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いいけど元カノも凄すぎ

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 理工技大学の武道場、明るいけど、独特の汗臭さがある。壁際には百人ぐらいの観客が集まっていて、なんだか物々しい雰囲気。

「始め!」

 あ、あの人、なんかポンポンはねている。二海ふたみさんはじっとしている。どうしてかな。

「あの……」
二海ふたみは他の人と格闘スタイルが違うの。ほとんどの人は副将のように軽くステップを踏むんだけど」

 あたしは二海ふたみさんを見ながらうなずいた。ちょっと失礼かな? でも、きっと受付さんも試合を見ているはず。

「でも、二海ふたみは動かない。二海ふたみのつま先を見て」
「なんか、力が入っている気がします」

「そうよ。二海ふたみは、動いていないけど、足に力をため込んでいるの」
「どういうことですか?」
「バネを引っ張るみたいに足全体に力を入れて、床を足でつかんで。獲物を狩る野獣のように一瞬を狙っているのよ」

 ポニテ女子さんが一歩を踏み出した瞬間、ポニーテールが揺れ、身体が宙に舞った。

「すごい、空気投げだ……初めて見た、すごい、すごすぎる」
「どういうことですか?」
「足払いなんだけど、普通の足払いと違って、相手の足が床に着く瞬間を狙って払うの」
「よくわからないですけど」
「つまり、相手が一歩を踏み出したときに、ああ、なんて説明したらいいのか……」

 この人、なんか、すごく興奮している。

「そうすると、痛みどころか、何をされたかもわからず、まるで風にあおられたようにひっくりかえっちゃう」
「なんか、すごいです」
「しかも……二海ふたみ、ずる過ぎるわ。二海ふたみの左手を見て」

 あ、ポニテ女子さんの右手を持っている。

「ああやって手を掴むと、ひっくり返った相手は後頭部を打たないから、ダメージがないのよ。もう、本当に二海ふたみはずる過ぎるわ」
「あの、よくわからないですけど」

二海ふたみは、超優しいってこと。あれをやられたら、絶対、空手女子は惚れる」
「うーん」
「復縁できないかしら。ねえ、私、二海ふたみと付き合っていい?」
「ダメです」

 あ、思わず言っちゃった。でも、なんか、今、すごく気になるキーワードを言われた気が……。

「猿、どうして最後のキメを入れないんだ!」
「すみません、寸止めのクセで」
「まあいい、私の負けだ」

「ちょっと待った」

「あちゃー、出てきちゃったよ」
「あの人、誰ですか?」
「副将の彼氏、空手道部の元主将でもあるわ。あ、うちは夏で交代するから。でも、なんとなく主将って呼んでいるの」

二海ふたみ、俺と勝負しろ」
「嫌です」
「今、組手をやったじゃないか」
春日かすがからは恩を受けていたからです」
「じゃあ、どうしたら俺と勝負してくれるんだ?」

「ファイトマネー、いくらですか?」
「現金なやつだな。部費からは出せんが……」
「じゃあ、やりません」

「待った。わかった。千円でどうだ?」
「これだけ人が集まって、千円はせこくないですか?」

 う、なんか、百人はいる気がする。

「わかった。じゃあ、三千円でどうだ?」
「三万円。どうせまた、賭けでもやっているんでしょ?」
「一万円で勘弁してくれ」

 ポニテ女子さんが立ち上がった。長いポニーテールが揺れて、とても綺麗。どうしたのかな?

「猿、あの時、許してやった恩義を忘れたのか?」

 あ、二海ふたみさん、ポニテ女子さんをにらんだ。

「わかりました」

「あの、恩義ってなんですか?」
「さあ、私もそこまでは知らないわ。私が知りたいぐらい」
「その、猿って何ですか?」
「それは、あ、始まるよ」

「始め!」

 主将さんは動かない。

二海ふたみ、俺の彼女の『ピーしょじょ』を奪った償い、しっかりとしてもらうぞ」
「だから奪った訳じゃないです。合意事項です」
「うるさい」
「うるさいのは先輩の方です」

「ふっ、お前の格闘スタイルは見切っている。待ちには弱いんだろう?」
「そうでもないですよ」

 二海ふたみは何度かパンチをしたりキックをしたりするけど、主将さんは力で払いのけているみたい。一歩も下がらない。

――パンッ!

 武道場に手を叩く音が響いた。主将さんは床で悶絶している、どういうこと?

