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いいけど元カノも凄すぎ
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理工技大学の武道場、明るいけど、独特の汗臭さがある。壁際には百人ぐらいの観客が集まっていて、なんだか物々しい雰囲気。
「始め!」
あ、あの人、なんかポンポンはねている。二海さんはじっとしている。どうしてかな。
「あの……」
「二海は他の人と格闘スタイルが違うの。ほとんどの人は副将のように軽くステップを踏むんだけど」
あたしは二海さんを見ながらうなずいた。ちょっと失礼かな? でも、きっと受付さんも試合を見ているはず。
「でも、二海は動かない。二海のつま先を見て」
「なんか、力が入っている気がします」
「そうよ。二海は、動いていないけど、足に力をため込んでいるの」
「どういうことですか?」
「バネを引っ張るみたいに足全体に力を入れて、床を足でつかんで。獲物を狩る野獣のように一瞬を狙っているのよ」
ポニテ女子さんが一歩を踏み出した瞬間、ポニーテールが揺れ、身体が宙に舞った。
「すごい、空気投げだ……初めて見た、すごい、すごすぎる」
「どういうことですか?」
「足払いなんだけど、普通の足払いと違って、相手の足が床に着く瞬間を狙って払うの」
「よくわからないですけど」
「つまり、相手が一歩を踏み出したときに、ああ、なんて説明したらいいのか……」
この人、なんか、すごく興奮している。
「そうすると、痛みどころか、何をされたかもわからず、まるで風にあおられたようにひっくりかえっちゃう」
「なんか、すごいです」
「しかも……二海、ずる過ぎるわ。二海の左手を見て」
あ、ポニテ女子さんの右手を持っている。
「ああやって手を掴むと、ひっくり返った相手は後頭部を打たないから、ダメージがないのよ。もう、本当に二海はずる過ぎるわ」
「あの、よくわからないですけど」
「二海は、超優しいってこと。あれをやられたら、絶対、空手女子は惚れる」
「うーん」
「復縁できないかしら。ねえ、私、二海と付き合っていい?」
「ダメです」
あ、思わず言っちゃった。でも、なんか、今、すごく気になるキーワードを言われた気が……。
「猿、どうして最後のキメを入れないんだ!」
「すみません、寸止めのクセで」
「まあいい、私の負けだ」
「ちょっと待った」
「あちゃー、出てきちゃったよ」
「あの人、誰ですか?」
「副将の彼氏、空手道部の元主将でもあるわ。あ、うちは夏で交代するから。でも、なんとなく主将って呼んでいるの」
「二海、俺と勝負しろ」
「嫌です」
「今、組手をやったじゃないか」
「春日からは恩を受けていたからです」
「じゃあ、どうしたら俺と勝負してくれるんだ?」
「ファイトマネー、いくらですか?」
「現金なやつだな。部費からは出せんが……」
「じゃあ、やりません」
「待った。わかった。千円でどうだ?」
「これだけ人が集まって、千円はせこくないですか?」
う、なんか、百人はいる気がする。
「わかった。じゃあ、三千円でどうだ?」
「三万円。どうせまた、賭けでもやっているんでしょ?」
「一万円で勘弁してくれ」
ポニテ女子さんが立ち上がった。長いポニーテールが揺れて、とても綺麗。どうしたのかな?
「猿、あの時、許してやった恩義を忘れたのか?」
あ、二海さん、ポニテ女子さんをにらんだ。
「わかりました」
「あの、恩義ってなんですか?」
「さあ、私もそこまでは知らないわ。私が知りたいぐらい」
「その、猿って何ですか?」
「それは、あ、始まるよ」
「始め!」
主将さんは動かない。
「二海、俺の彼女の『ピー』を奪った償い、しっかりとしてもらうぞ」
「だから奪った訳じゃないです。合意事項です」
「うるさい」
「うるさいのは先輩の方です」
「ふっ、お前の格闘スタイルは見切っている。待ちには弱いんだろう?」
「そうでもないですよ」
二海は何度かパンチをしたりキックをしたりするけど、主将さんは力で払いのけているみたい。一歩も下がらない。
――パンッ!
武道場に手を叩く音が響いた。主将さんは床で悶絶している、どういうこと?
