵士やメイドの成仏していない霊が中に入って行動するので、しばらく寝たフリをしてもらうつもりだ。
「ネニュファール、なにか困ったことないかい? なんでも用意するよ」
「わたくし、日本巡りがしたいです」
「ほう、奇遇だな。僕もそう考えてたところだ」
「よろしいのでしょうか?」
「ガウカも連れていけば何の問題もない。彼女にとってもいい経験になるし、普段月影と戦っているからギブアンドテイクってやつさ」
「分身を作っているというのは今日、テイアに行くのじゃな? わしも行きたいのじゃが?」
ガウカがいつの間にか背後に立っていた。黒色と赤茶色の軽装のドレスだ。短めな前髪がチャームポイントだ。
「うーん、ネニュファールはどうしたい?」
「もちろん大歓迎です」
「なら、ついてきて構わないよ」
「バレないように分身を作ってくるのじゃ」
ガウカと呼ばれた少女はニコニコしながら寝室へ向かった。
「女王様の月影って小さくなれるのでしょうか?」
「多分な。一番始めの頃は城の出入り口から出てきたようだが、この間の窓からは出れると思うよ」
「用意できたのじゃ、さあ行こう」
ガウカは予想以上の食いつきで二人を圧倒させた。アーガイルチェックのリボンの、魔女のつけるような帽子を被っている。ローブも来ていてきれいめな服装に変わっていた。
「あいにく、一時間後に待ち合わせだ。ガウカさん」
「そうか、ローレライ君」
「君、僕のことを君をつけて呼ばないでくれるかい?」
ローリの顔がひくついている。
あまりの珍しさにネニュファールは写真にとどめておきたかった。
「お主こそ、他人行儀な呼び方を変えてくれぬか?」
「僕はただでさえ自分の名が嫌いなんだ。それに加えて当てつけのような君呼び。腹立たしいことこの上ない」
「じゃったら、わしがまだこの城からいなくなった以前の時のように、わしのことはガーさん、お主はロー君で良いではないか」
「ネニュファール。君はどう思う?」
「良いと思いますが、……はて、わたくしにその呼び方をさせるおつもりで?」
「あ、いやいやそうではない」
ローリは赤面した。
「おい、ロー君」
「何だ?」
「何だとは何じゃ?」
「何だとは何じゃとは何だ?」
「終わりそうにございませんね」
ネニュファールの言葉にガウカは悪巧みのように笑った。
「ロー君、ちょっと耳を……」
「はあ」
最近のローリはため息をしがちだった。体をガウカの身長まで低くした。
ちゅっ
ガウカはローリの耳にキスをした。あえて音を立てた。
「何をするんだい?」
ローリは冷静に耳を触ろうとして、バッグの中からハンカチを取り出して耳を拭いた。
「ズキュゥゥゥン」
ネニュファールは興奮してそう言うと、先程もらったハンカチで口元をおさえた。
「あ、間違えましたわ。女王様、夫婦だからといってひけらかすのはどうかと」
「お主は一端のメイドじゃろ、解雇させる権限はわしにもあるんじゃぞ?」
ガウカは腰に手を当てると偉そうにそういった。
「はい、すみません。お二人共ごゆっくり」
「待ってくれ、これは、ガーさんの目論みだから勘違いしないでもらいたい」
「わたくしではなく、女王様を気にかけてください。家出されて、フェルニカ兵に見つかったら大変ですよ」
「ロー君に、ガーさん、新婚に戻ったようじゃなあ」
「…………返す言葉もないよ」
「左様でございますか」
「メイドもわしのことはガー様と呼ぶように。城下町でバレたら面倒じゃから」
「はい、私はネニュファールとお呼びください」
ネニュファールは若干呆れながらも、真摯に対応する。
「僕ははばかりに行ってくる」
約束の二十分前になると、ローリは鹿撃ち帽にインバネスコートを着用した。
