スイセイ桜歌

五月萌

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第1章 太陽の歩く世界

7 月影のイノシシとの戦い

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「三つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーク 二長調。これはパッヘルベルのカノンとして有名な曲だね。このピアノで弾くなんてすごいね」

 美優は拍手と歓声をあげる。

「このピアノだが、見事なものだった。良いだろう。20009番の兵士として任命しよう」
「こんな俺で良いんですか」
「素直に喜びなさいよ、まったくもう」
「写真はもう撮った」

 ルイは手にinstax、いわゆるチェキを持っていた。
 太陽は真剣に弾いていて、気づかなかったが、ピアノと一緒に弾いている姿が一枚の写真にこめられていた。

 ルイはその写真をB4くらいの薄い手帳のようなものにのりで貼ると、太陽に投げてよこした。

「兵士手帳だ、大事にしろよ」
「投げてきてることに矛盾を感じます」
「こら、太陽! すみません、今日は急いでいるのでこのまま地球に帰りますね」
「ああ。今度来た時は特訓だからな」
「あの、それじゃあまた」
 太陽は手を挙げるとその場を後にした。
「美優、時間は?」
「七時四十五分」
「八時半までに学校行かないとな」
「そうだね、ついてきて、近道から行くから」
「どこにあるんだよ、ここから遠いのか?」
「帰る用の大樹の切り株は街の真ん中だよ。ここは北だから、南に行く」

 美優は路地裏を通り抜ける。
 祭りのように、テントの出店が並んでいて、思わず息が苦しくなる太陽。

「馬車か何か乗り物ないのか?」
「クライスタルではないなあ、リコヨーテとフェルニカにはあるらしいけど」

 なだらかな坂道を下っていく。テント地帯から抜けたようだ。

「しかし日本人のような人そんなにいないな」
「地球時間で日本は深夜から早朝だからね、皆寝てるんじゃない?」
「そうだな」

 少し静寂の間が流れる。青い髪や瞳を持った人とすれ違う。その中には腰まである長い茶色の髪の毛を持った浮浪児の装いの少年もいた。
(珍しいな、地球には自然にその髪色や瞳の色の人はいないだろうな)
太陽は少し物思いに耽る。

「今日の学校終わり、またテイアに来るんだからね!」
「わかってるよ。それより桜歌が気になって仕方ない」

 太陽ははち切れそうになりながら、桜歌を話題に出す。

「多分、グリーンスリーブスを弾けるくらいだから操られてるにせよ、簡単に殺したりしないと思う。リコヨーテに行ったことさえ判れば、捕まえた桜歌ちゃんをもとに戻そう」

 美優は目の前にある青い球状のものの前で止まった。

「この中だよ」

 美優は当たり前かのように、そのクリスタルのようなものに近づいた。
 ばちっと音がして、美優の体が半透明化して、中に入っていった。
 太陽は力強く、思い切りアタックした。ばちっと衝撃はあったが、痛くなかった、そして中には入ることに成功した。しかし、あまりの勢いに止まろうとした足がもつれ、転んでしまった。

「まったくもう、ほんとに転ぶのが好きだね、起き上がりこぼしにでもなったら?」

 美優はそういうと、太陽に手を貸した。

「あ、ありがとう」

 太陽はあたりを見回しながら起き上がった。

「ばちってしたのは何だったんだ?」
「武楽器所持者だってことだよ。基本的に地球から来た人がこの膜に入ることができるの。いやね、例外で、なんでもなくともテイア人が入ってこれる事もあるけど」

 外側は青い世界が広がっていた。真ん中には再生しようとしている切り株。木の芽が生えている。

「つぎは何を弾くんだ?」
「ここに来たときに弾いた曲と同じ曲」
「デュエットする?」
「したい、パース・ストリングス、ウォレット・ストリングス」

 太陽は箱と武楽器を出して、箱の上に武楽器を置いた。
(ワクワクしてきた、桜歌は必ず元の姿で元の人格に戻す!)