「猫だまし、これも初めて見たわ。二海、すごい、すごすぎる。ねえ、やっぱり私、二海と復縁してもいいかしら」
「ダメです。でも、今のは何ですか?」
「猫だましと言ってね、攻防をしている最中に相手の目の前で手を叩くの。そうすると一瞬、気がひるんで隙ができるのよ」
「じゃあ、俺、行きますんで」
二海さんは、一万円を受け取ると、あたし達の方へ歩いてきた。
「二海、ちょっと待て」
「あちゃちゃ……あの人は、OBで、時々、私たちを指導しに来てくれているの。今日は大学祭だから来てくれたのかな。朝はいなかったのに」
「じゃあ、すごく強いんですか?」
「ええ。主将よりずっと強いわ。でも、二海が体験入部した時に負けた主将」
「ファイトマネーは?」
「五万円だ。俺はお前と違って社会人、貧乏学生とは違うからな」
歓声が上がった。
「二海、大丈夫かしら。二戦も続けたら、かなり体力消耗しているはず」
「そういうものなんですか?」
「ええ。連続で組手をやったら、全力を出せるのはせいぜい三分ぐらい。主将との組み手でかなり体力を消耗しているはず」
「二海さん、大丈夫ですか?」
「ちょっと、今の状態だとやばいかも」
「それでは、始め!」
うわ、すごい。二海さん、大丈夫かな。押され気味でだんだん場外のラインに近づいている。OBさん、すごい。
「え?」
OBさんがいったん離れたと思ったら、二海さん、一瞬で近づいた。何?この別次元の速さ、素人のあたしでもわかる。OBさんは床にうずくまっていた。何が起きたの?
さっきまでシーンとしていた武道場の中が、急に騒がしくなっている。
「完璧だわ。あれは抜重よ」
どうしてこの人、驚かないんだろう? 他の人たち、すごく驚いているのに。
「ダッシュする時って、普通、足に力を入れるじゃない。後ろ足は地面を蹴って前足は身体を引っ張るように」
「はい」
それは運動音痴なあたしでもわかる。
「二海は、抜重というテクを使えるの。ダッシュする瞬間に前足の力を抜いて、なんていうかな、前に沈み込むように飛び込むのね」
「よくわからないですけど」
「普通の倍ぐらいの速度でスタートできるの。ただし、足への負担が大きいから何度も使えない」
「そうなんですか」
「それに、他の筋肉には力を入れたまま、足だけ力を抜くのは難しいから、できる人はほとんどいないのよ」
二海さんが戻ってきた。
「楼珠、ごめんね、時間を取らせちゃって」
「いえ、いいんです。とてもかっこよかったです」
「おっと」
思わず抱きついた――のは平川君だった。あたしと颯綺は、すっかり機を逃してしまった模様。でも、すごくかっこよかった。
「清水さん、超かっこよかったです、もう、もう、どうなるかと思いました」
「そっか。それなら良かった」
二海さんは、平川君を押しのけると、あたしの傍に来てくれた。颯綺は少し気を使ってくれているのか、ちょっと後ろに下がったところにいるみたい。
「二海、この子、あなたの何なの?」
「あのな、菜可乃、まあ……」
「で?」
なんて答えるのかな。二海さんは、右手をあごに当てて、考え始めている。
「特別の上だよ」
特別の上って何? でも、きっといいことだよね。うれしい。
うわ、受付さん、前髪の隙間から片目だけ見えた。なんか、目を見開いているというか、驚いているみたい。ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。
「二海、成長したのね。ちょっとこの子と二人で話していいかしら」
「楼珠が良ければ」
あたしは縦に首を振った。この人、二海さんのこと、やけに詳しい。きっと、何か知らないことを教えてくれるに違いない。あたしは一緒に武道場の隅へ行った。
「実はね……」
「はい」
「私も三回生で、二海と一緒に空手道部に体験入部したの」
「そうだったんですか?」
「二海とは同県出身。大学に入る前から、空手の大会でお互い顔だけは知っていたのよ」
ああ、それで、準優勝したときの話、詳しかったんだ。
「それに、二海って、顔は普通だけど、背が高いし、優しいし、強いし。それで同じ大学ってことで運命を感じて、交際を申し込んだの」
いえ、二海さん、かっこいいと思います。
「でも、二海さん、空手道部には入部しなかったんですよね?」
「だから交際を申し込んだの。もっと一緒にいたくて。あたしのアパートで同棲していたのよ」
同棲? 一緒に男女がひとつ屋根の下で暮らすっていうことだよね。
「あの、さっき元カノさん、副将ですよね。同じ部にいて複雑な気分になったりしないんですか?」
「ええ。振ったのは私の方だから」