この時間、今いる、寝室の外は見張られているため、女王と国王の間の窓から月影風になって中庭に行かなければならなかった。中庭は見張られていないようだ。
人払いはネニュファールがしておいた。そして、国王と女王の間の窓のロックを解除、開けようとした。しかし、サッシが重くて力負けした。
「あら、開きませんわ」
「トラブル発生したようだね」
ローリが窓を持つネニュファールの上に手をおいてスライドさせようとするも、やはり開かない。
「魔法曲がかけられているのじゃな」
「我々のこと感づかれたな、母上め」
「どどど、どうしましょう?」
「君はイレギュラーなことが起きるとすぐに混乱する。そしてこのお粗末な罠にはまる」
「簡単じゃ、この窓にかけられた魔法曲はハイドンのセレナーデの可能性が高い。義母様はハイドンを好みよく弾く。セレナーデは夜曲とも呼ばれ、恋人の部屋の窓下で奏でる恋愛の歌曲。正確に言うとハイドンの作った曲ではなく、ロマン・ホウシュテッターというアマチュアの作品だったという事がわかってきたようじゃが」
「どうだろうかね」
「弾いてみましょう」
「ピッチカートじゃな。それにもうひとりバイオリニストやチェリストがいれば四重奏になるんじゃがのう」
「曲は終始、ピッチカートによる伴奏の上に第一バイオリンの高貴な演奏の形で進んでいく。仕方ない、一人一番信用できる者を呼ぼうではないか。ガーさん、呼んできてくれたまえ」
「わしに頼んでいいのか。適役はいるのじゃが」
「ああ、フェルニカに捕らえられていた方でも構わない。仲間を助けに行ったと思われるガーさんのほうが信頼度は高いからね」
「わかっておるの、訓練室まであの子がいるか見てくるのじゃ。少々待たれい」
ガウカは城内の訓練室に向かう。
ローリはネニュファールに寄ると伏し目で吐息をつく。
「ネニュファール、口づけをしてもいいかい?」
「へへへ、陛下、どどど、どういたしました?」
ネニュファールは恥ずかしくなり、後退りをする。
「待ってください。ロー、陛下、あの、女王様戻ってきますよ」
「それなら抱擁だけさせてくれるかい?」
ネニュファールは汗臭くないか、気になりつつも、頷いた。
ローリはネニュファールを優しく抱きしめて、ネニュファールの手にキスをした。
「いけませんよ、わたくしも心苦しいのですが」
「なんて、愛しいのだ。だが、理性を保つのもまた辛いな」
ローリは間をあけて、ネニュファールの頭を撫でながら続けた。
「それでは、また今度」
「今度ですか?」
「なんてね、冗談だよ」
「心臓に悪いいたずらは、今後一切受け付けませんよ」
「はっはっは」
ローリがさも楽しそうに笑っていると身長の違いすぎる二人がやってきた。
「サウカさん」と、心配げにネニュファールは言った。
二人というのはガウカとサウカだった。
サウカは肩くらいの黒色の髪で、黒い目をしている。髪型は濃い緑のヘアバンドをしている。同じく深緑のワンピースにレギンスといういでたちだ。
「サウカさん、体調いかがかな?」
ローリは高身長のサウカを眺めた。
「もう大丈夫です、ご心配をかけて申し訳ありません。陛下」
サウカは敬意を払うように頭を垂れた。
「かしこまらなくていい。サウカの特技はバイオリンじゃ。ちょうどよく訓練しておったのじゃ。サウカ。城の外ではローレライのことをロー君と呼ぶんじゃぞ」
「ローリ様と呼ばせてあげてください。陛下がブチギレる前に」
ネニュファールはフォローに準じる。
「わかりました」
サウカは緊張した面持ちで声を絞り出した。
「ウォレ」
ローリはバイオリンを出すと弓の強度を確かめた。その後、音叉でチューニングをしている。
「君たちも整備をしたらどうだい?」
「ウォレスト」
ガウカはコントラバスを出現させると、ローリと同じように弓の強度を直している。そして、チューナーをどこからか取り出すと音を一音ずつ聴き始める。