「あ、でも。今の太陽のピアノってあれじゃん」
「ジムノペディ位なら余裕だよ。……右手だけなら」
「ウォレスト」

 美優は省略して呼んだ。
 この場にはトランペットと、小さなピアノが出現し、二人はそれに音をこめ始めた。

 今度は周りが目まぐるしくまわる。
(延々にまわるんじゃないか)
 太陽はそれでも演奏に集中した、というより、美優の瞳にここでやめるなと圧を感じたのだ。
 回りが終わった。

 演奏も照らし合わせたように終わる。二人の息はぴったりだった。

「やっと終わった、吐きそう」
「もう、楽器に集中すればいいんに」

 美優はトランペットをマウスピースだけにするよう、神様に祈った。
 太陽も真似る。鍵盤の黒鍵の一音に変わった。
 美優は真っすぐ進みながら、太陽に話しかけた。

「テイアの事、誰にも話さないでね、この大陸に音楽関係の人以外は入れるなって言われてるの」
「そうなんだ、わかった」

 太陽はグラグラ、頭痛に顔をしかめながら、合意した。

「テイアに行く人、この辺の人もクライスタルの兵士いるから、今日の夕方テイアで紹介するね」
「ふうん。この辺にいるのか」
「びっくりすると思うよ」

 美優の姿がまた半透明になって消えた。

 太陽は取り残されたが、思い切って美優のいなくなった場所にタックルした。
 太陽は美優の家のテイアに向かった木から出てきた。
(帰ってこられたんだ)
 また、太陽はずっこけたが、表情は笑っていた。

「そう言えば時間は?」
「八時ジャスト」
「間に合うな。ああ、良かった」

 太陽は、学校に持っていく肩掛けバックを取りに家に帰ることにした。

「そう言えば、桜歌の通っている学校に電話しないと」

 太陽はケータイで桜歌の通っている学校を調べて電話した。

『二年B組の石井桜歌の父親ですが、今日は頭痛があるのでお休みいただけますか』
『はい、石井さんですね、担任の根岸に伝えておきます、お大事にしてください』
『よろしくお願いします』

 太陽はほっと胸をなでおろした。

「そうだ、ランドセルどうしよう」

 太陽は家に到着すると、敷きっぱなしの布団のそばに置いてあった、ランドセルを押入れにしまった。そして、自身の腕のリボンと彗星証をポケットにしまった。

「まあ、いなくなったことに気づかないだろうしな」
「おはよう」

 ビクッとした太陽は恐る恐る振り返る。そこには父親の響がいた。

「桜歌はもう学校に行ったんだな」
「知らない」

 太陽は喉の奥から声を無理に引き出した。

「知らないって」

そう言って笑う響をよそに、太陽は玄関に向かった。桜歌は靴を履いていったみたいだった。
 裕美はまだ居るらしくて、仕事に行くのは昼間。帰りが七時くらい。訪問看護の仕事をしている。
 響は朝から夕方六時まで働く。
 太陽は響がどこで働いているのか知らなかった。

(どこでも良いけど)
 二人はほぼ毎日外食で夕飯を済ましてくる。時々、家で簡単なご飯を作り、食べていることもあり、残飯に太陽と桜歌がありつくこともあった。

 しかし、太陽と桜歌はほとんど家に常備しているカップラーメンで、ご飯を済ませていた。
(俺がもっと器用なら、桜歌に料理作ってやるのに。でもお金もないし、仕方ないのかな?)
 太陽は今日もテイアへ、行く決意をした。

「もっと! 俺は誰よりも稼いでやる!」

 太陽は歩きながらそう、誓った。そして、教室までダッシュした。教室についた瞬間、チャイムが鳴り出した。

「あぶね~」
「太陽、お前、珍しいな。いつも速いのに、無駄に」

 大月は悪そうな笑みを浮かべた。

 太陽は裕美にケータイのメールで桜歌がいないことを事前に説明する。

『お母さん、俺だけど、桜歌が風神美優の家に泊まるって五月蝿いからしばらく泊めるから』



 太陽は部活の終わりを見計らって音楽室に突入していた。

「石井君、どうしたの?」

 こっそり侵入しようとしたが、音楽教師で吹奏楽部顧問の石黒日和いしぐろひより先生に太陽はあっけなく見つかった。

「あの、えっと」

 太陽は口ごもる。

「入部希望?」
「ぴ、ピアノが弾きたくて、すみません」
「あら。そう。好きなだけ弾いていいわよ。隣の部屋で書き物してるから、終わったら声かけて」
「ありがとうございます」

 太陽はグランドピアノに久しぶりに触った。ピアノはアウグスト・フェルスター社のものである。
 あのピアノ発表会の記憶が蘇ってくる。
(皆が見ている)
 太陽はその場に一人なのに、皆に見られている幻想がした。弾く曲は発表会で弾いた曲にする。