「どうして振っちゃったんですか?」
「なんていうのかな、途中で、これって恋じゃなくて、あこがれなんだってことに気づいちゃって」
「恋とあこがれですか」
あたしはどっちなんだろう?そもそも違うものなのかな。
「二海との将来をイメージできなかったの」
「難しいです」
「でも、二海、空手のコツとか教えてくれて、ぐんぐん上達。私、次期副将なの」
「すごいです」
「ちなみに、夜のコツは私が教えてあげたの。付き合ったのは半年ぐらいだけどね」
「その、あの……」
「あ、私は副将と違って、『ピー』じゃなかったから大丈夫よ」
「そういう問題じゃなくて」
「『付き合う』と『突き合う』っておもしろくない? 男女関係の変化をよく表していると思う」
「……おもしろくないです」
「二海は『ピーピー』を付ける時に焦って破っちゃって。かわいかったよ。まとめ買いしておいて良かったわ」
「えっと、あの……」
あたしは次の質問をしたいんだけど……。でも、続きも聞きたい。
「でも、今、思えば不思議だわ。『ピー』じゃなかったのかしら。『ピーピー』には慣れていなかったからそう思い込んでいたけど、落ち着いてたような……。まさか『ピー』で……いえ、二海の性格からして考えられない……」
受付さんの声がだんだん小さくなっていく。
なんか、胃の上のあたりがキリキリするけど、同時に頭の後ろが暖かくて安心感があるというか、もう、どの言葉も当てはめられないよ。
そうだ、質問、質問しなくちゃ。
「あの、どうして副将は二海さんのことを猿と呼ぶんですか?」
「噂なんだけど、二海って真面目な性格じゃん」
「はい」
「副将が、『ねえ、二海、今夜は私を埋め尽くしてみて♡』って言ったらしいの」
受付さんは、なぜか、ちょっと色っぽい声で話した。あたしは、つばを飲み込んだ。
「そしたら、二海、真面目にがんばって七回したらしいよ」
「……あの、キスとかですか?」
「違うわよ、もちろん『ピー』よ」
「え?」
「一晩で七回よ。すごくない?」
「全然、わかりません!」
「それで、猿って呼ぶようになったみたい。ほら、猿って、『ピー』を教えると死ぬまでやり続けるって言うじゃん。まあ、本当か嘘かわからないけど」
「それと別れるのと、どんな関係があるんですか?」
「『この男には勝てない』って思って別れたって話」
「その、ついていけないかも……」
「大丈夫、若さ若さ。今から鍛えておけばそれぐらい、全然問題ないから」
「……いえ、話についていけないということです!」
「まったく、二海のやつ、最後に私とした時は六回だったのに。成長しているのね」
「え?」
「きっと、今なら八回は行けると思うわ。鍛えておいた方がいいと思う」
「そんな……」
「私から話せるのはそれぐらい。もっと深い話ならできるけど、聞きたい?」
「いえ、本当に、もう大丈夫です」
「えー、私なら、二海がどんなことをされたら喜ぶとか教えてあげられるのに」
「……でも、その、そっち系ですよね?」
「せいかーい。どう?」
「やっぱり、いいです」
「お、自分で二海の感じるところを探す? 探求心旺盛ってやつ、いいねいいね」
「違います……」
♪ ♪ ♪
女子の割には殺風景な自分の部屋。ベッドに寝転がって天井を見た。大学祭、とても楽しかった。でも、何ていうのかな、二海さんのこと、今まで何も知らなかった。
颯綺の異常なまでの二海さんへの甘えっぷり、ポニテ女子さん、受付さんからの話、もう、何が何だかわからなくて、ひとり、取り残された気分。
スマホを取り出し、大学祭で二海さんが演奏している動画を再生した。
ソロの中の二小節、きっと、これ、あたしへのメッセージだよね、あたしだけがわかる秘密のメッセージ、そうだよね? 二海さん。
----------------
あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
「賭け」は完全フィクションの誇張表現です。そんなことはやっていませんので、単に物語を面白くするために入れただけです。悪しからずご了承ください。
なお、空手の解説部分は、すべて本当です。
あ、ひとつだけ。「抜重」のトレーニング動画で、クッションを持ってやっている動画とかありますが、あれでクッションが持ち上がっているのは、手に力が入っているからです。
重力加速度は平等なので、クッションは上には上がりません。
おもしろいなって思っていただけたら、いいね!して頂けると、転がって喜びます。さらに、お気に入り追加してくださると、スクワットして喜びます。
それではまた!