「「ウォレ」」
ネニュファール、サウカも後に続いて、調整し始めた。
ネニュファールは持ち歩いている音叉で音を感じ取り、サウカはチューナーをガウカに借りて、機械に安んじる。
「陛下、皆、準備完了です。余計な兵士が来る前に弾きましょう」
「待って、ネニュファール。何を演奏するの?」
サウカはネニュファールに聞く。
「ハイドンのセレナーデですわ」
「ああ、あの、ピッチカートの」
「弾けるかい?」
「もちろんです」
サウカは自信満々に答えた。
「私はセカンドで陛下がファーストですよね?」
「僕を誰だと心得ているんだ」
「はい、無礼をお許しください」
サウカは弓の点検をよくしているローリを見て、彼はファースト吹くのだと理解した。
「まあこれしきのことで怒ったりしないんだけどね」
ローリはクククッとキザに笑うと、バイオリンを構えた。
「陛下、せっかちですよ」
「皆、僕の演奏にちゃんとついてくるんだよ」
皆が慌てて楽器を構えた。
♪
それはそれはきれいな演奏だった。まるで水族館のイルカのように人間に指導されてきれいに泳ぎ、輪をくぐるように、皆を震撼させられる、そんな素敵な曲だった。
ネニュファールは窓をからからと音を立てて開けた。
「わしの重恩じゃぞ、忘れるなよ」
「はあ。本当だよ、ありがとう、ガーさん」
ローリは再びため息を付きつつ、お礼を述べる。そして瞳を閉じる。
風がどこからか吹いてきて、一瞬光った。小さなフェレットに変わっていた。
その後、三人も同じように変身する。小さな水龍二匹と、ミミズクになっていた。
ネニュファールはローリに視線を合図に、ミミズクの足の爪でローリを掴んで固定した。羽ばたくと中庭まで大した距離ではなかった。そのまま切り株の赤い膜の中に入った。
水龍の二人も続いて入る。人の原型に戻った。中は意外と広い。
「何とかたどり着いたね」
「そうですね」
「ほら近い近い」
ガウカはネニュファールの腕を引っ張る。
「きゃっ」
強い力で引っ張られて、尻餅をつくネニュファール。
「ガーさん、やめてくれるかい?」
「わたくしは平気でございます」
ネニュファールが起き上がるとガウカはそっぽ向いた。
(怒るとむくれて喋らなくなるな)
「ガーさんのおかげで皆ここまでこれたんだ。ありがとう」
ローリは子供をあやすかのように接する。
「パース」
ローリは小さな箱を出すと、中を探る。
「僕がそばにいるから、そんな顔より笑顔がみたいな」
ローリは蝶々のリングを取り出してガウカの人差し指にはめる。そして頭を撫でる。
「わしにくれるのか。わしのこと、この女よりも好きなんじゃな?」
「大抵の場合以外は好きだよ、大好きさ。さあ武楽器出して皆で弾こう」
「ロー君、わしも、好き」
ガウカは涙を一筋流して微笑んだ。
「あの、次は何を弾くんですか?」
「ジムノペディ第一番」
一人のメイドが雇い主のご子息に声をかけた。
「ローリ様、いや、陛下。アフタヌーンティーの準備ができました。……本日は極品のキームンのアイスティーでございます。シフォンケーキとご一緒にどうぞ」
ローリと呼ばれた青年はあどけない顔をしていて少しいかり肩だ。藍色の髪と瞳が太陽に照らされてキラキラ光る。
「ありがとう、ネニュファール。城の中では陛下と呼びたまえ。それで父上の病態は? 医者はなんと言ってるんだね?」
ローリは中庭の切り株と小池の睡蓮を見て、感傷に浸っていた。テラスの椅子に腰掛けている。
「容体はあいも変わらずです。先生は肺がんに抗生物質カルセドを投与なさって、様子を見ようとのことでした。陛下は何故に付き添わないのでしょう?」