「シューマンの見知らぬ国と人々、作品十五、子供の情景、第一番」

 後ろから不意に知らぬ女性の声が聞こえてきた。

「君、隣のクラスの」
「竹中美亜だよ」

 美亜はそういうと、考えるポーズをした。美亜は背が低いので、太陽は桜歌のことを思い出す。

「白井太陽君だっけ?」
「石井だよ。てか君付けしなくていいよ。美亜ちゃん」
「それなら、あたしのことも美亜って呼んでよ。たいよー」
「じゃあ美亜、君はなんでここにいるんだよ。部活なら終わったはずだろ?」
「別に、チューナー忘れただけよ」
「チューナー?」
「ピアニストじゃ分からないよ。チューニングするの、音を、これで」

 美亜は長方形の小さな機械を掲げた。身長差がありすぎるからだ。二十センチ位、低い。

「これで音の高低さを?」
「メトロノーム付きだよ」
「へえ、俺は帰るな」
「ええ~もっと聴きたいなー」
「チビも早く帰ったほうがいいよ」
「だ、誰がチビよ!」

 美亜は怒ったように太陽を蹴飛ばした。

「いって。とにかく帰るからな」

 太陽はピアノのスイッチを切り、そして赤い色の分厚い鍵盤にかける用の布を鍵盤にかけた。ピアノの蓋を閉める。隣の部屋まで行く。

「石黒先生、終わりました。あの、ありがとうございました」
「はいはい、さようなら」

「ま、待ちなさいよ」といいながら、顔を赤くした美亜は黒くて小さな楽器ケースとスクールバッグを持って、太陽の後を追う。
「そうだ、竹中で思い出したんだけど、お前のお母さんって遥って名前? ついでにお父さんってルイと言う名前?」
「そうだけど? なんで知ってるのよ、あんた、ストーカー?」
「違うわ、お前のお母さん、同じ職場なんだよ。そっくりなんだよ。小さいところとか、たぬき顔のところとか。前から気になってたんだぞ」
「前からって?」美亜はたぬき顔の頬を真っ赤に染める。

「あ、いや、そんな変な意味じゃなくてだな。希少動物というかな」
「誰が、希少動物よ! あたしのどこが希少動物……。こっちだって陰湿そうだなって思ってたよ」
「そうかよ、じゃあな、くそチビ」

 太陽は下駄箱で上靴を靴に履き替える。

「名前負けした陰湿なやつには言われたくないわよ」

 言い残すと、上靴をローファーに履き替えた美亜は、自転車乗り場に向かった。

 下駄箱の美優の靴はなかった。
(桜歌を取り押さえるには、どうしたらいいか。手は強靭な力だった。ホットケーキでハニートラップでもしかけるか? でも……取り戻しても、攻撃されたら?)

 太陽は一度、自分の家に帰ることにした。ご飯をカップ麺ですます。

 美優の家まで歩いた。テイアにいるよりも夏の蒸し暑い感じがする。今までで一番暑い夏だ。どこからか風鈴の音がした。
 インターホンを鳴らす。

「すいません、誰かいませんか?」
「はい」と女性の声。
「美優さんいますか?」
「今出かけてます」
「どのくらい前に出かけましたか?」

 太陽は美優とニアミスしているのではないかと考えた。

「十分前くらいです。なにか伝えることがあれば聞きますが」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

(早く桜歌を助けにいかないと)
 太陽はこっそり美優の家の裏庭の木に向かう。
 弾く曲はグリーンスリーブスだ。

「ウォレット・ストリングス」


 今回は赤い濁流が木の中にできた。
 太陽は迷うことなく突っ走った。
ぐるぐるぐるぐる

「ぐうっ」

太陽が落ちたのは岩山が数多ある場所であった。
 見晴らしもいい。
(後は、クライスタルの人とうまく話して桜歌を助けるのを手伝ってもらう)

「そうだ」

 太陽は耳に彗星証をつけ、左腕にギンガムチェックのリボンを口でくわえながらつけた。
 なにかに見られている気がした。

(気のせいだ)
 数メートル離れているところにイノシシの月影。茶色と黒のまだら模様だ。三メートルはある。
(動け、動け足!)
 太陽の思いは裏腹に一向に足が動かない。

 月影はこちらに思いもよらない速度で近づいてくる。
(桜歌、ごめん。俺ここで死ぬのか?)