「始め!」
あ、あの人、なんかポンポンはねている。二海さんはじっとしている。どうしてかな。
「あの……」
「二海は他の人と格闘スタイルが違うの。ほとんどの人は副将のように軽くステップを踏むんだけど」
あたしは二海さんを見ながらうなずいた。ちょっと失礼かな? でも、きっと受付さんも試合を見ているはず。
「でも、二海は動かない。二海のつま先を見て」
「なんか、力が入っている気がします」
「そうよ。二海は、動いていないけど、足に力をため込んでいるの」
「どういうことですか?」
「バネを引っ張るみたいに足全体に力を入れて、床を足でつかんで。獲物を狩る野獣のように一瞬を狙っているのよ」
ポニテ女子さんが一歩を踏み出した瞬間、ポニーテールが揺れ、身体が宙に舞った。
「すごい、空気投げだ……初めて見た、すごい、すごすぎる」
「どういうことですか?」
「足払いなんだけど、普通の足払いと違って、相手の足が床に着く瞬間を狙って払うの」
「よくわからないですけど」
「つまり、相手が一歩を踏み出したときに、ああ、なんて説明したらいいのか……」
この人、なんか、すごく興奮している。
「そうすると、痛みどころか、何をされたかもわからず、まるで風にあおられたようにひっくりかえっちゃう」
「なんか、すごいです」
「しかも……二海、ずる過ぎるわ。二海の左手を見て」
あ、ポニテ女子さんの右手を持っている。
「ああやって手を掴むと、ひっくり返った相手は後頭部を打たないから、ダメージがないのよ。もう、本当に二海はずる過ぎるわ」
「あの、よくわからないですけど」
「二海は、超優しいってこと。あれをやられたら、絶対、空手女子は惚れる」
「うーん」
「復縁できないかしら。ねえ、私、二海と付き合っていい?」
「ダメです」
あ、思わず言っちゃった。でも、なんか、今、すごく気になるキーワードを言われた気が……。
「猿、どうして最後のキメを入れないんだ!」
「すみません、寸止めのクセで」
「まあいい、私の負けだ」
「ちょっと待った」
「あちゃー、出てきちゃったよ」
「あの人、誰ですか?」
「副将の彼氏、空手道部の元主将でもあるわ。あ、うちは夏で交代するから。でも、なんとなく主将って呼んでいるの」
「二海、俺と勝負しろ」
「嫌です」
「今、組手をやったじゃないか」
「春日からは恩を受けていたからです」
「じゃあ、どうしたら俺と勝負してくれるんだ?」
「ファイトマネー、いくらですか?」
「現金なやつだな。部費からは出せんが……」
「じゃあ、やりません」
「待った。わかった。千円でどうだ?」
「これだけ人が集まって、千円はせこくないですか?」
う、なんか、百人はいる気がする。
「わかった。じゃあ、三千円でどうだ?」
「三万円。どうせまた、賭けでもやっているんでしょ?」
「一万円で勘弁してくれ」
ポニテ女子さんが立ち上がった。長いポニーテールが揺れて、とても綺麗。どうしたのかな?
「猿、あの時、許してやった恩義を忘れたのか?」
あ、二海さん、ポニテ女子さんをにらんだ。
「わかりました」
「あの、恩義ってなんですか?」
「さあ、私もそこまでは知らないわ。私が知りたいぐらい」
「その、猿って何ですか?」
「それは、あ、始まるよ」
「始め!」
主将さんは動かない。
「二海、俺の彼女の『ピー』を奪った償い、しっかりとしてもらうぞ」
「だから奪った訳じゃないです。合意事項です」
「うるさい」
「うるさいのは先輩の方です」
「ふっ、お前の格闘スタイルは見切っている。待ちには弱いんだろう?」
「そうでもないですよ」
二海は何度かパンチをしたりキックをしたりするけど、主将さんは力で払いのけているみたい。一歩も下がらない。
――パンッ!
武道場に手を叩く音が響いた。主将さんは床で悶絶している、どういうこと?