そういったネニュファールはピンク色の髪を斜めに縛っている。髪留めは小さなフェレットのアクセサリーがついている。生クリームを添えたシフォンケーキと紅茶をテーブルにセッティングした。
「ほう。父上が崩御したらいよいよ僕が本格的に政治を取り行わなければ。身を固めるという点に置いて、とても重要だね。ネニュファール、君も座りたまえ」
「はい、ではお言葉に甘えて」
ネニュファールはパラソルのある椅子のローリとは向かい側の椅子に座った。
「僕が何故付き添わないか、と聞いたね? 僕のいる場で深刻な病状に悪化したら、父上は無理をする。リハビリなどしてまで、僕に笑顔を向けるだろう。安息にしていてほしいんだ。父上が僕を呼ぶまで僕は行かない。そのうち皇位継承が執り行うだろうけどね」
「左様ですか」
「ところで、日本人とうまくやっていくには、この場所を日本ではない国として認めて守らなくちゃいけない」
「東京湾に落ちたからと言って日本ではございませんと、日本の天皇皇后両陛下と話を通されたのでしょうか?」
「もちろんだとも。僕は日本は好きだが、この地を日本にくれる気はしない。ここはリコヨーテ。それだけは譲れないのだよ」
「おっしゃる通りでございます。そうしましたら、日本人に分をわきまえるように何か策を講じなくては」
「そうだね、日本の民衆は今の所これと言って目立った動きはない。僕は日本の文献を深く読まないと」
ローリはテーブルに置かれた分厚くて字の小さな本をしおりの挟まっていた部分から読み始めた。
ネニュファールは手持ち無沙汰になった。
「陛下、お花に水をあげてきてもよろしいですか?」
「構わないよ、ところでこのシフォンケーキは卵が入っているのかい?」
ローリは興味深げに言う。
(僕は肉と卵は食べない質だ)
「いえ、卵も牛乳も入っておりません。豆乳と米粉を使用しております」
「そう。それはよかった」
「それではわたくしはこれで」
(先日、と言っても一週間ほど前だが、凱旋パレードは華やかで、皆の支持も集められて良かった)
ローリは文献を読みながらそう考えた。
少し時間が立った頃、テーブルの上にあるストローバッグの中から単調な音楽が聞こえてきた。
ローリはかごを引き寄せて探る。そして球状のケータイを取り出した。
『もしもし、ローリか? 俺今、漲ってる』
声の主は石井太陽。最近仲良くなった男子高校生だ。最近彼とその彼女とよく月影を倒しにテイアまで行っている。
『やあ、さっそく月影を狩りに行く気かい? ああ、それと僕のケータイは、願い石で作った試作品なんだ、圏外になるところはないが、いつ壊れてもおかしくない。城下町に売られているケータイがほしいのだけれど、少し付き合ってくれるかい?』
『そうなのか。テイアで待ち合わせしてローリの弾く曲でリコヨーテに行くか? それで日本にいる美亜の曲で日本に帰る』
『できれば、リコヨーテにいると王族だと見つかる恐れがあるから、クライスタルで買いたいのだが構わないかい?』
『その後、月影を狩りに行こう』
『もちろん構わないよ』
『そっか。美優も来るけど、ネニュファールは?』
風神美優は太陽の彼女だ。長い黒髪に毛先がワインレッド色だった様だ。
『ついていくか聞いてみる』
ローリは目を閉じると息を吸い込んだ。
(本当は危ないところに連れて行きたくないんだけれど)
「ネニュファール!」
「はい、いかがなさいましたか? 陛下」
ネニュファールは額に汗をかきながらローズガーデンから戻ってきた。ジョウロを抱えている。
「これからテイアに行くのだけれど、一緒に来るかい?」
「お供します」
ネニュファールは即答した。
「ちょっとおいで」
「はい?」
「いいから」
ローリの声にネニュファールは動揺するも近づいた。
ローリはバッグの中からタオル生地のハンカチを取り出して、ネニュファールの汗を拭った。