「猫だまし、これも初めて見たわ。二海ふたみ、すごい、すごすぎる。ねえ、やっぱり私、二海ふたみと復縁してもいいかしら」
「ダメです。でも、今のは何ですか?」

「猫だましと言ってね、攻防をしている最中に相手の目の前で手を叩くの。そうすると一瞬、気がひるんで隙ができるのよ」

「じゃあ、俺、行きますんで」

 二海ふたみさんは、一万円を受け取ると、あたし達の方へ歩いてきた。

二海ふたみ、ちょっと待て」

「あちゃちゃ……あの人は、OBで、時々、私たちを指導しに来てくれているの。今日は大学祭だから来てくれたのかな。朝はいなかったのに」
「じゃあ、すごく強いんですか?」
「ええ。主将よりずっと強いわ。でも、二海ふたみが体験入部した時に負けた主将」

「ファイトマネーは?」
「五万円だ。俺はお前と違って社会人、貧乏学生とは違うからな」

 歓声が上がった。

二海ふたみ、大丈夫かしら。二戦も続けたら、かなり体力消耗しているはず」
「そういうものなんですか?」
「ええ。連続で組手をやったら、全力を出せるのはせいぜい三分ぐらい。主将との組み手でかなり体力を消耗しているはず」

二海ふたみさん、大丈夫ですか?」
「ちょっと、今の状態だとやばいかも」

「それでは、始め!」

 うわ、すごい。二海ふたみさん、大丈夫かな。押され気味でだんだん場外のラインに近づいている。OBさん、すごい。

「え?」

 OBさんがいったん離れたと思ったら、二海ふたみさん、一瞬で近づいた。何?この別次元の速さ、素人のあたしでもわかる。OBさんは床にうずくまっていた。何が起きたの?

 さっきまでシーンとしていた武道場の中が、急に騒がしくなっている。

「完璧だわ。あれは抜重ばつじゅうよ」

 どうしてこの人、驚かないんだろう? 他の人たち、すごく驚いているのに。

「ダッシュする時って、普通、足に力を入れるじゃない。後ろ足は地面を蹴って前足は身体を引っ張るように」
「はい」

 それは運動音痴なあたしでもわかる。

二海ふたみは、抜重ばつじゅうというテクを使えるの。ダッシュする瞬間に前足の力を抜いて、なんていうかな、前に沈み込むように飛び込むのね」
「よくわからないですけど」

「普通の倍ぐらいの速度でスタートできるの。ただし、足への負担が大きいから何度も使えない」
「そうなんですか」

「それに、他の筋肉には力を入れたまま、足だけ力を抜くのは難しいから、できる人はほとんどいないのよ」

 二海ふたみさんが戻ってきた。

楼珠ろうず、ごめんね、時間を取らせちゃって」
「いえ、いいんです。とてもかっこよかったです」
「おっと」

 思わず抱きついた――のは平川君だった。あたしと颯綺さつきは、すっかり機を逃してしまった模様。でも、すごくかっこよかった。

清水きよみずさん、超かっこよかったです、もう、もう、どうなるかと思いました」
「そっか。それなら良かった」

 二海ふたみさんは、平川君を押しのけると、あたしの傍に来てくれた。颯綺さつきは少し気を使ってくれているのか、ちょっと後ろに下がったところにいるみたい。

二海ふたみ、この子、あなたの何なの?」
「あのな、菜可乃なかの、まあ……」
「で?」

 なんて答えるのかな。二海ふたみさんは、右手をあごに当てて、考え始めている。

「特別の上だよ」

 特別の上って何? でも、きっといいことだよね。うれしい。

 うわ、受付さん、前髪の隙間から片目だけ見えた。なんか、目を見開いているというか、驚いているみたい。ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。

二海ふたみ、成長したのね。ちょっとこの子と二人で話していいかしら」
楼珠ろうずが良ければ」

 あたしは縦に首を振った。この人、二海ふたみさんのこと、やけに詳しい。きっと、何か知らないことを教えてくれるに違いない。あたしは一緒に武道場の隅へ行った。

「実はね……」
「はい」
「私も三回生で、二海ふたみと一緒に空手道部に体験入部したの」
「そうだったんですか?」
二海ふたみとは同県出身。大学に入る前から、空手の大会でお互い顔だけは知っていたのよ」