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「ダメです。でも、今のは何ですか?」
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「じゃあ、俺、行きますんで」
二海さんは、一万円を受け取ると、あたし達の方へ歩いてきた。
「二海、ちょっと待て」
「あちゃちゃ……あの人は、OBで、時々、私たちを指導しに来てくれているの。今日は大学祭だから来てくれたのかな。朝はいなかったのに」
「じゃあ、すごく強いんですか?」
「ええ。主将よりずっと強いわ。でも、二海が体験入部した時に負けた主将」
「ファイトマネーは?」
「五万円だ。俺はお前と違って社会人、貧乏学生とは違うからな」
歓声が上がった。
「二海、大丈夫かしら。二戦も続けたら、かなり体力消耗しているはず」
「そういうものなんですか?」
「ええ。連続で組手をやったら、全力を出せるのはせいぜい三分ぐらい。主将との組み手でかなり体力を消耗しているはず」
「二海さん、大丈夫ですか?」
「ちょっと、今の状態だとやばいかも」
「それでは、始め!」
うわ、すごい。二海さん、大丈夫かな。押され気味でだんだん場外のラインに近づいている。OBさん、すごい。
「え?」
OBさんがいったん離れたと思ったら、二海さん、一瞬で近づいた。何?この別次元の速さ、素人のあたしでもわかる。OBさんは床にうずくまっていた。何が起きたの?
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どうしてこの人、驚かないんだろう? 他の人たち、すごく驚いているのに。
「ダッシュする時って、普通、足に力を入れるじゃない。後ろ足は地面を蹴って前足は身体を引っ張るように」
「はい」
それは運動音痴なあたしでもわかる。
「二海は、抜重というテクを使えるの。ダッシュする瞬間に前足の力を抜いて、なんていうかな、前に沈み込むように飛び込むのね」
「よくわからないですけど」
「普通の倍ぐらいの速度でスタートできるの。ただし、足への負担が大きいから何度も使えない」
「そうなんですか」
「それに、他の筋肉には力を入れたまま、足だけ力を抜くのは難しいから、できる人はほとんどいないのよ」
二海さんが戻ってきた。
「楼珠、ごめんね、時間を取らせちゃって」
「いえ、いいんです。とてもかっこよかったです」
「おっと」
思わず抱きついた――のは平川君だった。あたしと颯綺は、すっかり機を逃してしまった模様。でも、すごくかっこよかった。
「清水さん、超かっこよかったです、もう、もう、どうなるかと思いました」
「そっか。それなら良かった」
二海さんは、平川君を押しのけると、あたしの傍に来てくれた。颯綺は少し気を使ってくれているのか、ちょっと後ろに下がったところにいるみたい。
「二海、この子、あなたの何なの?」
「あのな、菜可乃、まあ……」
「で?」
なんて答えるのかな。二海さんは、右手をあごに当てて、考え始めている。
「特別の上だよ」
特別の上って何? でも、きっといいことだよね。うれしい。
うわ、受付さん、前髪の隙間から片目だけ見えた。なんか、目を見開いているというか、驚いているみたい。ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。
「二海、成長したのね。ちょっとこの子と二人で話していいかしら」
「楼珠が良ければ」
あたしは縦に首を振った。この人、二海さんのこと、やけに詳しい。きっと、何か知らないことを教えてくれるに違いない。あたしは一緒に武道場の隅へ行った。
「実はね……」
「はい」
「私も三回生で、二海と一緒に空手道部に体験入部したの」
「そうだったんですか?」
「二海とは同県出身。大学に入る前から、空手の大会でお互い顔だけは知っていたのよ」
ああ、それで、準優勝したときの話、詳しかったんだ。
「それに、二海って、顔は普通だけど、背が高いし、優しいし、強いし。それで同じ大学ってことで運命を感じて、交際を申し込んだの」
いえ、二海さん、かっこいいと思います。
「でも、二海さん、空手道部には入部しなかったんですよね?」
「だから交際を申し込んだの。もっと一緒にいたくて。あたしのアパートで同棲していたのよ」
同棲? 一緒に男女がひとつ屋根の下で暮らすっていうことだよね。
「あの、さっき元カノさん、副将ですよね。同じ部にいて複雑な気分になったりしないんですか?」
「ええ。振ったのは私の方だから」
「どうして振っちゃったんですか?」