「このタオルあげるよ、熱中症に気をつけるんだよ」
「ありがとうございます。それでは! わたくしは作業に戻らせていただきます」
ネニュファールはタオル生地のハンカチを手に、急いで振り返った。明らかにローリの目と焦点があってなかった。
『おーい、何いちゃついてるんだ』
『すまない、ネニュファールに気を取られて疎かになってしまった』
『いやいいんだけどさ……、今学校にいてもうすぐ部活終わっから、一時間後にクライスタルの前で集合でいいか?』
『学校か。承知した。気をつけてくるんだよ』
ローリは公務をこなして、寝室で自らの分身とネニュファールの分身を作った。分身は比較的、城内の兵士やメイドの成仏していない霊が中に入って行動するので、しばらく寝たフリをしてもらうつもりだ。
「ネニュファール、なにか困ったことないかい? なんでも用意するよ」
「わたくし、日本巡りがしたいです」
「ほう、奇遇だな。僕もそう考えてたところだ」
「よろしいのでしょうか?」
「ガウカも連れていけば何の問題もない。彼女にとってもいい経験になるし、普段月影と戦っているからギブアンドテイクってやつさ」
「分身を作っているというのは今日、テイアに行くのじゃな? わしも行きたいのじゃが?」
ガウカがいつの間にか背後に立っていた。黒色と赤茶色の軽装のドレスだ。短めな前髪がチャームポイントだ。
「うーん、ネニュファールはどうしたい?」
「もちろん大歓迎です」
「なら、ついてきて構わないよ」
「バレないように分身を作ってくるのじゃ」
ガウカと呼ばれた少女はニコニコしながら寝室へ向かった。
「女王様の月影って小さくなれるのでしょうか?」
「多分な。一番始めの頃は城の出入り口から出てきたようだが、この間の窓からは出れると思うよ」
「用意できたのじゃ、さあ行こう」
ガウカは予想以上の食いつきで二人を圧倒させた。アーガイルチェックのリボンの、魔女のつけるような帽子を被っている。ローブも来ていてきれいめな服装に変わっていた。
「あいにく、一時間後に待ち合わせだ。ガウカさん」
「そうか、ローレライ君」
「君、僕のことを君をつけて呼ばないでくれるかい?」
ローリの顔がひくついている。
あまりの珍しさにネニュファールは写真にとどめておきたかった。
「お主こそ、他人行儀な呼び方を変えてくれぬか?」
「僕はただでさえ自分の名が嫌いなんだ。それに加えて当てつけのような君呼び。腹立たしいことこの上ない」
「じゃったら、わしがまだこの城からいなくなった以前の時のように、わしのことはガーさん、お主はロー君で良いではないか」
「ネニュファール。君はどう思う?」
「良いと思いますが、……はて、わたくしにその呼び方をさせるおつもりで?」
「あ、いやいやそうではない」
ローリは赤面した。
「おい、ロー君」
「何だ?」
「何だとは何じゃ?」
「何だとは何じゃとは何だ?」
「終わりそうにございませんね」
ネニュファールの言葉にガウカは悪巧みのように笑った。
「ロー君、ちょっと耳を……」
「はあ」
最近のローリはため息をしがちだった。体をガウカの身長まで低くした。
ちゅっ
ガウカはローリの耳にキスをした。あえて音を立てた。
「何をするんだい?」
ローリは冷静に耳を触ろうとして、バッグの中からハンカチを取り出して耳を拭いた。
「ズキュゥゥゥン」
ネニュファールは興奮してそう言うと、先程もらったハンカチで口元をおさえた。
「あ、間違えましたわ。女王様、夫婦だからといってひけらかすのはどうかと」
「お主は一端のメイドじゃろ、解雇させる権限はわしにもあるんじゃぞ?」
ガウカは腰に手を当てると偉そうにそういった。
「はい、すみません。お二人共ごゆっくり」