 目の前のことだった。

「パース」

 今度は上の方から声が聞こえた。眼前に箱が出てきた。

「え」 

どおおん
 思い切り頭を打ちつけた月影。
 今度は衝撃のせいか奴が動けないようだ。
 箱はルービックキューブのような文様の箱だ。

「ええ?」

 太陽は脇からでてくる。
プギィイイイイ

 バイオリンの象った剣を何度も何度も月影イノシシの目と首元に突き刺していた。返り血で顔と体が赤紫色に染め上げてられている。

 彼はクライスタルで会った、ローリであった。光っているような赤い目と藍色の目をしている。

「こんなところか」

 バイオリンの渦巻きの下、指板、ネックを掴み、剣に。ボディは盾だ。肩当ての部分が腕を固定する盾の腕当てになっている、ボディに差し込むようにして剣が収まった。すると、バイオリンに戻った。赤みの帯びた色のバイオリンだ。目の色もどちらも藍色に戻っていた。

「やあ、君はクライスタルであった少年だね。積もる話は後にして、とりあえず月影を亡き者にしようか。パース」

箱は小さくなって手に収まるサイズに変わった。

「ローリ様、何を弾きます?」

 ネニュファールがローリの箱のあった反対側から、いきなり飛び出してきた。片方赤く目を光らせている。メイド服の背中から生えた白い翼に、こめかみにも羽角が生えている。アルビノのミミズクだと太陽は思った。

「君の弾ける曲にしようか」
 ローリはいつの間にか出した弓で太陽を指していた。
「お、俺の弾ける曲?」

「こちらの世界に来るときに見ていたが、まさか、グリーンスリーブス以外弾けないわけないだろう? なんの楽器だか知らないが……」
「ピアノです。ウォレット・ストリングス、パース・ストリングス」

 グランドピアノと小さな箱が現れる。

「ピアノか、面白い」

「ウォレ」とネニュファール。もう目は赤くない上に、翼と羽角もない。
 太陽の見たことのない楽器が出てきた。木のギターのような、バイオリンを変形したものか、とにかくよくわからなかった。メロディ弦もキーもたくさんついている。

「あの、その楽器は?」
「ニッケルハルパと言いますのよ、スウェーデンの民族楽器ですわ」
「そうなのか? 曲は、ヴィエニャフスキのスケルツォ・タランテラがいいです」

 太陽は椅子に腰掛けた。

「いいね、ではさっそく弾こうではないか」
「わたくしも援護奏します」
「じゃあ、弾くからな」

 太陽は家の中でこの曲を一生懸命練習したのを思い出した。絶対音感があるので時間はかかったがなんとか暗譜したのを覚えている。
(今も暗譜できているはず)
 太陽は最初の音を出した。

 血と肉片が空に飛び立って、金貨や銀貨、銅貨、装飾品、貴金属に変わる。その金貨などは一つ一つ意思を持っているかのようにふわふわと高く舞いながら、箱へ入っていく。
 太陽は五回も間違えてしまった。
 ローリは姿勢もよく、間違えず、ピッチもあっており完璧な演奏をした。
 ネニュファールは一度音程を外した。
 イノシシの月影は骨になっていた。

「イノシシは食べないのか?」
「ローリ様に敬語で話しませんこと?」
「ネニュファール、君が気にすることはない。……リコヨーテの人は、例外を除いて、肉は基本的に食べないのだよ」
「あなた、何しにここへいらしたのですの?」
「俺はいきなり半月になった妹を探してここに来た。後は金稼ぎだが。まずは妹が先決だ」
「あなた、ここへ一人で来るのって下手したら死んでしまう、自殺行為ですわよ? おわかり?」
「ここに来れば、誰かしら日本人がいて助けてくれると思ったんだ。それと俺は太陽という名前だ」
「クライスタルならそうですわ、ですがここは月影がよく出ると知られている、岩石地帯なのですわよ。あなた、初心者ならさっさと申し出てはいかが?」

「俺は別に死にに来たんじゃない、一刻も早く桜歌を連れ戻すだけだ」
「桜歌?」
「妹のことだ。前髪が短くこれくらいで、後ろ髪は長くて、両目の上にホクロがあるんだ。何か知らないか? このくらいの身長で、顔は薄い顔で、焦げ茶の瞳で」
太陽は懸命に桜歌の外見を説明した。
「昨日帰ってきた女王のことだね」
「やっぱり。でもどうして?」
「体から魂を抜いて――」
「あら、また月影ですわ」
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