「なんていうのかな、途中で、これって恋じゃなくて、あこがれなんだってことに気づいちゃって」
「恋とあこがれですか」
あたしはどっちなんだろう?そもそも違うものなのかな。
「二海との将来をイメージできなかったの」
「難しいです」
「でも、二海、空手のコツとか教えてくれて、ぐんぐん上達。私、次期副将なの」
「すごいです」
「ちなみに、夜のコツは私が教えてあげたの。付き合ったのは半年ぐらいだけどね」
「その、あの……」
「あ、私は副将と違って、『ピー』じゃなかったから大丈夫よ」
「そういう問題じゃなくて」
「『付き合う』と『突き合う』っておもしろくない? 男女関係の変化をよく表していると思う」
「……おもしろくないです」
「二海は『ピーピー』を付ける時に焦って破っちゃって。かわいかったよ。まとめ買いしておいて良かったわ」
「えっと、あの……」
あたしは次の質問をしたいんだけど……。でも、続きも聞きたい。
「でも、今、思えば不思議だわ。『ピー』じゃなかったのかしら。『ピーピー』には慣れていなかったからそう思い込んでいたけど、落ち着いてたような……。まさか『ピー』で……いえ、二海の性格からして考えられない……」
受付さんの声がだんだん小さくなっていく。
なんか、胃の上のあたりがキリキリするけど、同時に頭の後ろが暖かくて安心感があるというか、もう、どの言葉も当てはめられないよ。
そうだ、質問、質問しなくちゃ。
「あの、どうして副将は二海さんのことを猿と呼ぶんですか?」
「噂なんだけど、二海って真面目な性格じゃん」
「はい」
「副将が、『ねえ、二海、今夜は私を埋め尽くしてみて♡』って言ったらしいの」
受付さんは、なぜか、ちょっと色っぽい声で話した。あたしは、つばを飲み込んだ。
「そしたら、二海、真面目にがんばって七回したらしいよ」
「……あの、キスとかですか?」
「違うわよ、もちろん『ピー』よ」
「え?」
「一晩で七回よ。すごくない?」
「全然、わかりません!」
「それで、猿って呼ぶようになったみたい。ほら、猿って、『ピー』を教えると死ぬまでやり続けるって言うじゃん。まあ、本当か嘘かわからないけど」
「それと別れるのと、どんな関係があるんですか?」
「『この男には勝てない』って思って別れたって話」
「その、ついていけないかも……」
「大丈夫、若さ若さ。今から鍛えておけばそれぐらい、全然問題ないから」
「……いえ、話についていけないということです!」
「まったく、二海のやつ、最後に私とした時は六回だったのに。成長しているのね」
「え?」
「きっと、今なら八回は行けると思うわ。鍛えておいた方がいいと思う」
「そんな……」
「私から話せるのはそれぐらい。もっと深い話ならできるけど、聞きたい?」
「いえ、本当に、もう大丈夫です」
「えー、私なら、二海がどんなことをされたら喜ぶとか教えてあげられるのに」
「……でも、その、そっち系ですよね?」
「せいかーい。どう?」
「やっぱり、いいです」
「お、自分で二海の感じるところを探す? 探求心旺盛ってやつ、いいねいいね」
「違います……」
♪ ♪ ♪
女子の割には殺風景な自分の部屋。ベッドに寝転がって天井を見た。大学祭、とても楽しかった。でも、何ていうのかな、二海さんのこと、今まで何も知らなかった。
颯綺の異常なまでの二海さんへの甘えっぷり、ポニテ女子さん、受付さんからの話、もう、何が何だかわからなくて、ひとり、取り残された気分。
スマホを取り出し、大学祭で二海さんが演奏している動画を再生した。
ソロの中の二小節、きっと、これ、あたしへのメッセージだよね、あたしだけがわかる秘密のメッセージ、そうだよね? 二海さん。
----------------
あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
「賭け」は完全フィクションの誇張表現です。そんなことはやっていませんので、単に物語を面白くするために入れただけです。悪しからずご了承ください。
なお、空手の解説部分は、すべて本当です。
あ、ひとつだけ。「抜重」のトレーニング動画で、クッションを持ってやっている動画とかありますが、あれでクッションが持ち上がっているのは、手に力が入っているからです。
重力加速度は平等なので、クッションは上には上がりません。
おもしろいなって思っていただけたら、いいね!して頂けると、転がって喜びます。さらに、お気に入り追加してくださると、スクワットして喜びます。
それではまた!
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