「待ってくれ、これは、ガーさんの目論みだから勘違いしないでもらいたい」
「わたくしではなく、女王様を気にかけてください。家出されて、フェルニカ兵に見つかったら大変ですよ」
「ロー君に、ガーさん、新婚に戻ったようじゃなあ」
「…………返す言葉もないよ」
「左様でございますか」
「メイドもわしのことはガー様と呼ぶように。城下町でバレたら面倒じゃから」
「はい、私はネニュファールとお呼びください」
ネニュファールは若干呆れながらも、真摯に対応する。
「僕ははばかりに行ってくる」
約束の二十分前になると、ローリは鹿撃ち帽にインバネスコートを着用した。
この時間、今いる、寝室の外は見張られているため、女王と国王の間の窓から月影風になって中庭に行かなければならなかった。中庭は見張られていないようだ。
人払いはネニュファールがしておいた。そして、国王と女王の間の窓のロックを解除、開けようとした。しかし、サッシが重くて力負けした。
「あら、開きませんわ」
「トラブル発生したようだね」
ローリが窓を持つネニュファールの上に手をおいてスライドさせようとするも、やはり開かない。
「魔法曲がかけられているのじゃな」
「我々のこと感づかれたな、母上め」
「どどど、どうしましょう?」
「君はイレギュラーなことが起きるとすぐに混乱する。そしてこのお粗末な罠にはまる」
「簡単じゃ、この窓にかけられた魔法曲はハイドンのセレナーデの可能性が高い。義母様はハイドンを好みよく弾く。セレナーデは夜曲とも呼ばれ、恋人の部屋の窓下で奏でる恋愛の歌曲。正確に言うとハイドンの作った曲ではなく、ロマン・ホウシュテッターというアマチュアの作品だったという事がわかってきたようじゃが」
「どうだろうかね」
「弾いてみましょう」
「ピッチカートじゃな。それにもうひとりバイオリニストやチェリストがいれば四重奏になるんじゃがのう」
「曲は終始、ピッチカートによる伴奏の上に第一バイオリンの高貴な演奏の形で進んでいく。仕方ない、一人一番信用できる者を呼ぼうではないか。ガーさん、呼んできてくれたまえ」
「わしに頼んでいいのか。適役はいるのじゃが」
「ああ、フェルニカに捕らえられていた方でも構わない。仲間を助けに行ったと思われるガーさんのほうが信頼度は高いからね」
「わかっておるの、訓練室まであの子がいるか見てくるのじゃ。少々待たれい」
ガウカは城内の訓練室に向かう。
ローリはネニュファールに寄ると伏し目で吐息をつく。
「ネニュファール、口づけをしてもいいかい?」
「へへへ、陛下、どどど、どういたしました?」
ネニュファールは恥ずかしくなり、後退りをする。
「待ってください。ロー、陛下、あの、女王様戻ってきますよ」
「それなら抱擁だけさせてくれるかい?」
ネニュファールは汗臭くないか、気になりつつも、頷いた。
ローリはネニュファールを優しく抱きしめて、ネニュファールの手にキスをした。
「いけませんよ、わたくしも心苦しいのですが」
「なんて、愛しいのだ。だが、理性を保つのもまた辛いな」
ローリは間をあけて、ネニュファールの頭を撫でながら続けた。
「それでは、また今度」
「今度ですか?」
「なんてね、冗談だよ」
「心臓に悪いいたずらは、今後一切受け付けませんよ」
「はっはっは」
ローリがさも楽しそうに笑っていると身長の違いすぎる二人がやってきた。
「サウカさん」と、心配げにネニュファールは言った。
二人というのはガウカとサウカだった。
サウカは肩くらいの黒色の髪で、黒い目をしている。髪型は濃い緑のヘアバンドをしている。同じく深緑のワンピースにレギンスといういでたちだ。
「サウカさん、体調いかがかな?」
ローリは高身長のサウカを眺めた。
「もう大丈夫です、ご心配をかけて申し訳ありません。陛下」