 ああ、それで、準優勝したときの話、詳しかったんだ。

「それに、二海ふたみって、顔は普通だけど、背が高いし、優しいし、強いし。それで同じ大学ってことで運命を感じて、交際を申し込んだの」

 いえ、二海ふたみさん、かっこいいと思います。

「でも、二海ふたみさん、空手道部には入部しなかったんですよね?」
「だから交際を申し込んだの。もっと一緒にいたくて。あたしのアパートで同棲していたのよ」

 同棲? 一緒に男女がひとつ屋根の下で暮らすっていうことだよね。

「あの、さっき元カノさん、副将ですよね。同じ部にいて複雑な気分になったりしないんですか?」
「ええ。振ったのは私の方だから」
「どうして振っちゃったんですか?」

「なんていうのかな、途中で、これって恋じゃなくて、あこがれなんだってことに気づいちゃって」
「恋とあこがれですか」

 あたしはどっちなんだろう?そもそも違うものなのかな。

二海ふたみとの将来をイメージできなかったの」
「難しいです」
「でも、二海ふたみ、空手のコツとか教えてくれて、ぐんぐん上達。私、次期副将なの」
「すごいです」

「ちなみに、夜のコツは私が教えてあげたの。付き合ったのは半年ぐらいだけどね」

「その、あの……」
「あ、私は副将と違って、『ピーしょじょ』じゃなかったから大丈夫よ」
「そういう問題じゃなくて」
「『付き合う』と『突き合う』っておもしろくない? 男女関係の変化をよく表していると思う」

「……おもしろくないです」

二海ふたみは『ピーピーコンドーム』を付ける時に焦って破っちゃって。かわいかったよ。まとめ買いしておいて良かったわ」
「えっと、あの……」

 あたしは次の質問をしたいんだけど……。でも、続きも聞きたい。

「でも、今、思えば不思議だわ。『ピーどうてい』じゃなかったのかしら。『ピーピーコンドーム』には慣れていなかったからそう思い込んでいたけど、落ち着いてたような……。まさか『ピーなま』で……いえ、二海ふたみの性格からして考えられない……」

 受付さんの声がだんだん小さくなっていく。

 なんか、胃の上のあたりがキリキリするけど、同時に頭の後ろが暖かくて安心感があるというか、もう、どの言葉も当てはめられないよ。

 そうだ、質問、質問しなくちゃ。

「あの、どうして副将は二海ふたみさんのことを猿と呼ぶんですか?」
「噂なんだけど、二海ふたみって真面目な性格じゃん」
「はい」
「副将が、『ねえ、二海ふたみ、今夜は私を埋め尽くしてみて♡』って言ったらしいの」

 受付さんは、なぜか、ちょっと色っぽい声で話した。あたしは、つばを飲み込んだ。

「そしたら、二海ふたみ、真面目にがんばって七回したらしいよ」
「……あの、キスとかですか?」
「違うわよ、もちろん『ピーセックス』よ」
「え?」
「一晩で七回よ。すごくない?」
「全然、わかりません!」

「それで、猿って呼ぶようになったみたい。ほら、猿って、『ピーオナニー』を教えると死ぬまでやり続けるって言うじゃん。まあ、本当か嘘かわからないけど」
「それと別れるのと、どんな関係があるんですか?」
「『この男には勝てない』って思って別れたって話」

「その、ついていけないかも……」
「大丈夫、若さ若さ。今から鍛えておけばそれぐらい、全然問題ないから」
「……いえ、話についていけないということです!」

「まったく、二海ふたみのやつ、最後に私とした時は六回だったのに。成長しているのね」
「え?」
「きっと、今なら八回は行けると思うわ。鍛えておいた方がいいと思う」
「そんな……」

「私から話せるのはそれぐらい。もっと深い話ならできるけど、聞きたい?」
「いえ、本当に、もう大丈夫です」
「えー、私なら、二海ふたみがどんなことをされたら喜ぶとか教えてあげられるのに」
「……でも、その、そっち系ですよね?」
「せいかーい。どう?」

「やっぱり、いいです」

「お、自分で二海ふたみの感じるところを探す? 探求心旺盛ってやつ、いいねいいね」
「違います……」


  ♪  ♪  ♪


 女子の割には殺風景な自分の部屋。ベッドに寝転がって天井を見た。大学祭、とても楽しかった。でも、何ていうのかな、二海ふたみさんのこと、今まで何も知らなかった。

 颯綺さつきの異常なまでの二海ふたみさんへの甘えっぷり、ポニテ女子さん、受付さんからの話、もう、何が何だかわからなくて、ひとり、取り残された気分。

 スマホを取り出し、大学祭で二海ふたみさんが演奏している動画を再生した。

 ソロの中の二小節、きっと、これ、あたしへのメッセージだよね、あたしだけがわかる秘密のメッセージ、そうだよね? 二海ふたみさん。



   ----------------



あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。

「賭け」は完全フィクションの誇張表現です。そんなことはやっていませんので、単に物語を面白くするために入れただけです。悪しからずご了承ください。

なお、空手の解説部分は、すべて本当です。

あ、ひとつだけ。「抜重」のトレーニング動画で、クッションを持ってやっている動画とかありますが、あれでクッションが持ち上がっているのは、手に力が入っているからです。

重力加速度は平等なので、クッションは上には上がりません。


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それではまた!
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