サウカは敬意を払うように頭を垂れた。
「かしこまらなくていい。サウカの特技はバイオリンじゃ。ちょうどよく訓練しておったのじゃ。サウカ。城の外ではローレライのことをロー君と呼ぶんじゃぞ」
「ローリ様と呼ばせてあげてください。陛下がブチギレる前に」
ネニュファールはフォローに準じる。
「わかりました」
サウカは緊張した面持ちで声を絞り出した。
「ウォレ」
ローリはバイオリンを出すと弓の強度を確かめた。その後、音叉でチューニングをしている。
「君たちも整備をしたらどうだい?」
「ウォレスト」
ガウカはコントラバスを出現させると、ローリと同じように弓の強度を直している。そして、チューナーをどこからか取り出すと音を一音ずつ聴き始める。
「「ウォレ」」
ネニュファール、サウカも後に続いて、調整し始めた。
ネニュファールは持ち歩いている音叉で音を感じ取り、サウカはチューナーをガウカに借りて、機械に安んじる。
「陛下、皆、準備完了です。余計な兵士が来る前に弾きましょう」
「待って、ネニュファール。何を演奏するの?」
サウカはネニュファールに聞く。
「ハイドンのセレナーデですわ」
「ああ、あの、ピッチカートの」
「弾けるかい?」
「もちろんです」
サウカは自信満々に答えた。
「私はセカンドで陛下がファーストですよね?」
「僕を誰だと心得ているんだ」
「はい、無礼をお許しください」
サウカは弓の点検をよくしているローリを見て、彼はファースト吹くのだと理解した。
「まあこれしきのことで怒ったりしないんだけどね」
ローリはクククッとキザに笑うと、バイオリンを構えた。
「陛下、せっかちですよ」
「皆、僕の演奏にちゃんとついてくるんだよ」
皆が慌てて楽器を構えた。
♪
それはそれはきれいな演奏だった。まるで水族館のイルカのように人間に指導されてきれいに泳ぎ、輪をくぐるように、皆を震撼させられる、そんな素敵な曲だった。
ネニュファールは窓をからからと音を立てて開けた。
「わしの重恩じゃぞ、忘れるなよ」
「はあ。本当だよ、ありがとう、ガーさん」
ローリは再びため息を付きつつ、お礼を述べる。そして瞳を閉じる。
風がどこからか吹いてきて、一瞬光った。小さなフェレットに変わっていた。
その後、三人も同じように変身する。小さな水龍二匹と、ミミズクになっていた。
ネニュファールはローリに視線を合図に、ミミズクの足の爪でローリを掴んで固定した。羽ばたくと中庭まで大した距離ではなかった。そのまま切り株の赤い膜の中に入った。
水龍の二人も続いて入る。人の原型に戻った。中は意外と広い。
「何とかたどり着いたね」
「そうですね」
「ほら近い近い」
ガウカはネニュファールの腕を引っ張る。
「きゃっ」
強い力で引っ張られて、尻餅をつくネニュファール。
「ガーさん、やめてくれるかい?」
「わたくしは平気でございます」
ネニュファールが起き上がるとガウカはそっぽ向いた。
(怒るとむくれて喋らなくなるな)
「ガーさんのおかげで皆ここまでこれたんだ。ありがとう」
ローリは子供をあやすかのように接する。
「パース」
ローリは小さな箱を出すと、中を探る。
「僕がそばにいるから、そんな顔より笑顔がみたいな」
ローリは蝶々のリングを取り出してガウカの人差し指にはめる。そして頭を撫でる。
「わしにくれるのか。わしのこと、この女よりも好きなんじゃな?」
「大抵の場合以外は好きだよ、大好きさ。さあ武楽器出して皆で弾こう」
「ロー君、わしも、好き」
ガウカは涙を一筋流して微笑んだ。
「あの、次は何を弾くんですか?」
「ジムノペディ第一番」
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